TOYOTA、ANA、サントリー、earth music & ecologyなど、アートディレクターの副田高行さんが1980年から40年間にわたって制作に携わった新聞広告約100点を展示する「時代の空気。副田高行がつくった新聞広告100選。」が現在、富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館(群馬県)で開催中(〜1/26)。そこでコピーライターとして活躍する国井美果さんに、コピーライターの目線から、副田さんならではの広告デザインが生まれる秘密を探ってもらいました。
Interview by Mika Kunii
Portrait by Akiko Arai
Book-photo by Koutarou Washizaki
まず、副田さんが手がけた広告を見てみよう!
コピーの数だけデザインは生まれる
国井 副田さんといえば、「コピーライターがコピーをレイアウトしてもらいたいアートディレクターNo1」だと言われていますよね? ご本人としてはその理由はどこにあると感じていらっしゃいますか?
副田 TCC(東京コピーライターズクラブ)がそういうアンケートをとったことがあってね、もう何十年も前のことだけれども断トツだったのよ(笑)、理由は知らないけど。そもそもぼくには自分の代名詞となる表現のスタイルがない。サン・アドの葛西薫さんやライトパブリシティの細谷巌さん、浅葉克己さんであればすぐにそれぞれのトーンが思い浮かぶでしょ? ぼくにはそれがまったくないんです。
それで思い出すのが、2018年に横浜の新聞博物館で「時代の空気。副田高行がつくった新聞広告100選。」を開催したときのこと。ぼくの〈広告の神様〉である秋山晶さん(現・ライトパブリシティ代表取締役CEO)から初めて手紙をいただいたんです。自分のラジオ番組の中で展覧会を紹介させてもらった、と。続けて、展示された100点の新聞広告のデザインがすべてまったく違うデザインだったことに驚かされたって書いてあったんです。たぶん秋山さんのこの言葉が、国井さんの問いに対する答えなんだと思います。
古い話になるけど、この3つの作品はぼくがまだ小さな広告代理店にいた1976年、26歳のときに朝日広告賞の「一般公募の部」に応募してグランプリをもらった作品です。
国井 シンプルで強いデザインですね。
副田 当時のぼくは秋山さんや細谷さんのいるライトパブリシティのデザインに憧れて、ライトに入りたくて入りたくて仕方なかったの。都立工芸高校のデザイン科を卒業してくすぶっていた自分の目を広告デザインの世界に向けてくれたのも、20歳のときにたまたま新聞で見た秋山・細谷コンビの名作「男は黙ってサッポロビール」の広告でしたからね。もしかしたらぼくが国井さんの上司だったかもしれないけれど(笑)。
国井 ライトパブリシティは日本で初めて設立された広告制作会社で。50~60年代のDDB(アメリカの広告代理店)のノン・グラフィックという、原点ともいえる広告手法をいち早く取り入れた極めて洗練されたデザインが特徴的で、秋山さんと細谷さんのキユーピーマヨネーズの広告シリーズは50年も続いています。って脚注、入ります(笑)
副田 でも朝日広告賞の作品を見て声をかけてくれたのは、ライトパブリシティではなくて、そのライバル会社の「サン・アド」にいたコピーライターで、すでにスターだった仲畑貴志さん。その後、サン・アドに空きが出て1980年に中途入社して初めてつくった広告がこれなんです。
国井 さっきのデザインとずいぶん違いますね。
副田 小さな広告代理店から、開高健さんや山口瞳さんの作ったサン・アドに移った直後のこと。クリエイティブディレクターの仲畑さんに大抜擢してもらって、いよいよ憧れのサントリーの新聞全面広告(15段)を手がけられるというんで張り切ってコピーライターの山之内慎一さんと案を出すんだけど、ことごとく仲畑さんから「つまらない」って突き返されるわけ。何度やってもダメなの。そのやりとりの中で、要するにライトパブリシティの真似をしていてもダメなんじゃないの?的なことを指摘されるんだけど、そのひと言がきっかけになって、ライトと真逆のことをやってみたんです。素敵なイメージ写真を外して、美しい写植文字を活字文字に変えて、フォントは格調の出る明朝ではなくゴシック、しかも縦組みにしちゃう。印刷もわざとかすれさせて、よく見ると白地に無数のゴミまで散らばってる(笑)
国井 ゴミですか!?
副田 そう、ゴミ(笑)。ゴミが斑点状に散らばるよう指定したの。
国井 でもその結果、グッとリアリティが出てきた。
副田 それまで自分が憧れていたアメリカナイズされたきれいなデザインから、セールストークそのままのコピーが活きるよう、大正時代のチラシとか号外みたいなものを目指してみたら仲畑さんからOKがもらえて、あにはからんや、ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞までいただけた。以来40年間、コピーライターから受け取ったコピーを自分の好きなデザインに収めるのではなくて、ひとつひとつコピーが引き立つようデザインを考え続けてきただけなの。だからこそ、自分が手がけた広告をまとめた展覧会を〈神様〉が見てくれて、「デザインがすべてちがっていて驚いた」と言ってもらえた喜びはひとしお。秋山さんにそう言ってもらえただけで展覧会をやってよかったと思いましたね。
国井 つまり、そのコピーにとっていちばんふさわしい在り方は何か、この広告はなぜ存在するのかを副田さんはいつもゼロから考えていて、その結果デザインがすべてちがうものになる、ということですね。コピーライターとしては、書いたコピーが意図したもの以上になって戻ってくる喜びもありますね。新聞広告って、コピーライターとアートディレクターのもっとも純粋なタッグのかたちなのでは。ポスターやTVもありますが究極は新聞だと思います。
副田 広告というのは合作だからね。コピーライターにとって良い仕事は、デザイナーにとっても良い仕事になるわけで。もし自分に何か言えるとしたら、なにしろ、みんなにとって良い仕事をすること。そうすると副田さんとやって良かったって言ってもらえるじゃない。それこそデザイナー冥利に尽きるよね。
国井 その結果「良いデザインだね」じゃなくて「良い広告だね」になるんですね。ちなみに副田さんがコピーを受け取ったときにいちばん考えることってどんなことですか?
副田 それはケースバイケース。半々くらいの確率で絵が先のこともあるし。でも、やっぱり力のないコピーだと苦労するね。
国井 そこそこのコピーでも、副田さんのデザインでいい広告にしてくれますか(笑)? そんなわけないですよネ。
副田 それはならないね(笑)。表面的にはいい感じにできても、芯がない言葉はどうにもならない。コミュニケーションである「広告」の基本はデザインじゃない、やっぱりまず言葉。「コピーは骨格、アートは肉体」って言い方があるけれど、両方が美しくなくちゃね。
そういえば、前田知巳くんは「副田さんの仕事は年齢不詳だ」って言ってくれるのよ。それはすごい褒め言葉じゃない? 50年も仕事してたらふつう枯れていくじゃない(笑)。名人芸で、あの人にやらせたらこうなるね、みたいなことがぼくにはないからね。
お話をうかがって 国井美果
わたしが副田さんのデザインを拝見して思うのが、いつかの仲畑貴志さんの言葉です。
「弾丸は、速く飛ぶために美しいフォームを持った」
もともとは、仲畑さんが秋山さんのコピーを評した言葉なのですが、すべては「伝えるために」、都度その目的に最適なデザインが新たに生まれ、結果、それぞれが違っている。その伝わる精度が素晴らしく高くてチャーミングなのですね。「年齢不詳のコツは?」と訊ねたとき、「新しい仕事が来たときには、いつも真っ白い状態から考えること。いろんな技術を持ちながらも、名人芸で取り組んでは広告がダメだと思う」と仰っていたところに、答えがあるのだと思いました。年齢不詳って無双。見習いたいです。
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