見慣れた日用品やモノを使って見慣れぬ空間を創り出し、観る者に不思議な違和感を感じさせるアーティスト、玉山拓郎。東京・六本木の森美術館で開催中の「六本木クロッシング2022展:往来オーライ!」に出展している作品と、過去の創作をふり返りながら、創作の意図を尋ねた。
PHOTO BY KOHEI OMACHI(PORTRAIT)
TEXT BY MARI MATSUBARA
何もかもが真っ赤な光に染められた部屋の中に、様々な大きさの真っ黒い立体物が複雑に組み合わされている。それらのオブジェは壁のようでもあり、家具のようでもあるけれど、そこに腰かけるには座面が高すぎるし、横たわるには異様に大きい。立体物に埋め込まれた3つの古いテレビ受像機から、多角形の3D生成のような映像と重低音が流れ出ている。一瞬どこに迷い込み、何を見せられているのか分からず、自分の感覚を疑い、不安な気分にさせられる。玉山拓郎の作品は、いつもそんな「ズレ」や「違和感」をもって私たちの知覚を揺るがせる。
——今回の新作について、創作の意図はどんなところにあるのですか?
玉山 以前は作品の中にもっと要素が多かったり、形態が複雑だったのですが、最近では要素が整理されてきて、過度な質感や形状を持たなくても自分の表現したい世界が作れるようになりました。たとえばドナルド・ジャッドは直方体を並べただけの作品など、表現を究極に削ぎ落としているけれど、そのコンポジションにジャッドらしさがちゃんと備わっているし、単純に物質的な魅力もある。ということは、削ぎ落としてもなお表現できることがあるだろうと思って取り組んだのがこの《Something Black》でした。平面を組み合わせた単純な立体だけで何らかの空間性を想起させられないかと考えました。あと、モダニズム建築が好きで、それを取り入れられないかと思ったことも背景にあります。ダントツに好きな建築家はルイス・カーン。シンプルな構造で非常に豊かな表現をする建築作品に惹かれます。日本でも世界的にも、モダニズム建築はどんどん壊され、旧時代のものとして忘れ去られようとしていますが、僕にはあの形態に普遍性があるように思えます。表現がミニマルになっていったことと、モダニズム建築への憧憬をシンクロさせながら、自分なりの表現にまとめました。
——シンプルな立体物と赤い光と音。それだけなのに、なんだか不穏な気分にさせられます。
玉山 自分の作品では常にもののスケール感がとても大事で、観る人が受ける印象を狂わす効果を考えています。あの立体物は人によっては家具のように見えると言うけれど、ふだん見慣れている空間要素より確実に大きいな、高いな、と思うはずです。信じていた自分の感覚とズレが生じた時、人は不安を感じたり、違和感を覚えたりする。さらには建造物や街並みのようにも見えてくる。そこにはあらゆるスケール感が内在しているのです。
——鑑賞者の目線からはずいぶん離れた高い位置や低い位置に古いブラウン管テレビが埋め込まれ、映像が流れていました。あれは何を示唆するのですか?
玉山 映像も僕の作品には重要なファクターです。黒い板が組み合わさってあの部屋にあった立体物のような形が生成されたり、反対にバラバラに解体されていく様子を映像にしたものがループされています。コンピューター上で映像を作るのですが、様々なレイヤーを重ねて一つの立体的なイメージが出来上がります。レイヤーの配置によって奥行きや背景が生まれ、一見そこには空間があるように見える。でも実際にはデータが重なっているだけで、厚みも奥行きも距離も存在しません。言葉にすると当たり前なことですが、完全に2次元の世界に空間性が生まれるって、どういうことだろうとも思うわけです。わかったようで本当には理解しきれていない2次元の世界を映像の窓のようなものを通して、空間性を問う作品の中にしのばせました。
——ブラウン管テレビという前時代のプロダクトをなぜ使うのですか?
玉山 自分ではレトロなものを取り入れようという意識はなく、そもそもブラウン管を懐かしいと思う世代でもありません。単純に現代のプロダクトにはない物質的な魅力を感じました。僕の好みなのかもしれませんが、80年代のプロダクトデザインには機能美というよりも彫刻的な美を感じさせるものが多いと思います。たとえば最近のテレビはどんどん薄くシームレスになり、画面の縁も消滅しそうです。でも縁があることで美しかった面もあるし、厚みやボリュームがあるからこそものとしての存在感もあった。それを消し去ってしまいたくないと思うのです。あと、ブラウン管から出力されたイメージのざらついた質感が作品に合うと思ったからでもあります。また、一つの作品の中で時代性を倒錯させたい、という思惑もありました。
——もともと大学では油絵学科だったそうですね?
玉山 油絵学科にいながら、いかに絵を描かずに課題を回避しようかと考えている学生でした。アッサンブラージュのようなオブジェばかり作っていて。ある時、大学内で自分が作ってきた作品を並べて個展を開くという機会がありました。空間の中にどう作品を配置するか考えていた時に、何をどう置いても、そこにはいつも床や天井や壁があり、窓からは光が差し込んでくるということに気づいたんです。作品の展示にはどうしたって外的環境との関係性が生まれる。これって当たり前のことなのに、案外スルーされてきているなと思いました。壁に絵をかけるだけでも、そこには環境が作用している。ひょっとしたら自分は絵画や彫刻という一つのオブジェクトを鑑賞してもらいたいのではなく、空間性そのもので表現できないだろうかと考えた、それが創作のモチベーションになっています。
——玉山さんの他の作品にも通じることですが、見慣れたはずの物に非日常を見たり、レトロなのか未来的なのか、あるいはその両方を感じることがあります。
玉山 その効果を狙っているわけではないのですが、結果的には知っているはずのものがちょっとズレて見えるとか、見えてなかったものが見えてしまったことによって違和感を覚えさせる作品になっているのかな、と思います。僕はホラー映画が大好きなのですが、ホラー映画も全く未知なる存在が出てきて怖がらせるというよりは、よく知っているシチュエーションや分かっているはずの事物から禍々しいことが発生するからこそ恐ろしい。その仕組みを論理的に分析しているわけではありませんが、ホラー映画がもっている空気感に影響された面が創作に多少影響しているのかもしれません。
——ここからは過去の作品も振り返りながら、お話を聞かせてください。
玉山 以前から円と円の接点に興味を持っています。接点をいくら拡大していっても接点のレベルは変化せず、永遠にたどり着けない。知覚できないスケールのレベルがここに存在しているのではないかと思い、自分の作品に多用しているアイコニックな存在です。片方の円を長く引き伸ばしたら、抽象化された人の形にも見えてくる。《Dirty Palace》の展示ではミラーで作ったのですが、鑑賞者が映り込むことによってその人自身もある種オブジェクトとして作品の中に内包されます。のちに平面で作ったこの形をモーターで回転させたり、無垢のステンレスの削り出しで立体作品にもしました。
玉山 ルイス・カーンの本を読んでいて、彼は蛍光灯のことをStatic light(静的な光)と呼んで嫌っていたことを知りました。光は本来変化を伴うものであるというのがカーンの主張です。じゃあ、変化のない光で起こせる変化とは何だろう?と考えて生まれたのがこの作品です。この空間の中にいると、補色と残像の効果で外の景色が青緑色に見えるんです。この中に佇むだけで、視覚的にも心理的にもいろんな変化を感じることができるはずです。
玉山 かつて新聞を印刷する輪転機が並んでいた空間での展示なので、回転する円のコンポジションを蛍光灯の光で表そうと考えました。一番手前の形状と一番奥の形状は90度角度が変わっていますが、その間、円筒がねじりながら回転していくプロセスをスクショしたようにとどめた形状を配置しています。円と回転は以前から変わらず探究し続けているテーマです。
玉山 《Static Lights》のアイデアを黒川紀章の建築とどう呼応させるか、がテーマでした。吹き抜け空間の3階にあるレストランを支える円錘状の柱の一部分を採寸し、全く同じサイズの曲面の壁を赤い蛍光灯で作り、床に寝かせました。原寸大であることに気づかない人も、何となく柱の形状と似ているなと感じるかもしれません。オブジェクトというより建築の一部と捉えることもできる。美術館という空間における作品のあり方をも示唆しています。
玉山 「斜めに切ったら滑り落ちる」という至極当たり前なタイトルをつけてみました。重力や水平線など、地球上の絶対的な基準の曖昧さを投げかけてみたかった。これを観た人から不安な気持ちになったとか、自分がどこにいるか分からなくなったとか、いろいろな感想をもらいましたが、ものの見え方を少しでも揺るがすところまでは持っていけたかなと。蛍光灯の面の角度は18度に傾いていて、これは時計の文字盤を回る秒針の3秒分の角度です。3秒というささやかな時間を巨大な蛍光灯のボリュームで示した、ということもできます。椅子の存在は状況設定にもなるし、時間をとどめるメタファーでもあります。レトロっぽくも未来的にも見えるということはつまり古くもなく新しくもない、ある種の不変さを物語っています。
玉山 よく見知っている道具が変化を起こしていることに対して、何を思うか? 最少の表現で言いたいことを表した作品の一つです。安価でペラッとした古いプラスチックの素材感と、ざらついたコンクリートの質感。その関係性を端的に再構成しています。
玉山 2次元のものと3次元のものがアッサンブラージュ的に入り混じっています。次元が交錯する瞬間であり、空間的な意識を持たせた平面的作品。のちの作品につながるスタディワークに近いものです。
玉山 その向こうにある別の空間を示唆するものとしてカーテンもよく使います。横方向に広がっていく空間も想起させるし、実際に拡張していくことができるという意味では、作品に大きな作用をもたらしてくれます。
「六本木クロッシング2022展」での《Something Black》の展示は3月26日(日)まで。そこに足を踏み入れることでしか体感できない感覚を、会場を訪れてぜひ感じてみてほしい。また天王洲のギャラリー〈ANOMALY〉では4月8日(土)〜28日(金)、玉山拓郎個展「Something Black」で、この作品を変化させた新たなバージョンを展示する予定だ。
SHARE