東京都の西部に位置する、文教都市とされる自治体が出版する新書シリーズ「国立新書」(くにたちしんしょ)をご存じだろうか。文字通りコンパクトでスタイリッシュな新書サイズである「国立新書」のページを開くと、シリーズのコンセプトは「東京都国立市における市政のさまざまな取り組みや、国立市のまちづくりに想いをのせるツールとして、そのとき伝えたいテーマに絞り発行していく、新しいプロジェクト」だと紹介されている。創刊準備号の『国立を知る 参加と対話を求めて』(2020年)を皮切りに、創刊第1号の『日常と平和』(2021年)、第2号『旧国立駅舎 古くて新しいまちのシンボル』(2022年)、第3号『学びと成長 国立市人材育成基本方針』(2023年)と続き、2024年に入り、第4号である『小さな創造 芸小ホールと市民が育む文化芸術』が刊行された。その取り組みだけでも斬新だが、驚くことに号によっては、収録された文章の多くを市の職員が自ら書いているのだという。掲載に至るまでの、文章の修正を含めた手間を想像すると途方もないものがあるが、いったいどのようにつくられているのだろうか。インタビュー連載「編集できない世界をめぐる対話」第15回は、「国立新書」の編集・デザインを担う加藤健介(三画舎)に話を聞きに、同社が運営を担うシェア型店舗「みんなのコンビニ」を訪ねた。
TEXT BY FUMIHISA MIYATA
PHOTO BY KAORI NISHIDA
——新刊の『小さな創造』、楽しく拝読しました。大ホールをもたないのに「芸小ホール」との略称で呼ばれる「くにたち市民芸術小ホール」の、「小」という字に込められたユニークな歴史や精神性が伝わってくると共に、国立出身で世界的な作家である多和田葉子さんの書下ろし戯曲「くにたちオペラ」の、市民との共創による上演プロセスなどもあわせ、読みどころが多くありました。
加藤 ありがとうございます。私も国立市民であり、地域にまつわる仕事をいろいろとやってはいるのですが、実は今号に携わるまで「芸小ホール」という固有名詞こそ知っていても、深いところまできちんと考えたことはありませんでした。具体的にページをつくっていくなかで、市民が参加しやすい貸館事業としての側面と、若手の楽器演奏者応援といった自主事業など、複数の側面において「小」というコンセプトに大事な意味があるということに気づかされて、とても面白かったですね。
——どのような経緯でつくられた号なのでしょう。
加藤 号ごとのつくられ方はまた後に詳しくお話しする場面があると思うのですが、『小さな創造』については、持ち込み企画なんですよ。芸小ホールの職員の方が、2022年4月に初演を果たした『くにたちオペラ』の上演台本を世に出したいと考えていらしたときに、既にシリーズ化されていた国立新書のフォーマットが活用できるのではないかと思いつかれたそうで、そこから今回の号につながっていったんですね。
とはいえ上演台本だけですと新書サイズでは40ページ強ほどで収まってしまうので、国立市職員の皆さんとも一緒に協議するなかで企画をより広げていき、芸小ホールとはそもそも何なのか、国立市における文化芸術の現在や可能性とは、といったところを掘り下げていくことになりました。
——既にフォーマットとして固まっていたからこそ企画が持ち込まれた、という経緯自体が興味深いです。
加藤 創刊準備号の『国立を知る 参加と対話を求めて』のサブタイトルが、振り返ってみれば象徴的ですね。地元を知ることからはじめて、市民も職員もさまざまな方が参加し、市民と職員、職員と職員、市民と市民、というように、いろいろな対話が国立新書を通じて生まれていったらいいな、という願いが込められていて、その後の号にも通底するものになっていったかと思います。
単に市のことを紹介するだけでも、市民の活動を紹介するだけでもない、あるいはただ単に外向けにシティ・プロモーションをおこなうというのでもない。市民の皆さんにまちのことを知っていただきながら、その先できちんと対話が生まれるようなものをつくっていきたい、という思いが、創刊準備号以降のシリーズには込められていますね。
——号ごとに異なるテーマを掲げています。
加藤 『国立を知る』の後は、市の平和事業を考える『日常と平和』、まちのシンボルとして再築された『旧国立駅舎』、市職員の人材育成をテーマに自分たちの普段の取り組みを見つめる『学びと成長』と、いわば市役所の内側からの視点が中心となった号が続いた後に、外側の視点による今回の『小さな創造』を刊行する運びとなったんです。シリーズの刊行開始がコロナ禍真っ只中になったということもあり、案が出ていたワークショップなどもなかなか開催できず、参加と対話が実際にどれだけ実現できているのかという点は課題のひとつであり続けているのですが、そうしたなかで国立新書シリーズを、従来とはすこし違う側面から使ってみたいという声が届いたことは嬉しいことでもありました。
——加藤さんは、どうして国立新書の編集・デザインに携わることになったのですか。
加藤 私個人のことをお伝えすると、普段まちづくりのコンサルティングなどを仕事のメインにしている人間なんです。実は編集やデザインにかんしては大学時代から興味があり、独学で習得してきたところがあります。いまでも、内心不安がないといえば嘘になりますが……(笑)
——編集・デザインは独学なんですね。
加藤 現在では、まちづくり関連の仕事とデザインの仕事を半々ぐらいでしている、という状況です。経緯に話を戻しますと、知人に誘われて訪れた国立という街に魅かれるようになり、2017年に引っ越し、2018年に三画舎という会社を立ち上げ、地域の仕事もいろいろとおこなうようになりました。国立新書というシリーズが立ち上げられていったのは、その後のことになります。
自治体の事業ですから、プロポーザルがおこなわれ、三画舎としての企画提案を検討いただいて、携わるようになりました。その都度、テーマに合わせた企画、編集方法などを提案し、現在まで計5冊、すべて編集・デザインを担当し続けてきています。
——先ほど市職員の方々との協議というお話もありましたが、ひとつの号をつくりあげるだけでも大変だと想像します。
加藤 そうですね、最低でも月に1回から2カ月に1回は集合して、最後のほうの校正も、みんなで顔をつきあわせながら取り組んでいます。
——具体的な作業については後ほどうかがいたいのですが、そもそも、なぜ新書サイズなのでしょう。
加藤 この事業に携わることとなった際に聞いたところ、国立市としての新たな刊行物をどうしようかと考えたときに、ライトなものというより、中高生が漢字を調べながら読めるぐらいのものとしたそうです。
——まさに新書がジャスト、というラインですね。
加藤 自分でちゃんと調べたり考えたりすることにつながっていく、そのような要素は組み込みたいね、と。加えて、気軽に持ち運んでもらいたいといっても、写真も含めて内容面ではある程度のボリュームは持たせたかったので、だとすると文庫だとサイズが小さすぎる。新書サイズならばちょうどよく、まちを知ることへの興味関心もうまく抱いていただけるような、そんな素材感も出せるフォーマットなのでは、と。
——たしかに、“ソフトな教養”を漂わせるフォーマットです。
加藤 とはいえ、有償刊行物というものは、いろんな自治体が当たり前に発行しているものです。そして私が見聞きしてきた例もまじえて率直にいえば、残念ながらほとんど売れないものでもある。すこし大判の、たとえばA5サイズくらいの刊行物を役所に置いていても、本当にわずかしか動かないことはざらなんですね。そうしたなかで新たに刊行物のシリーズを立ち上げるとすれば、かなり見え方や内容を精査し、工夫しなければいけません。毎号をつくっていくうえでの議論も、とても活発におこなわれています。
——自治体のPRというとき、単に外部に発注するのではなく、市の職員さん自ら文章を執筆される場面も多いというのも驚きです。実際、どれぐらいの分量を書かれているのでしょう。
加藤 号にもよりますが、多い場合は全体の6~7割の文章を、市の職員の方々が書いてくださっています。
——6~7割ですか、多いですね……! それを加藤さんたちがとりまとめされるわけですよね。
加藤 かかわってくださる市の職員さんたちの数も多いので、最終的には原稿を引き取らせていただいて号全体にわたって文章をならしてはいくのですが、それまでには何往復もやりとりをしています。
基本的には、号ごとのテーマにかかわる部署の方とやり取りをする、というかたちをとっています。たとえば創刊準備号の『国立を知る』では、市全体で行われていることをしっかり見せていくために、市長室などをはじめとした部署の方々と、それこそ台割(=書籍や雑誌をつくるにあたって、ページの割り振りを記した設計図)をつくるところから何往復も、しっかりとやりとりをしていきました。
——号ごとにかかわる部署が違うわけですか。
加藤 第2号の『旧国立駅舎』でいえば、生涯学習課や国立駅周辺整備課などといった部署の方々とコミュニケーションをとっていきました。そのうち、大正末期に開業されて以降の駅舎と土地の歴史をまとめる章にかんしては、くにたち郷土文化館の方にご執筆いただくなどといったかたちもとっています。
ひとつの号のなかでも、パートによって皆さんが関わっていただく度合いが異なる感じですね。私自身も、図書館やくにたちデジタルライブラリーを利用して昔の市報などを調べたのですが、欲しい情報がきちんと載っていることも多く、意外な面白さがありました。
——なるほど。号によって、あるいはひとつの号のなかでも、市の職員さんの関係の仕方に、部署ごとの濃淡があるわけですね。
加藤 「国立新書担当」の部署や職員の方って、いないはずなんですよ(笑)。市の職員の方は、基本的には年間を通して部署ごとに仕事が決まっていて、この部署のこの課の担当だからこの仕事をやる、ということがかなり明確。そして、とてもお忙しい。そうした日々のなかで、国立新書の仕事にも取り組んでいらっしゃるということなんですよね。
——面白いですね、必ずしも広報まわりの担当の方だけが携わるのではない、と。
加藤 第3号の『学びと成長』にかんしては、職員課の方々が担当されていたのですが、相当大変でいらしたのではと思います。市の人材育成を取り上げる号で、市役所の各部署がどういった特徴をもち、どんな仕事をしているのかということを合わせて掲載していったのですが、中心になってそれぞれの部署と連絡を取り合ってくださったのが職員課の方々なんです。
各部署の「ミッション・ビジョン・バリュー」(=組織が社会において存在する意義や役割を定義し、組織内で共有するためのフレームワーク)なども逐一取り寄せるなど、職員課の日常的な業務と並行しながら新書作成に取り組まれていました。さすがにこの号は、情報を取りまとめるだけ取りまとめていただいて、文章は私たちのほうがメインになって構成したのですが、いずれにしても国立新書一冊のなかで、市職員の方々自身の力によるところはとても大きいんです。
——そこまでして市職員自ら深くかかわるかたちになっていることには、どんな意味があるのですか。自分たちでまちのことを調べ、知っていかないことには、新書をつくっても意味が薄れてしまうということなのでしょうか。
加藤 さまざまな観点やグラデーションがある話ですが、ポイントのひとつには、まさにいまおっしゃっていただいたような点があるのでないでしょうか。職員の皆さんにとっての教育的な視点というのは、存在しているのではないかと感じます。実は自治体の職員の皆さんというのは、普段の業務が大変なぶん、自分たちのまちのことを学ぶ機会というのはなかなかない、という側面はどうしてもあるんです。だからといって新書をつくるというのは、それはそれでとても面倒くさい作業であるはずなのですが(笑)、制作の過程においてまちのことを学んでいく、そうした役立て方をしてもらえるプロジェクトではあるのかな、と。
一方で、普段からご自身が仕事として取り組んできていらっしゃることに誇りを抱いていて、いつかタイミングがあれば文章にまとめられれば、と考えているような方もいらっしゃいます。そうした方の熱量も、しっかりと入っているのが国立新書だと感じますね。
——地元のことも、自分たちの仕事も、改めて捉え返す場になっているわけですね。
加藤 自分の部署の仕事にかんしてまとまって記述されている号を、市の外から来客があったときなどに「詳しくはこちらを読んでください」と名刺代わりに渡していただく、そんなツールとしても活用できるものになっているかなと思います。職員の皆さんは異動も多いのですが、異動先の職務の内容が、国立新書を読めば、大変さも含めてすぐわかるということもあるそうなんですね(笑)
——異動シーズンの虎の巻にもなっている、と(笑)。市民の方をはじめとして、読者の方の反応はいかがですか。
加藤 号によって変わるのですが基本的には2000部を刷っていて、まちのシンボルとしての旧国立駅舎などで取り扱っていますので、特に創刊準備号の『国立を知る』を中心になかなかの好評をいただいている──より直接的な物言いをしてしまえば、おかげさまでそれなりに売れています。
もちろん先ほども触れたように、市民の方々の参加をどう実現するかは今後に託されているのですが、その点にかんしても、たとえば市内にキャンパスのある一橋大学の学生の方々が買ってくださって、学内の一橋新聞で取り上げてくださったり、あるいは地域で活動している学生さんから「読みました!」と声をかけていただいたり、という嬉しいできごとも度々あります。
——なるほど。市の外に対してはどうでしょうか。ISBNという国際規格コードと日本図書コードを取得し、バーコードと併記していて、市外にも広げる余地を残したつくりになっていますが。
加藤 外に向けて発信していきたいという意志は、市職員のみならず、まちで活動するいろいろな方の口から発せられるものですし、それもまた課題のひとつですね。多摩地域に存在する国立市は、面積が8.15平方キロメートルという全国で4番目に小さい市でして、人口もおおよそ7万5000人ほどです。そうした市が、全国のなかで埋もれないように、そして将来的に住みたい、働きたいと思ってもらえる方が増えるように、発信することは重要だろうと思います。
——そこにもひとつのリアリティが存在しますね。
加藤 一方で、創刊準備号の『国立を知る』に掲載している、国立市が1976年に策定した第1期「基本構想」を読むと、興味深いことが書いてあるんです。そこには「最大人口規模の設定」という項目があって、「市民生活の水準を保つためには、人口は地域の諸条件に調和したものでなければならない。『人間を大切にする』まちづくりを標榜する国立市は、市民のよりよい生活環境を保持するために最大人口規模を設定して抑制策を含む深い考慮を払う」と、印象深いフレーズが書かれている。そのうえで目標とされる数字は、「8万人」だとされているんですね。ほぼ、いま達成されているな、と(笑)
——味わい深い数字ですね……(笑)
加藤 程よいサイズ感をキープしてきているんだな、とても面白い、と感じました。さらにいえば「人間を大切にする」というのは、「構想の目的」として基本構想の冒頭に掲げられているテーマです。それから50年近い時間が経ったいまも、国立新書が目指したい「参加と対話」が可能な環境も含めて、持続した意識というものがあるんだな、と。
——そうした“発見”に至る姿勢も含めて、国立新書というプロジェクトとしてのありよう自体が、市内外の人がいろいろと参照できる可能性を秘めている気がします。
加藤 そうですね。まず国立市のなかのことを考えれば、取り上げることができそうなテーマや分野はまだたくさんあります。そうやってシリーズが続いていけばいくほど、書影からも、そしてそれらを並べたシリーズ全体の佇まいからも、まちの特徴というものが見えてくる気がするんですよね。まるでレコードのジャケ買いじゃないですけど、見た目からして伝わってくるような感じになってくるのではないかな、と。
——レコードのジャケットのように、漂わせる雰囲気をもちうる、と。
加藤 そしてそれこそが、他の自治体などにおいても、こうした取り組みが持ちうる可能性だとも感じます。私自身、新しい号に携わる度に「まちのことが凝縮されてくる」ことの面白さに、目を開かれています。このインタビューでもお話ししてきたように、市の職員の方にとっても同様でしょう。市民の方にとっても、自分たちのまちのことが改めて異なる視点から見えてくるきっかけになる可能性を秘めているでしょうし、また外の方にとっては、最初のタッチポイントになるかもしれない。
先ほど私は新書の制作のために月1回は市役所に赴くとお伝えしましたが、校了前はもっと足繁く通いました。実際の作業は難しさに直面する場面も多いからこそ、ですね。「まちのことが凝縮されてくる」というのは、そんな日々の先にあるもののような気がします。
1985年、神奈川県生まれ。フリーランス編集者。博士(総合社会文化)。2016年に株式会社文藝春秋から独立。2022年3月刊、津野海太郎著『編集の提案』(黒鳥社)の編者を務める。各媒体でポン・ジュノ、タル・ベーラらにインタビューするほか、対談の構成や書籍の編集協力などを担う。
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