漫画家・池田理代子氏が1972年に生み出した国民的少女漫画『ベルサイユのばら』の連載開始50周年を記念した展覧会『誕生50周年記念 ベルサイユのばら展―ベルばらは永遠に―』が、六本木ヒルズ森タワー52階・東京シティビューにて開催中(〜11/9)。本展を労働系女子マンガを専門に研究する、ライター、大学講師のトミヤマユキコさんが体験する。華麗なる「ベルばら」の世界を生き抜いた、女性たちの歩みから、今私たちが思うこと——。
TEXT BY TOMOKO OGAWA
PHOTO BY MANAMI TAKAHASHI
マリー・アントワネットとオスカルに見る、女の生きざま
1972年4月から73年12月まで、少女マンガ誌「週刊マーガレット」(現「マーガレット」、集英社)に連載され、宝塚歌劇で舞台化されるやいなや社会現象となり、アニメ化、映画化とかたちを変えながら世界へと広がり、現在では、フランス革命期の歴史マンガとして、本国フランスでも読まれているという『ベルサイユのばら』こと「ベルばら」。その連載開始50周年、アニバーサリーイヤーで開催されているベルばら展の入り口を通ると現れるのが、ベルサイユ宮殿をイメージした回廊だ。豪華絢爛な作品世界に誘導するかのように、オスカル、マリー・アントワネット、フェルゼン、アンドレといった登場人物のパネルが並んで迎えてくれる。来場者はまず彼らとの記念撮影をすることで、物語の中に入っていくという流れだ。少女漫画研究者のトミヤマさんも、例に漏れずまずは登場人物たちとの撮影を行う。Instagram ARフィルターをダウンロードすれば、薔薇の花びらが降り注ぐフィルターでセルフィーすることも可能だという。
「展示を見終えてから記念撮影という流れはよくありますが、最初に写真を撮れるんですね。これから作品世界に入っていくぞと気持ちを盛り上げる仕掛けになっていて、とてもいいですよね。ちゃんと写真を撮ってくださるカメラマンもいて、そのホスピタリティがありがたいです。気恥ずかしいと思う人もいるかもしれませんが、作品世界にどっぷり浸かるための儀式としてみんな撮った方がいいと思いますね」
これまでも定期的に展覧会が開催されてきた「ベルばら」。50周年は、ベルサイユの“白いバラ”として親しまれるオスカルと、“赤いバラ”と呼ばれるマリー・アントワネットという二人の女性にフォーカスを当てる。一見、真逆にも思える二人の女性を主役に据えることで、時代に翻弄されながらもそれぞれの運命を潔く生きた二人の人生を追う。「少女漫画を恋愛漫画として読むと、オスカルとアンドレ、フェルゼンとマリーというカップルに注目することになりますが、それ以外の視点もあっていい。恋愛関係にないオスカルとマリーの組み合わせで展示を見るというのは、ありそうでなかった視点なのではないでしょうか」とトミヤマさんは指摘する。
「オスカルとマリーは、現代で言えば、上司と部下のような関係ですが、この二人を隣に据えたことで見えてくるものもあるなと。労働系女子としての仕事への取り組み方とか、女性としての生き方の違いとか、いろいろ見えてきますよね。ジェンダー、フェミニズムの意識がある程度アップデートされているからこそ提案できた組み合わせだと思いますし、世の中との呼吸が合ったというか、今だからこそ深く刺さる関係性なんじゃないかと思います。みんながみんな恋愛に興味があるわけじゃありませんし、女の生きざまの方が気になるという人もいるはず。展示を見た後、自分はじゃあどうやって生きていくかと考えたくなりますね」
「歴史漫画は絶対当たらない」と言われていた当時、周囲の反対を押し切って「絶対にヒットさせる」という信念とともに、マリー・アントワネットの生涯を描いた池田氏の想いが綴られる序章から始まり、第1章「ベルサイユのばら」では、マリーとオスカル、それぞれの誕生からエンディングまでの原画約180点を見ることができる。
ストーリーが進むごとに、マリーをイメージしたピンク、オスカルをイメージしたシルバーと壁紙が変わるのも印象的だ。トミヤマさんは、二人の人生をどのように捉えたのだろうか。
「マリーはだんだん目覚めていくんですよね。あまりにも幼くして親元を離れて嫁いだので、世間知らずなのは仕方ないと思うんですよ。それに、彼女には、オスカルにとってのアンドレみたいに、歳が近くて、感覚や感情を共有できる人がいないんです。だから、ベルサイユにいる俗っぽい人たちからしかお友達が選べない。しかし、そこから段階を踏んで、夫に頼ってばかりじゃダメとか、子どもたちのためにちゃんとしようとか、彼女なりに失敗から学び、母のように強くなろうとしていくプロセスが見られます。フェルゼンとの恋はするけれど、夫のことも人生のパートナーとして大事にしている。そして、最後には、自分も男にならねばと腹をくくり、逃げることなく運命を受け止めます。彼女なりの成長の軌跡があって、後半になるにつれて賢さ、聡明さが感じられる流れになっているから、リスペクトできるんだと思います」
「一方で、一般的に社会が男性中心的であることは当時も今も変わりませんが、オスカルは究極の男社会とでも言うべき女性部隊のない軍隊に単身で飛び込んでいき、努力と根性と負けん気で、自分の居場所を見つけていく。別に女を捨てているわけではなくて、興味を持った仕事を極めていくと決めたから、時に男性的な振る舞いが必要になるという順番なんですよね。自ら望んで降格になり、荒くれ者たちを引き受けることになるオスカルは、まさに男性部下だらけの部署で孤軍奮闘するエリート女上司のよう。現代にも通じる、働く女性の悲哀が垣間見えるキャラクターです。それぞれの人生を眺めるうち、誰にもわかってもらえないような特殊な立場にいるという意味では、二人とも孤独な魂を抱えた者であり、コインの裏と表なんだなと思えてきました」
連載開始から終盤に向けて変化する絵のタッチをゆっくり眺めながら、展示の第1章の最後であり、物語もクライマックスを迎える展示スペースへと進む。すると、情熱のバラのようでもあり、全身に流れる血をも思わせるような鮮やかな赤で囲まれた空間が待っている。原画の線の力強さ、美しさはもちろん、原画の情報から伝わる熱量を肌で感じ、食い入るように見つめるトミヤマさん。
「連載していくにつれて表現技術が向上するだけじゃなく、物語の勢いに乗せられて、どんどん筆が乗り、脂も乗ってくる。革命の時代までいくと、大胆な構図、ダイナミックな動き、鬼気迫る勢いが伝わってきて、見ているこちらもボルテージが上がりますね」
原作から派生し、大ヒットした宝塚歌劇やTVアニメ
第2章では宝塚歌劇から、第3章ではTVアニメからベルばらを切り取る。原作ファンからは二次元創作を実写劇にすることへのネガティブなコメントが殺到し、コミックを題材とした演目をするのが初めてだった宝塚ファンからも疑念の声が上がっていたそうだが、蓋を開けてみたら大ヒット。1974年から2014年までの公演ポスターが見られるコーナーや、オスカル、マリー、アンドレが身につけた舞台衣装も紹介。1979年に制作されたTVアニメ「ベルサイユのばら」のセル画、見どころなども展示される。原作と話数に限りがあるアニメの、物語やキャラクターへの解釈の違いを比べてみるのも面白い。
「連載期間は1年半で、以降50年愛されるって、すごいことですよね。オスカル自体は架空の人物ですが、史実を踏まえているからこそ、背骨がちゃんとある強い物語となっている。歴史的な土台があるだけじゃなく、そこに生きたキャラクターの感情がうまく乗っているからヒットしたんだと思います。また、TVアニメ版の成功も、作品にとって大きいですよね。漫画はお金を払わないと買えないけれど、TVアニメは家にテレビがあれば無料で見られますし、チャンネルを回したらたまたま見かけた、といった偶然の出会いも起こりやすい。本当に優れた作品は、こうやっていろんなメディアに派生し、たくさんのファンやクリエイターによって、愛され、分析され、拡散される。そこも含めての名作だと思います」
ベルばらをめぐるこれまでとこれからのモノ・コト
〈「ベルサイユのばら」は永遠に〉と題した第4章では、スピンオフ作品、絵本、海外で翻訳・出版された書籍、懐かしのグッズ、ベルばらをめぐる50年間のモノ・コトをずらりと振り返るコーナー。雑誌、ブランド、どん兵衛といったユニークなコラボアイテムの数々も注目だ。そして、未来のコラボレーションとして、劇場アニメの告知とともに本展は幕を閉じる。
「様式美があると、古いとか新しいとか関係なく、時代を超越していくことができるんですよね。世界観がしっかりしてて、ブレがないから、長く読み継がれる作品になったのだと思います。キュンキュンほわほわ癒されるタイプの少女漫画もありますが、突き抜けた激しさや厳しさを見せつけられることで、逆に元気になってくる。女性たちを鼓舞するエナジードリンク系の物語であることは間違いないですよね。貴族階級であっても、庶民であっても、それぞれの大変さがあるということを、フラットに描いています。逆境への立ち向かい方もいろいろなので、読者に唯一の正解を押し付けているわけじゃない。だからこそ、いつの時代の人が読んでも、生きる力をもらえるんだなと思いました」
トミヤマユキコ|Yukiko Tomiyama
1979年、秋田県生まれ。早稲田大学法学部、同大大学院文学研究科を経て、東北芸術工科大学芸術学部准教授に。ライターとして日本の文学、マンガ、フードカルチャーについて書く一方、大学では少女マンガ研究を中心としたサブカルチャー関連講義を担当。
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