広告として目にした風景や人物だったが、それから少しだけ時が過ぎてあらためて見たとき、広告の輪郭が薄れ、写真の良さ、強さだけが残り心に沁み入ってくることがある。そんなふうに感じさせてくれたのは、上田義彦が中国で撮影を続けた烏龍茶の広告に使われた写真を見たからだ。
Text by Yoshio Suzuki
Art Works © Yoshihiko Ueda
installation view at Tomio Koyama Gallery, July 29 – Aug. 26, 2023.
Courtesy of Tomio Koyama Gallery / Photo: Kenji Takahashi
写真家、上田義彦がサントリーの烏龍茶の広告のために20年あまりにわたって、中国で撮影した写真の展覧会が六本木の小山登美夫ギャラリーと代官⼭ヒルサイドテラス・ヒルサイドフォーラム、gallery ON THE HILL(8⽉13⽇[⽇]まで)の2カ所で開催されている。
小山登美夫ギャラリーでは女性を被写体にした12点の写真が大きいサイズではおよそ120×170cmなどの大判にプリントされている。
上田義彦は40年のキャリアを通じて、広告、自身の作品作りで目覚ましい仕事を続けてきた。このシリーズも彼にとっての標準機材である8×10の大判カメラで人物や風景を鮮やかに描写してきた。テレビ画面で烏龍茶のCMとしてみていた同じ場面をこの写真展で大判カメラの描写力を見せつけられ、その精緻さや描写力にまず驚く。そして、表現の力。彼が屋久島やアメリカの国立公園の原生林を撮影するときなどのパンフォーカス(全ての奥行きに焦点が合っている)の描写とは逆に背景の美しいボケ味で見るべき対象を引き立たせる。
さらに、8×10のカメラを扱いつつ、手元には使い慣れたライカを携え、撮影の合間のひとときや旅のスナップを記録してきたのだそうだ。
公園だろうか、広い庭だろうか。グリーンを背景にして、紺色のワンピースを着た少女たちが楽しげに踊っている。思わず見惚れる。素朴さも感じ、誰もが、ああ、いいなぁとホッとする光景だろう。どこかで見たことがある気がする。そうだ、烏龍茶のCMのために撮られたものだったと思い出す。
「予定していた撮影がすべて終わり、次の日、1日だけオフ日が出来ました。僕たち撮影スタッフが宿泊していた場所の裏に広い庭があり、そこにモデルたちを呼び集めて、なんとなく踊ってみて、という感じでこのときはライカでパチパチ撮ってみたんです。そうしていると、スタッフが集まってきて『これ面白いから、正月広告にいいんじゃない?』という話になり、急遽ムービーカメラも回すことになったんです」
優秀なスタッフを揃え、緻密にセッティングされた商業的な写真があり、ちょっとした偶然により、こういったシーンに恵まれた僥倖。
いくつもの幸運や偶然も重なり、この仕事が形作られてきた。撮影を始めた1990年頃は中国もこれから発展していこうという時期で、大きな変革も起こる前。ある種の素朴さも残っていた。それから10数年で経済大国になり得るのだが。日本の広告制作の現場から見ても、20年あまりもの間、基本的に同じスタッフ構成で、同じ考え方を守り一つの商品の広告を作っていくという方針は現在ではあまり見られない。それが実現していたこの仕事はなんと恵まれた状況だったのだろう。そもそも広告の在り方自体も様変わりした。広告メディアとしてネットが重視されてきたことの影響も大きいだろう。
「近年の広告では主流になった刺激的な表現、面白い見せ方とは対照的に、烏龍茶の広告はゆっくりとだけど、常に良い変化をしていきながら、展開していけたと思っています。それが、2011年の東日本大震災を機に終わることになったんです。自分としては、続けたかったのですが、それは広告主企業の決めることなので仕方がない。正直にいえば、今でも続けられていたらと思っているほどです。そんなこともあって、今回、作品集にして、展覧会もやりました。特に若い人にも見てもらいたかったので」
この女優、范冰冰(ファン・ビンビン)を起用した回の撮影のため、撮影クルーが中国に到着したのが2011年3月11日。震災のニュースは伝わってきたが、詳細がわからないまま予定の撮影は消化していった。帰国すると、未曾有の大震災のあと、一般的なテレビCMなど、広告はしばらく自粛期間があった。そしてその後、この烏龍茶の広告についても話し合われた結果、このときのロケを最後に上田のこのシリーズは終了となった。
年に多いときで7〜8回、このシリーズのために中国に出かけて行った上田にとって、この仕事に精力を注いでいただけに、無念ぶりは通じてくる。当時、他にも多くのクライアントを持ち、大々的なキャンペーンの仕事を複数抱える多忙な上田がこの烏龍茶の広告の仕事を最優先して、スケジュールを組んでいたのだという。
「映像には誰でも知ってる日本の歌謡曲やアニメソングを中国語で歌った音楽が流れます。それで今回の写真展のタイトルも『いつでも夢を』なんですが、吉田拓郎の『結婚しようよ』を使ったとき、僕も結婚しようかなと思って、その出張から戻ったとき、結婚したんです。撮影のモデルの女性や自分の子どもと同じくらいの子役の子を自分の家族になぞらえたりしたこともありましたね。たとえば、このシーンは、子どもの授業参観の帰り道、写真を撮ってみようと言われた妻のポートレートという想定で、とか」
上田にとっては自身の思考、作風や技術が十全に発揮できるテーマ、シチュエーションだったのはもちろん、折々に自分の人生を重ね合わせながら、あるいは人生を寄り添わせながら作っていけた、文字通りライフワークのシリーズだったのだ。
最初、広告として触れた写真が少し時間を過ぎたことで、広告というフレームが外れ、その画像のイメージだけが残る。それは上田の写真の圧倒的な力にほかならない。一方、見る側にとっては、かつて見たことがあり、その写真を見て思い出して、あらためて感動が呼び起こされる。写真家からすれば、一度は見てもらえたであろう写真を再び目の前に出現させることで、親しみ、懐かしさをもって迎えられる喜びがあるだろう。それが実現できている、上田は幸福な写真家である。
「カメラを向けたときに、これは広告だからとか、これは作品だからと考えることなんてないんです。分けられるわけはないんです。学生たちによく話すんですが、写真というのは鏡である、と。自分が写っているんだと。考えていることが写ってしまうともいえる。読み取られてしまうんです。本人が大喜びで撮ってるものは喜びが感染していくんです。写真を見る人は撮った人間と同じ体験をしていきます」
幸福であることに加え、なんて、自由で余裕のあるやり方で写真に接しているんだろう。
「ドキュメンタリーであろうと、雑誌のファッションシューティングであろうと、広告であろうと、分ける方がおかしい。カメラを覗き、瞬間的な高まりはもちろん一緒でしょう。家族写真だって、建築だって、いいなぁと思って撮ってるんです」
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