われわれは時間や恋をいつまでも留め置こうと試みてはならないのと同様、太陽をも人生をもいつまでも手放すまいと試みてはならないのだ。——フランソワーズ・サガン「サントロペ」(『私自身のための優しい回想』収録)より
TEXT BY Suzumi Suzuki
PHOTO BY Ittetsu Matsuoka
hair & make by Rie Tomomori
design by Akira Sasaki
東急百貨店本店の閉店したその場所のすぐ向かいのビルのネイルサロンから出て、高校時代に頻繁に立ち寄った、今はない本屋の通りを駅の方に向かって降りると、名前の覚えきれないいくつかの新しいビルがそびえ立ち、私は毎回少しそれに慄く。渋谷も表参道も銀座も新宿も、たまに帰る地元の鎌倉でさえ、いつまでもそこにあると思っていたものはなくなって、その姿を想像したことすらなかった新しい形に変わっていく。
先日、設置当初はレインボー・ガーデンと呼ばれ、そののちにヤング・スポットと名前が変わった広場、かつて噴水池が周囲のネオンを反射していた広場の奥に新しいビルができた。歌舞伎町の中央にある広場は、現在はシネシティ広場という最新の名称よりも、十年と少し前に劇場跡地に立ったビルの名をとって、トー横とかトー前とかいう愛称で親しまれるが、いずれにせよいつの時代も若者が何かしらの過剰と絶望を持ち寄って、何をするでもなくそこに居た。ビルの開業イベントでステージの設置作業が進められていたそこは、遠目で見ればついに若者が自由に屯する余白が排除されたかにも見えたが、近寄れば立ち入り禁止のロープが張られた左右の隙間にきちんと数人の男女がいて、イベント終了後にはやはりふらふらと中央に集まっていくのだった。
それを街の形がどれだけ変わっても、その内側に巣食う人間は変わらないのだと安直に信じてしまうには、私たちはいくらかアン・イノセントに過ぎる。ずっとそこに居た若者も、実際は水曜日と日曜日では違う者であるし、数年たてばたった一人も残らず別の誰かに入れ替わっている。私が最初に新宿に映画を観に訪れたのは中学の頃だったわけで、夕方になると集まってきていた若者たちはいまでは良くて中年で、すでに生きていない者もいるだろう。厚底ばかりだった靴も平たいスニーカーに変わり、つり上がった眉毛は目の周りを赤く塗るような化粧になった。
何も私は変化を受け入れる者が賢者というような、少し前に与党があやふやな知識でダーウィンを引いてまで広報したことを言いたいのではないし、地震国の宿命として都市の更新を楽しもうと思ってはいるけれど別にそれをここで強調しているわけではない。受け入れるまでもなく私たちは強制的に何かを手放し、別の何かに侵食され、違う光景に放り込まれる。それは残酷なことである。同時に心強いことである。私が今見ている景色が、絶対的なものではないという確信が、毎年どこかしら作り替わる街を見るたびに沸き起こるのだから。自分が今正しいと思うこと、間違っていると感じること、悪に見えるもの、救済と信じるものもいくらでも形を変えていく。それは正しいことを絶対的に善いとするような今の言語空間に圧倒的に忘却されがちな感覚でもある。
ほかの多くのアーティスト同様、サガンは南仏の漁村サントロペを愛したようで、「サントロペは一つの夢想を、一つの狂気を人の心に惹き起こす、それが甘美なものであろうとなかろうと」と前置きしたうえで、ながい随筆を残している。先に引いた一文はその随筆の末尾の一節に記されたものである。街への愛着を綴るエッセイの最後に記された、私の好きな文章でもある。恋や時間、あるいは太陽や人生を留め置くことなどできないように、どれだけ煌めいて見える思想も価値基準も、存外簡単に古びてしまうことがある。正しくあろうとしながら、その正しさが絶対的ではないと思い続けるのは切ないことだけれど、それを手放した途端に、私はやさしさと情緒のすべてを失うことになるのだろう。新しくできたビルの高層階から、サントロペではなく新宿の日の入りを見て思った。
鈴木涼美|Suzumi Suzuki
1983年東京生まれ / 作家。慶應義塾大学環境情報学部在学中にAVデビュー。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。日本経済新聞社を退社後、執筆業を中心に活動。小説に『ギフテッド』『グレイスレス』(文藝春秋/ともに芥川賞候補作)。主な著書に、修士論文を書籍化した『「AV女優」の社会学 増補新版』(青土社)『身体を売ったらサヨウナラ〜夜のオネエサンの愛と幸福論〜』(幻冬舎)『娼婦の本棚』(中公新書ラクレ)など。
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