「ちゃんと観察していないと生態系のどこかが死ぬんです。どこかが死ぬとやっぱり全部にダメージが波及していく。だからいつも生き良い環境をつくろうとしています」
Interview by Sumiko Sato
movie by Shingo Wakagi
hair & makeup by Hiromi Chinone
渡辺志桜里さんは、アーティスト。現代美術と言われるジャンルだろうか。植物、魚、バクテリアなどが入った水槽やプランターをホースでつなぎ、水を循環させ、養分を保ち、命を繋ぐ小さな生態系を「サンルーム」と呼ぶ「作品」としてつくっている。その「作品」は、ひとたびつくると、それを維持するためのさまざまなメンテナンス作業を強いてくる。作家とその作品とが、つくる、つくられるという関係を超えて、主従のない対等の関係になる、というのだろうか。渡辺さんが、自らアーティストとして産んでしまった作品と共に、どんなふうに日々を生きているのか覗いてみたいと思い、葛飾区の四ツ木駅からほど近い民家を使ったアトリエを訪ねた。会話は読みやすくするために少し編集されている。
——この場所のことを少し教えてもらえませんか? どうやって見つけて、どういうふうに使ってるのでしょうか?
渡辺 ここ、ほんとうにアットホームで。ネットで見つけたんです。以前に借りていたところが永福町(杉並区)だったんですけど、そこは300平米あって、無料で借りていたから好き放題にしていて物がすごく多くなっちゃって。作品もけっこう大きいものが多いし、植物が異様に多かった。そこが建て替えということになって追い出され、すごく探したあげくここが見つかったんです。
——どこが気に入ったんでしょう?
渡辺 [インタビューを行っていた、簡易的な屋根のある半分外のようなスペースを指して]ここ(笑)
——ここは最初からこうなっていた?
渡辺 こうなっていました。上の屋根はちょっときれいにしたんですけれど。まあ増築ですよね、完全に外だったみたいで。広いところを探していて。東京の東側は安いんだけど縁がなかったんですが、たまたまこういうところが見つかったんです。
——住まいもこの近くに?
渡辺 そう、いまは三河島(荒川区)で、ここからまあまあ近いです。十何分かぐらい。以前は会田誠さんが住んでいたところです。
——ここで植物や動物を生かしているわけですね。
渡辺 こっちにはいまミジンコがいます。
つながりと分散
——この場所全体が「循環」に着目したひとつの作品になっているわけですが、仕組みをちょっと教えてもらえますか?
渡辺 構造を話すと、ホースがつながっているところは全部水がつながっていて、水がぐるぐるぐるぐる中を流れていて。そこにあるのは雨樋なんですけれど、あそこから水をタンクに貯めていて、水位が減ったら自動的に足されるシステムになっています。わたし、今日ここに来たのは1カ月ぶりぐらいなんですけれど、[ミジンコや金魚を指して]あいつとかこいつが生きている、元気に。餌も育てていて、定期的に餌やりタイムがあります。
——自動的に餌をやるようになっている?
渡辺 そうそう、ぜんぶ自動的に。
——餌と水だけ?
渡辺 餌と水だけ。水はまわしていないといけない。これは本当に理科の教科書に出ているような話なんですけど、金魚って濾過していない水槽に入れておくと自分の排泄物のアンモニアで死んじゃうんです。そのアンモニアをあの辺とかで分解していて。分解っていうのは微生物が食べて、それを排泄して、またそれを食べる微生物がいて、というのを繰り返していくと、窒素という物質に変わって、その結果、むこう側の野菜の栄養素になる。そうやってぐるぐるまわっている。
——ほんとうに小さなエコシステムになってるわけですね。それは自分で研究したんですか? それとも誰かに教わった?
渡辺 教わりました。「アクアポニックス」という農法があって。たぶん全国というか世界中で行われているものです。たとえば合鴨農法とか思い浮かべてもらえるとわかりやすいと思います。田んぼの虫や草を食べて水中に排泄したものがイネの栄養素になっていく。明治くらいまでは人糞がいい値段で買い取られたりしてましたよね。アクアポニックス自体は南米由来の農法で、アメリカでも都市型農法としてかなりビジネスになっているらしいです。わたしはそれを要素分解して、金魚の餌になるものを分解して供給できるようにしたり、自分でカスタマイズしていったっていう感じです。すごくアナログなシステムで、基本的には、水が蒸発すると足される。その足されるときに餌が供給される、という仕組みになってます。
——実験っぽいですね。
渡辺 そう、ずっと実験しています。エラーが出たり、これが足りない、みたいなことがつねにあるから、その都度アップデートしたり失敗したり。たとえば金魚が死んじゃって、ホースがつながっているところに詰まって水がまわらなくなっちゃうとか。作品として展示するときにはがんばってそれっぽくしているんですけれど、毎回水漏れしちゃうし。
——どういう感じで日々やっているんだろう。自分では作品をつくっているという感覚はあるんですか?
渡辺 最近思うんですけれど、ここでやっている時は作品というよりも、お世話しなきゃ、っていう方が強くて。展示するとなるとやっぱりエステティックなところも気になるんですけれど、見た目を含めてすべてそのものの特性や構造から決まってくる。たとえばこいつら(イトメ)の餌になる藻は日光がないと育たないので、展示会場の中でも日光の当たる場所に配置するとか、雨水をどうやって供給するかとか、そういうものがわたしの意図よりも強く反映されてしまう。私なんかのエスティックな感覚どうこうよりもやらなければならない。やらないと成立しない。
——やらなければいけないこと自体が作品をつくる行為になっていくんですね。
渡辺 やらなければならないことに沿ってやっていくだけ。だからわたしが作品をつくっているというよりも、そもそもあんまり主体性がない感じ。
——アーティストである自分の出していくものと、日々やっていることが、重なっていく……
渡辺 そこに矛盾があることは自分でもわかっているんです。わたしがわたしの名前でやって、アーティスト活動をしているものの、なにか自分じゃないものについ気を動かされている部分が大きい。ああ、やらなきゃいけないなあ、やれやれ、みたいなことが大きい感じはしていますね。
——でもそのいちばん端緒には、やらなきゃいけない状態を自分でつくっているわけですよね。
渡辺 そうなんですよ。だからなんて言えばいいんだろうなあ、そうなんだけどこんなに大変だとは思わなかったみたいな(笑)
——はじまっちゃったなあ、みたいな?
渡辺 いまお腹に子どもがいるんですけれど、たぶん、こんなに大変だとは思わなかったって思うだろうなあ、と思ったり。つくる行為をしたのはわたしですけれど、それはそうなんだけど、という。でもそこを自分だけの責任にするとゆくゆくは孤立してくし、いきなり社会の話になるんですけど、良い社会ってみんながそういった責任を分散して行くことだと思ってるんですよ。お前が産んだんだから、じゃ苦しいじゃないですか。
——こんなたいへんなものができちゃったっていう(笑) たしかに作品をつくってからの状態と似てるかもしれないです。
渡辺 こういう人生、みたいな感じですね。
——「循環」に身を任せているというか、身を捧げているというのは、自由なのか不自由なのか、と思います。
渡辺 自由だし不自由ですね(笑) だから自分ひとりだと何もできなくなっちゃうので、ちょっと知り合いをつかまえて世話をしてもらったり。いちおうこれは美術作品なので、マーケットみたいなものに対してどういう風にアプローチするかみたいなことを多少なりとも考えたりしていて。所有はできないけどリースのかたちで貸し出している。でも絶対にメンテナンスは必要なので、メンテナンス料を支払って手伝ってもらってます。作業は一時間弱で終わるので、その人は一時間で稼いだうえで他の時間を確保できる。それもある意味、経済の循環で、売る・買うだけじゃない形だと思う。売るというのも何か一方的だなと思って。そういうことも考えていけたらいいなって思って実験をしています。
——他の場所に存在させていくこともひとつの「循環」……
渡辺 そうそう、増やしていく。[植物の生えているプランターを指して]そこから株分けした野菜でやっていって。
——実際にどこかにリースしているんですか?
渡辺 市ヶ谷の会社にひとつあって。いちおうもうひとつ、個人のところにあります。リースしても、その後がたいへん。死んじゃうし。でもそういう物理的なことを考えるのが逆に自分の解釈をもう一回考え直すきっかけになるので。
絡まり合いながらある状態
——もともとは彫刻をやっていたんですよね?
渡辺 はい。
——金属?
渡辺 溶接とかしてました。
——ずいぶん固い物から固くない物に変わりましたね。
渡辺 彫刻もいまではけっこういろいろとやり方があると思うんですけれど、わたしが学生だった時は石を彫ったり木を彫ったりして形をつくるのが一般的でした。わたしは全然終われないし、始められないというか…… 素材がそのままでかわいいなあと思ったりして。自分はこれじゃないんだろうなあと思っていた気がします。加えて彫刻自体が、西洋にせよ、男性にせよ、白人にせよ、そうしたものを中心とする歴史とともにあることもあって、そうじゃないことをいまは考えたいなと。
——植物や動物って自分で大きくなっていくし、石や木を削っていくのとは正反対ですね。
渡辺 残すとか残さないとかもあったり。もっと大きなスケールに想像力がいけば違うと思うんですが止まって見えていると何かつまらないというか。そういう意味で自分は割と飽きっぽいし加速主義的なところがある
——先日展示していたビデオ作品「久地良」はどういう意図を持った作品だったんですか?
渡辺 あれはエコロジーというものの周辺を取り上げたいと思って。エコロジーってちょっとユートピア的な感じがあって、自然と人間との対比になりがちなんだけれど、でも人間もその中のひとつ、本当に淡々とした存在としてただ同等に見るみたいなことを考えていて。
でも西洋だと人間中心主義であったり、いまの時代だと「人新世」と呼ばれて人間が問題視されているんですけれど、でもそもそも人間の活動自体も他の動物とか植物とそんなに変わらないという目線からすれば、人間の活動として、巨大な生物に対して淡々と処理していくというひとつの循環が見えてくる。
[ビデオ作品「久地良」の中で]あの鯨の死体が地中に埋められて、微生物が食べて、腐敗していって骨だけになるという、その中に、人間が操るあのショベルカーもある。その中でも、自分が意図していないもの、しかも見た目がよくわからないもの、それをどういう風に作品にしようかなあとか思って、けっこう実験的に映像作品にしたっていう感じです。
——皇居にも興味があるんですよね?
渡辺 ありますあります。皇居は天皇家っていう、ある種、人間界のスピシーズのひとつとして、以前「トキ」も作品にしていたんですがそのバリエーションのひとつとして興味があります。皇居自体も、1937年から昭和天皇の意向によって原生林化していって、そこだけですごく完成された動植物の生態系があって。日本の首都東京で。
——真ん中がね。
渡辺 ロラン・バルトが「ああ、これは!」と感じたのもすごくわかるなって。あと日本人の精神性みたいなものも、傘連判のように、責任がどこにあるんだっけ?というような感じともつながって見えたり。いろいろなことがおもしろい。あと天皇自体もずっと祭事をやっている、こんな現代において相当特異な存在であることにも興味があります。
——植物とか動物の中で、こういう種に魅かれるということはありますか?
渡辺 わたしは外来種に(笑) グローバリズムを進めてきた結果その生態系が急激に変わっていっている……というだけだと思うんですけど。ブルーギルも作品にしています。そのストーリーにもちょっと今の上皇が絡んでいます。もともとシカゴの水族館から15匹送られたものが、DNAを調べるといま日本全国のブルーギルの由来になっている。三重県の先生[河村功一教授]が論文を出していますね。
当時はタンパク質不足があって、食用にしようとしていたんです。それがまあ食用にしようとするくらい繁殖力があるので必然的に増えていって特定外来生物に指定されました。琵琶湖なんかには外来魚回収ボックスというのがあって、釣り人はそこにブルーギルやブラックバスを入れる。もちろんブルーギルは他の種の卵を食べてしまうので、けっこう自然保護的な視点から見ると迷惑な感じではあるんです。けれどその視点を外すと、単に環境に適応しただけ。そういうものが絡まり合いながらいまの状態があるのがおもしろいと思っていて。
——なにか「悪いやつ」みたいに言われるのはね。
渡辺 そう…… あれがけっこう強まってくるときは危険だなあって思ったりするところはあるんです。エコロジーのことを考えると、めちゃめちゃナショナリズムと相性が良い。実際、いち早く、自然保護、動物保護、有機農法といったものを実践したのはナチスでした。自分の国の在来の、という話にはエコロジーっていう言葉を超えて政治的なものがつきまとうなあ、と。
——いつのまにか「外来」の植物も動物も、そしてとても多くの人間たちも、わたしたちが暮らす環境に共生していますね。
渡辺 外来種みたいなものの扱いとか、逆に絶滅危惧種と指定してすごく人工繁殖をしたりとか、そういうところに人間社会の国家のあり方に見え隠れする思惑が見えてくる。暗にそういうことを入れ込みながら作品をつくったりしています。
——人間の話をすると「アクティビスト」になっていくのかもしれない。それをアーティストという立場でやりつづけるということでしょうか。
渡辺 わたし自身は「良い」「悪い」がもともとそんなにないから、アクティビズム的な作品をつくるよりは、もうちょっと人間だけの話じゃない広い規模の話でとらえたいなって思う。そうすると他のもののことを想像できるのではないかと思っていて。たとえばすごくナショナリスティックな話が表明されて、それに対して「いや、良くない」とかそういうことではなくて、そういう[考え方がある]ことによって日本っていう国がこうなっていったなあ、ということに興味があったり。そのことによって自然の中にある他のものがちょっと影響を受けて変わったというようなことの方に興味がある気がします。
このあいだ広島に行ったんですけれど、広島城のお堀の近くにユーカリが生えていて。被爆樹木なんですけれど、すごく不思議なかたちをしているんです。
——広島に行ったときに見ました!
渡辺 アナ・チンっていう人の『マツタケ』っていうヘンな本があって[『マツタケ——不確定な時代を生きる術』みすず書房、2019]。その冒頭に書いてあるのが、原爆があったその次の年にめちゃくちゃマツタケが生えたという話なんです。エビデンスはないらしいんですけれど。人間にとってのすごい悲劇が、いきなりちょっと別な世界観に転換されるのが不思議というか、それもそうだよね、そういうこともあるよね、っていうのは一元化しなくてもいいって思う。もちろん、原爆とかはやめてほしいけれど、それとはちょっと違う地平の話にもっていってみたいというか、ちょっと冷静な感じでいたいっていうか。その時に、動植物はわたしにとって都合がいいのだと思います。
——見る人に、作品の背後や周辺にある人間のことを感じてほしいと思いますか?
渡辺 どこかでそういう要素が見つけられるように、とは思っています。たとえばブルーギルの場合、生体を移動できないから殺さなきゃいけなくて、じゃあ殺した後にどうしようかっていうことでフライにして食べたんですよね。そうすると廃油が出るので、それで石けんをつくったんです。まあ、そういったキーワードでわかる人はなんとなくわかるかなって思って。
——言葉で説明できるなら作品をつくらなくてもいいわけですよね。でもいつもそういう風に考えているんですね。いろいろなことを常に相対化する感じ? 断定しないというか。
渡辺 優柔不断だから決められないんですよ。でも断言できたらやっぱり言葉でいいんだろうなあって思う。
——ちゃんと何かに関わっていくと、なにか、断定できなくなる……
渡辺 そう、幸ともいえるし不幸ともいえるし。あと自分の視点みたいなものってどこに置けばいいのかなあって、いつもちょっとわからなくなっちゃう。変わってくるというか、寄っちゃうときもあるし、すごく引いちゃうときもあるし。そこの折り合いがすごくつけにくい。
——でもそれがある意味、アーティストとしての仕事であれば、楽しめる部分もあるのかな。決めないと決めてもいいし。
渡辺 そうなんですよ。この生態系も刻一刻変わるかなって。いま、こう思っていても変わることは絶対にあるって思いながらやっている。だからたぶん結婚というか入籍もできなくて。
——特にせず。
渡辺 特にせず。できるだけそうしたい。まあでも子どもが生まれたら、子どもに関しては決めなきゃいけないことがあると思うんだけど。
——固定化するのがいやなんですね。
渡辺 ちょっといや。
——こわい、とか?
渡辺 いや。生理的にいや。
——家とか買いたくないんじゃないですか?
渡辺 ちょっと買いたくないです。なんか、いや。あと男とか女とかもむずかしいなあって。
——そのあいだを行き来してもいい感じですか?
渡辺 わたし、どっちかよくわかんない。
——自分が?
渡辺 わかんないなあと思って。
——そうなんだ。
渡辺 スカートは好みじゃないし。でも別に男性だからスカートはいてないというわけじゃない。そもそもどっちも意識してないから。むしろ女性って言われるときに違和感を感じる気がする。あと現実的なこととしていま妊娠しているから、からだが女性的になってけっこうぎょっとする。わりとのっぺりしたからだだったから、わたし。いまは丸くなって。
——それは、このあとどう感じていくのか、ちょっとたのしみですね。少し前よりは、そういう感じでも大丈夫になってきているんじゃないでしょうか。なにか日本には多い気がするんだけれど、実は性別的にどっちでもない、というかどっちでもいい人が。
渡辺 そういう気がしますね、まわりを見ていても。そもそもそこに本質なんてないからなあ。
生き良い環境をつくる
——東京藝大を出て何年か経って、これからこういうふうにやっていくんだな、という感じは見えてきましたか?
渡辺 そうとう行き当たりばったりです。海外で活躍できたらいいなとは思っているんですけど、英語はできないし(苦笑) そこまで先のことは考えていない感じ。
——でも何か、ずっとやっていくんだな、というイメージはできていますか?
渡辺 それは何かできていて、それにはやっぱりひとりでは無理だっていう感じがあるんです。アトリエもひとりじゃなくて他にも誰かいた方がいい。植物もあるし、住んでいてくれる人がいたらいいなって。みんな全然自由で、グループといった単位じゃなくて、負担がない感じでやっているなかで、いっしょにやっていけたらいいなって。
——ちょっと頼りあったりして。
渡辺 すぐ近くにヘンな建築家の卵が住んでいるんです。ぼろぼろの家を借りているんですけど、「四つ木4.3万」ってスペース?を作ってるらしくて賃貸なのに基礎から何からひとりでつくり直していて、もはや壊しているんですよ。その子とかがたまに来てくれるんです。それで、そこにちょっとベニヤが余っているのを持って行ってもらったりして、ほんと助かります(笑)
——そういうのってお互いに見つけ合う嗅覚が働くんですか。
渡辺 働きますね。いまはSNSがめちゃめちゃ便利なので、距離が近かったらすぐに行けるじゃんみたいな感じ。3分くらいのところだったので、行ってみたら面白かった。
——SNSってそういうふうに知らないところを訪ねられるっていうのはありますね。
渡辺 急に距離感が縮まるときがあったり。いまは、11月に新宿の能舞台でやるグループ展を企画しています。
——どんな展示になるんですか?
渡辺 それがね、ちょっとよく訳がわからないんです(笑)
——能舞台を展示の場所にする?
渡辺 飴屋法水さんとか、海外の方も含めて5〜6人が参加するかたちになっています。わたしとしては「サンルーム」みたいな感じで、循環していく展示にできたらいいなと思って。各セクションの人たちがそれぞれのびのびとやってもらえるように進めていたら、逆キュレーションされて結局わたしの作品も出すことに。さらにけっこうはちゃめちゃな提案が出てきたりして、それがたのしいことになっています。
新宿・歌舞伎町の風林会館の通りを新大久保寄りに進んだ先に能の稽古場があって、そこでやります。もともとわたしが新作能をつくりたいと思っていたら、たまたま能舞台を買ったという人が現れて。能舞台なので、石牟礼道子さんが書かれた「不知火」という新作能をやってもらったり。謡だけなんですけど。しかも梅若桜雪さんって言う人間国宝に(笑)。
それからさっき話したエコロジーみたいなものをもう一回考えていけるような展示にしてみたいなあと思って。エコロジーって言っても、場所場所でぜんぜん違うわけで。あっちのエコロジーを持ってきてもこっちでは何の解決にもならないなって思って。やっぱり足下を見て、どういう解決……、解決って言ったらあれなんですけど、まあ、考えていくべきこととしてどういうことがあるのかとか、そういうことに向き合える展示にしたいなと思っていろいろやっている。
石牟礼さんの水俣病の話も、食べたものが人体に影響を与えるという意味で循環につながっている。その上で石牟礼さんはどうにもならないそういった人類的な危機がもう言葉では救えない、能しかないって言ってるんですよね。これは後から知ったことなんですけど、めちゃめちゃ共感しました。なぜこの土地で系統だった哲学のようなものがない、と思っていたのか改めて考えるいいきっかけになった。
——能舞台のうえにインスタレーションを設置するんですか?
渡辺 能舞台はサウンドインスタレーションがきますね。能舞台だけでなく楽屋とかもあるのでそこも使うし、古層の精霊とのつながりを持つような特殊な飲み物や隣りがラブホで、窓をあけると見えるのでそれも使ったり、近くの屋上に展示物があったり、あとはまだできるかわからないんですけれど、歌舞伎町のTOHOシネマの左側にあるシネシティ広場に馬を呼ぼうみたいな(笑) なんかもう何するんだっけ?って、どうなるかわたしにもわからなくてほんとうに怖いんですけれど。
——楽しみですね! 基本のところは志桜里さんが考えて、それを手伝ってくれる仲間がいて。
渡辺 そうなんですけれど、わたし、そんなに大きなことをやったことがないから。助けてもらいながら。
——その、もっと先にやってみたいことはありますか?
渡辺 その先はどうなんだろうなあ。目標をたててそこに向かっていくっていうのがそんなに得意じゃないっていうか。ふたつあって、ちゃんとしてないから苦手っていうのもあるし、あとは逆算してこの答えになるっていうことにあんまり面白みを感じられないんです。とはいえ、いろいろなことをしてみたいなあとは思うから、そのために考えなきゃいけないこともある気はします。
——作品と関わっていて、いちばんたのしいのはどういう時? 「(生態系が)生きているな」っていう時でしょうか。
渡辺 元気だとうれしいけど、元気じゃない時もあるから(笑) これから冬に入っていくと、元気じゃなくなる。冬は一様に元気がない。活動がちょっと穏やかというか低減期になるかな。
——それでいうといま、秋くらいはいちばん元気なんじゃないですか?
渡辺 ですね!
——日本は季節があっていいですよね。
渡辺 この前、広島に行ったときに吉田真理子さんという研究者にお会いしたんです。マルチスピーシーズ人類学を研究している方で、牡蠣のコモディティチェーンの研究などをやっていらっしゃるんですけれど。三倍体といって、二倍体と四倍体を交配をさせて産卵しない牡蠣がつくれるそうなんです。
牡蠣って夏に産卵すると身が細くなってしまって食べられなくなるんだけど、それがなくなるから成長も早いし、流通的にも有利なんです。タスマニアでは盛んにやられている養殖方法だけど、日本ではやり方を知っている人はたくさんいるのにあんまりやられていない。養殖の業者さんとしては「旬がないじゃないか」という意見らしい。
旬がないっていうのは、もちろんいいこともあるんだけれど、日本は旬だからこそみんな買うというのがすごくはっきりしているから。これから温暖化でどうなるかわからないけれど、季節で成り立っている経済があるし、食の文化もある。それはけっこう日本的だなあと思って聞いていたんです。
——それはとてもよくわかるなあ。エコロジーの話は、ほんとうに複雑で難しいですね。ゴミのことひとつとっても、現実的にプラスチックなしでは暮らせないし。
渡辺 やめられない。人間の活動っていうものには欲望とか、それはそれであるから仕方ないっていったらヘンなんですけど、それは否定しなくてもいいんじゃないかと思って。けれど一方ではこういう作品から学ぶことがあったり。あとなんだろう、プラスチックがすごく目立っているけれど、いちばんの問題はやっぱり放射性物質で、2番目は化学肥料。むしろそのふたつが象徴的だなって。
——実際問題、人間もこれからそう長いあいだ栄えないんじゃないかなって最近思う。
渡辺 いまちょっと折り返し地点な感じはありますよね。
——淘汰されるんじゃないかなって。
渡辺 一部は土地を求めて宇宙に行くのかなあって思うけど、どうなんだろう。
——空気がないですよ。
渡辺 だから氷を溶かしたりしなきゃいけないんですよね、空気を発生させるために。すごいコストらしい。地球はほんとうにコスパがいい。でもどんどん水位があがっていますけどね。
——今年はひときわ氷河が溶けていますね。
渡辺 先日、隅田川から日本橋への水路を船でめぐるツアーがあって、ちょっと訳があって参加したら、もうほんとうに橋の下、ぎりっぎりで。
——水位があがって?
渡辺 何年か後にはもう船が橋の下を通るの、無理じゃない!?って。人間の数も人類史的に見たら増えてますものね。
——日本は減っているけれど世界的にみれば増えてる。そんなふうに考えると白黒をはっきり言えないことばかりです。
渡辺 言葉は白黒つけるためというより、いちおうコミュニケーションするためにあると思っているので。
——だとすると作品を通して、言葉で言えない人の分を代弁しているんですかね?
渡辺 というよりも、ちゃんと観察していないと生態系のどこかが死ぬんです。どこかが死ぬとやっぱり全部にダメージが波及していく。だからできるだけ生き良い環境をつくろうとしています。
——いまは元気に循環していますね。ここでお話できてよかった。
渡辺 これがあって、説明しやすかった。ありがとうございました。
佐藤澄子|Sumiko Sato
1962年東京生まれ、名古屋在住。クリエーティブディレクター、コピーライター。出版社「2nd Lap」を立ち上げ、翻訳、出版に取り組んでいる。訳書にソナーリ・デラニヤガラ『波』(新潮社)ほか。
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