CITY OF AMORPHOUS

正月に観た、謎の国の、謎の儀式——連載:菊地成孔「次の東京オリンピックが来てしまう前に」33

いよいよ2020年を迎えた東京。時代の変化の後景にある「都市の記憶」を、音楽家 / 文筆家の菊地成孔が極私的な視点で紐解く好評連載シリーズ第33回!

TEXT BY NARUYOSHI KIKUCHI
ILLUSTRATION BY YUTARO OGAWA

いよいよ令和2年。2020オリムピックイヤー。読者の皆様には新年の寿ぎを7時間も8時間も吟じたいほどであるが、おそらく本稿が掲載される時、最も近いアニヴェルセールは、節分も超え、むしろ聖ヴァレンタインズ・デイであろう。日本式であろうがアメリカンスタイルであろうが、歳時記には忠実であるべきエッセイストと云う仕事に就いている限り、ただただ恥じ入るばかりである。どの面を下げて、2月中旬に「明けましておめでとうございます」等と言うのだ。

理由は何も聞かず、春節(一応念のため。中華人民共和国の旧正月)の挨拶とでもさせて頂きたい。春節にも遥かに遅れているが。しかし、日本人の感受性平均からすると度を超しているとしか思えない春節の派手さと目出度さを筆者は掛け値無しで愛している。単に筆者は爆竹が好きだ。爆竹だけではない、BUCK-TICKもかなり好きである。BUCK-TICKをGUSTUNKやX JAPAN等々と一緒にされては困る。BUCK-TICKには突出した異形のオリジナリティとクオリティがある(GUSTUNKやX JAPANにオリジナリティとクオリティが無いと言っているのでは無い。念の為)。明けましておめでとうございます。当連載も、あと5回を残すのみとなった。

元日に起きた奇妙な話をさせて頂きたい。繰り返しは稚拙と承知の上で書くが、とても奇妙な経験である。筆者は元日に、千葉県銚子市の実家に帰っていた。

これは恒例の帰郷では無い。元日に実家に帰ったのは、筆者の記憶が確かなら1985年以降、2度目である。既に両親は亡く、義姉が定期的に清掃や家賃の徴収(実家は今でいうテナントビルなのだが、6つあるテナントのうち、5つはもう20年以上借り主がなく、昭和の終わりから、ただ1つだけ営業し続けているバーの、既に老婆に近い店主から、直接家賃を徴収する形になっている。言うまでもないが、筆者も愚兄もそう云うことが出来る人物では無い)の為に訪れなかったら、とっくに廃墟になっていただろう。

40年弱も帰らなかった実家に、今年に限って帰った理由については詳述しない。と言うか、出来ない。特に理由がないからである。令和の開始も、この連載に冠された2度目の東京オリンピックも、他のあらゆる社会的な胎動の予感も一切関係ない。齢56にして自分の人生を振り返ろうと云う衝動も無い。筆者は、衝動と天啓に依って生きてきたし、衝動と天啓に依って還暦を迎えるであろう。何れにせよ筆者は、大晦日の19時から新宿のジャズクラブに出演し、演奏が終わってから実家に向かい、26時ほどに実家に着いて、凄まじい疲労と、奇妙な安堵と、拭い去る事のできない自己嫌悪感がミックスされた気分の中、電子タバコを一服し、恐ろしいほどの暗闇と静寂の中、先ずは旅館のように分厚い座布団に座り、自分の首を揉みほぐすことにした。

玄関先には、亡父が太平洋戦争に参加し、国家のために軍事を立派に務めたと言う賞状が額装され、誇らしく飾られている。亡父の満州国に於ける武勲を認定した総理大臣は中曽根康弘である。俳人でもあり、内閣総理大臣史上、大隈重信に次ぐ長身である中曽根の、墨痕鮮やかな署名は威厳に満ち、大変な達筆である。昔日はカラオケ・バーだったが、そこが潰れた後、今は物置になっているテナント物件には、筆者が生まれて初めて買った自転車が、飴細工のように捻られるがまま、40年以上破棄されている。車体には仮面ライダーの写真がプリントされており、亡母による拙筆で「3ねん2くみ きくちなるよし」と記されている。

年越し蕎麦も節も無い元日は、むしろ清々しかった。窓を開けると空気は清涼で、屋上に出るとさらに清涼だった。狭い屋上を周回しながら、新宿のコンビニエンスストアで買った菓子パンと鳥の唐揚げを同時に頬張るのは楽しかった。それを「どうして現代日本が、こんな水準のものを汎用とするのか」と思うほど不味い、ペットボトル入りの日本茶(伊藤園の名誉のために「お~いお茶」では無い事だけは記しておく。筆者はペットボトル入りの烏龍茶は伊藤園の製品を最上と断言するに吝かではない。伊藤園への不当な評価の低さは、令和の世が正すであろう)で流し込むと満天の片隅に銀河鉄道が走り出した。

だめだだめだ。こんな在り来たりなものを見つめていたら正月から詩人か画家にでもなってしまうだろう。テレビを見ないといけない。元日こそ、和装の芸能人が右往左往する品性下劣極まりないテレビバラエティを見て、心を落ち着けないと。

しかし、あろうことか、本州最東端に位置し、「日本で最初に朝日が見える街」と云う観光スローガンが伊達ではない上に、全く何の役にも立っていない、つまりは永遠に観光地化の夢を叶えられない千葉県の銚子市と云う異界に、朝日が昇り始めた。

初日の出だ。それは荘厳で、ワグナーの交響詩が耳をつんざく爆音で鳴らされているかのようだった。だめだだめだ。こんな在り来たりなものを見つめていたら、チンケな宇宙観と共に、クラシック音楽のにわかマニアにでもなってしまう。なんと悲惨な。居間に戻ろう。居間に戻って、和装が似合わぬ(特に女性)芸能人が右往左往する品性下劣極まりないテレビバラエティを見て、心を落ち着け、平常心を保たないと。筆者は、今日が1月1日だと信じていたが、本当にそうなのか、急激に自信を失っていた。

漆喰でも塗ってあるかのような昭和のテレビリモコンを握って、昭和のカラーテレビを点けると、両親が心から愛していた、NHKの第一が映し出された。そしてそこには、仕事柄、世界中の宗教音楽や宗教儀式を研究している筆者でさえ、全く見知らぬ国の、非常に奇妙な、見知らぬ式典の生中継が映し出された。

端的に筆者は、儀式が全て好きだ。爆竹が好きな理由も、香炉が好きな理由も、民族音楽が好きな理由も、鏡が好きな理由も、左手にヒンドゥー教の神鳥、ガルーダの刺青を入れているのも、全て同根である。一瞬で筆者は、その中継にのめり込み、自分の教養ストックを駆使し、猛烈な速度と精度で分析をしながら、同時に、儀式の中に完全に入り込んでいた。

それは詠唱のようなものと舞踏を伴う仮面劇で、何語なのか、どんな内容なのかも全く理解できなかった。既知を貪ろうとしていた身体に、未知の儀式性は、向精神薬のように効き、治癒効果と高揚効果の融合は、神事としか言いようのないトランス状態を生み出した。

インドネシア全域にある、ガムラン演奏付きの神話劇、例えば有名な「ラーマ・ヤナ」などは、人間は全て素面で、人間以外の生物(鳥、猿、鹿)は仮面をつけている。因みに善玉は全て女性、悪玉は全て男性であるが、仮面の脱着はない。

しかし、その舞踏は、筆者が見る限り、全員が男性の、しかも高齢者であり、仮面は舞踏と詠唱を担当する者だけが被り、驚くべきことには、その仮面を、劇中で何度も取り替えるのである。

音量が小さかったので聞き取りづらかったが、楽団の名前は「コンパ・ルリュ」、演目は「オキーナ」と「エンメ・カジャ」。西アフリカ全域の言語に近いと言えなくもない。

楽団の編成は、敢えてアフリカのそれに例えるならば、バタドラム3本とトーキングドラム1本、フルート1本とコーラスが付く。小劇場程度の正方形の舞台に、仮面ダンサーでありソロシンガーである演者が3名、楽団全員と同じ方向を向いてセットされており、舞台に仕切りはない。

おそらく長老であろう、舞台向かって左端に座っているバタドラム奏者がリードするアンサンブルの演奏は奇跡的で、筆者には、どう云う構造の律動か、一聴するだにバラバラにほぐれて中心が見えない、しかし、実のところ一糸乱れぬアンサンブルを律しているのが、長老の叩き出すバタドラムの打点であることは、音ではなくむしろ映像からわかった。彼らは全く目を合わせず、全員が真正面を向いたまま、長老の打点に導かれて、非常にフラクタル度の高い、揺らぎまくりながらも精度の高いリズムパターンを、変幻自在に演奏する。全員が男性の老人、という事実と併せ、筆者はブエノスアイレスのタンゲリア「バル・スール」で深夜3時から始まるアルゼンチンタンゴのバンドを想起せざるを得なかった。瞳孔が開いてゆくのを、触覚の領域ではっきりと感じていた。ここでの長老は魔法使いである。

コーラスの詠唱は、サンテリア(中南米に広く定着しているブードゥーで、鳥の生き血を浴びたりする、ハードコアトランスな儀式)のような腹式呼吸のリズミックな熱唱ではなく、バチカンに於ける悪魔払いのそれに似た、胸式呼吸もしくは循環呼吸によって、声帯にミュートをかけた発声の地唄で、ドローン(持続音)的に流れ続ける。歌舞伎における義太夫語りの語り始め、神道の声明、イスラム教のクラン等のミックスのようでもある。

シンガーであり、ダンサーであり、おそらくヒーラーでもある演者の衣装は、サプール(コンゴを中心に流行する、原色で現代的なスーツを着て街を練り歩く、奇妙で魅力的な遊び人たち)に似た原色でありながら、非常に落ち着いた光沢の布地で編まれており、画面から見て取れるテキスタイルの質感と色彩は、相撲の興行に近い。相撲と違うのは、白装束の者も混じっているところである。

演奏に合わせて、一人一人がソロダンサーとして中央に出てくる。その動きは、恐ろしいほどに緩慢で、まるで、微動だにしていないかのようだ。しかし、踵からつま先を使って、全体重をゆっくりとリフトアップさせ、同じ速度で元に戻す。と云った、試しにやってみればわかる、と云うより、試しにやってみたら、全くできないことがわかる、大変な筋力を必要とする動作に満ち満ちている。時間が停止する寸前の状態にあるバレエのようである。

カソリックやゾロアスター、山岳宗教などにみられる、香炉(それは多く、僧侶たちによって、振り回され、空間に香が充満する)はなく、少なくとも演者たちは、とするが、演奏と詠唱と舞踏によってのみ完全にトランスする。しかし、一般的なトランスとは異なり、完全に正気に戻っている時間が縞状に挿入される。仮面の付け替え、ダンサーの入退場時、そして、儀式が終了し、ダンサーが歌舞伎の花道に似た、舞台に横付けされた通路を去る際に、楽団がダンサーの退場や閉幕(舞台に幕はないが)を待たず、楽器のパッキングを始めてしまう事などによって。

筆者は久しぶりに、心から本当に、掛け値無しに没入した。何だろう。この、経験したことのない感覚。時間は刻々と過ぎた。円環時間や発生時間ではない。完全な直進時間だが、問題はその速度、その質である。速度には質がある。この儀式における速度の質は、筆者が全く未経験のものであった。

凄まじい、といって過分でない浄化が筆者に訪れた。スマホは所有しておらず、ノートブックを持たずに帰郷した筆者は、憶測からこの儀式について検索することができなかった。しかし、検索はしなかったであろう。この圧倒的な未視感、未経験感を、検索などで確認する必要はない。筆者は番組の終了時に出るタイトルとコンテンツだけを見届けようと目を凝らした。そしてそこには

<新春能狂言 金春流『翁 十二月往来 父尉 延命冠者』>

とあり、長老の紹介には<大鼓(おおつづみ) 人間国宝 柿原崇志>とあった。魂が抜けるとは、こう云う時の状態を指すのであろう。筆者が辛うじて現実感を取り戻したのは、臨時ニュースのテロップで、合衆国がイランに空爆を仕掛けた。と云う文字列を網膜が識別した瞬間である。

*追記
例外的に追記を設ける。事の評価は多義的であるので、様々な解釈が飛び交っていると推測されるが、あくまで筆者は、以前この連載に書いた通り、トランプを非戦の徒だと現在も考えており(現に全面的な武力衝突という意味での戦争は起こっていないし、筆者の予測では両国ともに現状の国力では起こしえない。そもそも「戦勝」という事態がメタレベルに移行してしまっており、米軍がイラン経由でイラクとの関係をこじらせ、もう一度バクダードを制圧したとしても「勝った」とは誰も思わないし、ICBMを持たず、自国領が戦場化せざるを得ないイラン側も、どれだけ侵攻してくる米軍兵士を、時間をかけて大量虐殺し、多くの帰還兵をPTSDで潰し、自国の何かを守っても「勝った」事にはならない。20世紀のそれと比較して、「戦勝」のメタ化、液状化により、戦争リスクは何万倍か、既に整数倍で計測できなくなっている現在、トランプの「むしろ戦争を止めるために空爆した」という、平均的ホワイトハウスメンだとしたら馬鹿のようなセリフを筆者は1秒の逡巡なく完全に信ずるものである)、中東に空爆を仕掛ける、しかも、「任期最後の年の、弾劾の調査を前に実行した」という意味で、あの忌々しいビル・クリントンと、あくまで形式的には同じことをした事になるのにも関わらず、古典的な意味での「戦争」を起こすよりも結局金のやりとりで全てを抑え込もうとする、つまり、カチコミやガンタレや、端的に交戦的な空爆でない空爆を成立させ、二重に非戦であることを示した実業家大統領トランプへの支持を更に強固にした事、並びに、軍人殺害目的の空爆、そして、中東の人々の宗教的なクリシェである「米国は我々の報復によって血塗られるだろう」といったスローガンの威圧を以ってして、すわ戦争だ、とうとうトランプはやっちまった、やっぱりな。やっぱり世界は。と騒ぐ、イマジネーションが去勢され、怯えきった民が未だに存在するという痛ましい事実に対し、日々憐憫の涙に暮れている事をここに表明する。蕩尽理論を筆者は支持する、つまりこの世から戦争は無くならない。しかし、少なくとも20世紀型の、少なくとも中東戦争のトレーシングは行われない。トランプが就任している限り。そしてもし次に戦争が起きたら、人はそれを戦争と看做すまでの時間を要するであろう。あけましておめでとうございます(憐憫の涙を拳で拭いながら)。

*追記2

本稿は、新型コロナウイルス騒動が始まる前に執筆され、掲載された翌日にドナルド・トランプの弾劾裁判が行われた。トランプは、ほぼほぼ無罪が確定するであろう裁判の最終弁論中、つまり審理の最中にツイッターをしていた。筆者の中学生並みの英語力で意訳すれば、「こんなもんでっち上げだ。民主党は左翼だ。左翼っていうのはデマを流しても流しても絶対満足しない奴らだ」

profile

菊地成孔|Naruyoshi Kikuchi
音楽家/文筆家/音楽講師。ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。「一個人にその全仕事をフォローするのは不可能」と言われるほどの驚異的な多作家でありながら、総ての仕事に一貫する高い実験性と大衆性、独特のエロティシズムと異形のインテリジェンスによって性別、年齢、国籍を越えた高い支持を集めつづけている、現代の東京を代表するディレッタント。