衰退した街や荒廃する無法地帯に、地元住民やアーティストなどと協働して、新しい価値を与え再生させる活動に取り組む女性がいます。10月から始まった「新虎ヴィレッジ」の全体企画を担い来日したエヴァ・デ・クラークさんにお話を伺いました。
TEXT BY Mari Matsubara
PHOTO BY Tomo Ishiwatari
——エヴァさんはこれまで、オランダ国内外で使われなくなった場所や都市再生のプロジェクトをいくつも企画してきました。きっかけは何だったのですか?
エヴァ 16歳の時に車の事故に遭い、リハビリに3年もかかってしまい、長い療養のせいで社会復帰があまりうまく行きませんでした。そこで、電気も水道もないスイスの山に6カ月間こもったのですが、その経験を通して人生観が変わりました。大変な日々を乗り越えたのだから、やりたいことは何だってできるはず、と勇気が出ました。
美術や演劇が好きで、最初はボランティアとしてアーティストをサポートし始めました。EU統合前の時代に、オランダ、デンマーク、ドイツ、ギリシャ、オーストリア、ハンガリーなど国境を越えて、車輌内をギャラリーにした列車を走らせるという国際的なモバイルアート・プロジェクトに関わりました。各国のアーティストたち総勢240名に声をかけてスーツケースを題材とした作品を作ってもらい、車輌の中で展示したのです。
この仕事を通して、私は人を集めて何かをオーガナイズすることが向いていると自覚しました。そしてアートが社会的にインパクトを持ち、貧富や格差などの社会的問題にコミットし得るということを実感したのです。
——アムステルダムでエヴァさんが代表を務めている〈NDSMアートシティ〉とは、どういう場所ですか?
エヴァ 80年代に倒産したNDSM造船所の広大な格納庫に、アーティストやスケートボーダー、劇団などが集まってそれぞれの活動拠点にし、またスケートパークやレストランを運営して市民も集う芸術村のような場所です。
街の中心部は、小規模ビジネスや文化活動をするには家賃が高すぎて近づけません。造船所のある川沿いの地帯は犯罪や売春が横行し誰も近づかない危険な場所でしたから、最初はそこにスクウォット(不法占拠)したり、倉庫を借りたりして始まったのです。その後合法的に使用権を獲得し、様々なイベントを行い、地元の市民や活動家の助けもあって認知を得て、街の再生で賞ももらいました。すると大手企業も投資価値を見込んで協賛するようになる。こうして衰退滅亡の危機にあった地区が見事に活気を取り戻し、安全で面白い街に蘇ったのです。
——こうした都市再生プロジェクトが成功する秘訣は何なのでしょうか?
エヴァ 昔からその場所に暮らし働いている人々や歴史的な建物を一掃するのではなく、一緒に活動に巻き込んでいくことが大切です。またデベロッパーと対抗するのではなく、彼らとも手を組んで、環境的にも経済的にもサスティナブルな街をイノベートすることが重要なのです。地元のコミュニティも、外部のアーティストも企業も、多様なものをミックスさせることで、思いがけない新しい風景や活況が生まれます。そして何より、市民一人一人が「自分の街をどうしたいか」という主体的な望みを持つことが大事ではないでしょうか。
——東京・虎ノ門の期間限定スポット「新虎ヴィレッジ」をプロデュースされました。どんな思いで取り組みましたか?
エヴァ ストリートアートとリユース素材を多用して4つのゾーンを設け、そこにさまざまなフードトラックや物販ショップが入れ替わり立ち替わりやってきて営業し、ワークショップやイベントも行われます。日々変化していく小さな街のようなイメージです。置かれたベンチやテーブル、植栽のコンテナなど、ほとんどの素材は使われなくなった道具や廃材を利用したものです。リサイクルというより、すでにあるものを活用する「アップサイクリング」ですね。
今、虎ノ門の周辺はすごい速度で開発が進んでいますが、しかし声を大にして言いたいのは「すでにあるものや人々の営みをどうか無視しないで」ということ。既存のものを大切にしながら一緒に街を開発していく。「新虎ヴィレッジ」は、自分が望む都市を作ることは可能であるということを示す、小さな実験場なのです。
※初出=プリント版 2019年11月1日号
エヴァ・デ・クラーク|Eva De Klerk1965年アムステルダム生まれ。放置された街を既存の建物を活かしつつソーシャルネットワークを使い再生させるプロジェクトを国内外で多数企画する。1999年から〈NDSM造船所文化プログラム〉を立ち上げ、現在は〈NDSM〉代表。2008年、横浜クリエイティブシティに参画、2010年から大阪・なむら埠頭再開発管理責任者。著書に『Make Your City / The City As a Shell』。
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