絵とはなにか。その問題をずっと抱えて、日々制作している。洞窟壁画を見学に行って、旧石器時代の人々の画力に感動する。歴史上の画家たちのアトリエを訪ね歩いて、ヨーロッパ、アメリカにも出かける。そしてこれまで無かった絵を生み出す。それが画家、髙畠依子だ。彼女の制作現場を見せてもらった。
TEXT BY Yoshio Suzuki
PHOTO BY Mie Morimoto
Thanks to SHUGOARTS
東京・八重洲のアーティゾン美術館では展覧会「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」が開催中だ。20世紀美術の主要な動向である抽象絵画の歴史をその発生から追っていき、最後は新たな表現に挑む現代のアーティストたちまでを紹介する。その現代作家の一人に選ばれた髙畠依子のアトリエを訪問し、独特の手法による絵画の現場を見てきた。
髙畠はアトリエとしてJR中央線のある駅から歩いて数分にあるビルの1フロア、それとときに屋上を使っていた。もともとはオフィス用として建てられたビルだろう。最初の印象は画家のアトリエというよりは、工芸作家の仕事場、あるいは小さな工房という感じだった。さまざまな材料や薬品のようなものが点在している。
このビルのアトリエとは別に大きな作品を制作する場所を確保してあった。そこでは今回のアーティゾン美術館での展覧会に出品される3点のうち、最大の作品が制作途中だった。素材は漆喰とアクリル絵具、玉結びを施したカンヴァス、それにパネルだが、取材時点の段階では漆喰とアクリル絵具はまだ出番前。こんな感じだった。
取材は展覧会オープンのおよそ4カ月前だった。このカンヴァスを漆喰で覆ったあと、それを水でスポット的に洗い流して、その地に迫り、最終的に全体が織りなすイメージが抽象的な表現となる。そうして制作され、展覧会に出品された作品と作者の髙畠依子さんを撮った。
この作品シリーズはなぜ《CAVE》=洞窟なのか。
2019年、髙畠は友人と洞窟壁画を見に行った、その体験と深く関係している。フランス南西部にあるレゼジー地方遺跡群に出かけたのである。ラスコーの壁画は有名だが、それ以外にも壁画の描かれた洞窟は周辺にたくさんあり、人数制限はあるが、見学することができるのだという。クロマニヨン人の人口集中地帯だったと言われる地域だ。髙畠がそこをおとずれたのは、最初の絵、最古の絵を見たいと思ったからだった。洞窟ごとに、時代も違い、描き方も違う。描いたり、掘ったりなどの表現も異なるらしい。
「洞窟壁画を見ていて、それらは見せるために描いているとしか思えなかったというのが感想です。残そうとしている彼らの意志が伝わってきました。それらはよく、豊穣の祈りのための絵と言われ、それももちろんあると思いますが、鑑賞者を意識し、そのために描いているに違いないと。大きい絵もあります。5メートルもの牛とか。高いところや少し離れたところに描かれていたりします。彼らのやっていたことは自分たちのやってることと変わらない。絵としてすごいですね。現代の人たちよりもうまいとも思えたのです」
彼らは馬を描くとき、たとえば鍾乳石の垂れ下がっているところを馬の脚の部分に持ってくる。洞窟のあり様を活かし、動物の躍動感とかまでが立ち現れてくる。マンモスの目は岩がゴツンと出ているところを利用していたりするそうだ。支持体と絵の密接な関係についてあらためて考える機会にもなったという。
「そうだ。そこから絵は始まっているのだと。そうして、自分が今、生きている日本人としての洞窟壁画みたいなものを作りたくなったんです。その旅から帰ってからそれをずっとやりたくて。支持体であるカンヴァスから仕事を始めなければということで、実際に機屋に行ったりして、さて、その上になにをのせるか。油絵具じゃないなと考えました。そもそも市販のカンヴァスって何でできるかと調べると、ヨーロッパのカンヴァスの白亜地の白亜というのは石灰岩を砕いたもので、それって洞窟の成分と同じわけで、なんだ、洞窟壁画とカンヴァスは同じ素材なのだと。つながったわけです。では、日本で石灰岩というとなんだろうと考えていって、生成の工程や特徴は違うのですが、漆喰にたどり着いたというわけです」
CAVEシリーズ以外でも、いくつもの実験を繰り返し、作品制作に結びつけてきた。たとえば、酸化第二鉄を成分とした絵具は磁力に反応するので、絵具を磁石で誘導して、引き寄せていくシリーズなども考案、制作した。
このアトリエもただの画室という空間ではなく、実験室的な場となっているのだが、本棚を見ても、特徴が表れている。ゴンブリッチ『美術の物語』やホックニー『絵画の歴史』と並列に並ぶのは、『岩石の科学』『岩石・鉱物図鑑』『石ころ博士入門』、さらには『ナショジオが行ってみた究極の洞窟』『オレはどうくつ探検家』などなど。
画家として絵を生み出す仕事をするにあたって、素材から絵の原点、成り立ちをずっと考えている彼女だが、絵の生まれる現場にも大いに興味があり、そのため、画家たちのアトリエを多く訪問してきた。南フランスのカーニュにあるルノワールのアトリエ、ジヴェルニーのモネの庭、イタリアのボローニャにのこっているモランディのアトリエと近郊の町、グリッツァーナにある夏のアトリエ。アメリカ、ニューメキシコ州のオキーフの家を訪ねたり。
髙畠は東京藝術大学大学院博士課程のときに「絵画ってなんだろう」という論文を書いた。それは、抽象画家、アグネス・マーティンの作品は織物に見えて、テキスタイルデザイナー、アニ・アルバースの作品は抽象絵画に見えるのはなぜかということが契機だった。アメリカ、コネティカット州ベサニーのジョセフ&アニ・アルバース財団で2カ月、レジデンスし、アニの作品を丹念に調査、スケッチした。それもまた、平面素材の素材と技法を問い直す貴重な経験、そして彼女の制作の原点となったのだった。
彼女は絵画と画家たちを訪ねる過去への旅を続けていくのだろうし、自身の表現として、これからの絵画を切り拓いていくという未来への旅が待っているのだろう。
鈴木芳雄|Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌「ブルータス」元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。
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