急ピッチでワクチン接種が進められているドイツ。首都ベルリンのワクチン大規模接種センターでは、コロナ禍の影響を受けて仕事が激減したカルチャーやエンターテイメント業界を中心に、人材を募集するというアイデアが大ヒット。いまや「パーティ・ワクチンセンター」との愛称まで付けられて親しまれている「アレーナ」で、仕掛け人である、ドイツ赤十字に話を聞いた。
TEXT BY Hideko Kawachi
PHOTO BY Gianni Plescia
コロナ禍で仕事がない文化業界を、接種センターへ
ベルリンの街を東西に横断するシュプレー川に面した「アレーナ」は、2万平米もの敷地を持つ複合文化施設だ。新型コロナウイルスの感染拡大が始まる前までは、クラブやコンサートホールとして、またシュプレー川に浮かぶプールを併設するクールなイベントロケーションとして賑わっていた場所である。
ここが、2020年のクリスマス以降から、ベルリン市内に6カ所あるワクチン大規模接種センターの1つになった。朝7時から22時までフル稼働すれば、1日に6,700人へのワクチン接種が可能な、市内最大規模のセンターである。実は、ここで働く約1,000名の受付や案内、誘導などのスタッフのうち8割が、普段はカルチャー・エンターテイメント業界で活躍している人たちなのだ。
しかし、どういう経緯で、彼らがワクチンセンターで働くことになったのだろうか?
「ここが大規模接種センターになることが決まり、スタッフの手配を依頼されてから、接種のスタートまでは3週間ほどしかありませんでした」
アレーナと旧テーゲル空港にある2つのワクチンセンターを率いる、社団法人「ドイツ赤十字ミューゲルシュプレー」の会長、イェンス・クアーデは当時を思い起こす。
ドイツ赤十字の通常の仕事は防災で、数多くのボランティアスタッフを抱えている。洪水や第二次世界大戦時の不発弾処理の際の民間人の保護など、非常事態下で短期のスタッフを集めることは得意だが、今回は事情が違った。
「当初はセンターは4月末で終了の予定だったのですが、その日まで長期で働けるスタッフを何百人も手配してほしいと急に言われて困ってしまって……。ちょうどその頃、第二波のロックダウンで文化施設が閉館、イベントも中止になって仕事がないと、文化芸術・エンターテイメント業界の人が窮状を訴えるニュースを見たんです。何千もの人がオーガナイズしたり、行列ができるクラブをスムーズに運営できるなら、センターのスタッフに適任じゃないか!と閃いたんです」
カルチャー・エンターテイメント業界とワクチンセンターのパーフェクトマッチ
「接種センターの仕事がうまくいけばいくほど、文化施設や大規模イベントの再開が早まる。これこそwin-winの関係です。特に私が声をかけたかったのは、イベントの中止や劇場の閉鎖が死活問題に直結する、個人フリーランスの人でした」
ベルリン州政府の文化・欧州担当官であるクラウス・レーデラーとたまたま知り合いだったクアーデは、すぐ連絡を取った。
生まれも育ちもベルリンというクアーデは、この街の魅力が、フリーランスのアーティストたちに支えられていることを、いつも実感していたと言う。
「小さな劇場やアートスペース、クラブといった、ニッチなカルチャーこそが、世界中の人たちを惹きつけるベルリンの魅力を作っている。まさにそこが、コロナ禍で危機に瀕していると思ったんです。私たちは人手が欲しい、彼らは仕事が欲しい。これだと思いました」
文化・欧州担当官から送られてきた、カルチャー関係の団体や音楽関係のアーティストのブッキングエージェントに連絡を取ると、あっという間に2,000人以上の応募者が集まった。
「最初は、なんでドイツ赤十字から連絡が?と不思議に思ったようですが、すぐ私のアイデアを理解し賛同してくれて、ニュースレターを作って募集をかけてくれました。このブッキングエージェントのマルクス・ニッシュはポール・ヴァン・ダイク(クラブ・ミュージック・シーンに大きな影響をもたらしたクリエーター/DJ)のレーベルの社長だった人物でもあり、8,000人級のコンサートをオーガナイズしていた手腕を買われて、いま、アレーナの接種センター長をやってるんですよ!」
ワクチン接種センター長を務めるニッシュは、Podcast「Regenbogen-Gespräche」で、業界の厳しい現状と政治の対応の悪さに苦言を呈しながらも、楽しそうにワクチンセンターの話をしていた。
「いまは毎日、ドイツ連邦軍と90歳、80歳を超える人たちと、イベント業界の人たちが一緒になって、ワクチン・アートのミニフェスを開催してますよ(笑)」
ワクチン接種が行き渡れば、本来の仕事に戻れるからちょうどいい
ベルリンの人口は約360万人。そのうち約200万人が就業者で、約33万人がカルチャー・クリエイティブな分野で働いていると言われる。この分野の売り上げは約380億ユーロで、ベルリン市経済全体の約16.6%を占める(2017年、creative-city-berlin調べ)。コロナ禍の影響をほとんど受けていないソフトウェアやゲーム業界に従事する人が最も多いが、演劇や音楽業界も少なくない。
特にクラブやライブハウスでは閉店措置が他の業種よりも早く始まり、場所によっては450日以上の閉店が続いている。アーティストは外国への渡航が難しくなってツアーがキャンセルされ、もう1年以上も仕事がないという人もいる。
ドイツ連邦やベルリン州から様々な支援が出てはいるが、カルチャー、エンターテイメント分野は仕事の内容も形態も多彩なために、面倒な手続きについて頑張って調べても、結局基準に当てはまらずに支援を受けることができないという人が、あまりに多かったのだ。
ワクチン接種センターは当初は4月末までの予定で、スタッフの労働時間は週40時間、給与は1カ月2,500〜2,800ユーロだった。ベルリン市の平均給与は製造業が約2,590ユーロ、会社員が3,980ユーロ(全て税込)。決して高くはないが、社会保険料などの負担もある。
「でも、何よりも嬉しかったのは、”ステイホーム”だけじゃなく、能動的にパンデミックと戦い、一歩一歩、劇場や文化の再開に近づいているという実感があったことです」
というのは、ワクチン接種センターで働くスタッフの一人、ユリア・ティーツェだ。普段は俳優の彼女だが、2020年はほとんど仕事がなかった。目標が見えない闇の中で、この仕事は光を与えてくれたと言う。
ティーツェは12月27日に応募し、仕事を始めたのは1月4日から。パソコンでの受付、接種の手伝い、付き添いなど、いくつかある仕事内容を学び、どの場所でも働けるように準備してスタートした。
「この世界を100年以上も見てきた方たちの話は、鳥肌ものでした! 最初の頃は、涙なしに終わる日がなかったくらいです」
接種センターのスタッフに重要なのは「共感力」
スタッフの選考基準となったのは、なによりも「共感力(エンパシー)」だったと、クアーデは言う。
接種はまず、高齢者からスタートする。ロックダウンで外出を控え、1年近く他人にほとんど会わない生活を送っている人にとっては、大勢の他人に会うことや知らない場所に来るだけでも不安になる。ワクチン接種に広く理解を得るためにも、スタッフには、その気持ちを理解する共感力の高さや、コミュニケーション能力こそが必要だと考えたそうだ。
スタッフの一人、アレックス・ナイリはストリートフェスティバルや誕生会などで、子ども向けのバルーンアートやマジックを行うアーティストだ。初対面の人の心をつかみ、打ち解けてもらうのは、彼の仕事の一部でもある。「ここでの仕事は多くの人をコロナから守ることでもありますが、私自身を助けてもくれる。早くまた、不安を持たずに大勢の子どもたちの前でマジックを見せたいですね!」
いまでこそ大成功!と喜んでいるクアーデだが、実はスタートまでは眠れない夜を過ごしていた。
「私は歳も歳だし、クラブに行くタイプでもありません。新聞やテレビで見聞きする、クラブやエンターテイメント業界のイメージは決していいものではなかったですし……。コンサートなど大きなイベントにはドイツ赤十字が救急隊員として入ることもありますが、交流があるとしたら、有事の時だけですからね」
いま思えば、自分も、会ったことのないタイプの人に偏見を持っていたとクアーデは言う。
ちゃんと時間を守れるのか、話を聞いてもらえるのか、秩序だった仕事ができるのか……考え出したら、大失敗する気がして眠れなくなってしまったのだという。ほかのワクチン接種センターは、人材派遣会社に依頼したり、アルバイト収入が減って困窮している大学生を中心にリクルートしたところもあったそうだ。
初日には、金色のレギンスやレースのペティコートスカートを着てきたスタッフに驚いたクアーデだが「すぐ慣れた」と笑う。
「キットカット(有名なフェティッシュクラブ)のドアマンは独特のオーラがあって……ここでも入り口を担当してもらっているんですが、手招きの仕方がクラブの時と一緒!って皆に言われていますが、好評なようですよ」
ベルリンのナイトシーンを率いるDJやドアマンと、100歳を超える高齢者。同じ街に暮らしているにもかかわらず、これまで全く接点もなく、互いの存在すら知らなかった人たちが、ワクチン接種センターで一堂に会した。
世界中を飛び回っていたようなスターDJが、車椅子を押しながら「DJという仕事とは何か」を説明し、東西の分断、統一というベルリンの街の変遷を知る時代の目撃者が、若者に街の歴史を語る。
誰もが、ベルリンの街を形作るメンバーなのだ。
人を助けるという目標のもと、様々な垣根が取り払われた
「アレーナがあるこの場所は、以前ベルリンの壁があった国境の近くにあるので、1961年にベルリンの壁が作られた時の話をしてくれた人もいました」というのは、インゴ・オルトマン。コロナ禍の前には、カルチャー関係のツアーをオーガナイズしていた彼は、旧東ドイツ出身だ。
「一番収穫だったのは、様々な偏見や垣根が取り払われたこと」
クラブでバーテンダーをしていたこともあるオルトマンは、ベルリンのテクノシーンを代表するような人たちが顔を揃えるセンターに最初は驚いたという。
「ここに来たおじいさん、おばあさんはテクノが何かも知らないかもしれません。でもそんなこと関係ない。どんな職業も大切だし、年齢や職業、出身地など関係なく、話してみたら面白い、それでいいんだって」
彼はこの仕事を通じてドイツ赤十字で救急隊員になるための講習を受けた。「素晴らしい仕事だと思うけど、でも私のハートがときめくのはやっぱりカルチャーの旅なんです」
最初は連邦軍が支援に来ていたが、当初は軍人とカルチャー業界の人はソリが合わないのではないかということも心配されていた。しかし、力を合わせて一つの目標に向かっていくうちに打ち解けていき、最後はスタッフ皆で入り口に並んで、軍隊に手を振って見送ったそうだ。
ワクチン接種センターを訪れた人たちからは、日々感謝の手紙が届いたという。
「手紙は洗濯袋いっぱいになりました。メールをするような世代じゃないからね(笑)。ファンがたくさんいる歌手やDJだって、普段は手紙をもらうことなんてないので、本当に感激していましたよ。2回目の接種が終わるのが残念だと泣いていた人もいたし、プレゼントを持ってきてくれた人もたくさんいました。〈ワクチンセンターでの1日〉って詩を朗読してくれた人もいたなあ……」とクアーデさんは嬉しそうに振り返る。
この接種センターやスタッフの評価が高い理由は、ノリの良さや人当たりの良さだけではない。普段から大勢の人が集まる状況で働き組織力も高い人たちだけあって、淡々と与えられた仕事をこなすだけでなく、積極的にアイデアを出し、最適化、効率化する努力も欠かさないのだ。例えば1本のワクチン接種にかかる時間をストップウォッチで測って、問題点を検証し、テーブルを一つ増やすことで、一回の接種にかかる時間を20秒も短縮することができたのだという。
スタッフ同士も仲が良く、7月までワクチン接種センターが延長されることに決まった時、辞めた人はたった3名だった。
しかし今後は、接種対象の年齢が下がっていくことで別の課題がありそうだ。働き盛りの30〜50代は時間がないとスタッフに苛つき、いくつものワクチン接種センターに登録しキャンセルもせず来ない人も少なくないと言う。仕事柄クレーム対応に慣れているスタッフも、自分勝手な行為には、決して心穏やかではいられない。
しかしスタッフの目標は一つ。パンデミックを克服し、ベルリンのカルチャーシーンを再開することだ。
6月に入って、ベルリンではついに劇場の再開が決まった。2月に行われていたベルリンフィルなどのコンサートホールや劇場を使ってのパイロットプロジェクトにより、マスク着用、換気やソーシャルディスタンスといった様々な衛生措置のコンセプトや、実現に向けて準備が進んでいた。最大100名から、徐々に500名までの屋内イベントを許可していく予定だという。
ワクチン接種センターに別れを告げるのは寂しいが嬉しくもあると、スタッフは口を揃える。
街を襲ったパンデミックは、社会的な繋がりに大きな影響を及ぼした。しかしまた不思議な縁が、人と人をつないでいく。唯一無二の体験を胸に、元の舞台へ、次のステップへと進む。最後の日には、スタッフ全員でレイブの企画が持ち上がっているという。豪華メンバーが勢揃いし、盛り上がりそうだ。
河内秀子|Hideko Kawachi
フリーランスライター。2000年からドイツ、ベルリン在住。ベルリン芸術大学在学中からライター活動を始める。雑誌「Pen」など。WEBマガジン「Wezzy」で連載中。Twitter @berlinbau
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