WORDS TO WEAR

証明するもののない匂い——連載|鈴木涼美「今日はこの言葉を纏う」05

でも。
最初から何もなかったことにだけはしないでほしい。
——市川沙央『ハンチバック』より

TEXT BY Suzumi Suzuki
PHOTO BY Ittetsu Matsuoka
hair & make by Rie Tomomori
design by Akira Sasaki

桜木町の駅を降りて東へ、大岡川を渡る形で進むと雑居ビルが並ぶ細い通りが平行に何本か走っていて、そのどれを選んでも真っすぐ歩くと馬車道にぶつかる。東横線の桜木町駅がなくなる代わりにみなとみらい線が開通すると宣伝され、馬車道の駅がまさに建設中だったちょうどその頃、私はそのいくつかある細い通りのうちの一つに小さな居を構えた。隣の鎌倉市にある実家を出て、ワケあって知人の名義でなんとか借りた初めての自分の部屋で、私は十九歳だった。勤め先の関内のキャバクラからは泥酔していなければ歩いて帰れたし、籍を残したままにしていた大学にも地下鉄を使えば一本で通える距離だったけれど、今思えばキャバクラはどこにだってあるし、大学にはほとんど戻るつもりもなかったのだから、どうしてピンポイントでその場所を選んだのか、何か特別な理由や執着があったのだったか、誰かに相談したのだったか、いまいち正確に思い出せない。物件自体に魅力があったわけでないことだけは確かだ。六畳に満たない部屋は縦長で、シングルベッドを置くと作り付けの収納の扉が引っかかるほど細い隙間しかできなかったし、階下にはよくわからない言語を早口で喋る中年男が何人も出入りする怪しげな部屋があって、時折大声で揉めているのが聞こえた。そもそも夕方を過ぎると素面の人より酔った人の方が多くなる地域の、朝には雑居ビルに入った飲み屋が出したゴミ袋が並ぶ通りを選んだ理由はなんだったのか、結局私は重要なことを何も覚えていない。

同じ系列の、横浜駅西口にある制服のあるキャバクラで働いていた同い年のコが転がり込んできたのは部屋を借りてから一年近く経った後で、それからしばらくの間私たちは、その縦長の狭い部屋に二つの弾けるほど若い肉体といくつかのブランド・バッグ、それから若いが故に切実な、今思えば取るに足らない悩みを詰め込んで暮らした。使おうと思っていたバッグをメモ書き一つで勝手に仕事に持っていかれて喧嘩したり、泥酔した私が立てこもっているせいでトイレを我慢できなくなったマリが下のコンビニに駆け込んだり、男に付けられたキスマークの消し方でお互い知恵を絞ったりした、どうでもいいと言えばどうでもいい時間は、マリがホストの彼氏とお揃いでつけていた香水のせいで、全体的にスカルプチャー・オム臭で覆われている。若者がこぞって同じ香水をつけていたころの思い出は時期によって濃い香水の匂いを纏っているのだ。中学の終わりはシーケーワン、高校の入学式はレッドジーンズ、高校の教室はアンサンセ・ウルトラマリン、先輩に借りたジャージはブルガリ・プールオム、大学内のラウンジはチャンスとクロエの匂いがした。

マリの家はカソリックで特にお父さんは色々と厳しかったようで、看護学校を辞めてキャバクラで働いているのも、実家にほとんど帰らずに隠れるようにあの縦長の部屋の隅に転がり込んできたのも、そのあたりに原因があるようだったが、私たちはあまりそんなことを話さなかった。私は大学の履修登録もしないまま、かといってやめる手続きもしておらず、AVデビューを勧めるスカウトマンからは返答を迫られていたし、マリはホストの売掛金の支払いが遅れていたし、何度か親に捜索願を出されてもいた。階下のポストには未払いの公共料金の紙が溜まっていくし、お互いいつかは向き合わなければいけない些末な面倒ごとは増える一方で、でも二人で部屋に籠ったり、ジョナサンで友人の悪口を言ったりしている間は、溜まっていく郵便物を忘れられた。しびれを切らせたマリの親が裏カジノの前で待ち伏せしてマリを連れ帰ったことがあったが、最後に会ったのはその時じゃなかった気がする。多分私たちは関係を自然解消したのだ。そもそも最初に会ったのがいつで、どうして一緒に暮らすほど親しくなったのかもよく覚えていない。

重要なことはやはり何も覚えていない私であっても、マリが一度ホストクラブ断ちをすると言ってわざわざコンビニで買った筆ペンで決意表明を書いたことや、しかし九日目の夜に再びシャンパンを入れて帰ってきて、シャンパンは入れてないよ、カフェパリだけだよと不可解極まりない言い訳をしていたことは、スカルプチャーの匂いのように映像でも言葉でもない何かではっきり記憶している。高校時代には必ず鞄に入っていた写ルンですを現像に出すことがほとんどなくなり、でもスマホで撮った写真がクラウド保存される時代はまだもう少し先で、だから私はあんなに毎日一緒にいたマリの写真を一枚も持っていない。ガラケーと後に呼ばれる携帯できっと無数に撮ったのだけど、しばらく保存していたいくつかのガラケーもいつかのタイミングで捨ててしまった。

紙のアドレス帳なんてもう誰も使っていなかったけど、携帯を変えればメールも連絡先もリセットされる、ちょうどその短い時代だった。思い出を証明するものが一番ない時代だった。それでもマリの好きだったホストの顔も、彼の乗っていた車も、売掛金で首が回らなくなったマリが頼った風俗専門のスカウト男の風貌も、ちゃんと覚えている。一度、何年も経って私が大学院を修了して新聞社にいた頃、新橋の喫煙所でそのスカウト男を見たことがあるのだ。マリがどうしているか、何か知っているか聞けばよかった。同僚といたせいで、向こうが気を遣って目を逸らしたのだと思う。涼しい顔で会社員をしていた私が目を逸らしたのだとも、向こうに話したくない事情があったのだとも、思いたくないから、そういうことにしておきたい。

ミオチュブラー・ミオパチーという難病を抱えながら、「妊娠と中絶がしてみたい」と考える女性の視点で描かれる小説『ハンチバック』では、健常者の目に映らない日常世界の無数の棘や穴が、明晰で意地悪で冷徹な言葉で綴られる。「目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、——5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモ」など、まさにぼおっと生きている私を開眼させるようなアフォリズムの連続に、小説を読むことの楽しさを再発見した人も多いのだと思うが、読み終えて長らく私の心に残っていたのは、主人公の彼女がヘルパーの男との別れ際に紡がれる言葉だった。他人から見れば何の得もない、下手をすれば害しかない、不道徳とも愚かとも倒錯とも言われ得る選択を断罪されたり泣きながら叱られたり罰せられたりすることより、なかったことになるほうが嫌だ、という感覚は、どこかで私が否定も肯定も、まして証明すらできないでいる過去を包摂してくれるような気がした。

 

profile

鈴木涼美|Suzumi Suzuki
1983年生まれ、東京都出身 / 作家。慶應義塾大学環境情報学部卒。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。5年半勤務した日本経済新聞社を退社後、執筆業を中心に活動。小説に『ギフテッド』『グレイスレス』(文藝春秋/ともに芥川賞候補作)。主な著書に、修士論文を書籍化した『「AV女優」の社会学 増補新版』(青土社)『身体を売ったらサヨウナラ〜夜のオネエサンの愛と幸福論〜』(幻冬舎)『娼婦の本棚』(中公新書ラクレ)など。最新刊に小説『浮き身』(新潮社)。