これは愛と夢の絵だ。なぜなら愛しているものだけを描いているから。佐藤翠の絵に現れるのは色とりどりの洋服がたくさん掛かったクローゼットやヒールの高い華奢な靴とか、宝石とか花とかフルーツとか。そしてそれは演劇的な情景で表れ、まるで音楽を奏でているようでもある。そうだ。いい芝居を見たり、いい曲を聴いたあとのうれしさ、そういうものを与えてくれる絵なのだ。
TEXT BY Yoshio Suzuki
Photo by Kenji Takahashi
© Midori Sato, Courtesy of Tomio Koyama Gallery
一つのクローゼットがそこにあるとする。誰かの。それは持ち主以外から見れば、持ち主をプロファイリングする材料になるだろう。こういう服を着る、こういう服も持っている人。今の季節なら、このあたりを着るのだろうかと。そのクローゼットの持ち主からすれば、個人的な服飾史であり、お買い物の痕跡、あるいは欲望の積み重ねだろう。つまり、持ち主にとってはクローゼットは時間の集積なのである。
画家、佐藤翠の代表作であるクローゼットの絵を見ると、多くの人はわくわく感を隠せないだろう。色や柄がさまざまな服たち。ヒールの高い華奢な靴が一緒に描かれていたり、カーペットが存在を主張している絵もある。シュークローゼットもある。佐藤の新作展が六本木の小山登美夫ギャラリーで開催されている。
今回の作品を見て驚くのは、掛けられた服たちと花が重なり合っていたことだ。
「学生時代、ブティックでアルバイトをするくらい洋服が好きで、ファッションデザイナーも憧れの職業でした。クローゼットを描き始めたのも洋服好きであることが理由ですが、その洋服には装飾として花柄のプリントや刺繍がしてあるのがあります。そういった、植物をモチーフにした人工物としての洋服が興味の対象だったんですけど、そこからだんだん装飾の原案である植物そのものにも目を向けるようになり、本格的に花に注目して、花自体も描くようになりました」
洋服に描かれた花が飛び出してくるような展開。ここで、ファッションデザイナーの仕事とは逆の画家ならではのアプローチにたどり着くことになった。
「ダリア園に行ったときに見たダリアを元に描いているものは、ダリアが風にそよぎ、揺れている様子から空にたなびくドレスのイメージが重なり、花とドレスを一つの画面に置くことになりました。そういうふうに植物自体がインスピレーション元になって、描いたクローゼットが今回のものです」
ファッションの仕事と画家としての仕事を比較すると、自分は自由を強く求める方向があって、それで画家の方に来たのだろうと彼女も言う。規格や制約や必然があって成り立つデザイナーの仕事と佐藤が取り組んでいる描く仕事にはそれぞれ違うやりがいや意義があるように思える。
以前の作品は静謐なクローゼットというか、時間が止まった場所としてのクローゼットという雰囲気だったけれども、今回の作品では黄昏時、マジックアワーのような空の色が変わるときの絵とか、夕焼けの絵とか、時間というか、時刻も織り込まれているのがわかる。
「初期のクローゼットはやはり自分自身のスペースというか、室内のパーソナルなエリアとして描いていて、そこから徐々に外にも目を向けて、室内にも植物が現れたり、植物の庭になって、庭にクローゼットが現れたり、今回はさらに庭ごと外に、しかも空に舞っていったというような、外の世界と内側の世界が一緒になっているような空間に変わっていったことで時間の概念も入ってきているのだと思います。空間自体が広がり、パーソナルなスペースから開かれた制限のない世界のイメージに変化していきました」
絵に現れる時間、時刻、絵に込めた時間の概念、その表現についてさらに聞いてみる。
「初期のころとは光の扱いが少し違ってきていると思います。あるときから光というモチーフを扱う、描いていこうという意識が強くなってからは、絵画の中の時間はとりわけ光で感じられるということなんです。朝の光だったり、日中の光だったり、夜は人工的なライトの光。それらに影も関係してきます。そしてそこからの自然の光の色の移ろいだったり、最終的には色に関わってきて、色で表現していくわけです」
彼女の作品の魅力の一つはその色使いである。色のトーンが全体を覆い、表情や感情を伝えてくる。さらに色と色の組み合わせが豊かさや気持ちのひだを表現してくる。絵画が伝えてくれる感傷や情緒だが、それは音楽が与えてくれるものに近いように思うのだ。
色だけではなく、線にそれぞれの速度があり、その速度は見る側にメッセージとして伝わり、見る側の目が追いかける速度もそれに従う。目が追った速度によって、印象の残り方が決定する。そして、今回はアクリル絵具と油絵具を併用していることで、さらにその印象に奥行きを与えてくれている。
演劇や舞台のような構図を持ち、飛び込んでくる豊かな色彩。描かれたものはそれぞれその速度でなければならなかった必然を持っている。そして、抽象のような具体と具体のような抽象を易々と行き来するかのような。それにそもそも、ちょっとわくわくする洋服とか、靴とか、ジュエリー。あるときは食器だったり、フルーツだったりが描かれている。
演劇を見たり、音楽を聴いたあとの心地よさを彼女の絵が与えてくれるのは、それら全部の要素が重なっているからだろう。
鈴木芳雄|Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌「ブルータス」元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。
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