六本木ヒルズ森タワーの足元に恒久設置された巨大な蜘蛛の彫刻でおなじみのルイーズ・ブルジョワ[1911-2010]。幼少期に受けたトラウマをもとにした作品群は、見る人によっては衝撃や痛みを感じさせるようなものも見受けられます。評論家の中野信子さんはどう解釈するでしょうか?
PHOTO BY MASANORI KANESHITA
TEXT BY MARI MATSUBARA
© The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo,
and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York, 2024.
パリに生まれニューヨークを拠点に活動した20世紀を代表する女性アーティストの一人、ルイーズ・ブルジョワ。70年以上にわたる長いキャリアをたどる大規模展覧会を中野信子さんが、本展の企画者の一人である森美術館キュレーターの椿玲子さんとともに鑑賞しました。
「この展覧会は3章仕立てで、第1章では母親との関係、第2章で父親との確執、第3章では家族の関係性の修復と心の解放が主なテーマになっています。ルイーズはパリで画廊とタペストリー修復工房を営む裕福な家に生まれました。父親は『女は男より劣っているもの』という考えに支配されていたようで、家族に対して専横的に振る舞いました。子供たちのために雇った住み込みの若い女性英語教師と10年間にわたって不貞関係となり、母親はそれを知っていながら抗うことなく黙認していたんです。その母親はスペイン風邪がもとで慢性的に病んでいて、ルイーズは10代の頃からヤングケアラーとして介護していましたが、彼女が20歳の時に母親は亡くなってしまいます。父親への愛憎、母を亡くした喪失感と母性への執着など、幼少期に植え付けられた複雑な感情は生涯にわたってルイーズの創作の源になりました。1938年8月にパリでのちの夫となるアメリカ人美術史家のロバート・ゴールドウォーターと出会い9月に結婚、10月には一緒にニューヨークに渡り、生涯の拠点とします」(椿)
「ブルジョワはすでに使われていた家具や廃材を作品に応用することがありました。これがもともと何だったのかは分かっていません」(椿)
「この作品も、よく見ると片方の乳房からお乳が流れ出ていますが、子供のもとには届いていません」(椿)
「ブルジョワは自身を『良い母親ではなかった』と語っているようですが、子との関係性を表現しているかのように見えますね」(中野)
「両腕がなくて、乳房から5本の糸が出ていて5つの糸巻につながっている作品です。“5”という数字はルイーズにとって重要で、家族を表しています。彼女自身が両親と姉と弟がいて5人家族だったし、結婚後、夫と3人の息子がいたのでやはり5人なんです」(椿)
「自身も含めて5人家族だったのなら、自身と自身を結ぶ線もこの中には含まれているのですね。自身にも乳を与えているのだとすると、しかるべき時期に乳に象徴される何らかの表象を渇望していて得られなかったという記憶の表れなのでしょうか」(中野)
「二人の人間が渦巻き状に絡まって吊り下げられている彫刻です。スパイラルはルイーズの作品によく出てくるモチーフで、人間のエネルギーを意味し、お互いのエネルギーにお互いが巻き込まれているようです。ちなみに重量は600kgあります」(椿)
「ある男性が『あまりに好きすぎて肉体すら邪魔になる』と言ったことを想起します。愛着も行き着くと自身すら互いを隔てる壁になる。一つになりたいほど愛しているのに物理的な障壁でそうできない。ブルジョワは愛着障害を持っていたのではないでしょうか」(中野)
「この作品も顔が見えません。腕だったり頭部だったり、足だったり、何かが欠けている作品が多いのです」(椿)
「まわりの壁に展示されている赤いグワッシュの作品は2007年から2010年ごろ頻繁に描かれたもので、ルイーズは当時90代半ばを超えています。最晩年の彼女を支えた若い男性のアシスタントの手と自分の手を描いています。タイトルは、毎朝、彼がルイーズの自宅まで迎えに行っていたことを意味しています」(椿)
「同じモチーフで何枚も描いていて、心から信頼している人の手であったことがよくわかりますね」(中野)
「《授乳》というシリーズ作品では、ルイーズは乳房に象徴される母ではなく、乳房に囲まれた赤ちゃんに自身を投影していたそうです。それにしてもこのシリーズ、96歳〜98歳の時に描いています。これほど老齢になってもなお母の愛に飢えていたとは凄いことですね」(椿)
「『大人は成熟しているべきで、母からの愛にいつまでもこだわるのはおかしい』という一般的な押し付けには賛同できません。むしろ、年齢を重ねたからこそ社会性という殻を脱ぎ捨てることができるし、本来の欲求に素直になれる。アーティストとしてピンポイントでその核となる意識に戻って作品を生み出すルイーズは素敵だと思います」(中野)
「この彫刻は、19世紀の神経学者シャルコーが研究対象とした『ヒステリー』をテーマにしています。ヒステリーを起こすのは女性だけだとする認識をくつがえし、男にも起こりうることをシャルコーは明らかにしました。ルイーズは男性アシスタントに無理なポーズをとらせ、さらにデフォルメしてこの彫刻をつくりました。しかも頭部はありません」(椿)
「哺乳類のメスでは発情期に性的な触覚刺激があると、顎をのけぞらして骨盤を前傾させるロードシス反射が起こります。そういった性的な身体性をこの彫刻は想起させますが、これを敢えて男性にやらせることで、『エクスタシーは女性特有の反応であるヒステリーを解消するためのもの』という当時の認識に一石を投じようとしたのでしょうか、女性ではなく男性モデルを使って彫刻にしたところに、ルイーズの意図があるように思います」(中野)
展示を見終わった中野さんに感想を聞きました。
気持ち悪いのに惹きつけられる作品の魅力
「ルイーズの生い立ちを知らない一般の方がこの作品群を見たとき、きっと気持ち悪いとかグロテスクだと感じる人も多いでしょうね。首がなかったり、腕がもげていたり、針が突き刺さっていたり、ファルスや乳房が出てきたり、インパクトが大きすぎて、何だこれは?と。なのに、なぜか見続けてしまう。そういう不思議な魅力がルイーズ・ブルジョワの作品にはある。怖いもの見たさかもしれませんし、人によっては、自分の中にも同じような痛みや衝動があったことに気づかされるのかもしれない。たとえば、ヒットする小説や歌のほとんどは、多くの人が言語化できずに抱えている胸の中のモヤモヤを、具体的な形にしたものです。『これは私のことだ!』と共感するから買いたくなるのです。自分の意見や思いが形になっている、という作品には感動を覚える。同じ現象が、ブルジョワの作品に惹きつけられてしまうある種の鑑賞者の中にも起きているのではないでしょうか?」
愛情と憎悪は紙一重
「誰かを愛しいと思う時に分泌されるオキシトシンという物質は、厄介なことに妬みや、愛ゆえの攻撃性も強めてしまいます。ルイーズはこの作品で父親を切り刻んで食べてしまおうとするのですが(下画像:《父の破壊》)、ただ憎いだけの人を普通は食べようとは思わないもの。食べて、一体になってしまいたいほど、父親のことを愛していたのではないでしょうか。それがかなわないから、強い憎しみを感じ、愛が強かったからこそ、攻撃性も激しさを増して、こういった迫力ある表現につながっていったのではないかと思います」
作品につきまとう「摂食」と「生殖」
「生物は免疫系を持ち、体内に異物が侵入するとそれを排除するのが普通です。しかし摂食と生殖だけに関してはこのドアが開く。同化することが叶うんです。彼女の作品にはつねに身体性がつきまとい、“食べること”と“性交”を思わせる作品が多いですよね。当時はこのような生物学的な知識は流布していなかったと思いますが、ルイーズは直観的にこのことを作品化したのだと考えると、興味深いです」
トラウマを抱え続ける持久力
「98歳で亡くなるまで、一貫して幼少期のトラウマを題材にしていた。この持続力は並みのことではないでしょう。もしかしたら父親との確執も彼女の中ではすでに解決していたのかもしれない。けれど、むしろ治りかけた傷をえぐるようにして、その痛みを創作の糧にしていたのではないか、とすら思うほどです。複雑な感情を解決しないことこそ、アーティストとしての価値であり、自分と父親を結ぶ絆になっていた、と考えることはできないでしょうか。強烈な愛憎を抱えたまま、地獄のような業の深さを生き切る人生を自ら選んだことが、ルイーズの凄みなのだと思います」
“攻撃”しないと生きている気がしない
「ルイーズは不安の強い人でもあったのでしょう。さまざまな「もの」へのこだわり、繰り返される同じモチーフの使用に、それを感じます。不安を埋めるためには、優しい言葉よりも、むしろ同調するように不安を感じさせるものの方が効果的です。『世界は滅びるのだ』と怯える人に『そんなことあるわけがない、大丈夫だよ』とその不安を否定するよりも、『形あるものは必ず滅びるものですよね、あなたの不安は正しい』と寄り添ってあげる方が却って安心してもらえるものです。ルイーズはネガティブな感情を敢えて抱え続けることで、自分の不安を落ち着かせようとしたのかもしれません。展示室の壁には彼女が遺した言葉がいくつか書かれていて、そのうちの1つに『“攻撃”しないと、生きている気がしない(When I do not ‘attack’ I do not feel myself alive.)』とあります。これもそういうことかなと。ただルイーズがもしお友達だったら、付き合っていくのは大変だっただろうなぁとは思います」
中野信子|Nobuko Nakano
評論家、医学博士。森美術館理事。2008年東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程終了。東日本国際大学特任教授、京都芸術大学客員教授。近著に『感情に振り回されないレッスン』(プレジデント社)、『脳の闇』(新潮新書)ほか。
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