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クリエイティブディレクターの馬場鑑平が、クリエイターたちの創作の秘密に迫る連載「CREATIVE PROCESS〜発火から定着まで」。第2回は、昨年カルチャーシーンを賑わせたビームス40周年プロジェクト「TOKYO CULTURE STORY」にて発表されたMV『TOKYO CULTURE STORY 今夜はブギー・バック(smooth rap)』の制作の裏側に迫る。発表からおよそ1年、2017年のACCやロンドン・インターナショナル・アワーズなど多数の広告賞を受賞したプロジェクトの経緯と、その根底に流れるカルチャーへの愛を語ってもらった。
Direction by Kampei Baba
Photo by Koutarou Washizaki
Text by Yuka Uchida
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右奥から時計まわりに、プロデューサーで映像制作担当の川口雅弘(AOI Pro.)、アートディレクターの土家啓延(博報堂)、クリエイティブディレクターの本山敬一(SIX)、クリエイティブディレクターで聞き手の馬場鑑平。
コンセプトが決まるまで
馬場 今日は2016年に、ビームス40周年プロジェクト「TOKYO CULTURE STORY」の第一弾として発表されたMV『TOKYO CULTURE STORY 今夜はブギー・バック(smooth rap)』について、改めてお話を伺いたいと思っています。もう1年以上前に発表されたプロジェクトなのですが、あの映像は今も鮮明に記憶に残っているし、そもそも、ストリートカルチャーに対してどういう熱量を持った人たちがつくったものなんだろう? という疑問があったんですよね。それで今日は皆さんにお時間をいただきました。さっそくですが、クライアントはビームスでいいんですか?
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本山敬一 1977年倉敷生まれ。クリエイティブディレクター。2013年SIX設立。”A Fusion of Technology with Humanity”をテーマに、メディアを問わず、人の心に残る体験をつくる。 主な仕事に、Beams 40周年『TOKYO CULTURE STORY 今夜はブギー・バック』、Pokémon GOローンチトレーラ―、Google Chrome 『初音ミク』など。カンヌをはじめとした国内外のアワードで受賞多数。
本山 はい、クライアントはビームスです。最初に、僕ら3人の役割を整理しておくと、僕はクリエイティブディレクターとして映像と音楽を担当していて、土家さんはアートディレクターとして主にグラフィックを担当。なので、映像と同時進行で制作していた書籍『WHAT’S NEXT? TOKYO CULTURE STORY』(マガジンハウス)も土家さんがアートディレクターを担当しています。川口さんはプロデューサー。映像担当というだけではなくて、ほぼ全体のプロデューサーとして動いてもらっていた。そんなメンバーです。
馬場 なるほど、制作の中心部にいた3人ということですね。
本山 はい。それで、まずビームスからオリエンがあったきっかけは、僕の所属する〈SIX〉が以前、ビームスにクレデン(クレデンシャル=事業紹介)に行ったことがあって、その時の事例から「本山さんとやりたい」と言ってもらったんです。で、そのオリエンの場でビームスから言われたのが、彼らの根本にカルチャーがあること。ビームスが最初に立ち上げたショップキャッチコピーは「アメリカンライフショップ」なんですよね。はじめから、服ではなく、ライフスタイルを売るという姿勢。
馬場 なるほど。まずそれを理解してほしいと。
本山 そう。その上で「映像をつくってみたい」というオーダーもありました。でも、ビームスはこれまで紙媒体をメインに広告を出してきた会社ですし、本格的な映像をつくる機会はそこまで多くなかった。でも、オンラインの映像なら国を飛び越えることができるし、ビームスはアジアにも出店しているから、その点でも有効だろうと思った。ただ、その時点ではビームスからの具体的なアイデアはありませんでした。それで8案くらいプロジェクトを提案したんです。最初は多めにと思って。
馬場 8案も! どんなものを提案したんですか?
本山 映像コンテンツだけじゃなく、体験型のコンテンツや、話題になるイベントやサービス開発なんかも交えました。そこから彼らの反応をみて、精度を上げていこうと思ったんです。40周年はビームスのものだし、ビームスの人たちが納得していなければ意味がないから。提案には「どれもいい」とお返事をいただいたので、ならば次は僕らが最もいいと思う一案に絞ってプレゼンテーションをしようと思いました。
馬場 ここまでは殆ど本山さんが中心になって決めているんですね。土家さんや川口さんが関わるのはもっと先ですか?
土家 そうですね。僕が関わり始めた頃には、コンテンツの方向性は決まっていました。
本山 ふたりが参加してくれるのはもう少し先なんですよね。話を続けると、その絞った一案がMV『TOKYO CULTURE STORY 今夜はブギー・バック(smooth rap)』だった。これを提案するために考えている最中、ずっと引っかかっている言葉があって。オリエンのときにビームスの人たちが「映像を見た後に”さすが、ビームス!”というコメントが返ってくるものがいい」と言っていたんです。ならば、ビームスはカルチャー発信基地だということを映像ではっきりさせようと。しかも、カルチャーにコミットしているのを声高に謳うのは逆にかっこよくないので、それを行動で示そうと思いました。具体的には、ビームスが生まれた1976年からの40年間を俯瞰して、東京のストリートファッションの変遷をアーカイブ化しましょうという提案。そのアーカイブが、ビームスを好きであろうと、嫌いであろうと、ファッションが好きな人にとってはハッピーになれるものに仕上がったら、「さすが!」という一言が自然と出てくると思ったんです。
馬場 なるほど。自分たちの話ではなく、東京を俯瞰したときのストリートカルチャーの話をしようということなんですね。ファッションに音楽を組み合わせた理由はどこにあるんですか?
本山 ファッションと音楽、2つを合わせることで、よりアトラクティブなコンテンツになるんじゃないかと思ったんです。根本的に、ファッションと音楽はカルチャーにおいて常に影響を与えあっているじゃないですか。パンクもそうだし、グランジもそうだし。そこはセットなのかな、と。加えて、オンラインムービーとして、「広告」として打ち出すよりも、「MV」として打ち出した方が拡散性が高い。あと、ダフト・パンクの曲を1920年から2020年まで、それぞれの音楽トレンドにあわせて、アレンジするという動画があって、これがやれるなら一つの曲で、ヒストリーを表現できるじゃん、と。
土家 このくらい内容が固まってきた時期には、僕も川口さんも関わり始めているよね。
本山 そうだね。「WHAT’S NEXT?」というロゴは土家さんがつくったものだし。このロゴに込めたのは「次は何だ?」ってメッセージなんですけど、今はファッショントレンドを楽しまなくなっている時代。でも、未来のトレンドにもっとワクワクしてほしい、未来に期待してほしい、という思いで、メッセージを掲げることにしたんです。
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「WHAT’S NEXT?」のロゴ。ビームス40周年キャンペーンのポスターや書籍などに展開した。
● 制作の流れ
2016年
04月 プロジェクト内容最終決定
07月 ファッション&モデル準備完了
08月 撮影開始
10月 撮影終了〜映像編集開始
10月21日 公開
制作は何から構築していったのか?
馬場 このMVでは、東京のファッションと音楽の歩みが絵巻物のように繰り広げられていますよね。淡々としているといえばそうなんだけど、扱っているものが華やかだし、情報量は半端ない。まず、どんな作業からスタートしたんですか。ファッション担当は土家さんなんですよね?
土家 はい、でも僕が入ることになる時期には、すでに1案に絞った企画がほぼ固まっていたと思う。
馬場 土家さんが入る前からファッションにまつわるリサーチはある程度できていたんですか?
本山 僕、サブカルマニアなんで(笑)。大体、この時期にこれが流行っていたくらいのことは企画書レベルなら書ける。でも、制作を進めるならファッションをしっかり担当できる人が必要で、それは土家さんしかいないと思ったんです。土家さん、毎年ものすごい量の服を買うんですよ。服に命をかけていることでは有名なので。
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土家啓延 1976年生まれ。博報堂アートディレクター。日産自動車、資生堂、サントリーなどを担当。朝日広告賞グランプリほか受賞多数。主な仕事に伊勢丹PBブランド「LUGHA」クリエイティブディレクション、投資情報メディア「FROGGY」アートディレクション、Google Homeノベルティディレクション、ファンケル「大人のカロリミット」など。
馬場 では、東京のファッションシーンを網羅したこの膨大な情報も、すでに土家さんの頭の中にあったんですか?
土家 いや、もちろんここまで細かなことはないです。最初に取り掛かったのはスタイリストを決めること。まずスタイリストの島津由行さんに依頼したんですが、島津さんもひとりで40年分は担当できないから、島津さんが統括しつつ、男女で10年ごとに1人ずつスタイリストを立てようと提案いただいたんです。特にこの40年間って、世界のトレンドだけでなく、日本のファッション誌をきっかけに流行ったものや、「アムラー」のようなミュージシャンやタレントをきっかけに流行ったものもあって、とにかく膨大な情報を整理しないといけない。なので、その時代やスタイルが得意なスタイリストに依頼することにしました。
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1976年〜2016年までの40年間のストリートファッションと邦楽シーンを年表にまとめた資料。この資料でプロジェクトを視覚的に共有し、映像の絵コンテのような役割も担った。
土家 それで作ったのがこの年表です。依頼したスタイリストに当時の記憶を思い出してもらうために資料があったほうがいいだろうと思って。制作チームに入っていた広告代理店のコスモ・コミュニケーションズが、文化服装学院の雑誌アーカイブをあたってくれて。主要なページを全てコピーしてきてもらって、その資料を見ながらスタイリストと打ち合わせを繰り返しました。
本山 スタイリストは結局何人、参加してくれたんだっけ?
土家 島津さんを筆頭に、伏見京子さん、井嶋一雄さん、木俣歩さん、二村毅さん、菅沼詩乃さん、高橋ラムダさん、遠藤彩香さん、柚木一樹さん。計9名ですね。錚々たるメンバーです。全体のスタイリングディレクションは島津さんで、40年を10年毎に男女それぞれ担当してもらって、さらにエキストラの衣装も別枠で考えて、全部で9パートに分けています。
馬場 映像に出てくるのはすべて当時の服なんですか?
土家 ほぼほぼ、そうです。例えばデニムで、当時と型が変わっていないものや復刻版があるものは一部使用しています。島津さんは元々、映画など時代背景がある映像のスタイリングも得意ですし、今売っていない衣装でのスタイリングも経験豊富。なので、初めから当時と同じようなスタイリングが得意な人を集めています。でも服探しはとにかく大変で、郊外にある古着の巨大倉庫に大御所のスタイリストがみんなで遠征して、ひたすら服の山を掘るという日もありました。
馬場 服集めにそこまで手がかかっていたんですね……。映像にばかり気がいっていました。
土家 足りないものはネットオークションで買ってもらい、スタイリストさんのツテでコレクターの方からお借りしたものもあります。やっぱり、ビームスの40周年プロジェクトなので、服に手を抜く訳にはいかない。スタイリストの方々も、その点はもちろん理解していて、徹底してやってくれました。
馬場 エキストラの衣装も時代ごとに用意しているんですね。何人出演しているんですか?
川口 クラブのシーンだけで400人はいましたね。
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400人ものエキストラを集めて撮影されたクラブシーン。MV 『TOKYO CULTURE STORY 今夜はブギー・バック(smooth rap)』より。
土家 もちろんエキストラのひとりひとりにも、この人にはこの服、とスタイリストが衣装を決めています。メインのモデルさんは男女80人、それに小松菜奈さんと池松壮亮さん。アーティストは総勢17組ですね。
● 出演アーティスト
1970年代
シティ・ポップ 南佳孝
ニューウェーヴ 戸川純1980年代
ロックンロール SEIJI(GUITAR WOLF)
ダブ こだま和文(ex.MUTE BEAT)
ダンス・ポップ 森高千里1990年代
オルタナティブ・ロック EYE(BOREDOMS)
渋谷系 野宮真貴
ヒップホップ サイプレス上野・高木完2000年代
メロコア HUSKING BEE
テクノ/エレクトロニカ ナカコー&フルカワミキ(LAMA/ex.SUPERCAR)
ポストロック クラムボン
ボーカロイド sasakure.UK feat. 初音ミク2010年代
アイドル チームしゃちほこ
クラウド・ラップ tofubeats・仮谷せいら
アシッド・ジャズ/ロック YONCE(Suchmos)
馬場 制作全体のうち、服集めにはどのくらいの時間をかけているんですか?
土家 どのくらいですかね(笑)。正確にはわからないけれど、当初予定していたより随分時間がかかったことは確か。服集めも大変なんですが、それを着こなせるモデルを探すのも大変で。昔の服を来てもらおうと思うと、女性なら150cmくらいのモデルさんじゃなきゃいけいない。それに、時代ごとに流行った顔立ちも違う。加えて、映像なので動きもできるモデルさんがいいし、9人のスタイリストがモデル探しに奔走するわけですから、当然、同じモデルを使いたいというケースも出てくる。結局、もともとの予定より半年くらいスケジュールが押しました。
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南佳孝が登場するオープニングシーン。今も活躍するアーティストであることを伝えるために、ファッションだけでなく、ミュージシャンもカラーで描いている。
ウェブサイトを意識した映像表現
馬場 映像のことも聞いていいですか? カラーの部分とモノクロの部分がある意図は?
本山 映像が次第にカラーになっていくのは過去から現在へ、ライブの状態に近づいていくということなんですけど。冒頭のモノクロのシーンの中にもカラーのものはあって、例えば南義孝さん、戸川純さんをはじめとするミュージシャンもカラーです。これは今も古びていないから、という理由。ミュージシャンは基本、そういうスタンスで出演していただいています。映像に出演するタイミングは、基本そのジャンルが流行したタイミングですが、登場してくださった皆さんは現役で活動しているアーティスト。決して「あの時代の人」という意味で出演いただいているのではなくて、僕らは当時から今までずっとスターだと思ってオファーしているので。
馬場 なるほど。僕としては5分間の間に徐々に動きが生まれて、気づいたらすごい躍動感で映像が流れていて、そのことがアハ体験というか。それもこの作品をあっという間に見終えさせてしまうことに関係しているのかなと思ったんですよね。とにかくこのMVは仕組みがしっかり構築できている。基本的にはひとつの仕組みで最後まで引っ張っているわけですよね?
本山 そうですね。馬場さんには分かってもらえると思うんですけど。最初、監督のショウダユキヒロさんをはじめ、チーム内で話していたのは、ハリウッド映画のオープニングみたいな、映画『フローズン・タイム』にダイナミックなカメラワークをつけたものをやりたいね! と言っていたんですけど。スケジュール的にも難しくて。
馬場 それはワンカットという意味で?
本山 そう、すべてフルCGでやってみたかった。
川口 人物を3Dスキャンで映像内に配置して、コンピューター上でカメラワークを作って、という感じですよね。
本山 でも時間的な制約があったので、発想を切り替えて、こういうウェブサイトを見ているという設定にしようと思いついたんです。
馬場 確かに、このMVにはウェブサイト感はあるかもしれない。
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流れる映像に合わせ、自動的に立ち上がるタグ。映像に情報を組み込んで見せるという意味で、確かにウェブサイトに通ずる世界観が立ち上がっている。
本山 クリックはできない、つまり、選択肢はないけど、ウェブサイトだって言い切っているんですよね。だからハッシュタグが出てくるんです。ウェブサイトというトーン&マナーで、タグの出し方も調整している。タグを出すタイミングは、最後の最後まで調整していましたね。どのサイズで、どの位置に、どんな動きで、どのタイミングで出ると気持ちがよいのか。それだけで何十パターンも試しています。
馬場 細かいところは手付でやっているんですね! タグ付けには何かルールが? 「#スーパーヨーヨー」とかファッションに関係ないタグも出てくると思うんですが。
本山 「原宿の街の風景を変えたもの」というルールは一応あります。でも、タグのキーワードは探せばキリがないですし、ある程度は主観です。例えば「#岡崎京子」は僕の主観です。僕はこの作品を岡崎京子さんに捧げるつもりでつくっていますから。撮影現場でも、なんで小道具に『リバーズ・エッジ』がないの? といったら、川口さんが「え?」みたいな。
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川口雅弘 1984年生まれ。〈AOI Pro.〉プロデューサー。〈JAC AWARD 2013〉受賞など、映像コンテンツの世界で期待される若手プロデューサー。ミュージシャンamazarashiのMVなどでも本山氏とタッグを組む。2017 57th ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSにてフィルム部門クラフト部門プロデューサー賞受賞。
川口 ありましたね(笑)。
本山 復刻版じゃなくて、ちゃんと初版持ってきてよ。とかね(笑)。それで思い出したんですが、話が前後するんですけど、この企画を通すときに、ビームスとしっかり共有していたことがあるんです。それは、このMVは「東京の歴史であって、ビームスの歴史ではない」ということ。だから、映る服が必ずしもビームスで取り扱われていたわけではないし、映像の中にもビームスの服は数えるくらいしか出てこない。ビームスの歴史だと単に広告だけど、東京の歴史ならパブリックなコンテンツとして意味がある。「さすが」と言われたいなら、後者だと。それでもいいですか?と聞いたら、「もちろん」と即答してくれた。だからこの企画があるんです。その英断をさっと下せるというのは、やはり唯一無二のクライアントだなと思いました。ビームスだけの歴史でいいなら、制作的にはもっと簡単なんですよね。
馬場 なるほど。確かにビームスの要素は映像の中でも殆どないですよね。あのオレンジのバッグくらい。
土家 あれは確かに流行っていましたからね。原宿の風景としてみんなが持っていたから。
本山 この企画が通ったのには、結局ビームスの人たちもみんなカルチャーへの愛がすごいというのがあるんですよね。ファッションであったり、音楽であったり。みんな、何かしらに精通している。だからカルチャーをつくるのであって、一方的にメッセージを配信するのではないという意識が根底にあるし、目指すものは自然と共有できていた。
川口 プレビズを見てみますか? プレビズは「Pre-Visualization」の略で映像制作の設計図のようなものなんですが、今回はこれを事前にクライアントに提出したんですよね。
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クライアントとの事前打ち合わせに使用されたプレビズ。空間と人物の配置、映像のテンポなどを確認した。
馬場 この映像では……全然わからないですね(笑)。
本山 ビームスには事前にこれを見せて完成形をイメージしてもらったんですよね。曲もこの時点ではデモでした。
川口 カメラワークも本番では変わっているけど、雰囲気は掴んでもらえる。
馬場 これがないと撮影には挑めないものなんですか?
川口 そうですね。でも、プレビズ通りには撮れなかったですね。
馬場 どんなカメラを使うんですか?
川口 一定の動きをするモーションカメラを使うところもあれば、マンションの壁伝いにカメラが降りていくシーンは、実際に人を窓の外に吊って、極力カメラを揺らさないように上下させて、それを繋げたり。最後のキャットストリートのシーンではステディカムを使いました。
馬場 ということは、撮影自体はそれほど難しいことはしていないんですね。
川口 そうですね。でも、一番難しかったのは、フリーズしているところ。あれはノーマスクなんです。どうやってつくるか最後まで答えが出なくて、本当は一定のスピードでノーマルスピードに戻したかったんですけど、そこはやっぱり無理で、アナログで合わせていくしかなかった。
馬場 なるほど! 最初はフリーズしていた人たちが、時代が現代に近づくに連れて、スローモーションの度合いが変わっていっていて、最後のシーンではノーマルスピードになる、と。それを全部、感覚で調整しているんですね。
本山 本当はノーマルスピードに対して、40できっちり割った分の動きをすべきだったけれど、撮影上それは難しくて、感覚でやるしかなかった。
馬場 例えばオープニングの代々木公園のシーンで止まっている人たちは、この部分だけ静止画で撮って合成しているんですか?
川口 いや、これは実際にずっと止まってもらっています。スタジオで全員ポジションに立ってもらって、一発撮りです。そこに代々木公園で撮った背景を合わせている。
土家 最初の代々木公園のシーンは、山梨にあるスタジオをつかったんですよね。
川口 そう、何セットか同時につくらないといけないから広いスタジオが必要で、山梨や筑波のスタジオを利用していました。
土家 エキストラのひとたちには長時間待ってもらって、本当に大変だった。ひとつひとつ番号が振られたパイプ椅子がずらっと並んでいてね。そこで延々と待ってもらうんです。最後の筑波での撮影はクラブのシーンで、エキストラだけで400人くらいいたと思います。
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馬場鑑平 株式会社バスキュール クリエイティブディレクター。広告、アトラクションイベント、教育、アートなど、様々な領域のインタラクティブコンテンツの企画・開発に携わる。近作は「エルメスのマリオネット劇場」、タブレットの上で動く知育ロボット「小学8年生:TABO8」、クリエイターを育てる学校「BAPA」など。「HILLS LIFE DAILY」のアートディレクターも務める。
音楽はスピリッツを重要視した
馬場 音楽はどうして「ブギー・バック」に決まったんですか?
本山 ビームスの拠点は原宿なので、やっぱりストリート感が欲しかったんです。あとは、1976年と2016年の真ん中くらいにつくられた曲がいいな、と。「ブギー・バック」のリリースは1994年でぴったり。あと、「ブギー・バック」の曲の中に「クールな僕はまるでヤング・アメリカン」いう歌詞があって、それがまさに「アメリカンライフショップ」のビームスともシナジーがあるんじゃないかな、と。
土家 とはいえ、かなりの候補をあげたよね。
本山 うん。でも、「ブギー・バック」はカバーされている数もぶっちぎりで多いし、それは様々な年代のミュージシャンやリスナーから愛されているということ。HALCALIのカバーとか、独創的なアレンジも成り立っていて、それを見て、ジャンルを変えてもアレンジができることが証明されていた。あとは、「ブギー・バック」は90年代の当時、池袋のP’PARCOのタイアップにも使われていた曲で、最初からファッションと関わりがあったんです。そうゆう様々な要素があって決まったんですよね。そこからソニーの「ブギー・バック」の当時の音楽ディレクターである薮下さんに相談して、スチャダラパーのみなさんにも話をさせてもらって、「いいじゃん、面白いね」ってOKをもらいました。
川口 この資料をつくった時点で、音楽ジャンルの割り振りはかなりできていたんだよね。
本山 僕がざっくりジャンルを切ったんです。このタイミングで、シティ・ポップからニューウェーブになって、とか。映像との連携もあるので、厳密にはすべては重なっていたりするけど、メリハリ的にここでロカビリーにしようとか。違和感がない程度にシャッフルしています。厳密に言うとパンクって世界史的には70年代末だけど、日本では青春パンクとしてメジャー化したのは90年代だから。そこはもう90年代にしようか、とか。
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ストリートファッションの変遷をまとめた資料には、音楽シーンの移り変わりも記載された。
馬場 本山さんの音楽データベースがあって成り立っている、と。
本山 邦楽マニアから全方位的に納得してもらいたいという思いがあったんですよね。絶対、否定しづらいラインナップにしたいな、と。音楽ファンなら最初に気がつくのは、「はっぴいえんど」人脈がいないってことなんですけど、それは松本隆が南佳孝のアルバムをプロデュースしているからいいだろうとか。戸川純がデビューしたバンド「ゲルニカ」のプロデューサーは細野晴臣だし。やっぱり、戸川さんの声を聴くだけで、シティ・ポップからニューウェーブに変わったって感じるんですよね。もちろん、ブギー・バックは小沢健二さんの曲でもあるので、フリッパーズ・ギターの存在も感じられるし。こだま和文はフィッシュマンズのデビューアルバムをプロデュースしているし。音楽ファンならきっと人脈がつながっていることは気づいてくれるし、出演していないミュージシャンの存在も感じてくれるだろう、と(笑)。だから、誰が見ても、ある程度は納得度があるものには仕上がったと思います。ヒストリーものは、納得度が大事なので。
馬場 再生回数はどのくらいいったんですか?
本山 1,300万回再生くらいですかね。
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MVと同時に発売された『WHAT’S NEXT? TOKYO CULTURE STORY』(マガジンハウス)
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映像にはファッションブランドのロゴマークが表れる場面も。洋服や音楽と同じように、グラフィックデザインやフォントにも時代感は映し出される、と土家さん。ロゴの使用許可やリサーチも土家さんが担当した。
作品にかける3人の熱量
馬場 最初の質問に戻りますが、僕が気になっているのは、このプロジェクトに対して、皆さんの距離感がどのくらいなのかということ。つまり、ファッションや音楽がすごく好きだから成り立っているプロジェクトなのか、もっと冷静に情報分析をした中から生まれたプロジェクトなのか? このクオリティのものが、どういった姿勢から生まれたのかを知りたいな、と。
本山 カルチャーに対して愛があるか、ないかと聞かれれば、やっぱり愛はありますよね。土家さんなんか、このプロジェクトが終わるのをすごく寂しがっていたし。僕は一秒でも早く納品しなければ!と思っていたけど(笑)。
土家 だって、すごく楽しかったんですよ。本当に。
馬場 3人とも東京の出身なんですか?
土家 僕は奈良です。
川口 僕は長崎です。
本山 僕は岡山の倉敷生まれで、江古田育ちです。
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ビームスと同じ1976年生まれだという土家さん。自身が体感してきたファッションが仕事とリンクする場面も多かった。
土家 僕、ビームスと同じ年で1976年生まれなんです。奈良で、必死にファッション雑誌を読んだり、渋谷系の音楽を聞いたり。でも、周囲にそういったことに興味のある人がいなくて。それで大学進学と同時に東京に出てきて、一時期はシノラーの格好をしていることもあった(笑)。
馬場 じゃあ、今回取り上げたストリートカルチャーのど真ん中にいたんですね。
土家 そうですね。高校生のときは古着ブームだったので、70年代の古着を買い漁ったりもしていて。だから、70年代のファッションも知っている部分はあったかな。
川口 僕はふたりと真逆で、洋服も音楽もまったく詳しくないんです。でも、最初に本山さんからこの企画について聞いたとき、世に出たらすごいだろうなという直感はあった。だから完成させることだけを目標に頑張れたんだと思います。
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映像だけでなく全体のプロデュースも担当していた川口さん。
土家 でも、好きなことで外す怖さってあるんですよね。言い訳のしようがない。
馬場 確かに。そうゆう怖さとか、逆に愛情とかが、制作時に様々な選択を迫られるときに機能していたのかなと思います。大変か、大変じゃないかではなくて、いいか、悪いかで判断していったんだろうな、というか。ひとつ質問なのですが、今の時代って、映像においては文化の壁を越えたり、言葉の壁を越えたりするものが喜ばれるという側面があると思うんですが、『TOKYO CULTURE STORY 今夜はブギー・バック(smooth rap)』の映像はすごくドメスティックじゃないですか。それって海外の人からはどんな反応が来ると予想していたんですか?
本山 僕の中では、もっと海外で流行る予定でした(笑)。
馬場 それはローカルを突き詰めたら、グローバルになるという考え?
本山 そうですね、「東京」という概念には価値があるじゃないですか。ヒストリー・オブ・ニューヨークとか、ヒストリー・オブ・トーキョーなら、ファッションファンを超えて、グローバルになり得るかな、と。でも、狙いほどではなかったけれど、海外のファッションファンに楽しんでもらえたという手応えは感じています。
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音楽ライセンスの関係で発表から1年後にはオフィシャルサイトで公開ができなくなったMV 『TOKYO CULTURE STORY 今夜はブギー・バック(smooth rap)』。本山さんの所属する「SIX」では独自にライセンスの許可を取り、今もサイトで公表している。
馬場 今日は、近代史をまとめる大変さというか、作業の膨大さにとにかく驚きました。
土家 1976年からの40年だから成立したというのはありますよね。これがもし50年史だったとしたら、後半の10年、2016年から2026年は、誰が見ても「あぁ、あれ流行ったね!」とはならなかった気がする。1976年から2016年というのは、ファッションにおいて、みんなが同じ方向を向いていた時代がほとんどなんですよね。特に90年代は海外かぶれのファッションから、日本独自のファッションが生まれた時代だったし。
馬場 これからの時代、カルチャーはもっと多極化していくと。
土家 そうですね。スタイリストの島津さんも、たとえ遡って60年代を含めたとしても、そこにはストリートカルチャーはないだろうっておっしゃっていて。
本山 でも、土家さんはビームス50周年に向けて準備しているんですよね。
土家 いや、苦労をかけたスタイリストさんからは「ない!」と言明されています(笑)
STAFF
クリエイティブディレクター 本山敬一(SIX) フィルム・プランナー 奥山雄太(SIX) アートディレクター 土家啓延(博報堂) コピーライター 坂本仁(博報堂) コミュニケーションデザイナー 雨海祐介(博報堂) プロデューサー 川口雅弘(AOI Pro.) ディレクター ショウダユキヒロ ミュージックディレクター 美登浩二 スタイリスト 島津由行・伏見京子・井嶋一雄・木俣歩・二村毅・菅沼詩乃・高橋ラムダ・遠藤彩香 フォトディレクター 高橋慶次 照明デザイナー 上野敦年
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MV 『TOKYO CULTURE STORY 今夜はブギー・バック(smooth rap)』
セレクトショップ〈ビームス〉が創業40周年を記念して立ち上げたプロジェクト。東京の40年間をファッションと音楽で振り返るミュージックビデオで、15ジャンル17組のアーティストが出演。男女82人のモデルを登場させ、時代時代の流行ファッションを走馬灯のように登場させた。国内だけでなく、海外からの反響も大きく、キャンペーン期間である1年間に再生回数約1,300万回を記録。57th ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS オンラインフィルム部門 / インタラクティブ部門、2017 クリオ賞 Fashion & Beauty Branded Content、Spikes Asia 2017 Film Craft、第32回 ロンドン・インターナショナル・アワーズBranded Entertainment部門、など受賞多数。
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