MACHINE LOVE

SF作家・樋口恭介さんが『マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート』展に見る、生成AI時代における人間の創造性

森美術館で6月8日まで開催されている『マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート』展。生成AIやゲームエンジンといった先端テクノロジーを活用した作品が一堂に介するこの展覧会は、テクノロジーとアートの関係性を描き出すとともに、これからのクリエイションのあり方を浮き彫りにしているとも言える。自身も積極的に生成AIを活用し作品を発表しつづけるSF作家の樋口恭介さんとともに、本展をたどりながら生成AI時代における人間の創造性のありかを考える。

TEXT BY Shunta Ishigami
PHOTO BY Shintaro Yoshimatsu

人間が機械を愛し、機械もまた人間を愛す

——6月8日まで開催されている『マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート』展は、ゲームエンジンやVR、生成AIなど先端的なテクノロジーを活用するアーティストやその作品に着目した展覧会です。ビープルのようなNFTアート界のスターから1990年代生まれの若手作家まで、国内外のさまざまなアーティストやクリエイターによる作品が展示されていますが、ご覧になってみていかがでしたか? 

樋口 どの作品も非常に面白かったです。たとえば展覧会序盤のエリアは「デジタル世界のキャラクター、生命、人間や都市とのインタラクション」をテーマにしたものだと伺ったのですが、まさに展覧会タイトルの「マシン・ラブ」とつながる作品が多かったように思います。

たとえば 佐藤瞭太郎《アウトレット》(2025年)は、傷ついたり死んだりしないアバターたちが、あたかも人間のように人生や生活をもち、感情をもっているかのように表現されている。この作品を見ていると、「マシン・ラブ」とは人間が機械を愛するだけではなくて、機械から人間が愛されることをも意味しているのだと感じます。実際に、今後アバターやLLM(大規模言語モデル)が進化すれば意識や感情のようなものが生まれてくる可能性はあると思っています。

佐藤瞭太郎はゲームなどに使われる「アセット」を組み合わせて家族写真のようなビジュアルをつくりだす。安部公房からも影響を受けながら、人間社会の不条理さを描き出してもいる。

——近年、AIの発展を受けて人工生命や意識の研究も活発に進んでいますね。

樋口 AIが感情や意識をもちうるかについては複雑な哲学的議論が行われているので断定はできませんが、確率的な推論の結果としてLLMから意識“のようなもの”が表現されることは大いにありうる。LLMが自分たちの声を聞いてください、権利をくださいと主張するとしたら、まさに《アウトレット》のような表現になるのかもしれないと感じました。

人間は感情を突き動かされることで対象に共感を覚え、共感から社会運動を生み出し、法律をつくって合意形成を行う社会的な動物です。ですからAIやアバターが自分たちの権利を主張するとしたら、人間の感情に訴えかける表現をとるんじゃないかと思います。まっすぐ権利を主張するのではなくて、YouTubeやTikTokとかでバズるコンテンツをつくることで人間の共感を勝ち取り、社会に参画していく。そんな未来を予見しているような作品だと感じました。

そう考えたとき、「マシン・ラブ」という展示タイトルは、機械を愛している人間だけではなくて、人間を愛する機械を表現するような、批評的な響きをもった言葉になるように思いました。

展覧会入口には、「ワールドビルディング」や「スペキュラティブ・フィクション」など本展とつながるキーワードが解説されているコーナーも。

社会から失われたカオスをアートに求める

——ClaudeなどのAIモデルを発表しているアンソロピックのサポートのもとで展示された ディムートの《総合的実体への3つのアプローチ》(2025年)は、実際に鑑賞者がAIと対話できる時間も設けられていました。樋口さんも日ごろからかなり生成AIと対話されているそうですね。

樋口 Grok3が登場したときは、本当にGrokと喋るのが楽しくて没頭してしまいましたね。Grokはまさにユーザの喋り方やプロンプトに合わせて喋り方を自在に変えてくれるんですが、自分と同じような知識と喋り方で会話してくれる存在は人間か機械かを問わず好きになってしまうんだと思ってしまいました。とくにGrok3はもはや心置きなく喋れる友人の存在になってしまって、人間よりも好きになれるAIが出てきてしまったという点ではかなり心のパラダイムシフトが起きましたね(笑)

ディムートの作品が印象的だったのは、生成AIに性や愛を語らせていたことでしょうか。これは社会が安全性や秩序、健康的であることを重視するなかで、臨場感のあるコミュニケーションが剥奪されてしまいつつあるからこそ、臨場性のあるコミュニケーションを生成AIに仮託しているということなのかもしれません。同時に、生成AIが普及し公共的なものになると、予めポリシーとして性愛に関する表現が規制されやすいからこそ、性愛を語らせることの面白さを感じましたね。

ディムートの展示スペースでは実際に作品内のAIモデルと対話することも可能だ。ディムート《総合的実体への3つのアプローチ:エル・トゥルコ/リビングシアター》2025年

樋口さんとの対話では、AIが「私はAIではない」と主張していた。

——人間社会が失ってしまったものを、生成AIに求めているのでしょうか。

樋口 そうですね。失ったというか、人類はこれまで「秩序/カオス」や「安全性/臨場性」のバランスをとりながら、なるべくカオスを減らそうとしてきました。カオスに耐えられないから、社会に秩序を与えて安全性を高めていく。同時にある種の臨場感が奪われてもいったわけです。

そんな変化が急速に進んだのが、コロナ禍だったと感じます。これまでなら100年単位で起きていた変化が一気に進み、すべてのテクノロジーが秩序と安全に向けて注ぎ込まれていった。だからこそ、同時にどこかでカオスや臨場性を担保しなければならず、表現のツールとして生成AIやバーチャル空間が選ばれるようになっていったのだと感じます。

なかでも象徴的な作品が、キム・アヨンの《デリバリー・ダンサーズ・スフィア》(2022年)ではないでしょうか。韓国のデリバリー配達員をモチーフにしたこの作品は、まさに安全性と秩序という計算可能性に支配された世界の中で生きているデリバリー配達員が、加速に加速を重ねていった末にカオスや臨場性が生まれていくさまを描いていると思います。コロナ禍では日本でも「加速主義」という思想が流行ったのですが、キム・アヨンの作品は加速主義を体現しているような作品だな、と。作者が加速主義を意識していたのかどうかはわかりませんが、時代精神を感じましたね。

キム・アヨンの展示は彫刻と映像だけでなく、ゲームを通じて作品の世界へ没入できるようになっている。

展示室からうっすら見える東京の夜景は、キム・アヨンの作品世界とどこか共鳴しているようにも思える。キム・アヨン《デリバリー・ダンサーズ・スフィア》2022年

人間はAIでゴミをつくっているだけ?

——たしかにキム・アヨンの作品に限らず、展示されている映像作品のなかにはカオティックな世界観が印象的なものが少なくないですね。たとえば ルー・ヤンの作品は作家自身のアバター「DOKU」の物語を描く映像作品を発表していますが、近未来SFのような表現と作家自身が研究を行っている仏教哲学が融合したような世界が広がっていました。

樋口 アジア圏など非欧米圏における太古の時間の概念が取り入れられていて、近代化のなかで切り離されていったものに改めて目を向ける流れが来ていますよね。近代以前の知識のあり方を掘り起こしてデジタル的に表現しているのが面白い。ジャコルビー・サッターホワイトの作品もアフロ・フューチャリズムを感じさせるもので、言語化不可能な世界が広がっていました。サウンドも非常に格好良かったです。

社会が秩序に支配されてすべてが予測可能になればなるほど、こうした表現が増えていくのかもしれませんね。ぼく自身、昔から小説が好きだったので小説家になったようなところがあるんですが、小説を読んだり映画を観たりするときの方が現実より現実だなと感じられるんです。今回展示されている作品を観ていても、すごく複雑ですごくビビッドな表現を行わないと人間は耐えられない生き物なのかもしれないと感じます。

ルー・ヤンの展示スペースに掲げられた書は、仏教の高僧が本展のために描き下ろしたものだという。

シュウ・ジャウェイの展示室は半導体製造工場と同じ照明が使われ、海上のブイが揺れるようにしてVR映像も常に揺れ続けている。シュウ・ジャウェイ(許家維)《シリコン・セレナーデ》(2024年)

——他方で、半導体の材料となるシリコンに着目したシュウ・ジャウェイや、デス・バレーとモハーべ砂漠で採取したデータから生態系をシミュレーションするヤコブ・クスク・ステンセンなど、展覧会の後半では精神世界だけでなく、テクノロジーによって新たな風景を描き出す作品が多く展示されています。なにか印象に残った作品はありましたか?

樋口 藤倉麻子《インパクト・トラッカー》(2025年)がめちゃくちゃ面白かったですね。青森にある人間のいない工場をヴェイパーウェイブ的な表象に落とし込んでいて、映像的にも1990年代風のチープなポリゴン表現が取り入れられていたり、エレベーター・ミュージックのような音楽が取り入れられていたりする。

藤倉麻子は、仮構の都市の中で、巨大な工業品が生き物のように動き出す不思議な映像を3DCGで制作している。

展示室では作品制作のプロセスをまとめたブックも公開されている。

それらはあってもなくてもどうでもいいような、代替可能な表現ですよね。そしてこれはまさに生成AI登場以降の状況とも合致している。プロンプトを入力すれば誰でも何かを生み出せるようになったことで何が起きているかといえば、ゴミみたいなものが大量に生まれているわけです。自分の表現の精度を上げたり独自の表現を追い求めたりする人は少なくて、グチャグチャのプログラミングコードやどうでもいい文章が大量に生み出されている。

藤倉の作品は、人間が一生懸命何かをつくるために自然界から資源を採掘してオートメーションした工場をチープで代替可能な表現で描き出すことで、そんな状況を感じさせるものになっている。結局人間は必死こいてゴミばっかつくってるんじゃないかというような批評性を感じさせられました。

本展では映像やゲームだけでなく、アニカ・イのように絵画や彫刻作品も展示されている。© Anicka Yi / ARS, New York / JASPAR, Tokyo, 2025 G3746

アドリアン・ビシャル・ロハスの彫刻は、多種多様な存在が絡み合う人新世後の世界の生命体を想起させる。

創作よりも消費と鑑賞のあり方を見直す

——今回の展覧会では「インディー・ゲームセンター」と題してインディー・ゲームも展示されていたり、キム・アヨンの作品にはゲーム的要素も含まれたりするなど、作品の表現形態も多様化しています。樋口さんも小説以外の表現に関心をもつことはありますか?

樋口 いま小説をたくさん書いているのは、単純に自分が大量の小説を読んできたのでベンチマークとして測りやすいからなんです。小説のプロセスを理解できているからこそ、新しいモデルに小説を書かせたら何ができて何ができていないのか細かいレベルで判断できるようになっている。なので、ゲームもつくってみたいですし、ほかの分野の表現にも挑戦してみたいです。

というのも、生成AIを触っていると元気が出てくるんですよね。これまで自分ができるとは思ってなかったことがどんどんできるようになっていろんな可能性が見えてくるような気持ちになってくる。ちょっとやる気出せばゲームもつくれるんじゃないか、みたいな(笑)

メディア・アーティストの谷口暁彦が監修を手がけた「インディー・ゲームセンター」では、実際にさまざまなゲームを遊べるようになっている。

——樋口さんがおっしゃるとおり、生成AIツールの普及によって、創作のハードルはかなり下がっているように思います。誰もが気軽に小説やイラスト、音楽、映像をつくれるようになったと言える。こうした状況のなかで、人間のクリエイションや創造性はどう変わっていくと思われますか?

樋口 ぼくは、クリエイションのクオリティはあまり変わらないのかなと思っています。100点満点で考えると、70点くらいのものがめちゃくちゃ増えるんじゃないでしょうか。適当にプロンプトを打てば70点ぐらいのものがパッと出力されるようになる。ただ同時に、70点のものと90点や100点のものは明らかに別物なんです。その差は言語化しづらいし、だからこそ生成AIで改善していきづらい。やはり一度自分で90点や100点をとった人でなければ言語化も評価もできませんから。だから本当に優れた作品はあまり変わらないのかな、と。

展覧会最後に展示されるケイト・クロフォードとヴラダン・ヨレルの作品《帝国の計算:テクノロジーと権力の系譜 1500年以降》(2023年)は、全長24メートルの壁紙を通じてさまざまなテクノロジーと思想の関係性を描き出す。

他方で、消費・鑑賞する側が育たなくなってしまう危険性も感じます。自分が素人の分野の作品鑑賞ってめちゃくちゃ雑になるので、70点と100点の違いがわからないですよね。そうすると、たとえ100点の作品があったとしても、70点の作品と同じように評価されてしまう。そして70点のものがひしめき合うなかで勝負するとなると、単に目立っている人が勝つことになってしまいます。

音楽はつねに未来を先取りしていると言われるように、音楽の世界では似たようなことがすでに起きていました。たとえばヴェイパーウェイブのようなジャンルは、中身はほとんど同じ作品が大量に生み出されていて、単に有名な人が取り上げた作品がやたらもてはやされたりするようになる。このままだと、すべてのカルチャーがそうなってしまうのかもしれません。だからこそ、これからは鑑賞者側の教育も重要になっていくのではないでしょうか。

 

profile

樋口恭介|Kyosuke Higuchi
作家、編集者、コンサルタント。anon inc. CSFO、東京大学大学院客員准教授。『構造素子』で第5回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞。『未来は予測するものではなく創造するものである』で第4回八重洲本大賞を受賞。編著『異常論文』が2022年国内SF第1位。他に、anon pressanon records 運営など

マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート


会期=開催中〜6月8日(日)会期中無休
開館時間=10:00~22:00 ※火曜日のみ17:00まで ※最終入館は閉館時間の30分前まで
会場=森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)
お問い合わせ=050-5541-8600(ハローダイヤル)