「ベースになっているのはフランス、イタリア料理。あと、ヨーロッパにいた間、本当にいろんなところに旅して、いろんな土地で食べ歩いてたので、そういうことの集合体でできてるのかも。旅がとにかく好きなんですよ」
Interview by Sumiko Sato
movie by Shingo Wakagi
edit by Yuka Uchida
ワインあけびさんの『ワイン家のオーブン料理』(リトルモア)という本に出会って、この人のつくる料理は絶対に美味しいにちがいないと思った。本の中には山のきれいな空気が流れ、その空気が薪ストーブで暖まっているのを感じた。ワインさんは、チェコのプラハ出身のお父さんと埼玉出身のお母さんが日本で出会い、長野の山の中に住み着いて生まれた子どもだ。高校卒業後にチェコへ行き、その後フランスへ。パリのレストランで修業し、ケータリングで独立した後、次はイタリアに移ってリストランテで働きながら料理を学んだ。2019年に帰国し、料理教室を主宰。2022年11月、松本の街中を流れる川に沿ったところに「欧州惣菜Kawazoe(カワゾイ)」を開店した。きっとなにか、独特の感覚を持った人だと勘が働き、会いに行くことにしたのだった。ワインさんは、秋田犬の歌留多(カルタ)と一緒に待っていてくれた。Kawazoeの2階で、店の前を流れる川を見ながら、楽しい会話があちこちへ飛んだ。
——ここで「カワゾイ」を始めて半年たちましたね。
ワイン そうですね。昨年の11月1日にオープンしました。
——週に4日営業ですね。思っていたようなペースでできていますか。
ワイン はい。最初の頃はもう4日だけでもいっぱいいっぱいだったんです。やっと少し余裕ができてきたかな。でも、やりたいこと、まだつくれていないものはたくさんあって。これから少しペース配分してつくっていきたいです。
——松本で、この物件で、店を開けようと思ったきっかけは何だったんですか。
ワイン ヨーロッパに長いこと、13年くらいいたんですけど、その後に鎌倉に引っ越しました。一軒家が見つかったんです。鎌倉が観光地だということも、とてもおうちが見つけにくいところだということも後から知りました。それくらい、日本のことをほとんど知らなくて。ずっとヨーロッパにいたので。
そうしたら引っ越した3日後か4日後にコロナで緊急事態になった。教室をやるためにキッチンスタジオをつくったんですけど、仕事ができなくて。それが2年近く続いて。そろそろ、何かやらないと、と思った…… その間に長野にちょくちょく来るうちに、長野のいい部分が見えてきて、松本だったら仕事がやりたいなと思えたんです。
絶対、この川のこっち側が良かったんです。とても気持ちのいい場所なので。3、4か月歩きながら、しつこく物件を探して、やっと見つかったんです。それから空気と水がいいので、それがよかった。ここの蛇口から出てくるお水も湧き水なんです。水がぜいたくな場所です。あと、山が見えるのもうれしいですし。空間がたっぷりあるのがいい。
——松本はちょっと独特な文化というか、ノリの町じゃないですか。
ワイン 独特だと思います。商人の町ですよね。ここの蔵は「上原善平商店」という籠屋さんがかごを編んでいた場所なんです。もともとは川の横にあって、川から材料を運び入れて、編んで、店で売っていたらしいです。私の両親もクラフトをやってる人たちなので、何か縁があるなと思って。
——居心地が良かったんですね。じゃ、ここを見つけて、始まった。
ワイン はい。あと、コロナのいろいろがあったので、レストランじゃなくて、買っていただいて帰っていただくっていう、そういう形式になりました。多分、コロナがなかったら、やってないです。
——どんなお客さまがいらしてますか。
ワイン ほとんどが地元の方なんですよ。うれしいです。観光の方がほとんどいなくて、地元の方が繰り返し来て、「これ、何ですか」って聞きながら、買っていってくれます。
年齢はそれこそ大学生くらいから80を超えたおばあさままで、いろいろなんです。毎日来てくださる80過ぎたおばあさまがいて。松本の言葉ってすごく独特なので、その方言を聞いてるのが楽しかったり。
——半年経って、回っていくという感じになりましたか。
ワイン 課題はいっぱいありますけどね。まあ、何とか。
——ワインさんのお料理は、生まれてからここに至るまでのものが混ざった料理ですね。
ワイン そうですね。どこの料理か分かった上で入店したい方もけっこういらっしゃるんですけど、「日によって変わります」としか言えなくて。ヨーロッパのどこかの国じゃなくて「欧州総菜」としています。
——お客さまから感想を聞くことはありますか。
ワイン 不思議なお客さまがいて、お買い上げになった何時間後かに電話をくださるんです。「主人が元気になった」っておっしゃって。最初「へ?」ってなってたんですけど、うれしそうに言ってくださって。「ありがとうございます」としか言えないんですけれど。
——元気が出る料理っていうのは分かる気がします。何ていうか、おおらかな感じがする料理です。
ワイン うれしかったです。材料は確かにいいな、と思って。
——80歳のおばあさまは何を買われるんですか。
ワイン 新しいものが出ると必ず。というか、ほぼ毎日いらして、毎回2品とか3品とか買ってってくださるんですけど、ひととおり全部召し上がってるんじゃないかなと思います。好奇心旺盛で、素晴らしいなと思います。
日本を出る日を心待ちにしていた
——小さい頃、生まれ育った家ではどんなものを食べていたんですか。
ワイン 母が私より40歳年上なんですよ。なので、多分、同世代の子たちのお母さんがつくるものよりも茶色いものを食べてましたね。玄米だったり、豆料理をたくさん。呉汁ってご存じですか? 母が埼玉出身なので、そこのものです。あと母はおうどんもよく打ってました。それと同時に、父がやっぱり日本のものじゃないもののほうが食べやすかったりするので、大体、毎食、母は和と洋と両方つくってましたね。
——ラザニアがお好きなお父さんですね。
ワイン ラザニアが好きな父です。
——あのラザニア、つくってみました。とてもおいしかった。今、ご両親がお住まいの山の家は、地縁があったわけではないんですね。
ワイン はい、全くないです。父はプラハですし、母は埼玉だし、全く何も。父が山に住みたくて、標高1,000メートルのところに住み着いたんですよね、母と一緒に。だから、私は長野育ちなんですけど、学校以外であんまり長野とふれあっていないんですよ。それこそ学校が終わったらすぐに親が迎えに来るような感じだったから。学校が遠かったし、家の周りに他の家もないですし。
——友達は?
ワイン 友達は、うちがすごく特殊だったので…… 学校ではいるんですけど、近しい友達っていうのはあんまりいなく。
——自分はちょっと人と違うおうちで育ってるなっていう感じ、してました?
ワイン それはもちろん(笑)。だいぶ変わった……
——うちだなと。
ワイン だったと思います。
——大変なこともありました?
ワイン ありましたね。名字も変わってるし。日本を出る日を心待ちにしてましたね。佐藤さんもどちらか外国にお住まいだったんですか。
——私は子どもの時にアメリカに3年。アメリカに住んで、若干、野生児化して戻ってきた。小学校1年生の時に戻ってきて、みんなに「外人だ」と言われました(笑)。同じ幼稚園だった子に「外人だ。おまえなんか知らない」と言われて、「同じ幼稚園だったじゃない!」ってけんかしてました。
ワイン やっぱり。何か異質なものをあまり受け入れないところがありますよね。
——ヨーロッパへは、まずプラハへ学生として行ったんですね。早く日本を出たくて出たくて行って、楽しい!っていう感じだったのでは?
ワイン 楽しかったですね。でも最初は、言葉は全くできなかったんです。というのは、両親が英語を喋っていて、チェコ語は一切、家で使わなかったので。母はチェコ語ができないので。だから、チェコ語ができるようになりたくて、高校を卒業してから語学学校に行って、一から覚えるっていう感じでした。語学学校ではチェコ語についての授業を英語で受けて。
両親とは1年という約束をしていたんですが、1年で帰るつもりが2年になり、あちらの大学に入学して、8年近くチェコにいて、その後にパリにいて、イタリアにいて、戻ってきました。
——チェコに留まりたいと思ったのはなぜだったんですか。
ワイン それは恋をしたからですね。
——そうか!
ワイン あと、わたしは両親にすごく大事にしてもらったんですけど、とても隔離された場所で育ったので、自由なのがすごくうれしくて。どんどん帰らない時間が延びてったっていう感じです。
——それから、パリに行かれた。
ワイン はい。大学が終わってからパリに行って、ナチュラルワインを扱うレストランで働き始めて、料理はそこからです。
最初はワインをつくりたかったんです。父がワインが大好きで。プラハにいた時、年に1回くらい日本に戻ってたんですけど、ある時から父が出してくれるワインがすごくおいしくなったんです。どうしたんだろうと思って聞いてみたら、ちょうどナチュールばっかりに切り替えた時で。大学にいた間も夏休みになると両親がヨーロッパにやってきて、イタリアとフランス、2カ月かけて生産者を回るとかしていて、どんどん興味を持っていった感じです。
ナチュラルワインをつくる場所で研修みたいなことができないかなと思って、いろいろ連絡したんですけど、ビザのことなどでちょっと難しく。それでレストランの見習いから始めました。なので、料理でいこうと思ったのはパリに行ってからですね、25歳の頃です。
——料理は始めてみてどうでした? 大変だったんじゃないですか。
ワイン いやあ、フランス語も分からないし、あと、料理学校に行ったわけでもないし、フランス料理のことも知らないし。男性ばかりの、割とすごいところで働いた人たちが開店する前に最後に寄る店みたいなところで働いていたので、確かにとても大変は大変でしたね。でも、楽しかったんですよね、とても。
——料理は昔から好きだったんですか。
ワイン はい、好きでした。
——お母さんに教わったり?
ワイン いえ、自分でつくってました、いろいろ。でも、まさか仕事にするとは思ってませんでしたけどね。
独立したのは2年半、3年後くらいです。3店舗くらいで働いた後にケータリングで独立して、ファッションウイークのケータリングとかをやってました。
——それからイタリアに行った。フランスからイタリアに行こうと思ったきっかけは何ですか。
ワイン イタリアの料理が好きなんですよ。何かフランス料理よりも心に近いんです。スローフード協会がやっていた学校があって、ほんとうはそこへ行きたかったんですけど、行けるってなったタイミングの年に、その学校が閉校してしまって。それでも何か機会があれば働きたいなと思っていたら、ピエモンテで受け入れ先が見つかったので、行くことにして。それまでパリにばかりいたので、もうイタリアの人がすごい優しく感じて。何か人間っていいなって思いました。
——パリは優しくなかったですか。
ワイン パリはあんまり合わなかったですね。
——その割には長くいましたね。
ワイン そうですね。5年半。
——イタリアは1年ぐらいでしょう?
ワイン 1年です。ビザの更新がうまくいかなかったので、1回戻ってきて、そのまま日本に、という感じです。
——じゃあ「もう日本に帰ろう」と思って帰ってきたわけじゃないんですね。
ワイン ないです(笑)。更新がうまくいったら、また行こうと思ってたんです。でも日本にいるからには取りあえず仕事しなきゃってなって。実家に2カ月くらいいて、その間に鎌倉の家が決まったので、そこから教室を始めて……という感じです。気付いたら時間がたってて。
——随分長くヨーロッパにいて、どうして長野に帰って来たのか聞きたいなと思ってたんですけど、成り行きですね。
ワイン 成り行きです。「もう帰ろう」と思ったわけでは全然なく。でも、今は割と良かったなとは思いますけど。ここにヨーロッパのエッセンスがもう少し入れば、もう少し行ったり来たりできたら、すごくいいなと。
料理は旅の集合体
——ワインさんは、自分の料理はどういう料理だと思いますか。
ワイン どういう料理でしょうね。一言で言えないんですけど。この本『ワイン家のオーブン料理』はエッセーのテーマとの兼ね合いもあって、フランス、イタリアに寄せたんです。そうですね、ベースになっているのはフランス、イタリア料理。あと、ヨーロッパにいた間、本当にいろんなところに旅して、いろんな土地で食べ歩いてたので、そういうことの集合体でできてるのかも。旅がとにかく好きなんですよ。
——どんなところに行ったんですか。
ワイン スペインのバスクとか、ギリシャにも行ってましたし、あとイスタンブールとか。他にもヨーロッパ周りの国はけっこういろいろ。でも、食べ物で面白かったのは今言ったところかもしれない。
チェコは昔の料理は面白いんですけど、共産主義でいろいろ壊されてしまった部分があるんです*。政府発行の料理書どおりに各飲食店がつくらないといけなかったり。グラム数を変えただけでもとがめられた。
*チェコは1948年から1989年まで共産党の一党独裁政権だった。
——レシピを変えちゃいけないんだ。
ワイン そう。全て国営ですから。それと、工業に力を入れたので、材料を国の中であまりつくらなくなってしまって、食品の質が落ちたっていうのがあります。もともとはオーストリア系の料理なので、面白い。スープとか、バリエーションがいっぱいあるし。
——共産主義ってそこまでやるんだね。
ワイン だって、国中の女の子がみんな、同じ下着を着てたんですよ。すごくないですか。シュールですよね。
——そうすると、パリ、イタリアは楽しかったですね。
ワイン はい。パリは食材がすごい豊かで、もうウキウキしてましたね。マルシェも楽しいし。
——今、ここのレシピはどういうふうに考えて決めているんですか。
ワイン ここでは、ほとんどオーガニックのものを使ってるんですよ。なので、まず第一に手に入るものの中で何ができるか、何がつくりたいか、何が喜んでもらえるかで決めています。
ここは食材がすごく豊かなところなので。いろんな農家さんにお願いして、野菜を送ってもらったり。あと「生活クラブ」で大量に買ってます。母の代からずっと「生活クラブ」なので。
——私も「生活クラブ」です。なかなかハードコアでいいですよね。
ワイン いいですよね。あと、おいしいですよね、ちゃんと。お肉はほとんど「生活クラブ」です。
——おつきあいのある農家はどのあたりにあるんですか。
ワイン いろんなところに。県内であっても、飯田の方もいらっ%
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