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シム・ウンギョンに聞く、呪われた夢と余白の美——連載「そこから何が見えますか」04

「辛くていろいろな悩みがあるなかで、どうやって、またその中で〈やりたい〉っていう気持ちを探すのかが大事だなって思っています。また一歩を踏み出す力を自分の中に探すのはむずかしいけど、そうやるしかないなって」

Interview by Sumiko Sato
movie by Shingo Wakagi
styling by Makiko Fujii
Hair&Makeup by Yoko Fuseya [ESPER]

シム・ウンギョンさんには、清冽な存在感があると思っていた。彼女がいる、その場所から透明な水が湧き出ているような。韓国出身。子役時代から人気を博し、数々の話題作に主演して輝かしい受賞歴も持ちながら、数年前、本格的に日本でも仕事を始めた。2019年には映画『新聞記者』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、毎日映画コンクール女優主演賞などを受賞。ふたつの国の、ふたつの言葉で様々な役にチャレンジしているウンギョンさんの素顔はどんなふうなんだろう? ウンギョンさんが口にする言葉(そして、口にしない言葉)には独特の間合いというか、奥行きがあって、とても力があると感じていた。そんな言葉に直接触れてみたかった。赤坂のビルの上にある静かな庭園で撮影をさせていただいてから、ゆっくりと会話が始まった。

 

——日本でお仕事を始めたのはいつですか?

シム 2017年に連絡をいただいて、年が明けて2018年の1月3日に来日して事務所の方々とお会いしました。日本に1泊2日で来て、次の日すぐに仕事でシンガポールへ行きました。事務所との出会いはそんな感じでした。

——ちょうど5年前ですね。それ以前には日本に来たことはなかったんですか?

シム あっ、もちろんありました。初めて日本に来たのは沖縄映画祭に参加するためだったので、沖縄が最初で。沖縄には独特な文化もあるし、日本というよりちょっと別な国のようでしたけれど。その頃の海外旅行は日本ばかりでした。事務所に入るまでは、ひとりだったり、家族とだったり。ほとんど東京ばかりで、あとは大阪、京都。

——東京はどんな印象でしたか?

シム すごい広い!

——どこまで行っても東京。

シム ここも東京ですか!?っていう感じで。都会ということはソウルと似ているけれど、広いし人も多いし、わあーっていう感じでした。渋谷のスクランブル交差点とか、すごく圧倒された。渋谷とか六本木みたいに「都会!」というところもあるのに、浅草とか上野の方に行ったら昔の街並みたいなところもあって「不思議だなあ、東京という街は」という印象でした。

——もっと日本を知るようになって印象は変わりましたか?

シム そうですね、やっとコロナ禍への対応が変わって海外との行き来が少し自由になりまして、韓国の仕事も増えて、いまは両方の国を行き来していますけれども。最近はもう日本に慣れていますし、韓国は自分の国籍の国なので、行き来しながらどこが日本でどこが韓国なのかが紛らわしくなってきていて。日本に着いたのに、「あれ、まだ韓国ですか、ここは?」みたいな感覚で。

——境目がなくなってきたんですね。

シム そうですね、日本語もまだまだだとは思いますけれど、どんどんわかっていくし、だいたい会話は問題ないのでぜんぶ聞こえちゃう。街中でも喫茶店でも隣の人の話が聞こえたりして、「あー、どうしたらいいのかなあ」って。

——情報量が増えちゃいますね。日本語は最初はどうやって覚えたんですか?

シム いまの事務所と契約して日本に来てから勉強しはじめたんですけれど、最初の6カ月間は日本語の学校に行きました。それからは正式にはぜんぜんしていません。現場でのみなさんとの会話がいちばん役に立ちました。台本も、最初は韓国語と日本語の両方で読んでいましたけれども、やはり日本語だけで読める必要がありました。まわりに韓国語ができる人はマネージャーしかいなかったし、その彼女からもみんなといる時は韓国語は避けてくださいって言われていて。だから本当に日本語しかしゃべれない状況だったんです。事務所の方々の言葉も日本語で聞いて、ちゃんと答えなきゃと思って。

——たいへん!

シム みなさん早口だし、最初は何をおっしゃっているのかぜんぜん分からなかったんですけれど、自分の中で予想して、「ああ、こういう意味なのかな」「いまの言葉ってこういう時に使うのかな」って推測したり習ったりしながら吸収していった感じです。日本語はやればやるほど、話せれば話せるほどむずかしくなりますね。最初はよくわからないから、わからないなりにガンガン話していたんですね。その時期は上達したかもしれないんですけれど、いまはわかるから、かえって戸惑っちゃうんです。「あー、こういう表現が合っているのかな」「いまわたしちゃんと言えたのかな」「発音は大丈夫なのかな」って気になることが多くなってきた感じです。

 

——言葉がどんどん短縮されたり、日本語っていつも変わっていますよね。

シム 敬語も、韓国語でもここまではないです。なんとかさせていただきます、とか、いただく、くださる、とか、いろんな表現があって、それを習得するのが…… あ、さっき、「吸収」じゃなくて「習得」って言いたかったんだ!

——「吸収」でよくわかりましたよ。

シム そうですか(笑)

——ニューヨークにも滞在していました。

シム 10代の高校生の時ですね。

——その時は、英語は?

シム 英語は、特にたいへんでした。わたしの世代から下の若いひとたちはみんな英語が基本的にできるし、韓国人は英語が上手というイメージがあります。でもわたしは子役からこの仕事をしていて、他の子どもたちのように勉強する時間がとれなくて。韓国にいるとどんどん仕事が入ってくるから欲張ってやっちゃうので、一度韓国を離れてアメリカに留学したらどうかなって親と相談して行ったんです。おかげで英語を知らないままドーンと行って、イチから始めようとしたんですけれど、本当にたいへんでした。あと10代の思春期だったので、何がなんだかわからないなっていう複雑な気持ちもあって。そんな中で出会ったのが日本の文化でした。

——ニューヨークで?

シム そうです。本当に偶然に、同級生が日本のアニメが大好きな子で、一緒にアニメとかを観て、あと日本のJ-POPとかを聞いて、すごく新鮮な気がしました。それからいろいろと調べていく中で、わたしも日本のアニメからJ-POP、文学にまではまって。ニューヨークで、いつか日本でもお仕事できたらいいなあと思ってましたね。

——ニューヨークの英語はまた特にむずかしいですよね。アクセントが強くて速くて。

シム 速いし、都会だからちょっと冷たく感じました。だから、いつも何も悪いことしてないのに「すみませ〜ん」「申し訳ないですー」って思ってました。こんな気持ちでいて大丈夫なのかなあって悩んだりする時期だったんですけど、その代わり、ジャズだったりクラシックだったり、コンサートをあちこちいっぱい観に行ったり、カルチャーを学ぶことはたくさんできました。今でも身についていることが多いので無駄な経験ではなかったなあって。

——とっても良かったんじゃないですか。コロナのあいだは日本にいらしたんですか?

シム コロナ禍の時は先に日本のお仕事が決まっていて、韓国に戻ってしまうと日本に再入国できないんじゃないかという心配があったので、2年半近くずっと日本でした。

——それでまた慣れたのかもしれませんね。

シム そうですね、ずっと日本だったので、言葉だったり日本の生活だったりにさらに慣れてきた感じがしています。

写真と自転車と映画と本と

——日本で最初に撮影した映画、『椿の庭』の渚はどんなふうに考えて演じていたんでしょう?

シム [韓国人と日本人の]ハーフという設定は意識していましたが、それとは関係なく、渚は渚で存在している、ちょっと森の妖精みたいな……「妖精」で合ってますか? 「elf」、そういう存在感だと思って。とても不思議なキャラクターで、それを上田さんのカメラで通して見るとすごく美しくて独特で不思議な世界観だったので。国境とか国に関係なく演じたというか、渚という存在感として演じてみました。

——あの家や庭もある種の「森」のような、外の世界から囲われた独特の場所という感じでしたね。上田さんとのお仕事はどうでしたか?

シム そうですね、すばらしい方だと思いますし、こんな未熟なわたしで大丈夫なのかなあって思っています。この間もお会いしましたけれども、本当にわたしのことを見守っていてくださるので。いつもわたしの写真を撮るときに、ああ、いいですね、美しい、っておっしゃってくれて、恥ずかしいですけれど、本当にありがたいというか光栄だといつも思っています。なんて言うのかなあ、もしかしたらこういう方とはもう一生仕事できないかもしれないんですけれど、わたしはラッキーだなあって。本当に幸せです。

 

——他に、ぜひ仕事をしてみたいというカメラマンはいますか?

シム 素晴らしい方がたくさんいらっしゃるので。たとえば『あゝ、荒野』という映画があってヤン・イクチュンさんが出演していましたけれど、そのポスターを森山大道さんが撮ったらしく、その話を聞いて「うわあ! ヤン・イクチュンさん、うらやましいですねー! 森山さんなんだー!」ってなったんです。わたしもいつか森山さんとお会いしたいなって。それから川内倫子さんの写真も大好きなので、いつかお仕事をご一緒する機会があればと思っています。

——川内さんの写真はきれいですね。

シム そうですね、きれいで、なんか妙で、不思議だなあって、いい意味で。ちょっと怖いようなところもあって、すごくピュアで、ナチュラルで、なのに人の裏側が写っている感じの写真があるじゃないですか。そういうところが素敵だな、すばらしいなと思います。

——写真が好きなんですね。

シム 好きになりました。よくみなさん、趣味で絵を描いたりピアノを弾いたり、楽器を演奏したりするけれど、わたしはなぜか趣味というものがあんまりなくて。突然、わたし何が好きなんだろうって悩んだときがありました。学校に通っていた頃に美術の先生に「あんたねえ、もうちょっとちゃんと描きなよ」って言われて、それからちょっと絵を描くのが恥ずかしくなって。ああ、やっぱり下手なんだなと思って、それから描いてないんです。アートを観るのは大好きなんですけれども。それがある日、カメラマンの方にフィルムカメラをすすめられまして。むずかしそうだし、無理ですよって言ったんですけれど、あとから思い出して「ああ、写真はどうかな」って。写真だったらパッと撮ってもそれなりの雰囲気も出るし、いいかもと思って。それで西新宿に連れていってもらって、「京セラ サムライ」と、2003年に出たオリンパスのフィルムカメラを両方合わせて買いました。あと、森山大道さんの真似をしたくて、この間、森山さんが使っているのと同じリコーのGRを買ってしまいました。

——あっ、わたしも持ってる!

シム ズームができないんですけど。中古で購入しまして。一緒に買いに行ったカメラマンの方が設定してくださって。こう撮ったらちょっと大道さんっぽいでしょ、って(笑)。それからそのカメラはモノクロ専用にして、近くに寄って撮ったり、フラッシュを炊いて撮ったりしてますけど、おもしろいです。

——インスタを見たんですが、いま自転車を練習していませんか?

シム えっ、ご存じなんですか? 恥ずかしい。実は韓国の映画作品のために始めたのと、ちょっと運動不足でジムに通いなさいって言われてたんですけれど行く気がまったくなくて、正直。で、自転車に乗ってみたら楽しい気分になったので。最近は大きな公園のサイクリングコースをぐるぐる回ったり。すごい運動になっていますね。少しの坂も漕ぐのがけっこうたいへんで。

——小さいときは乗っていなかったんですか?

シム 韓国はあんまり自転車に乗らないですね。乗っている人は日本みたいに多くないです。私の周りは乗れない人が多いです。

——仕事がない日はどんなことをしているんですか?

シム 最近は映画を観にあちこちに行ってます。あとは喫茶店で本を読んだり、美術館に行って展覧会を観ることが多いですね。

——ぼーっとするのが得意だって、別のインタビューでおっしゃっていました。

シム ぼーっとするのも大好きだし、散歩もしてます。名画座に行くのも大好きで、昔の映画を観るのとか。最近はお休みの日にはそういう行動をしています。

 

——名画座も減っちゃっています。

シム でも日本はまだまだある方です。韓国は名画座というものがない気がします。だいたい新作で、シネマテックみたいなところで、たまに古い映画の特別上映みたいなことはやっているけれど。

——本はどんなものを読みますか? 夏目漱石が好きなんですよね。

シム 大好きです。

——漱石、どうして好きなんだろう? どんなところがおもしろいですか?

シム たぶん最初から最後までちゃんと読めた小説って夏目漱石が唯一かもしれない。なんていうか、すごい読みやすい。難しくない。誰が読んでもわかりやすいお話で、すごく深い話というかメッセージというか、心に刺さるところがある。まあ、とにかくおもしろいですね。おもしろいし、その中で鋭いところがたしかにあるなと思えて大好きです。

——韓国語の翻訳者が良かったのかもしれないですね。

シム 日本語だとあんまりおもしろくないですか?

——いえ、漱石はすばらしいです。書かれてからもうずいぶん時間が経っているけれど、古い感じがしないですね。

シム いやあ、まったく古く感じないです。それがなぜなんだろう、すごいなって思って。「こころ」とか「それから」とか、高校生のときに初めて読んで、その頃はまだわかりにくい文章というか内容というか表現があったんですけれど、それにしても心に刺さったものが確かにあって。読み終わって、なにか「美しい!」って感じがしました。あと「三四郎」を読んで、実際に三四郎池を東大に見に行ったんですけれど、思ったよりちょっと汚くて(笑)。たぶんここに三四郎がしゃがんで池に映る自分を見て、太陽が池にあたるのをここで見て、女性の主人公をあの辺で見ただろうにと思ったんですけれど。

——いまは映らないでしょう、水が濁ってて(笑)

シム 蚊がいっぱいいて足を咬まれて、こんな大きな跡ができてしまいました。

——ちょっとメンテナンスしてほしいですよね、三四郎池(笑)

シム でもまあ仕方ないですよね、「三四郎」が書かれたのは明治で、100年以上前のお話ですから。でも楽しかったですね、こんな風景だったんだなって。

——あのあたりは町にも古いところが少し残っていますよね。

シム 本郷で入った喫茶店のスープカレーが美味しかったです。日本に来て最初の頃、本郷とか谷中の方に住んでいいですかって事務所に相談したんですけど、それだけはちょっと勘弁してって。事務所から遠いと何かあった時にすぐに訪ねて行けないからって。お願いだから住むのは今は諦めて、遊びに行くのでがまんしなさいって(笑)。最近は自転車と映画と本。それ以外には…… うーん、高円寺に行って古着を見るのは好きですね。古着にはまっていて。「サファリ」という古着屋があるんですけれど、1号店から5号店まであって。そこに行ってお洋服を見るのが好きですね。

ただその状況を演じる

——日本に来て仕事をするようになって4年以上がたちました。これからまた4年たった時の自分をイメージできますか?

シム いま28歳なので4年後は32歳ですね。ちょっと想像できないですけれど(笑)、明日の自分がどういう姿なのかも想像できないので…… そうですね、いまはまだまだ若々しいところもあって、落ち着いてないところが自分の中に確かにあると思いますね。欲ばったり、そういうところがもうちょっと収まって、ちゃんと大人しくできるようになれてたらいいなと思います。

——大人しくした方がいいと思っているんですか?

シム 子役から含めてわたし、20年ぐらいお芝居をやってきましたけど、やればやるほどシンプルに、どんどん自分の欲を捨てながらお芝居をしないといけないという考えがありまして。力を入れて精一杯がんばってやってみようと思ってやると、あんまりいいお芝居にならないというか、なれない。

——「欲」というのは、自分がうまくやりたいという欲ですか?

シム そうですね、以前はもっとずっと欲張っていたと思います。演技をし始めた最初のころは欲というのはすごくいい反応で、役に立つかもしれないんですけれど、それだけじゃよくならないものだと気づきました。いつの間にか、何かが違うって感じられるようになって、それをちょっとどういうふうに解決すればいいのかと悩む中で気づいたのは、作品の全体を見てなかった、自分の役ばっかりに集中して、自分だけがよければいいんだっていう傲慢な姿勢があったんじゃないかと思ったんです。それをすごく反省しまして、やはりそれでは役者として成長もできないし、一歩下がって作品全体を見る目を持つように自分の中でトレーニングをしたというか、そういうふうになれるように練習しました。それからは何回も何回も台本を読みながら、この作品はわたしが演じる役を通して何を見せたいのかを、それがいちばん大事なので、考えて、少しずつ解決できてきました。

——どのあたりの作品からそういうふうに意識するようになったんですか?

シム 『新聞記者』ですね。あれは自分にとってあまりにも大きなチャレンジでした。日本に来てから1年もたっていなかった時期で、言葉もむずかしい。日本のその当時の政治に関する話で、もちろんジャーナリズムや正義についてはどの国にも共通のメッセージ性があると思いますけれど、とはいえ[日本の当時の状況を理解して演じるという]プレッシャーはあるわけだから、どうすればこの作品を最初から最後まで撮りきれるのかなって、すごい迷ったり悩んだりして。スタッフの方々と毎日、事務所の部屋でどうすればいいんだって、いろいろ話しました。日本語の言い回しからはじまって、日本の政治は韓国の大統領制とはちがうとか、そういう基本の話からしました。でもその中で、いろんな話は役に立つけれど、正解はすべては台本の中にあるんじゃないかなと思って、あらためて最初から最後まで台本を読んで、それを撮影が終わるまでずっと繰り返したんです。あ、これじゃないかな、これがいちばん基本じゃないかなと、パッと思って。そういうきっかけになった作品が『新聞記者』ですね。

 

——映画の撮影の期間はその役になりきってしまうものなのですか。それともカチンコが鳴った瞬間に切り替わる?

シム わたしはわりと切り替える方なんですけれど、『新聞記者』はもう逃げ場がなかったというか。台本を、すべてを、身につけるしかない。大人になってから初めての経験でした。

自分の中ではアメリカ映画の『スポットライト』をめざそうという思いがあって。ずっと繰り返し観てましたね。マーク・ラファロさんの芝居を参考にしながら。まだその当時、いまよりも若かったし。4年前、23歳のときです。いまならもうちょっと柔軟にできたんじゃないかなって思っているんですけれど。知らないことが多いから、全部自分で感じながら、習得しながらやっていくしかなかったから必死でした。

——台詞だけでなく、監督やスタッフの言葉がまだあまりわからない中で演じるのは悩ましかったでしょう。

シム 私が演じた吉岡もこの記事を出さなきゃ、この記事を書かなきゃっていう状況で悩んでいますけれど、わたしもその映画を撮っているとき、まさに吉岡でした。言葉の壁にぶつかったり、どうしてうまくできないのかというような悩みが、吉岡と一緒だったんじゃないのかなあ、あの20日間は。

——終わった後は達成感がありましたか?

シム それはぜんぜんない(苦笑)。未熟だったと反省したこと以外は何も感じられなかったというか、あっという間だったし、20日間で撮ったんですが、あっ、今日終わったんですか?っていう、もう阿修羅みたいなそういう気持ちでした。

——阿修羅のようには映ってなかったです。

シム そういう風には見えないようにするのがお芝居だから。現場の外側では、これもうどうするんですか、あーもうよくわかんないんですけど、って混乱状態でも、本番が始まればその役になるしかないんで。

——その後の作品ではもう少し楽に演技ができたんですか?

シム このあとにバランスよく、『7人の秘書』という作品があって。たぶん日本のみなさんにわたしのことを知ってもらった作品になったかと思うんですけれど、ちょっとコミカルで楽しめる内容だったので、とにかくたのしく撮影ができた作品でした。

——欲を捨てる、ということをもう少し教えてください。

シム 役づくりもそうだし、自分のフィルモグラフィーやキャリアに関しても、欲張ってやればやるほどわたしのお芝居が見づらくなるんじゃないかなって思う。溢れすぎて、いろいろなものが。もうちょっと大人しく、シンプルにやっていきたいなと。余白っていうんでしょうか。経験が重なるほど、余白をつくるのがすごく大事なことだと思っています。余白の美というか。

そう感じたのは、この間、李禹煥(リ・ウファン)さんの展覧会に行って、作品を見ていたらものすごく単純で、シンプルで、経験が重なるほどに自分の欲とかを捨てていってる…… うーん、言葉にするのはむずかしいけれど、わたしもそういうふうにならないと、と思って。余白の中に作品の意味や深みが出てくるような、そういうお芝居ができたらいいなあって。役者は「これじゃあまだ足りないんじゃないかなあ」って不安に感じてどんどん演じてしまうことが多いんだけれど、そういう時に一歩下がってみる。意識して表現しなくても、映像の中でちゃんと表現できてることもあるので。その余白がすごく大事だなって。やっぱりまだ若々しいところもあって欲張っちゃうんですね。それを自分でコントロールして収めて、欲を捨てながら、どういうふうにシンプルに役と一致できるのか。そういうことを悩んだり考えたりしてます。

李禹煥さんの展示会からはいろいろな刺激を受けました。作品がすごく繊細で、なにか自然とともに、という感じがしまして、こういう作品をつくるようになるまで、どういう人生の歩み方をしてきたのか考えました。

——余白をつくるって難しいですね。

シム そうですね…… 女優のイザベル・ユペールさんがあるインタビューで「どういうふうに役づくりをしていますか」って聞かれて、「わたしは役づくりをしていません、ただその状況を演じています」って答えていたんですけれど、それはすばらしい言葉だなあって思って。いままでわたしは役づくりということで、自分の役ばかりに入り込んじゃって、まわりのシーンの状況や相手のキャラクターの感情とかをあんまり見ていなかったんじゃないかなって。役者はまなざしが大事だって話があったから、目をずっと開けっぱなしにして目に力を入れたり。泣くお芝居もとにかくボロボロに泣いたらうまく見えるだろうと思ってぼろ泣き(笑)。その状況にあわせず、うわーって泣いたり。そういうところが多かったので、ああ、そうだ! 実際の生活ではその状況にあわせて反応するだけなんだって。ユペールさんの言葉を聞いて、ああ! そうだよなあ。なんでいままでわかってなかったのかなあって。それからお芝居で工夫するやり方がちょっと変わってきた感じ。それが、つまり余白ということじゃないかなあ、と思って。シーンの状況や監督がつくりあげたい雰囲気とかが確かにあるので、役者のお芝居でそれを全部出さなくてもいいんだってことなんですね。やっぱり「ともにつくる」仕事なので。そんな大事なことを分かってないままにやってきたんじゃないかなと思ってすごく反省しました。

 

——そうやって役者をやっていて、うれしい瞬間はどういう時ですか?

シム 最近はぜんぜんないですね。むずかしいことばかりで。この間、宮崎駿さんのドキュメンタリーを拝見しまして、宮崎監督は「むずかしい、むずかしい、めんどくせー、むずかしい、むずかしい、めんどくさいからやめたいんですよ」ってずっと繰り返して言うんです。そして「プロフェッショナルとは何ですか」っていう質問に対して、「いやあ、半分素人の方がいいですよ。自分がプロだからやるわけじゃなくて、自分がやりたいからやる」っていうすばらしい言葉をおっしゃいました。それを聞いていて、そうなんだ、って。わたし最初になぜお芝居をやり始めたかって思い返すと、「やりたいから」って気持ちで始めたのに、いつの間にかそういう気持ちや考えを失ってしまったんじゃないかなと。それこそ「わたしプロだから」という責任感で子役から今まで続けるなかで、もともと持っていた気持ちを失っていたんじゃないかなと思って、宮崎さんのその言葉がすごく支えになりました。

——やりたいからやる。

シム 同じドキュメンタリーの中で宮崎さんは「アニメーションは呪われた夢」だってお話もされたんですけれど、これはいったいどういう意味なのか…… 自分がやりたいからやるんです、でもそれは呪われた夢だっていう、その2つのことを最近考えています。わたしも最初はやりたいからお芝居をやって、今までやってきたんですけれど、どんどん責任感やいろいろな悩みとか壁にぶつかって、どうすればいいんだって、やっぱりあきらめた方がいいのか、やめた方がいいのかっていう葛藤の中に投げ込まれたような気持ちになっているけれど、それでも、あきらめられないから続けてやっていく。そういう意味で、呪われた夢なのかなって。すごくいろいろな気持ちになって話は着地できないんですけど、だから呪われた夢なのかな、役者もそうなんじゃないかなって。

——やめられないですね。

シム 「エヴァンゲリオン」というアニメを観ると、碇シンジというキャラクターがこう言うんですよ、「エヴァに乗りたくないけど、やっぱり乗るしかないんだ」って。まさに今のわたしの気持ちが同意する、というか、辛くていろいろな悩みがあるなかで、どうやって、またその中で「やりたい」っていう気持ちを探すのかが大事だなって思っています。また一歩を踏み出す力を自分の中に探すのはむずかしいけど、そうやるしかないなって。

——お芝居はずっと続けていくと思いますか?

シム まだやりたいですけれど、そうですね…… うん、でもまだまだやりたいです。すごくやりたいし、まだ演じてみたい役も多いし。まだ出会ってない役も…… でもわたしもいつこの生活というか、これがいつ終わるかはわからないので、いまはまだ続けたいという気持ちです。

——でもやっぱり現場は苦しいんですね。

シム まあ、自分との戦いを続ける、最後、終わるまで。きっと監督と役者はふだんの目は死んでますよ。でも[カメラがまわった]その瞬間がどうしても好きだからやり続ける。どんなに悩みがあったとしても、葛藤のど真ん中に立っているような気持ちでも、それが好きだからやり続けると思います。

——自分が出た映画やお芝居は観るんですか?

シム それはもちろん。

——ここはこうすればよかった、とか考えますか?

シム それは毎回です。すべての作品、こうすればよかったとか、後になってよいアイデアが浮かんだり。

——逆に、あそこはうまくいったということもあるでしょう?

シム 自分が出た作品で、『サニー 永遠の仲間たち』という映画がすごく好きなんです。監督の世界観というか、監督が表現したいことがちゃんと出た映画だと思うし、それに合わせて役者のみなさんのお芝居も素晴らしい組み合わせというかチームだったので。「ともにつくる」という映画の仕事がちゃんと出てきた、それがちゃんと意味を成した作品ではなかったかなと思って、いまも大好きな作品です。

——こんな作品に出てみたい、という希望はありますか?

シム いままで悪役を演じたことがないので一度でいいからやってみたいです。でも、ちょっとわたしのイメージにあまり浮かんでこないのかな。今までやった役とは逆な性格を持っている、たとえば浦沢直樹さんの「モンスター」という漫画に出てくるヨハンのようなキャラクターを演じてみたいです。あとは、「スラムダンク」があまりにもすばらしくて、いまはまっていて。どのキャラクターもよくて、それぞれが主人公じゃないですか。桜木花道だけが主人公、流川楓が主人公じゃなくて、観る側によってどのキャラクターも主人公になれるっていう作品に出演してみたい、そういう作品の一部になりたいっていう気持ちが強いです。

——みんなでつくる、という部分が強いものですね。

シム そうですね、『サニー 永遠の仲間たち』で似たような体験をしていて、もういちどそういう作品に出会いたいなって思います。

——これからがたのしみですね。

シム どうでしょうか、でもがんばってやっております。とにかくがんばります。

——がんばってください! 最後にこれは話しておきたい、ということはありますか?

シム そうですね、わたしは実はすごい臆病なんですよ。いろいろ怖がったり、ちょっと臆病なところがありまして、自信がなさすぎるんじゃない?って指摘されるところがあるんです。けれど、こんなわたしでもいろいろ挑戦しているので、もし自信のない人や、ああ、自分にはできないんだろうなと思っている方がもしいらっしゃったら、こんな足りないわたしでもいろいろ考えたりしながらやっておりますので、みなさん、自信をもって生きましょうって。たいへんな世の中ですけれど、いっしょに生きていきましょう、ってお伝えしたかったです。

 

profile

佐藤澄子|Sumiko Sato
1962年東京生まれ、名古屋在住。クリエーティブディレクター、コピーライター、翻訳家。自ら立ち上げた翻訳出版の版元、2ndLapから『スマック シリアからのレシピと物語』発売中。訳書にソナーリ・デラニヤガラ『波』(新潮クレスト・ブックス)がある。