CITY OF AMORPHOUS

メリークリスマス。少し遅いけど——連載:菊地成孔「次の東京オリンピックが来てしまう前に」21

「2020年」に向けて、大なり小なり動きを見せ始めた東京。その変化の後景にある「都市の記憶」を、音楽家/文筆家の菊地成孔が、極私的な視点で紐解く連載シリーズ第21回!

TEXT BY NARUYOSHI KIKUCHI
ILLUSTRATION BY YUTARO OGAWA

第21回:メリークリスマス。少し遅いけど

今これを12月29日に書いている。メリー!クリスマス!(&メリークリスマス!メリークリスマス!ミスターローレンス。で、ニヤリ。本当になんなのあの映画のエンドシーン)ぶっちゃけどうすか?言われてみて。ご気分は。もう一度、メリークリスマス!!

僕がいるジャズ界、の中の、最もオーセンティックでクラシックな人々にとって、12月はクリスマスソングで稼ぐ月だ。文字数稼ぎにしか見えないからいちいち列記しないが、「ジャズのスタンダード・ナンバー」と言われているものの中で、クリスマスソングが占める割合は、僕が知る限り1番高いし、ハッシュタグ付けて「実際に当日演奏する」としたら、唯一無二ぐらいに高い。

ポップスのオリジナル・クリスマスソングとしてはポール・マッカートニーのアレが有名だが(アレがシングルのB面だった事も併せて有名だが)、アレとて、クラシックを始めとして、マッカートニーのポップ・モンスターとしての引き出しの中から、ジャズの遺伝子を抽出したような曲、、、というより、端的にあの曲は、マッカートニーがジャズの作曲家に見えるようなところがある。

クリスマスはキリスト教の本場であってもエンタメなのである。本来なら聖歌ですむ筈だ。儀式性を離れたポップソングとしてのハロウィン・ソングとかサンクスギビング・ソングとかイースター・ソングなんてない(と、思う)。日本なんて、お正月の歌、と盆踊りと、各種民謡を別にすれば、詰まるところどんどん再生産される、<ポップ>という意味では卒業式ソングしかない。

とまあ、話はこんなちょこざいな分析ではない。もっと下部構造に横たわる問題、それは「何故、クリスマスソングは、クリスマス当日までしか演奏され得ないのだろうか?」という事である。さらに厳密に言うと、「何故クリスマスソングは、一ヶ月近く前から演奏され、当日でピタッと止むのか?」という点だ。

街のクリスマスイルミネーションと一緒だ。もう最近は、バレンタインデーやハロウィンに押されてると言われながらも、11月あたりからクリスマスイルミナティークは始まる。そして、26日になったら、まるで賞味期限が切れたコンビニの商品のように、、、というか、まるで、12月26日にコンビニに並んでいる、クリスマスケーキみたいにみじめな物になるのか? 卒業ソングを12月に歌っても良さそうだし、正月の歌は、三が日過ぎてもサスティナブルに1月中旬ぐらいまで大丈夫そうだ(まあ、クラブで歌ったり演奏されたりしないけどさ・笑)。

「いやあ、それは神道や仏教と、キリスト教の違いでしょ。曖昧なんだよ日本のものは」というのは、単に立論として成り立っているだけで、全く実感がない薄っぺらな、ネットのつぶやき程度の発言だ。前述の通り、クリスマスは、キリスト教国に於いても、ガチ宗教行事の側面を遥かに超えて、かなりエンタメでポップなのであるし)然るに、異教の国、無教の国、複教の国々でも、消費行動と、ファンタジーとしての宗教行為として行われる。ユダヤ人コメディアン、アダム・サンドラーの、有名で強烈な、「ハヌカ・ソング」は、最もツイストしたクリスマスソングである。

僕は06年の年末から、07年の正月三が日をモロッコで過ごした。今は亡き『エスクァイア日本版』のジャーナリストとして、モロッコとポルトガルの音楽シーンのレポートに行く、というのがミッションだったが、キリスト教国ではない国のクリスマスと正月がどんなものかレポートしてくる。という側面もあった。

ベッドもトイレもバスタブも砂でできていて、夜市のチョコレートケーキには砂が入っている、デューン砂の惑星でも、もちろんクリスマスはあった。何せ僕がモロッコ入りした12月27日からモロッコを離れる1月2日まで、街にはサンタクロースが居て、砂まみれの携帯電話やその基盤、カセットテープ、洗濯機で羽を毟った鶏肉や、すぐそこで包丁で叩き切られた豚のスペアリブ、新聞や雑誌などを淡々と打っていた。もっとも砂まみれなのは、モワモワしたサンタ服それ自体で、1月2日には灰色がかった赤になっていた。まあ、せっかく高いのを買ったんで、勿体ない、という事だろう。

もちろん、クリスマスソングなんて街には流れていなかったし、カウントダウンの催しもなかった。カサブランカやタンジェと並ぶ大都市であるマラケシュの最高級ホテルにいたのだが、大晦日の11時ぐらいから、先ずは街が完全に眠ってしまい、ホテル内も、バー以外、11時以降は営業していなかった。これは、敢えて早いという意味ではなく、他の普通の日と一緒。という意味である。新年になった瞬間、ホテルのバーには僕の一行と、イタリア人のカップルの2組しかおらず、僕らは持ち込んだカップ麺を食べた。要するに、正月は完全になく、クリスマスもかなりいい加減。という事である。

と、こんなカビの生えた思い出も、今回のテーマではない。今回のテーマは前述の通りだ、何故、11月あたりから、12月23日までにクラブやライブハウスをブッキングしたミュージシャンは、ガッツポーズぐらいの勢いで、当日のセットリストにクリスマスソングを入れられる。ボーナスとして。

そして彼らは、結構洒落た事、粋な計らいをどうぞ。といった感じで、全く恥ずかしげもなく、優しいドヤ顏でこうMCするのだ。

「じゃあ、次の曲は、、、、えと、、、我々から皆さんに、クリスマスソングを(軽く感極まったような、静かなイエー、という拍手)プレゼントさせていただきます。(溜めを効かせてから)、、、、ちょっと早いですけど(微笑)」

なんだコラ?(笑)、こんな下衆ギリギリの野暮を、「まあ、やる方もやられる方も喜んでるんだからよかろう」なんつって、無理してリベラルぶる必要があるのだろうか。なぜ、他の物件では絶対しないのに、本件だけでは、「内心でガッツポーズ取ってるのに、さり気なく振舞ってみせる」なんて、あざとくセコい小粋を楽しむのだろうか?

さらに言えば、楽しみたいなら楽しめばいい。貧乏くさくともダサくとも、良いんじゃない? 互いに楽しくやってんのに、やっかみやら嚙みつきは反則ですよ。何事もリベラルに行かないとね。

しかしだ、それならば、僕は、26日以降しかブッキンングできなかったミュージシャンにも同じギフトを上げるべきだと思う。

「じゃあ、次の曲は、、、、えと、、、我々から皆さんに、クリスマスソングをプレゼントさせていただきます。(溜めを効かせてから)、、、、ちょっと遅いですが(微笑)」

というMCに、「軽く感極まったような、静かなイエー、という拍手」が与えられないのは不公平だ。というか、僕はもう何年も、この「ちょっと遅いですけど」が言いたくてしょうがない。これこそが混迷する現代社会における、本物の粋、というものだろう。えーと、半分冗談、半分本当である。「あなたの今年(「平成最後の」はギャグでもNG)のクリスマスは、如何でした?」とさり気なく聞ける(MCで具体的に言う、という意味ではない)希少なチャンスじゃないの? では皆さん、今日は年の瀬の忙しいところに、聴きに来てくれてありがとうございました。あなたの今年のクリスマスは如何でしたか? はい、では、マル、バツ、サンカクでいきましょうか?(笑) 挙手や拍手なんか求めませんよ。学校の教室じゃあるまいしね、、、、、咳ばらいでお答えください(笑)。ではマルの方(丁度良い、想像と全く同じ量の、ゴホ、ゴホ、ウーン、ゴホンというサウンド)、バツの方(ちょっと多めの咳払い)、三角の、、、まあいいか(笑)。では、ええと、次の曲は有名なクリスマスソングですのでご笑納ください。あの、、、、、、ちょっと、遅いですけどね(軽く感極まったような、静かなイエー、という拍手。あら、以外と簡単に貰えたよ・笑)。


profile

菊地成孔|Naruyoshi Kikuchi
音楽家/文筆家/音楽講師。ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。「一個人にその全仕事をフォローするのは不可能」と言われるほどの驚異的な多作家でありながら、総ての仕事に一貫する高い実験性と大衆性、独特のエロティシズムと異形のインテリジェンスによって性別、年齢、国籍を越えた高い支持を集めつづけている、現代の東京を代表するディレッタント。