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THE D SoraKi に聞く、なめんなよ、ヒップホップライフ——連載「そこから何が見えますか」10

「ダンスを極めていきたいっていう気持ちありますけど、どういうふうになりたいってのは正解がないんで、気持ち次第で、自分がなるように、ダンスが変わっていけばいいなと思ってます」

Interview by Sumiko Sato
movie by Shingo Wakagi

ソラキさんというかっこいいダンサーがいるよ、とインスタを紹介されたのは2023年の春だった。ソラキさんは2022年12月、『Redbull Dance Your Style 2022 World Final』で日本人初優勝。とりわけセミファイナルで踊ったダイアナ・ロスの「I’m Coming Out」のダンスが話題となり、大きな飛躍を遂げていた。このダンスが、何度見てもこちらが幸せになるようなダンスなのだ。ヒップホップがなんたるかも、バトルのルールも、何も知らなくても、見ているとソラキさんの多幸感が溢れ出てきて、こちらも幸せになってしまう。それからインスタに毎日のようにアップされるダンスを追うようになり、このしなやかなダンサーに会ってみたいと願うようになった。ソラキさんは「あの、ダイアナ・ロスの」と言われることには、きっとちょっと辟易しているだろう。あのときまだ10代だったソラキさんは、この1年半余り、文字通りまだまだ成長の途上にあるのだった。

 

——この「HILLS LIFE DAILY」という媒体は読んでる人がわりあい幅広いので、ソラキさんを全く知らない人もいるのではないかと思います。あらためて、自己紹介をお願いしたいのですが。

ソラキ はい。THE D SoraKiです。二十歳です[インタビュー時。現在21歳]。2003年7月13日生まれ。湘南生まれ湘南育ち、湘南住みです。ダンス歴はたぶん今年で17年目。4歳から始めてるんで。でも4歳から本格的に始めたって感じですけど、3歳とか2歳とかも踊ってはいたんです。タイミングとしては「4歳から」と言うのがちょうどいいのかなと思って4歳から始めたって言うようにしてて。最初、姉にダンス教えてもらって、そっから目黒のすっごい厳しいダンススクールに通ったので。

——湘南から通ったんですか。

ソラキ そうですね、小1から電車乗って2人で行って。たまにお母さんが送り迎えしてくれて。それからXXX-LARGE(トリプルエクストララージ)っていうヒップホップの地元のパイセンたちに出会って、その後に自分の師匠のYOSHIEさんに出会って、いろいろありました。Red Bull Dance Your Styleで世界一になったタイミングで自分の人生がガラッと変わって。それまではずっとバイトしまくって、朝6時に出勤して夕方6時まで休みなしのバイトとかしてたんで。

——肉体労働?

ソラキ いや、朝ごはんのお店でバイトしてて。朝ごはんなのに謎に夕方の6時までやってたんすよね。あとはコンビニで働いたりしてて。それがDance Your Styleをきっかけに人生が変わって、そっからもういろんなスポンサーさんが付いてくれて、いろんな契約とかいろんな何とかとか、もうすごいいろんなことがあって、人生が変わったって感じですね。

——この1年半くらいのことですね。

ソラキ そうですね。そうだ、スポンサーの説明をしておくと、1つはRed Bull Dancers。いつもダンスで支えてもらったりしてます。あと今年からアディダス。と、去年からG-Shockとルイ・ヴィトンにサポートしてもらってます。

 

——SNSを1人で始めたんですね。

ソラキ そうですね。コロナのタイミングで、まじすることなくなったんで、バトルとかがなくなっちゃったから、何すればいいんだろうってタイミングがあった時に、いわゆるダンスリーグっていうものが始まって、ふざけんなよそんなクソみたいなバイタリティーと思ってたんすよ。したらこっちもやってやるよと思って始めたのが、このインスタグラムの毎日投稿だったんすよ。そっから1年ぐらいで10万人ぐらいまでフォロワー増やして、そのきっかけでDance Your Styleに呼ばれるようになったって感じですね。

——それがDance Your Styleに勝って急にフォロアーが35万人に。

ソラキ 1日で20万人ぐらい増えましたね。すごかったっす。

——インスタの撮り方は自分で研究したんですか。

ソラキ いやもうストリートっしょと思ってたんで。携帯をペットボトルに置きながら撮って、ストリートスタイルはもう絶対に曲げないっしょって気持ちでやってます。

——曲は自分で選んで?

ソラキ そうですね。もう4歳からずっとヒップホップを聞かされまくってたんで。ジェイ・Zとか50 Centとかナッジとか、アメリカのいろんなヒップホップをお母さんが毎日かけてくれて。そういうお母さんの影響で育ったので。もう音楽はずっと好きで、小3ぐらいで地元のヒップホップの人たちに出会ってからレコードってものが好きんなって、CDとかレコードをよく集めに行ってましたね。

——ヒップホップダンスとほかのダンスとの違いを、どういうふうに説明しますか?

ソラキ なんか、ジャンルはいろいろ分かれてますけど、アフリカ・バンバータがブロンクスとかで始めて、ラップってものが始まった時に、そのPVで踊ってたやつがヒップホップっていう名前であるんで、何がヒップホップっていうダンスかって言われたら難しくて。個人的には、どんなジャンルやっててもどんなアートやってても、基本的にはアーティストでハングリー精神を持ってれば、みんなヒップホップライフなんじゃないかなと思ってますね。

——なるほど。ブレイクとはちがうんでしょうか。

ソラキ ブレイクの派生がヒップホップなんで。ブレイクダンスがあって、その後にヒップホップダンスができてるんで、別に違いはないし自分もトップロックするし。だから何でしょうね。昔の人は全部やってたので、別にブレイクとヒップホップって言われたら、難しいですね、何て説明すりゃいいんですかね。説明するっていうか、もう見に来いって感じですね。

——自分のダンスのスタイルを、どういうふうに捉えてますか。

ソラキ 師匠がYOSHIEさんなので、YOSHIEさんからの女性らしさとかソウルダンスとかファンクとかの踊り方を、ヒップホップベースに取り入れたスタイルなので、男らしさと女性らしさが混じったみたいな感じですかね、分かりやすく言えば。いわゆるヒップホップダンスって感じのヒップホップダンスじゃないんですけど、自分はヒップホップやってると思ってるんで、って感じですね。

——実はこの1年半くらい、毎日のようにソラキさんをインスタで見てたわけなんですが、なにか柔らかいっていうか、何て言うのかな、私の思ってたいわゆるヒップホップダンスとはちょっと違うなと思ってたんです。それは何なのかなと思って。アイソレーションをすごく練習してる、ってどこかでおっしゃってたんで、それもあるのかな、とか。

ソラキ そうですね。基礎練をいっぱいしてますね。アイソレーションも、ダウンとかアップとかも、もう基礎中の基礎をずっと練習して、ほかはもう現場っしょって感じで、もうすっげえクラブに遊び行ってましたね。

 

——それは東京へ?

ソラキ 東京のクラブに裏口侵入とかして入ってました、14歳ぐらいん時。侵入とかして、わーみたいな。昼にクラブでイベントが多いんで、ダンスバトルとかもあったんで行ってたんですけど。だからクラブのオーナーとか知り合いんなって、で、裏から侵入したり電話したりして入ってました。

——バトルでやるダンスと、毎日自分で踊るダンスと、メンタルは違うんですか。毎日の投稿からは、競うっていう感じはあまり受けないんですが。

ソラキ そうですね。音楽を体で表現する、今日思ったことをダンスにする、今日聞きたい曲でダンスするって感じです。バトルではもう相手殺すって思ってるんで。全然中指とか立てたりしてますし、ほんとふざけんな、って。むっとムカついたらもう殴ってやろうかなと思う時もあるぐらいなんで。でもバトルなんてそれぐらいの精神がないと。ピースでもあり、相手をリスペクトしつつ、そういうことができるって場所がバトル。格闘技と一緒だと思います。

——いつもヒップホップやってるぞっていう気持ちだと言ってましたが、そこをもう少し教えてもらえませんか。それはどういう気持ちなんだろう。何かにカウンターな感じなんでしょうか。

ソラキ 個人的にはアングラでいて、これがヒップホップと思ってる人も、別にヒップホップじゃないんですよね。だって昔のアーティストたちはテレビにもラジオにもいっぱい出てたくせして、かっけえなと思う人たちがいるから。まじでハングリー精神で、稼いでやって、家族大事にしてやるぜ、ぐらいの気持ち持ってるやつがいちばんかっこいいなと思いますね。実際、2パックとかもラッパーたちもみんな、孫まで飯食わしてやるっつってやってるじゃないですか。著作権って死んだ後100年しか続かないけど、孫までぐらいまでだったらお金がずっと取れるんで。そういう、やってやるぜ、みたいなハングリー精神は一生忘れたくないなと思ってますね。

——家族、いいですね。家族養って、て。

ソラキ そう。本当、死ぬ思いで生きてるやつらがヒップホップやってたんで。日本は全然違いますけど。でもなんかいろんな、ネット社会でもそうだし、詩とかは違うけどそれを入れ替えた部分で、自分なりの考え方を持ったやつがヒップホップだと思いますね。

——その感じ方は、育った環境でソラキさんの中に入ったんですかね。お母さんがヒップホップが大好きで……

ソラキ 環境もあります。お母さん、ヒップホップ大好きでしたけど、湘南っていう環境がもう怖かったです。怖かった。

——怖い(笑)。今でも怖い?

ソラキ 怖いです。DLiP RECORDS(ドリップレコード)が藤沢じゃないですか。パイセンたちだったんで、怖かったすね。なんか別に知り合いすぎるとかじゃないんで、「おまえどこ中なん」って言われるんで、「いや、ちょっと滝の沢中学です」みたいな。「ああ」みたいな。

スケーターもサーファーもいて、変な人いっぱいいました。面白い人いっぱいいました。あらー、ウケるとか思いながら見てました。でもすげえ、いい環境で育ったなと思ってます。そこでもみんながかけてる音楽がすげえかっこよかったんで。

 

——お母さんはずっと湘南なんですか。

ソラキ いや、お母さんはもともと、どこなんだろう。福生のほうに昔家があったって言ってましたね。その後アメリカに行っちゃったんで。ずっとアメリカにいたっつってました、3年、4年ぐらい留学して。ボストンにいたっつってました。ちょうどThe 2 Live Crewとかがはやった時代だと思います。それから九州行って、走り屋んなって。英語ペラペラなんでNOVAで働いて、だったらしいです。

——それから湘南に居付いた。

ソラキ らしいです。なんで湘南に引っ越したかは聞いたことないですね。

——音楽以外にこれまで、影響を受けたものとか人とかってありますか。

ソラキ 結局ストリートカルチャーなんですよね。サーファー、スケーターとかから。あと、ファッション関係の仕事をするようになってからですかね、めっちゃ影響受け始めたのは。ランウェイ歩いたりとか、去年のパリコレのルイ・ヴィトン見に行ったりとか。そこですげえ変わりましたね、ファッションとか。

あとは何やったっけな。いろいろ、もう覚えてないぐらいやりましたね、去年は。

——Red Bullで勝って以降、どんどん仕事が来たんですね。これやろうとか、これはやめようとか、どういうふうに決めてたんですか。

ソラキ もうダサい仕事しないって決めてます。はい。あとテレビもぜんぶ断ってます。テレビは、優勝した後、いっこだけ出たんすよ。そしたら言いたいこと全部カットされたんで、ふざけんなと思って。まじでクソだなと思って。ストリートカルチャーのことをみんなに知ってほしかったから、大会だけじゃなくてこういうのもありますっていうのを伝えてくださいって言ったんですよ。それ全カットだったんでふざけんなっつって。何してくれてるんだっつって言ったら、すいませんみたいな。もう出ないっす。もう出ないっす。

——こういう仕事がきたらいいのに、というのはありますか。

ソラキ もっとランウェイやりたいですね。

——ファッションが面白くなった?

ソラキ そうですね。ファッション好きだったんで、もともと。人のコネクションがおもろいっすね。変な人が多いんでおもろいっす。飲んでてもすげえ面白いし。変な人が多いイメージです。

個人的にはテクノとかそっち系のイメージなんですよ。ヒップホップも全然好きですけど、テクノとかそっち系が合うイメージなんですよね。ラッパーとかもみんな今じゃファッショナブルだし、そうあるべきだと思うんですけどね。みんな、すごいデカい物を着なきゃいけないってわけじゃないし、90’sの服を着なきゃいけないってわけじゃないんで。デンゼル・カリーとかエイサップとかもすげえファッショナブルな服着てるし。フューチャーだってプレイボーイ・カーティもスタイル作ったし。リル・ウェインが逆にデニム履くみたいな感じですね、言ったら。そうやって創っていくんで。創っていかないといけないなとは思ってますね。

 

——ダンサーの地位が低い、ってことを嘆いてましたね。

ソラキ 結局「バックダンサー」。ふざけんなと思ってますけどね。もうアーティストがバックダンサーに使ってるという時点で、もう「バック」って付いてる時点で、地位を低く見てるんで。俺たちがいないとおまえらバックダンサーできないんだよっていう意味が、バックダンサーっていう言葉に入ってるからこそ、もう本当ふざけんなと思ってます。まあ[アーティストは]そうは思ってないでしょうけど、ダンサーはこう思ってるんだよ、っていうことは知ってほしいなって思ってます。

——なるほどね。なんで「バック」って付いてるんでしょうね、そう言えば。そういう歴史があるんでしょうね、きっと。バックダンサーは請けないってどこかで言ってましたね。

ソラキ もう絶対。いっぱいやってきたんで。小学校のころから。ダンサーって[ギャラをたくさん]もらえないし、こんなダンサーって地位低いんだと思って。

——音楽を聴かせるように、ダンスを見せるクラブがあればいいのにね。

ソラキ ブルーノートで1回すごいいいものを作ってもらって、YOSHIEさんとPUSHIMさんとIN-SISTさんでやったんですよ。そん時に自分もスペシャルゲストに呼んでくれて、ダンサー超リスペクトみたいな感じで、ダンサーメインで、音も全員がメインみたいな感覚のやつを1回やったんですけどすごい良くて。

——YOSHIEさんはミーシャさんとか、ミュージシャンとやってますよね。格好いいですよね。

ソラキ そうですね。もうあの人はバックダンサーじゃないじゃないですか。存在が目立ちすぎちゃってて。しかもアーティストがちゃんとリスペクトして、YOSHIEさんって紹介するから。あれはもうYOSHIEさんしかできないことだなと思ってますね。

——スーパーボウルのハーフタイムショーをやりたいんですよね。

ソラキ やりたいですね。アーティストを紹介していきたいんですよね、自分が指揮者みたいな感覚で、踊りながらいろんな部屋に入ってって、みたいな。ダンスがアーティストを紹介していくみたいな。

——それ、やれそうですよね。目に浮かぶから実現すると思います! 自分で会社作って何かやってこうみたいなイメージはないですか。

ソラキ あります。会社作るし、あと友達のビートメーカーもいっぱいいるんで、いろんな企画はいっぱいあって。

このあいだ藤沢市役所が新しくなったんで、そこにダンス練習できるぐらいの鏡を作ったんすよ。Red Bullと一緒に作って。市長にもOKもらって。屋根も付いてるんで、キッズがいつでもできるようになってて。そこで地元のやつらとかみんな練習してほしいなって、思ったりとか。あともう藤沢市がスケートパークをリニューアルオープンして、吉野家とかセブンとかできるみたいなんで。スケートパークでっけえ、みたいになって。そこでもちょっとイベントしたいな、って話してますね。

 

——なんかまだ身長伸びてませんか。

ソラキ それ最近めっちゃ言われるんですよね、最近。

——測ってないんですか。

ソラキ 測ってないです。うれしいです。伸びたいです、もうちょっと。

——自分のダンスはもっとこうしたい、みたいなイメージがあるんですか? それとも音楽に合わせるためのテクニックを用意しておく、というようなイメージなのかな?

ソラキ そうですね。ダンスを極めていきたいっていう気持ちありますけど、どういうふうになりたいってのは正解がないんで、気持ち次第で、自分がなるように、ダンスが変わっていけばいいなと思ってますね。

基本フリースタイルなんで、何かかるか分かんない現場でバトルしてるんで、急に出てくる動きとかもあるんすよ。それが楽しくてたまらないんすよ。おーやっちゃったみたいな、ウケる、みたいな。

みんなにダンスバトルにもうちょっと興味持ってほしいすね。ダンスショーケースも面白いけど。ダンスバトルってものに興味持ち始めたら、どっちが勝ったとかは分かんなくていいんですよ、もう。いま、かましたっしょ、みたいな、あいつもっと見たいっしょ、みたいなやつが、増えていけばいいなと思ってますね。

今でも一応でかい媒体ではあるんですけど、お台場のすごいでかいとことか、東京テレポートとかあの辺とかもやってるんで、バトルとか。人は来てるんで。パンパンだったりするんで。そこに一般の人が見に来ない、ってのが難しいですね。

——普通の、映画見に行ったり芝居見に行ったりみたいな人との距離が少しありますね。スポーツじゃない、面白い、っていうところが、もうちょっと伝わるといいのに。

ソラキ やっぱいま、日本人は音楽が好きじゃないんで。

——そうでしょうか。

ソラキ だっていろんな音楽聞いて、これどんな人がビート作ってんだろうって思うやついないですから。音楽が好きじゃなかったら、この曲何なんだろうで終わっちゃうから。知らない曲で踊ってる人がいる、で終わっちゃうんで。音楽好きな人が昔よりも全然減ったかなって思ってます。ヒップホップのクラブとか、ソウルとか70年代、80年代のパンクとかのクラブ行っても、人めっちゃ少ないっすもんね、今。

 

 

山下達郎「SPARKLE」Music Video (2023)

——山下達郎さんの曲を踊ってましたね。あれはどういうふうに話が来たんですか。

ソラキ DMで来たんすよ、急に。うれしかったです、めっちゃ。すごいうれしかったっす。超好きだったんすよ、もう。シティポップが好きだったんすよ、もともと。ジャパニーズシティポップみたいなのがけっこう好きで、よくミックスも聞いてたんで。だから山達の『SPARKLE』なんて、だってそれ絶対聞かないわけいかないじゃないですか、もう。どうしても聞くじゃないですか。聞きたくなるじゃないですか。だからめっちゃ好きで、「あ、『SPARKLE』だ」と思って、アッツ、と思って。

——うれしいね。

ソラキ 真夏やんと思って。背景とかのアートディレクションやってるのがYOSHIROTTEN(ヨシロットン)さんっていう方なんですけど、その方が言ってくれて。

——あのMVは、なぜだかよく分からないんですけれどとても感動しました。

ソラキ うれしいです。

——なんででしょうと思って何度か見たんです。

ソラキ もうめっちゃうれしいです。最近また見ましたけど、自分も。

——いいよね。自分でもいいと思うでしょう。

ソラキ いい。いいなって思いますね。めっちゃいいじゃんって。しかもあれ700万回再生されてたんで[9/1現在946万回]、うわ、山達すごっ、と思って。

——あれも自分の中ではヒップホップなんですよね。

ソラキ もう山達は完全に。

——シティポップは、ほかは?

ソラキ 俺、大滝詠一大好きなんで。『君は天然色』が大好きです。

——ダンス始めたころから聞いてたのは洋楽ですね。

ソラキ そうですね。『フリースタイルダンジョン』が始まる1年ぐらい前がたぶん俺、小3とかだったんですよ。そのタイミングでDLiP RECORDS知ったんですよ。地元の先輩に教えてもらって。そっからSCARS(スカーズ)とか好きんなって。アッツと思って。日本語ラップにもすごい世話んなってますね。

 

——自分でビートを作ろうとは思わないですか。

ソラキ 作りたいですよ。でもまあ、俺がやることではないなと思ってます。友達にいつも作ってくれてるビートメーカーの子がいるんで、そいつを鍛えて、一緒にやろうかなと思ってます。

——そういう周りの仲間と、もっと頑張れよと焚き付けながら一緒にやってくイメージですかね。

ソラキ そうですね、はい。ビートがないといけないんで、そいつとはずっとやっていきたいなと思ってます。ずっと昔から親友なんで、2個上すけど。そいつはやりたいすね。変な名前なんすけどね。ポルシェトゥエンティーワンイレブンって名前なんすけど。

——湘南なの?

ソラキ 湘南すね。いま、鎌倉市役所で働いてますね(笑)。やっぱ公務員で良かったっつってました、そいつは。5時に終わるから。ちゃんと3時間ビート作る時間を作って、みんなと飲み行ってクラブ行く。で2時に帰ってきて朝から出勤するっていうルーティンができたって言ってました。

——ものすごく忙しいのはちょっと落ち着いたんですか。

ソラキ いや。でも断るようにしてます、最近は。契約金とかもういっぱいもらったから、そのもらったお金は自分の時間を作るためと思って。この1年は週に2~3回仕事して、ほかはもう自由に生きていこうと思って。

——まだ毎日うちで練習してるんですか。

ソラキ してます。あれリビングなんすけどね。

——海外で暮らそうとは思わないんですか?

ソラキ 年の半年ぐらいは海外なんで、ほぼ。今も月1では海外行ってるんで。まあ日本食以外あんま食えないんで、日本かなって感じですね。いつかアメリカかパリに住みたいなとは思ってますけど。今んところは日本ですかね。うまい寿司が食いたいです、毎日。

——毎日!

ソラキ 通風予備軍なんで。飲み過ぎなんです。飲み過ぎと海鮮の食い過ぎです。イクラとかじゃなくて生ジラスがよくないらしくて。あと自分、お酒すっごい好きなんですよ。なんかもう、夕方の6時から次の日の6時ぐらいまで飲めちゃうんですよ。もうずっとオールタイムで飲めちゃうんですよ、24時間ぐらい。ずっと変わらず飲めちゃうんですよ。だから本当に7日間連続、毎日2時間寝とかでずっとお酒飲み続けたんですよ。何もない週ん時に。

——それはいつの話?

ソラキ 1カ月前です。飲み続けたんですよ、もう毎日クラブ行って。朝、もう12時ぐらいまで昼まで飲んで、2時間で、2時に起きてみたいな。仕事行って。また夜7時ぐらいから飲み始めるみたいな生活をしてたんですよ。風邪引きましたね、さすがに。さすがに7日間の後、10日間風邪引きました。

 

——風邪で済んでよかったです。海鮮が好き?

ソラキ そう、肉があんま食えなくて。魚が好きなんですよね、海鮮がすごい好きで、毎日食えちゃうんすよね。

——じゃあ海の近くがいいですね。

ソラキ そうですね。か、寿司屋とか居酒屋とか、すげえうまい海鮮がいっぱいあるとこに住みたいですね。

——いま他にやりたいことは?

ソラキ バレエとかタップとかやりたくて。

——バレエは面白いかもしれないですね。

ソラキ そうですね。新しいものが増えそうだなと思って。自分の今のヒップホップのスタイルに、何か新しいバレエみたいなものができたら、新しいスタイルできるんじゃないかなと思って。バレエの人、ヒップホップができる人いないじゃないですか。だからやってみたいなと思ってます。タップダンスしたいなと思った理由は、自分の音が作れるから、ミュージシャンとコラボした時に、自分のタップのステップの音が入れられるなと思って、タップはやってみたいなと思ってます。

——何かこの機会にしゃべっておきたいことはありますか。

ソラキ そうですねー。ダンサーをなめるなって言いたいですね。まじで、全員に対して。ダンサーをみんなちょっと下に見たりとか、まじなめんなと思ってます。みんな一人一人プライド持ってやってんだよこちとら、って思ってますね。ステージダンサーだけどみんなアーティストでアート持ってんだよみたいな。

——うん。

ソラキ 本当に。KRS-Oneが言ってたように本当に、とかもうみんなが、あとICE-TがArt of Rapだって言ったようにArt of Danceなんで、まじで。本当くそなめんなって感じです。

——ここをカットしないように頑張ります。きょうはありがとうございました。
 

撮影協力=TOKYO NODE(虎ノ門ヒルズ ステーションタワー)


profile

佐藤澄子|Sumiko Sato

1962年東京生まれ、名古屋在住。クリエーティブディレクター、コピーライター、翻訳家。自ら立ち上げた翻訳出版の版元、2ndLapから最新刊『ニーナ・シモンのガム』が発売中。好評既刊に『スマック シリアからのレシピと物語』などがある。訳書にソナーリ・デラニヤガラ『波』(新潮クレスト・ブックス)ほか。