屋外に置かれたキャンバスに植物と顔料を配し、日光や風や雨に晒すという手法で写真と絵画のはざまにあるユニークな作品を発表し続けるサム・フォールズ。東京・六本木の小山登美夫ギャラリーで始まった個展で、来日中の作家に話を聞いた。
TEXT BY MARI MATSUBARA
PHOTO BY MIE MORIMOTO
さまざまな色が溶け合うキャンバスの中に浮かび上がる草花のシルエット。押し花標本のように、白く浮き上がるリアルな花びらや茎や葉っぱの痕跡は絵筆で描いたものではない。
——この作品はどうやって制作されたものなのですか?
サム・フォールズ(以下SF) 木枠に張る前のキャンバス布を屋外の地面の上に広げて、その上に植物を並べ、冷たい水で溶ける特殊な粒子状の顔料をばら撒きます。本当に砂糖みたいな触感の顔料なんですよ。そのまま夜露や朝霧や雨や風に晒して放置すると、顔料が雨水に溶けて定着し、植物を取り除くとそのシルエットが残るというわけです。たったひと晩しか置かないこともあるし、作品や環境によっては2週間、いや本当のことを言うと森の中に3年間、放っておいた作品もあります。すべては天気次第なんです。
等身大のリアルと抽象と
——なぜこのような手法を取るようになったのですか?
SF 大学で哲学や物理学、言語学を専攻したのち、美術史の学位を修了し、大学院で写真を学んだのですが、いわゆる写真で作品を作るということにあまり自分自身がしっくりこなかったんですね。アートの世界ではなんといっても絵画と彫刻がヒエラルキーのトップで、写真は隅に追いやられている感じでしたから。僕の目的は写真よりもアートそのものをやることだったので、写真的でありペインティングでもある作品を作ろうと思ったのがきっかけでした。
最初は布の上に車のタイヤを置いて、そのまま屋外で太陽光に晒し続けました。すると、抽象(完全な円)と、完全な具象(タイヤの形)の両方が創り上げられたのです。次に貨物用のパレット(フォークリフトのための平台)を同じようにキャンバスに並べて放置してみたら、すのこ状のパレットの跡がくっきりと現れて、ミニマリズムのグリッドのイメージができ、まるでアグネス・マーティンの抽象画のようになりました。またそれはよく見る国際的な輸送構造のようにも見えます。
SF 置いたもののシルエットは抽象表現となり、同時にそれは実際のものの指標となるような等身大のリアルを写したものでもあるという二重構造が面白いなと感じ、また日光に晒された時間の経過と露光がキャンバスにとどめ置かれたように思いました。
SF 最初は「太陽光」を使った作品。次に取り組んだのは「雨」です。僕の母は画家で、シルクの上にエアブラシを使って制作するのですが、ある夏、僕はバーモント州にある母のアトリエで数週間過ごした時、いくつかの新しい作品を作りたかったのですが、毎日雨が降っていたんです。僕が生まれ育った彼女の家はシダが生えた野原にあり、私にとってそのシダはそのエリアを象徴的にあらわしているものでした。そこで、その一帯に生えているシダの葉を屋外に敷いたキャンバスの上に並べて、母が使っている粒子状の特殊な顔料をその上にふりかけて、雨に当てて染料を結晶化させました。そうして出来上がった作品が今のシリーズにつながっています。
——季節や天候によって、作品の仕上がりが変わるのでしょうか?
SF その通りです。たとえば同じ季節に同じような植物を置いて制作しても、ある作品は霧や朝露によりたったふた晩で完成し、もう一方は激しい雨に晒され2週間かかることもあります。それらの最終的な美しさはかなり違うものになります。元々は1つのレイヤーの植物で作品を作りましたが、今は置いた植物を取り除いて、新たに別の植物を並べて顔料を撒くという作業を繰り返し4つ、5つのレイヤーを重ねることもあります。いつも自分の予想通りにはいきません。ちょっとした傾斜がある部分には顔料が流れて色がつかなかったり、風で顔料や草が吹き飛ばされたり、虫が這った跡や動物の足跡がついたり。僕の作品は環境が描く、とも言えるでしょう。いつも予想だにしない新たな結果が生まれることが僕にとって一番大事なこと。そうでなければ作品を作る意味がありません。写真の暗室作業で現像液に浸した紙にゆっくりと像が現れ、陶の作品を釉薬焼成した後に窯を開けるのをワクワクして待つのと似ていますね。
草花がもつ時間への記念碑
——陶フレームの中に草花の写真をおさめた作品もありますね。
SF 私の妻は陶芸家で、スタジオを共有していて窯が家にあるので、最初は助言を受けながら実験を始めました。まず4×5カメラで、自分たちの庭に咲いている草花のポラロイド写真を撮ります。その草花が朽ちていったら、それを摘み取り、陶土に押し付けて窯で焼成します。すると植物は灰になり、草花が焼けた跡だけが残る。そこに釉薬で色とガラスをつけてもう一度焼くと、ご覧のようなフレームが出来上がり、中に元のポラロイド写真をはめこみます。野にある植物がやがて枯れてしまうことは自然の成り行きですが、寂しい気持ちになりますよね。自分の庭で花々が咲いているのを見る時、私は喜びに満ち溢れ、つぎの瞬間には朽ちていくことに不安を覚えます。それは自分の子供達に対してもそうです。ポラロイド写真は、咲いている時の美しさを保たせ、陶のフレームはその完結した生命の大きさや形をとどめている。植物の生命と死を共存させ、それらのメタファーを導こうというのがこの作品の狙いです。言ってみれば草花の、時間に対する記念碑のようなものでしょうか。色彩と土といった自然にあるエレメンツの合体であり、窯から出すまでどんな色に仕上がっているのか分からないという点も僕を魅了します。そして10年前から始めた「写真」と、5年前から取り組んだ「陶芸」、この二つが融合したという意味でも、僕にとってメモリアルな作品です。また、私が使っているフジクロームのインスタントフィルムは10年以上前に製造中止され、ほぼ廃盤となっており、写真にとっての記念碑ともいえます。
——家やスタジオの周り以外でも、いろんな場所で作品づくりが出来そうですね?
SF 以前はむしろ画材を持って旅に出て、キャンプをしながら作品を作ることの方が多かったのです。パンデミックで旅行ができなくなり、ニューヨークの家とその郊外のハドソンバレーのスタジオに引きこもっていた頃に、例外的に家の周りで制作した作品が今回は展示されています。家のすぐ裏には国有林が広がり、また自分自身で30エーカー(=サッカーグラウンド約30面分)のガーデンを持ち、そこで草花を育ててもいます。
以前はアメリカの各地やハワイ、フランス、フィンランド、スイスなどに出かけていき、ローカルな植物を使って制作しました。アメリカの森の奥深くに野営しながら作った時は、途中で雪が降り、水分を含んだキャンバスが重すぎて持ち帰れず、結局3年間もそのまま放置した作品もあります。それぞれの土地の気候や天気や植生の違いによって、まったく異なる印象の作品が生まれる、サイトスペシフィックな作品だと言えます。
——ところで、出展作には松尾芭蕉の俳句や三島由紀夫の著書名からヒントを得たものがありますね。それはなぜですか?
SF 18歳の時に1学期間、松尾芭蕉について学ぶクラスを取ったんです。当時から日本の文化や仏教思想に惹かれていました。芭蕉や三島に限ったことではありませんが、私は日本文化の過ぎ去っていく時間に対する哀惜の念や悲しい感情の中に美を感じます。それは西欧社会ではあまり目が向けられていないことで、興味深く感じました。そうした日本の思想が僕の作品に少なからず影響を与えているとも思います。
——作品は1920年代に写真家のマン・レイやモホイ=ナジなどが制作した「フォトグラム」(印画紙の上に直接ものを置いて感光させた写真作品)を彷彿させます。
SF マン・レイもモホイ=ナジも学生の頃から好きで、もちろん影響を受けていると思います。
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