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[SIDE-A]森山大道 × 大竹伸朗|対談——見るもの触れるもの、全てが俗になる瞬間、世界は輝き始める

互いに畏敬の念を抱く画家と写真家が10年ぶりの再会を果たした。東京国立近代美術館で開催中の「大竹伸朗展」(〜2023年2月5日)の会場を共に徘徊し、撮り、撮られ、語り合った貴重なある日の午後——。[SIDE-A]では森山大道が撮り下ろした写真でお届けします。

Photo by Daido Moriyama
Text by Mari Matsubara
Cooperation with Satoshi Machiguchi

手前:《男》1974-75年/165×83×53cm(部分)富山県美術館

大竹伸朗と森山大道が初めて会ったのは20年以上前のことだ。2004年には宇和島を拠点に活動する大竹を森山が訪ねて写真を撮ったり、2007年に出版された森山の写真集『ハワイ』の題字デザインや記念グッズを大竹がデザインしたり、いくつかの仕事で二人は接し、ほどほどの距離感で交流してきた。しばらく会わない間も事あるごとにカードを送り合う二人が、こうして顔を合わせるのは実に10年ぶりだという。

「ここは10代から20代の頃の初期の作品が多いです。でもそんなに時間が経ったという気がしないなぁ。一個一個、スタイルが終わったんじゃなくて、ずいぶん経ってから、昔やっていたことを『あ、いいな』って思ってまた始めることもあるし」(大竹)

手前:《時憶/フィードバック》2015年/42×42×96cm(部分) ターンテーブルが5分に1度まわり、その上で針金人形が踊らされる。頭上には紙切れや布きれ、新聞紙、フェルト、ギター弦、ケーブルなどが絡みつき、あたかもスクラップ建築のよう。

《モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像》2012年(部分) ドイツ・カッセルで開催された国際芸術祭「ドクメンタ13」で発表された作品。手前の「キャンピングトレーラー」と奥の「小屋」で構成されている。「モンシェリー」とは大竹が暮らす宇和島にかつてあったスナックの名前。

《モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像》の小屋の内部には、巨大なスクラップブックがページを開いて屹立している。チラシ、看板、布切れ、紙焼き写真、電線やコード、あらゆる断片が貼り重ねられ、スピーカーからは昔の演歌をはじめ、様々なノイズが流れる。「新宿の路地よりすごいよ。いやー、いいね」(森山)

——展覧会をご覧になって、どんな感想を持たれましたか?

森山 もうさ、圧倒的な量の作品群を最初から終わりまでひと通り眺めたんだけど、大竹さんの風景の中を通り抜けてきた感じがするね。コラージュや、スクラップブックや、いろんなものが層になっている立体作品とか、完全に“ボロ”が宝石になっている世界なんだよ。ボロって、別に卑しいとか汚いとか言っているわけじゃなくて、ボロだなーと言う感覚、それが見事に大竹さんの作品では宝石になっている。一つ一つの作品がどうのと言うよりも、大竹さんの風景を感じた。もっと見ていたいと思ったな。

《網膜台(アンブルサイド)》1991-92年/173.5×212×114cm(部分) ベタベタとあらゆるものが貼り付けられた革製トランクからこぼれだす紙焼きの写真。いつかの、どこかの誰かの記憶のひとすじ。

《網膜台(アンブルサイド)》を中央に据えた展示室。80年代前半に描かれた油彩が並ぶ。

大竹 いや、畏れ多いですよ。森山さんはストリートの大先輩ですから。僭越ながら森山さんに惹かれるのは、そこに写真論とか芸術論があるわけではなく、理屈もなく、もう生理と言うか反射神経で写真を撮られているから。以前、宇和島に撮影に来られた時に、どういうところを撮られるのかなぁと、後ろにくっついて行って拝見したんですけど、僕自身が拾い上げようとするところと近いところを撮られていたから、びっくりしました。

森山 大竹さんと僕はある種、生理的なところで近さがあるよね。

大竹が初期から作り続けているスクラップブックを一堂に展示したコーナー。「あったかい光で見せたくない。客観的に、標本のように見せたい」(大竹)との意図から蛍光灯の入ったケースに収められている。手前にあるのが2018年から2021年にかけて制作された最新作。

大竹 毎日スクラップブックにいろんな紙切れやらゴミやらを貼り続けているけれど、「何故これを選ぶんですか?」とか「どうしてこれを貼るんですか?」とかよく聞かれます。でも、答えようがない。もう反射神経でしかないから。モチーフの統一性など考えたこともない。ところが現代美術の枠組みでは作品のコンセプトの説明を要求される。でも説明なんかできないから作品を作っているわけで。で、その問いに答えられないと「コンセプトが曖昧だ」とか批判されるわけ。そういう葛藤がいまだにありますよ。でも、突き詰めると「好きだ」という気持ちだけだから。俺、他にやりたいことがないし、これ以上面白いことがないんですよ。森山さんもそうでしょう?

森山 僕も体の調子が良ければだいたいカメラを持って散歩に出ます。それは、外に出たいからなのよ。触れたい、すれ違いたい。そこになんの意味もないんだ。意味は後から誰かがつけてくれればいいわけで、こっちはただひたすら見たい、撮りたい、通りすがりたい。大竹さんは海外に行かれると、現地の蚤の市とか路上でいろんなものを収集されるでしょ。あれすごいよね。大竹さん、どこへ行ったって変わらないなー、って思って嬉しくなっちゃう。

大竹 世間一般から見た価値あるものに全然グッとこないんです。反対に、どうでもいいものに無性に愛おしさを感じちゃったり。他人から見れば「これのどこがいいんですか?」というものにグラッと気持ちが動く。

森山 自分で言うのもなんだけれど、常に「俗でありたい」よね。それよりいいもの、ないもん。見るもの触れるもの、全ては俗だと思った瞬間、世の中は素敵に見えるよ。

大竹 同感です。森山さんの写真は、悪い意味ではなく「はすっぱな感じ」がいい。下卑たものに反射的に気持ちが動くところがいいなぁ。

森山 というか、「下卑てねぇよ」って言いたくなるんだよ。そういうふうに思っちゃうと終わりだし、つまらない。何かを見て「おおっ?」と感じることがすべてで、それ以上でも以下でもない。だから、大竹さんの展覧会を見ていても、まさにずーっと「おっ?」の連続で、たくさんの「おっ?」に埋もれている感じ。単純に言ってしまって申し訳ないけれど、実に格好いいなーと思う。

《東京―京都スクラップ・イメージ》1984年/203.4×1622cm(部分)公益財団法人 福武財団 複数の油彩とコラージュからなる幅約17メートルに及ぶ作品の一部をクローズアップ。印刷物やカラーコピーや写真のおびただしい断片の集積。

大竹 20年以上前、森山さんのインタビュー記事の中で、「最近興味があることは何ですか?」という質問に「大竹伸朗の『既にそこにあるもの』という本が面白かった」と答えてくださっているのを発見して、びっくりしたし、すごく嬉しかったんです。

森山 だって『既にそこにあるもの』というタイトルがすごいじゃない? そんなこと言われたら、僕らカメラマンはお手上げだもの。写真を撮るということは、まさにそれしかないんだから。おーっ、言われたなーと思ってね。だから僕と大竹さんは、かすかに重なりあうところがあるんだろうね。

大竹 そう言っていただけるのはとても嬉しいです。

森山 僕が撮る1枚と、大竹さんの作品がどこかすっと重なり合うところがあると感じるんだよ。「一瞬重なる」って大変なことだよ。簡単には他人と重ならないよ。大竹さんは重なっちゃう、僕にとってはそういう唯一のアーティストだね。

——大竹さんの作品には写真を使ったものもたくさんありますね。

《網膜(右眼)》1990-91年/314×150cm(部分) 失敗したポラロイド写真フィルムから着想を得た「網膜」シリーズの作品。油絵の具や石膏などを塗り重ねた層の上に、海外の蚤の市などで入手したモノクロ写真が連なる。

大竹 たとえば「網膜」のシリーズは、失敗した剥離式ポラロイドのペロっと剥がした方(ポジ受像紙)を大きく引き延ばして現像したものがベースになっているんですが、別に写真で何かを作ろうと思ったわけではなくて。ゴミ箱の中にたまたま失敗ポラが捨ててあったのを見た時、自分が描きたいものが「既にそこにある」ってことに気づいたんだよね。何でこんなにいいものが自然にできるんだろうっていう驚き。ポラに興味を持ったとすら言えなくて、ただ「それが落ちていた」だけ。自分にとって完璧なものが既にゴミ箱にあった、逆算すればそれが写真だったというだけなんだけど。

森山 そういうことだよね。

——2階の展示室は《ダブ平&ニューシャネル》など、音をテーマにした作品が展示されていました。大竹さん自ら楽器を遠隔操作で動かしてもらいました。

《ダブ平&ニューシャネル》(1999年、公益財団法人 福武財団)をコントロールブースから遠隔操作する大竹。視線の先のステージではベースの「ボブ」、リーダーでサイド・ギターの「ダブ平」、リード・ギターの「エイジ」、ドラムスの「アダム」が演奏する。

森山 大竹さんはもともとミュージシャン的な感覚がありますよね。僕はないんだよ。ド演歌のカラオケだけだから。《ダブ平&ニューシャネル》は、大竹さんが街中のノイズのような、いろんな俗な音をわあっと集めてきた、ひとつの宝石箱だよね。自動演奏の楽器の足元にチラッと古いレーザーカラオケのモニターがあって、昔のカラオケ画面なんかが映っているのを見ると、ああ、大竹さんだなぁと思って嬉しくなる。

大竹 現代美術でさえ、音楽と絵画を別々の分野として捉えますよね。なんでそうなのか、わからない。自分はメロディやリズムのある音楽を聴くのは好きだけれど、それを作ろうとは思わない。街中の音を切り貼りしているほうが面白いから。《モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像》の前をさっき森山さんと一緒に歩いていたら偶然、外国人が訛った日本語で歌う「夢は夜ひらく」がかかりましたよね。一瞬にして昔の六本木の路地裏に飛んで行ったみたいだったな。

森山 《ダブ平&ニューシャネル》のステージの裏側にもトタン板とか張り紙がいっぱい貼ってあって、そこに新宿ゴールデン街の一部があるよね。それが面白いんだ。

大衆演劇のような幕が左右にスルスルと開き、無人バンド《ダブ平&ニューシャネル》のショーが始まる。楽器を改造した作品のほか、レーザーカラオケ機材も設置されている。

大竹 今回は展覧会カタログにも力を入れました。2006年に大回顧展「全景 1955-2006」をやった時に1,200ページの分厚いカタログを作ったので、今回は全然違う形式にしようと思って。テキストだけを1冊の本にまとめて、作品画像は新聞の紙に刷ることにしたんです。サイズ違いの特大用紙に、1冊のスクラップブックの全見開きページを撮影して並べたり、作品ディティールが分かるようにしました。新聞は刷ったらすぐに折りたたむものなので、カラーインクを使うと折った時にくっついちゃうかもしれないから、当初、印刷所の人は不安がっていました。でも限界まで色をもりもりに盛り上げてもらって、結果的にこの紙質にしては色も鮮明に出ました。展覧会のカタログって昔から形が決まりきっているでしょ。そういうわけのわからない常識を打ち破って先例を作っておけば、これから若い子たちの興味に何かしら引っかかるんじゃないかと。それにポスターとして部屋に貼っておけるし。

森山 作品のタイトルや制作年は全てカタログに載っていて、会場内には一切情報がないのも良かったよね。何年に制作されたかなんて、どうでもいいのよ。大竹さんの作品は時間なんか超えちゃっているし、昔の作品も最新作も全てがフラットに並んでいるんだから。そういう情報に一切触れずに、膨大な作品群に揉まれ、たゆたいながら、フラフラと歩いて時々近寄って見ていくのが心地いい。目で見るというより、感触を得ながら展示を見ましたよ。会場中がインパクトで埋まってるじゃない? 大竹さんやってるなー、やられたーって思う。もう、嫉妬しかないですよ。

大竹 いや、恐縮です。今回は7つのテーマに分けながら、テーマごとにいろんな時代の作品がごちゃ混ぜになって並んでいます。30年前の作品と今年作ったものとを見比べても、あんまり変わんないなぁ。昔の作品を見返すことはないので、こうやって展覧会があると初めてじっくり見ることになり、自分でもいろんな発見がある。「あれ、こんなの俺描いたっけ?」って。ほとんどディテールは覚えていないんだけど、パッと短時間で出来ちゃった作品の最初の“きっかけ”は、その瞬間の感覚を忘れないように手元に置いておきたい。

どういうことかというと、たとえば封筒の口の折り返しのところに紙1枚分の段差ができているのを発見して、ぐっと来る一瞬がある時突然やってくる。その瞬間、封筒が封筒でなくなるというか、見慣れたモノが全然違ったものに見えるんです。その感覚は覚えておきたいし、感じなくなってしまったらもうダメなんだ。森山さんが風景を撮っている時も同じだろうなぁなどと勝手に思うことがあります。壁の一部にぐっと惹きつけられるとか、目撃した光景の中に何か始まりのおおもとの要素があるんじゃないか。

《ダブ平&ニューシャネル》のステージの前で。「大昔にカラオケ屋からもらったレーザーディスク。昔は森山さんとお会いすると、よく朝までカラオケしたなぁ」(大竹)

森山 街中には、今大竹さんがおっしゃったこともそうだし、また違う意味も含めて、いろんな“層”が勝手に存在する。勝手にあるってことが面白いんだな。脇道を入って行ったら、なんだか訳の分からないものに出くわす、何を見ても「何だこれ?」って思ってシャッターを切る。大竹さんは写真に撮られるの、そんなに好きじゃないと思うから今日は控えめにしていたけれど、本当はずーっと、全部の作品、全部の瞬間を撮りたいぐらいでした。

大竹 この展覧会は、森山さんに一番見ていただきたかった。本望です。

森山 こちらこそ。今日は大竹さんの風にまみれたよ。また会いましょう。

photo by Kenshu Shintsubo

森山大道
1938年大阪府生まれ。岩宮武二のスタジオを皮切りに、細江英公の助手などを経てフリーの写真家となる。1968年、初の写真集『にっぽん劇場写真帖』を発表。68~70年、中平卓馬らによる同人誌「プロヴォーク」に参加。1999年から2000年にかけてアメリカ4カ所を巡回する展覧会、2012年ロンドンのテートモダンでウィリアム・クラインとの二人展など国際的な評価を得ている。また、50年以上にわたる旺盛な活動が評価され、2004年ドイツ写真家協会賞、2019年ハッセルブラッド国際写真賞など世界的に知られた賞を受賞している。『犬の記憶』『犬の記憶 終章』(いずれも河出文庫)『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』(青弓社)などのエッセイ集もあり、それらも秀逸。
 
大竹伸朗
1955年東京生まれ。1974〜75年、北海道の牧場に単身住み込みで働く。77〜78年、ロンドン滞在。80年武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業後再びロンドンへ渡る。88年愛媛県宇和島市に活動拠点を移す。2006年、東京都現代美術館で大回顧展「大竹伸朗 全景 1955-2006」。2012年ドクメンタ(ドイツ・カッセル)、2013年ヴェネチア・ビエンナーレなど国際展にも参加。2019年水戸芸術館「ビル景 1978-2019」。東京では16年ぶりとなる大回顧展「大竹伸朗展」を東京国立近代美術館で開催中(2023年2月5日まで)。著書に『既にそこにあるもの』『見えない音、聴こえない絵』(ともにちくま文庫)『ナニカトナニカ』(新潮社)など。

大竹伸朗展
会期=開催中〜2023年2月5日(日)
場所=東京国立近代美術館
休館日=月曜(ただし1/9は開館)、1/10(火)
開館時間=10:00〜17:00(金土曜は〜20:00)※入館は閉館30分前まで
観覧料=一般1,500円ほか(高校生以下無料)
問合せ=050-5541-8600(ハローダイヤル)
巡回情報=愛媛県美術館2023年5月3日(水・祝)〜7月2日(日)、富山県美術館8月5日(土)〜9月18日(月・祝)[仮]