絵があって、セラミックがあって、今ここに新しくガラスのオブジェがある。形はこの画家がずっと描いてきた人間や動物の祈り、あるいは眠りか。ガラスに挑戦したことで、光という画材をあらためて手に入れたかのような彼女にインタビューした。この画材は絵画にも新しい展開をもたらした。暗闇の中に光を描く絵。この暗闇は宇宙の果てだろうか、心の深奥だろうか。
TEXT BY Yoshio Suzuki
半開きになったギャラリーの扉から中に入ると、ガラスのオブジェが目に飛び込んでくる。それぞれ異なる色と形。人間や動物の頭部がモチーフになっているゆえの存在感の強さはもちろんのこと、光を受け、光を孕む素材であり、金属や陶器とは違う重厚感が訴えかけてくるものがある。
作者のイケムラレイコは絵画、立体作品はもとより、写真、詩など多方面で高く評価され、その作品はポンピドゥセンター(パリ)はじめ、海外の多くの有名美術館が作品を所蔵、国内では東京国立近代美術館、国立国際美術館(大阪)ほかに収蔵されている。
三重県津市に生まれたイケムラは大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)でスペイン語を学び、スペインのセビリア大学美術学部に留学。スイスのチューリヒに居住、ドイツのニュルンベルグ市の賞を得てニュルンベルクに滞在した時期もあり、現在はベルリンとケルンを拠点に活動している。ベルリン芸術大学、女子美術大学での教職も。
2011年、東京国立近代美術館で「イケムラレイコ うつりゆくもの」(三重県立美術館に巡回)、2019年、国立新美術館で「イケムラレイコ 土と星 Our Planet」と、2010年代に2つの国立美術館で大規模個展を開催している。
セラミック、ブロンズなどで立体作品を制作してきたイケムラだが、今回発表しているのはガラスによる作品だ。5年ほど前、モザイクを、そのあと、教会のステンドグラスを手がけることになり、その流れもあって、ガラスによる立体作品に精力的に取り組んでいる。
「イタリア、ヴェネツィアのムラーノから招待があって、ガラスの作品を作る話だったのですが、コロナ禍が始まって、ドイツからイタリアにも行けなくなり、それだったら、自分でやってみよう、どこにも行かないでと、私のアトリエで始めたんです」
アトリエにはもともとセラミック作品を作るための陶芸用の窯が設置してあり、それを使ってガラスの作品も作った。幸いにも、良いガラスの専門家に恵まれ、協力してもらえた。
「もしもこれがどこかのガラス工場で作ったとしたら、いわゆるそういうところのスタッフの人たちはやりすぎとも思える追求をしてしまいます。私から見たら、あまりにもパーフェクトというか。私はそれは嫌なんです。どこまでするか、どこで止めるかを自分で決めたくて。工場とかでやるとそれがなかなかできない。他の仕事場では『ああ、こう』って言ってるうちに、形がツルツルになってきたりとか、『え、やめて』って思っちゃう。自分で納得するもののためにはやっぱり自分でやらなければならないです」
なるほど、美術作品と工芸品では目指すところが違っていて、それを言葉だけで伝えるのはすぐには無理かもしれない。過程としては、まず、粘土で作った形を元に型を作り、そこにガラスを流し込む。それをアトリエの窯でやる。
「すごく時間がかかるし、トライ&エラーです。難しい。壊れてきてしまったり、端が欠けてたりとか。でも、そういう欠けてたのは、どちらかというと私は好きなんです。気泡がたくさん入っていたり。普通のガラス職人さんたちはダメって言うだろうけど、私にはおもしろい。形はあらかじめあるんですけど、工程の中で出てくる、たとえば線。そういうのは最初はない。だからそれぞれが違うんです。それをどこまできれいにするか、しないか」
陶芸と異なる難しさはいろいろあって、たとえば陶芸の場合、自然に温度を下げていくけれども、ガラスの場合は制御しながら徐々に下げていかなければならない。つまり、熱を入れながら下げていく。陶芸のように自然に下げるのでは早すぎて壊れてしまうので2〜3週間かけなければならないのだという。そうやって作られた作品はどれも独自の色と絶妙の透明度を持っている。
「おのおのの形が色を呼ぶんです。同じ形をほかの色でもしても合わなかったり。いろいろやってみると、最終的になんとなく決まってくるんです。この猫も緑にしてみたんですが、ちょっと違う。展覧会だと絵画との関係もあるので。絵画から発展してる彫刻、絵画との関係である写真と、すべてが関与してることを常に考えているんです」
絵画から発想し、展示のときの絵画との関係も考慮に入れながら、色も決まっていく。
「光によってさまざまな表情が出てくるんです。透明、半透明の中に光が凝縮されているというか。内側に向かっている力というのがあるんです。光によって、全然違った色が来るでしょ。抽象的な要素と具象が密接に絡まっているけれども、よく見ていくと、あ、顔だ、とか」
立体作品と絵画が同じ空間にあって、それぞれを見て、そのあと全体を見ると、しだいにそれらがそこにある必然がわかってくる。たとえばこの立体作品群と絵画。立体が持つ色調がこの1枚の中に集約されていたのではないか。
ベラスケスが、マルガリータ王女の傍らに置いた花と花瓶にその絵全体で使った絵具を集約させておく。あるいは、セザンヌが風景画の土の中に、絵を構成した色を点で描いておく。たとえば、そんな画家たちの企みというようなものが読み解けるのだ。
「このコロナの時代というのは非常に大事な体験だったと思います。誰にとっても大変だったけれども、そういう中で何ができるかということ。その中の試行錯誤の中で私はまた違うトライをしようと思ったんです。立体作品でも絵画でも」
それを聞いて、思い出したのだが、東日本大震災のあと、イケムラはベルリンで震災のチャリティのための展覧会を自ら企画し、自身と仲間のアーティストたちの展覧会をキュレーションしたことがあった。そして、今回は世界を覆ったパンデミックの中で考えたこと。彼女の作品は人間や動物、植物など生物をモチーフにしていて、テーマとしては、生きること、あるいはときに祈りということを描いている。一見、それは時勢や時流というものに左右されにくい普遍的なものと思えるが、もちろん作り手のイケムラは現代という時代の中にあるのも事実で、日本の大震災を受けての行動、パンデミックの中での思考と制作。
「そういった世界や社会で起こっていること、政治的なことがらも含めて、私はアーティストとしてコミットしたい、というかするべきだと思うんです。別にプラカードを掲げてデモに行くというのではなく、私の場合は自分の仕事で。作品が普遍的であることを目指しているのはとても重要なことで、一方、その時代が遭遇しているさまざまな問題を意識しています。その両方を持ち合わせ、その都度その都度に、自分のアートで応答し対処していきたいと思っています」
鈴木芳雄|Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌「ブルータス」元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。
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