写真家、長島有里枝の個展「長島有里枝 そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」が東京都写真美術館で開催中だ。展示されているのは、長島の名が一躍アート界、そして社会に知れわたることとなった自分自身と家族のヌード写真シリーズ〈Self-Portrait〉から、最新作にいたる208点。90年代のいわゆる“ガーリーフォト”ブームの火付け役の一人として注目を集めたデビューに始まり、その後アーティストとしての評価を確実に高めてきた長島有里枝。4半世紀にわたり彼女が撮ってきたのは、家族であり、女性であり、そして自分自身だ。長島が追いかけ続けてきたものについて聞いた。
TEXT BY JUN ISHIDA
PHOTO BY MANAMI TAKAHASHI
——長島さんのこれまでの作品が、すごく上手に整理されている展示のように感じました。一つのストーリーに沿ってまとめられているように思えたのですが、どのようなストーリーを見せたいと考えたのでしょう?
長島 まず美術館の方から、初期の作品から今までの作品を全部見せたいという話をいただいたところから始まりました。公立美術館での展示も初めてだし、この大きさの展示をしたことがなかったので、最初はどうしようかと思ったのですが、実際に展示プランを作り始めると、スペースが足りなく思えるほど膨大な量の写真があって(笑)。学生時代の写真も含めると26年分ぐらいあるんですよね。(90年代後半に)渡米する前に大量のネガを捨ててしまったこともあって、初期のものは探すのが大変でした。
——なぜネガを処分したのですか?
長島 自分のやっていることがちゃんと評価されていなかったからでしょうね。特に、初期のヌード作品は興味本位で話題にされて、当時のヘアヌード写真ブームに対するアンチテーゼとして撮ったのに、そのヘアヌードの文脈で解釈されたりしましたから。あまり思うようにいっていなかった。
国内では、美術館で展示したいというオファーも少なかったですね。雑誌に掲載したいという依頼ばかりで、昔のプリントは四つ切りかその半分くらいのサイズのものしか残っていないんです。いまほどオリジナルプリントが重宝される時代ではなかったし、作品をどう残せば良いのかわかっていませんでした。
専門的でフェアな批評ができる論客も少ないなか、若かったですから、自分の作品の価値もちゃんとは理解できていなかったと思います。当時の同世代の友人たちを撮った〈empty white room〉のシリーズも、また撮れるからいいやと思っていました。実際には、その時しか撮れないものだったわけですけれど。
セルフポートレイトシリーズで伝えたかったことは「私の身体は私のもの」
——展示を見ていて、例えば「家族」という題材でみても、最初は長島さんとご両親、弟さんだったものが、〈empty white room〉で血のつながりはないけれど同世代の家族のような人々が登場してきて、その後は長島さんが結婚し出産して自分の家族というのができて。2007年のスイスでのアーティスト・イン・レジデンスで制作した〈SWISS〉では、花やお祖母様の撮った写真を通して、人の気配を感じられる写真が登場してきます。最近の作品にいたるまで、「家族」という視点でみても、被写体は微妙に変われど通底する何かがあると感じました。
長島 嬉しいです。〈SWISS〉から作品が変わったと言われることが多いのですが、自分ではそれほど変わったと思っていないんです。何が被写体かというレベルでの変化はありますが、伝えたいものはほとんど変わらないんだということが伝わればと思っています。
被写体が変わっていく場合にも、例えば今回はアメリカに行ったから次はエベレストに登りたいみたいな、主体的な選択肢ではないんですね。〈empty white room〉では、自分が家族と決別して家を出た時に知り合ったいわば「他人」が被写体で、その人たちと家族のように親密な関係を築こうと試みる都市の若者のありようがテーマです。このシリーズは、母が癌になって実家に戻ると同時に、ゆるやかに終わりを迎えます。生活環境が変わることで、必然的に撮るものが変わるということです。
他には、子供を出産したあと、子供を世話しながら大きいカメラを扱うことが難しくて、小型カメラで撮ることが増えました。そういった人生の変化に伴う行動範囲や時間の制限を足枷ととらえず、作品により確かな説得力を持たせうる要因として反映させてきたつもりです。
これは過去の多くの女性たちが、人生を楽しいものとするべくそのような工夫をしてきたであろうという確信に基づいたフェミニズム的実戦だと思っています。それに合わせて機材や、近作のテントのシリーズなどのように使用する素材も変えています。
——いろいろな形態はとりつつも、「家族」というのが一貫したテーマになっているのでしょうか?
長島 いま振り返ってみるとそう見える部分もありますが、それ以外にもあるかな。既存の価値観を転倒させて提示する、ということは一貫していると思います。90年代頭にヘアヌード写真集ブームが起こったとき、女性の身体の消費のされ方にすごく違和感があったんです。
義務教育では男女は平等という考えが自明とされていたから、それを信じていましたけれど、実際には違った。そもそもスカートで通学しなければいけないこととか、坊主頭は男子にとっての模範的回答で、女がやったら問題だとか、なぜだろうと思っていました。おっぱいやアンダーヘアも、単純にわたしが持って生まれた姿なのであって、男性を喜ばせるためにもったいぶって大事にしているわけじゃない。かけがえのないわたしの体だから大事なんです。
性的な意味合いを、若い女性のヌードから排除することは容易ではありません。ですが、家族と一緒にヌードになればそれが可能になると思った。撮影したのは19歳の時で、裸の意味が大きく変わる思春期の後半です。若く、女性で、被写体であり撮影者であったからこそ生まれた作品だったと思います。実家で、実の家族と撮影した理由は簡単で、役者を雇うお金も、スタジオもないから。完璧にコントロールされた状況より、偶然の奇跡が入り込む余地を作るのが好きです。そのほうが、面白いですよね。
——ではその後、大学院に入り直してフェミニズムの勉強をしたのは自然な流れだったんですね。「家族」といより、「フェミニズム」の文脈でずっと撮り続けているのでしょうか?
長島 というより家族の問題も、女性学の範疇だということじゃないでしょうか。10代の時から(シモーヌ・ド・)ボーヴォワールなどを読んではいました。女子校で進学校で、フェミニズムに関心が強い女性の先生も少なくなかったと思います。一方で、結婚を機に夢を諦め、家に入った母の姿もみていました。家族の問題は結局、抑圧された女性の問題と切り離せないんです。女性がいかに、家庭の中で自尊心を奪われて生きているかという。
——そういった女性の問題に気づかせるために、作品を撮っているのでしょうか? あるいは自分のなかで消化するために?
長島 気づくかどうかは受け手次第だと思います。例えば私がそうであったように、本などを読んで初めて「あっ、だから私って生きづらかったんだ」と気づくことってありますよね。そういうきっかけになればいいと思っていますし、ピンと来ない人ももちろんいると思います。
「女の子写真家」と一括りにされた女性写真家が、実は多様な写真表現を行っていたように、女性だからといって、みな同じライフスタイルを共有しているわけじゃないですから。祖母や母の時代には女性のありかたの選択肢は少なかったと思いますが、今は多様です。女だからといって共感できない作品もあるはずです。誰かを代弁するつもりもなく、ただ、作品を通じてジェンダーの規範を撹乱することができたらいいな、と思います。既存のジェンダー規範が息苦しかったり、そのせいで自信をなくしたり辛いと思っている人を、少しほっとさせられたら、すごく嬉しいです。
「長島有里枝 そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」
会場 東京都写真美術館(2階展示室) 会期 〜11月26日(日) 閉館日 月曜(祝日の場合は開館、翌平日休館) 開館時間 10時〜18時(木・金は20時まで)※入館は閉館の30分前まで
長島有里枝|Yurie Nagashima
1974年、東京生まれ。1995年、武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。在学時に発表した家族とのポートレイト作品で「アーバナート#2」展パルコ賞を受賞する。1999年、カリフォルニア芸術大学にてMaster of Fine Arts取得。2001年、写真集『PASTIME PARADASE』で第26回木村伊兵衛賞受賞。2010年には、エッセイ集『背中の記憶』で第26回講談社エッセイ賞を受賞する。
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