「言葉というものと向き合って、向き合って、言葉で伝えることを諦めなかった人が、やっぱり言葉って不完全だよねって思うところまでちゃんと見つめることができる」
Interview by Sumiko Sato
movie by Shingo Wakagi
styling by miri wada
Hair&Makeup by Yuko Aika [W]
movie edit by Ayako Mogi
三浦透子さんはデビュー20年のベテランだ。CMから始まったキャリアは、テレビドラマ、映画、舞台へと広がり、ほんとうにさまざまな経験を重ねてきている。特にこの3年くらいの出演数はめざましく、映画『ドライブ・マイ・カー』を経て、いま、大きく開花しようとしているように見える。2019年には映画『天気の子』の主題歌ボーカリストとしてRADWIMPSと共演、2020年には自身名義の初のミニアルバム『ASTERISK』を発表して、シンガーとしての本格的活動も始まっている。独特の澄んだ歌声は唯一無二のものだ。作品ごとに大きく姿を変える三浦さんは、強い生き物でありながら、「透子」という名前の通り、なにか、さまざまな表現の媒体となる「透明な存在」のようにも感じられる。そんな三浦さんから見えているものを、少し覗いてみたいと思った。虎ノ門にある開店前のカフェで、通勤の人の流れを見ながらの1時間の会話は、少し編集されている。
——初めてお会いしたのは2016年、座・高円寺の『燦々—さんさん—』の公演のときで、三浦さんはまだ大学生でした。
三浦 『燦々』のときは二十歳だったので2年生ですね。
——大学では数学を学ばれていたんですよね。
三浦 数学が得意というより好きだったから選んだので、勉強はたいへんでした。研究というようなところまでは到底到達できなくて。中学校、高校で受けるような、数学の新しい知識を学ぶ授業の延長線にあるくらいの4年間でした。
——どうして数学が好きだったんでしょう?
三浦 どうしてだったんだろう…… 例えばテストを受けるとして、他の科目であれば事前に勉強したうえで、覚えたことをペーパーに起こしていきますよね。その作業の中で、覚えていたのに忘れてしまったり、覚え損ねたものは、もうどうしようもない、がんばりようがない。でも数学は、テストの時間いっぱい、あがくことができる。ずっと考え続けることができる。公式もあるけれど、別に覚えていなくても絶対に答えにたどり着けないわけではない。そういうところがわたしは好きで。そうですね、考えることが好きだったんだ思います。
——数学は哲学に近いともいわれます。
三浦 そうなんです。子どもの頃から数学が好きな一方で、役者の仕事も面白いと思っていて。そのふたつがつながらなかった。どうしてわたしはあっちも好き、こっちも好きみたいな人間なんだろう、それはそれで面白いけれど不思議だなあって思っていました。でも数学には、ちょっとかっこいい言い方をすると、見えないところに世界を作っていく感じがあるじゃないですか。それが哲学的と表現される理由に近いのかもしれないですけれど。何もないところに物語をつくっていくという点で、お芝居も数学も近いところがあるような気がして。だから、わたしは芝居も好きだし、数学も好きなのかなって思っています。
——でも数学は得意ではなかった?
三浦 わたしは計算が好きなわけじゃなくて、問題の答えを得るためにどう解いたらいいか、それを考えて人に説明するのが面白いんです。
——そうなんだ!
三浦 計算はぜんぜん速くないし、むしろ苦手で、おっちょこちょいをするタイプ。足し算、引き算でまちがっちゃったりするくらい得意じゃないんです。でも、こうしてこうして、こうしたらこの問題の答えが解けますよ、っていうのを考えるのが楽しい。
——そして人に言いたくなる。数学の「証明」とはなにか、ということにつながっている気がします。
三浦 そもそも数学には、数学という言語を使って、誰が読んでもわかるようなかたちで問いの答えを説明する役割がある。誰か一人にだけ説明するというのではなくて、世界の誰が読んでもちゃんと自分の言いたいことが伝わるように記述しないといけない。それが「証明」だと思います。その証明も、答えはひとつであっても、答えを導くための方法というのはほんとうにたくさんある。決められた点と点のあいだにどういう線を結ぶかという思考や頭の使い方を通して、脚本の読解とか、セリフとセリフの間(ま)をどう埋めるかといったことに役立つ頭の使い方を学んだような気もしています。
——役者をやることと数学との距離が少し近づいてきたんですね。
三浦 前よりも近づいたというよりも、そのどちらをも好きになった理由がちょっとずつ分かってきたという感じです。
——新しいお芝居に取り組むときには、自分と役とのあいだを理詰めで考えて埋めていくんですか?
三浦 そうですね。でもそれは動物的に相手に反応するため、自由にやるための準備です。ただ「自由にやっていい」って言われると、自由にやらなきゃ、っていう自意識が生まれてしまって逆に不自由になることがあって。余計なことを考えないためにいくつか決めごとを用意します。制約があることで生まれる自由がわたしにはあるんです。その決めごとというのは、表現の種類や作品によってさまざまに異なっているんですけれど。
自己紹介という不思議な時間
——お芝居をやっていこう、というのは早くから決めていたんですね?
三浦 始めたのは5歳と、とても早くて、でもお芝居がすごくやりたくて女優さんになるためにスタートしたというわけではなく、ほんとうにたまたま、不思議な縁で始めることになった感じでした。どの時点で自分が決めたのかっていうのは、自分でもわかっていないんです。
——ああ、やっていくんだな、って思ったのはいつごろですか?
三浦 うーん…… ずっとやっていくんだな、っていうのは、もしかしたらいまも思っていないかもしれないし、一生思わないかもしれない。ネガティブな意味じゃなくて、興味があることが他に出てきたらポジティブな意味でそっちに行ったらいいんじゃないかって思っているので。自分はただ単純に、恵まれていました。[役者を]目指す時間を過ごすのではなく、仕事が目の前にあるところからスタートしたから。明日行く現場で必要なことを準備する、その間にトライ&エラーを繰り返していく。それが自分にとっては楽しい時間だった。楽しかったから続けていたのだと思います。
——三浦さんは自分なりの考え方の筋道がきちんとあるなあ、と思うんですけれど、何によっていまある自分になってきたと思いますか? 誰かに影響を受けたとか、本を読んだとか。
三浦 いちばんは、子どもの頃からとてもとても多くの人に会ってきたことだと思います。このお仕事は出会いと別れのスパンがとても短いので、同じ年数を生きてきたまわりの人たちよりもたくさんの人に触れてきた。だから誰かひとりから影響を受けているというのではなく、いろいろな価値観に触れる中で、自分が素敵だと思うものをぐっと選んできた結果のいまなのかな。教育を受けた大人は親だけでもないし、先生だけでもない。この人から影響を受けた、みたいなことじゃないから、いまのわたしなのかな。
あと、この仕事って、自己紹介をする機会がほんとうに多いじゃないですか。自分のことを人に説明しなくちゃいけない。これがとても難しい。
——確かにそうですね。
三浦 子どもながらに「自分って何なんだろう」ということを考えていました。自分って何なんだろうっていう問いは、いまの自分はどういう人間なんだろうということと同時に、自分はどういうふうな人間になりたいんだろうって考えることにもつながる。自己紹介をするときって、ちょっと理想の自分になるところもあると思うんです。自分の見せたくないところは自分で紹介しないと思うし。
——何が好きです、というのも、何とでも言えますね。
三浦 嘘をつくこともできて。でも、ああ、いま、嘘をついちゃったな、とすごく恥ずかしく思う自分もいたり。自己紹介をするって不思議な時間なんです。
——演技ではないんだろうけれど、何だろう。
三浦 演技でもあるけれど演技でもないというか。演技にすることもしないことも自分で選べるような。でも選べるようで選べない。選んじゃうともう嘘、みたいな。それもさっきの、決めごとをすると自由になれるというのとつながるんですけれど。お芝居をするときって「こういう役をやってください」ってルールがいくつかあるからこそ自由にやれて、実は自分の素が勝手に出てくるところがあると思う。逆に「あなたのままでいいので好きにやってください」って言われると、じゃあどんな自分をこの人の前でやればいいんだろうって、たくさん考えて、いつもより不自然になってしまう。
——考えてみるとほんとうにいろいろな年齢のいろいろな人と出会う仕事ですね。
三浦 だから、自分のことを自分の言葉で話せるようにならなきゃなって思ってきました。自分の思ったことを言えたと思っても、それが相手に伝わらなきゃ意味がないし。相手が理解しやすい、でも自分の言葉だって思える、そういう話し方をずっと考えてきたかもしれないです。子どもの頃、よく鏡の前で自分のことを自分に向かって話したりしてたな。
運転するならマニュアル派
——映画『ドライブ・マイ・カー』のために免許を取ったと聞きましたが、よく運転できるようになりましたね。自分が免許を取ったときのことを考えると、初めは驚くほど下手で、半年ぐらいは怖くて怖くて。
三浦 最初はものすごく不安だったけれど、たくさん練習しました。ただ、公道を走るときに必要な能力と、撮影で運転を上手に見せるっていうことは少しちがっていて。たとえば駐車するときに決められた場所にすんなり入れるとか、撮影に必要なこととして同じ速度でずっと走るとか、車線の真ん中を走るとか。今回は運転の上手な人を描くうえでそういうテクニックが必要とされたので、練習も競技みたいでした。街で運転するのはいまでも怖いです。
——その後、運転はしているんですか?
三浦 車を持っていないのでなかなか機会がないですけれど、乗りたいなとは思います。もともと車っていう物自体がすごく好きで。機械として好きだったんです。ガソリンスタンドでバイトしていたこともあります。
——好きな車は?
三浦 この車が好きというより、車って時代によって変化するし、それはその時代に人が乗りたいって思うデザインに変わっていくわけじゃないですか。そういうことが反映されているのがすごく面白い。あと、運転の仕方にも、車の中をどう作るかということにも、人が出る。そういうことを含めて好きですね。右にハンドルを切れば右に曲がるし、止まれっていえば止まって、ちょっと体が拡張されたような感じもするし。
——車、買った方がいいんじゃないですか?
三浦 いまはまだちょっと買えないな。でもいつか、買いたいですね。
——行動範囲のイメージが膨らみますよ。ああ、自分であそこに行けるんだな、ってなる。夜でも行ける。
三浦 ああ、すてき。スポーツカーに乗っているんですよね? マニュアル?
——マニュアルです!
三浦 わたしも免許はマニュアルで取ったんです。
——『ドライブ・マイ・カー』のサーブはマニュアルですか?
三浦 実際に撮影で使った車はオートマチックでした。どちらになるかわからないからということで、マニュアルで免許をとったんですけれど、すっごく楽しかった!
——でしょ!
三浦 自分で車を動かしてることを感じられて。逆にオートマは難しかったです。
できる、できないは自分で決めなくていい
——三浦さんは歌手でもいらっしゃるけれど、どうしたんですか、その声は。気づいたらいつのまにかそんなすばらしい声だったんですか?
三浦 たぶんずっとこの声のはずです(笑)。母に言わせれば、わたしが歌がうまいと思ったことはあまりなかったみたいです。人がこんなにわたしの声に反応してくれるなんて意外でした。
——地声もとっても魅力的ですが、高音がどこまでも出るように聞こえます。あれは自然に? それともトレーニングしているんですか?
三浦 音域に関してはトレーニングしています。声ということで言うと……なぜだったかはあまり覚えていないんですけど、中学生くらいのときに自分の声にすごく興味を持っていた時期があって、ずっと録音していたんです。
——一人でしゃべったりして?
三浦 しゃべったり、歌ったり。何が目的だったのかはわからないんですけれど、ずっと繰り返していたんです。それを繰り返していて、あるとき、あ、これがわたしだって思える声が見つかった瞬間があって。そこからちょっとだけまわりの人から、あ、歌上手だね、って言ってもらえる機会が増えたような気がしています。多分それまでは、歌うときに自分の理想みたいなものが乗っかっていたんだと思うんです。自分の声だと思っていたものは実は本当の自分ではなかったのかもしれません。この声になったっていうより、いっぱいくっついていたものが取れた……
それ以来、カラオケに行っても、自分の好きなアーティストや好きな曲は一旦置いておいて、あ、なんか自分の声で歌えるっていう曲をセレクトするようにしたんです。歌の表現みたいなものがつきすぎていない、まっすぐ歌っているような方たちの曲をとにかく歌って、自分の声で歌える、自分で歌えるっていう、何かこう、まず最初の状態ができた。その上で最近は音楽の活動も本格的にするようになって、どういう音楽が好きなのか考えたり、声も無垢な、何も施してないようなところから、ちょっとだけちゃんと自分で選んで何かを施すことにもチャレンジしたいなって思っています。
——プレイリストを拝見すると、聞いている音楽も幅が広いですね。
三浦 それも、どういう過程でいまの自分が形成されていったかっていう話に近いんですけれど、たくさん人に会ってきたから、そのときどきでその人のおすすめを聞いていったら、幅広くなっていったという感じです。最初に触れた音楽ということで言うと、子どもの頃ダンスをやっていたので、ダンススクールの先輩のお兄ちゃんが教えてくれたり、レッスンで使っているようなヒップホップを聞いていました。
——ミュージカル(『手紙』)を拝見したんですけれど、言葉が聞こえやすいように意識しながら一所懸命声を出しているように見える役者さんがいる中で、三浦さんは何だかなんでもなさそうに歌っているなあ、と思いました。がんばって声を出しているように見えなくて。
三浦 そういうふうに見ていただけたのはすごくうれしいんですけれど、めちゃめちゃ一所懸命出してました(笑)。共演させていただいた方々は、ミュージカルをたくさん経験されてきた先輩たちで、長期の公演ができる体が整っているし、筋肉がちゃんとついていて。わたしの場合は、短時間で終わるレコーディングとかしか経験がなかったので、体を整えるところから始めなくちゃいけなくて、必死でした。
——初めてのミュージカルはどうでした?
三浦 楽しかったです!
——またやりたい?
三浦 やりたいです!
——今後、どんなお芝居をやってみたいですか?
三浦 人がわたしに何をやらせたいと思うんだろう、というところがすごく面白いんです。自分で思っている自分じゃないものが人には見えていたりするから。死角ってあると思うんですよ、自分に対して。そういうものが発見できて、それでまた自分のことをより深く知るのが楽しいと思っています。
——これはできないよ、みたいなことはあるんですか?
三浦 うーん、できないっていうのが、どういう理由でできないかによりますね。初めてだからできないのであれば、回を重ねていったらできるようになるものなのか。技術的にはできるけれど気持ちが乗らないからできないのか。一回できないってなっても、そのできない理由を知るには回数が必要で、それがちゃんとわかったうえで、ああ、やらなくていいなって思うことだったら別にやらなくてもいいと思うんです。そんなにすぐ判断できないから、というかまだ25歳で、判断できるほどやれていないので、まずはやってみようという気持ちです。これまで、最初はなんでこのお話がわたしにきたんだろうとか、これはちょっとハードルが高いんじゃないだろうかって思ったものでも、ちゃんとできたかどうかは別として、いつもやってよかったと思うから。できる、できないは自分で決めなくていいかなって思う。
——次にやる作品が決まったら、まず何をするんですか?
三浦 たとえば『ドライブ・マイ・カー』の「運転が上手な女の子」とか、「こういう能力を持った人間です」というのがあれば、その能力を身につけないといけない。あとは知識として、その人が持っていて自分が持っていないものがあったら勉強しないといけない。そういう、体を近づける、技術であったり知識であったり役が持っているものを身につける、っていうシンプルな準備があって。それ以外はとにかく脚本を読みます。
——脚本がはっきり決まっていなかったり、余白の多い脚本の場合は?
三浦 脚本を読むというのは、それを書いた人がどういうものを撮りたいのかとか、どういうものが好きなのかとか、物語自体を理解するだけでなく、書いた人や撮りたいと思った人を理解する時間でもあるので…… 余白がとても多いとか、あまり決めごとが多くないっていうこともひとつの情報だなと思って、そういうふうに脚本を読みます。
——『ドライブ・マイ・カー』では独特の脚本の読み方をしたそうですね。
三浦 脚本を読むという時間を、監督と相手役の方と一緒にやったっていう感じです。
——『ドライブ・マイ・カー』がとても大きな評価を受けて、見えている景色は変わりましたか?
三浦 わたしから見えている景色はいまのところ変化がないです。
——ああいう大きな作品になるという予感はありましたか?
三浦 撮っているときは作ることに一所懸命で、何の予想もしていなかったです。海外で評価される作品になると思ったか、というような質問を受けるんですけれど、海外のオーディエンスに向けてとか考えて作っていたわけではきっとなくて、あの作品に関わっている人たちみんなが面白いと思って作ったものが、たぶんたまたま海外の人にも届く作品になったのかなって。
——さっきの数学の話とちょっとつながりますね。誰が見てもわかるように作る、というような……
三浦 ああ、ほんとうにそうなんですよね…… あの作品の全体を通して、コミュニケーションにおいて言葉というものがある種不完全だということ、言葉じゃなくても伝わるものもあるということがひとつのテーマでもある気がしていて。言葉というものと向き合って、向き合って、言葉で伝えることを諦めなかった人が、やっぱり言葉って不完全だよねって思うところまでちゃんと見つめることができるっていうか。数学も、誰にでも伝わる「言葉」を使って、シンプルなところをちゃんと追求した上で、だから見えてくる本質ってあると思う。映画の中では、多言語演劇をやったり、手話を使ったコミュニケーションをやったり、言葉がなくても伝わることがあるということを言っています。その映画がいろいろな言語を使う、世界のいろいろな人に届いたっていうのは、純粋に、とてもうれしいことだと思います。
——三浦さんが、いま所属しているマネージメント会社に初めて行ったときに、「30歳になって女優をしていたい」と言ったのが印象的だった、本人は忘れているかもしれないけれど、と社長さんから伺いました。
三浦 覚えてます。
——それは実現しそうですね。まだ5年ありますが。
三浦 ただ、その言葉は、30歳まで役者を続けるということではなくて、30歳になったときにちゃんと「いい役者」として、「いい」というのが何かはわかりませんが、ちゃんと立っていられるような人になるための10代を歩みたい、という意味で口にしました。同世代で、同じように早くに仕事をはじめた子たちはみんな、人気者になるのが早かった子もそうでなかった子も、みんなものすごく一所懸命がんばっているんです。でもがんばって、がんばって、がんばってやってきたのに、気づいたらあれ?なんだか道がない、みたいな現実も悲しいけど見てきました。だから何を頑張るかは大人に決めさせてはいけない、自分で決めなくちゃいけないなって…… 自分の人生は、あたりまえだけれど自分しか責任がとれないから、明日仕事があってうれしいとかだけじゃなくて、大人になったときに、仕事だけじゃなくて、広い意味でちゃんと自分がなりたい自分になれるための10代を生きたいという思いが当時からすごくあって。その考え方がいまの仕事にもつながっています。
——その頃から目指していた、なりたい自分の姿はいまも変わりませんか?
三浦 もちろん日々変化しているんですけれど、基本の根っこみたいなところは、なにか、中学生くらいからあまり変わっていない気がしています。環境は変化していくと思いますが、いま大事にしていることや、忘れたくないことを、これからもちゃんと忘れないでいて欲しいなって思います。歳を重ねるにつれて仕事も仕事以外のこともどんどん楽しくなっていて、これから歳をとっていくことがすごく楽しみです。
——いいですね、楽しんでいけそうです。
三浦 子どものときは「もう黙りなさい」って言われても黙れないくらいめちゃめちゃうるさい子どもで。でも10代後半から20歳くらいにかけて、大人しくなったというか、伝えることをあきらめてしまって言葉を使わなくなっていた時期もあったんです。それが年々、子ども返りじゃないですけれど、すごく明るくなってきているのを感じていて。だから、自分のことながら、これからの自分がほんとうに楽しみなんです。
——いいですね。30歳になったときにも、またお話を聞いてみたい。
三浦 なんでもかんでも思ったことを、一回頭を通さずに口に出しちゃうような子どもだったんです。悪意も何もないんですけれど。それでたくさん怒られました。怒られたこともいい経験で、こういう言葉を使うと自分が思っているようには伝わっていないんだとか、自分に悪意がなくてもこういうことを言うと傷つく人がいるって学んだ時間がすごく勉強になりました。だからちゃんと言葉を学ぼうと思ったし、そこを経て言葉を学んだから、もう一回また思ったことをすんなり言ってみよう、という方向に気持ちが向かっているんです。でもこのまま行ったらすごくめんどくさいおばあさんになりそうで、大変かもしれないな(笑)
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佐藤澄子|Sumiko Sato
1962年東京生まれ、名古屋在住。クリエーティブディレクター、コピーライター。出版社「2nd Lap」を立ち上げ、翻訳、出版に取り組んでいる。訳書にソナーリ・デラニヤガラ『波』(新潮社)ほか。
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