五木田智央の新作がタカ・イシイギャラリーでの個展「MOO」で発表されている。2018年の東京オペラシティ アートギャラリーでの大規模個展「PEEKABOO」から2年あまり。ファンにとっては待望の展覧会である。
TEXT BY Yoshio Suzuki
「人物は《真実》だ。——しばしば耐えがたいほどの真実だ。どうしてこのような真実が生れるのか。実の所、肖像は誰のことも見ていない。私はそのことを知っている。肖像が見ているのはレンズだけだ。それは、もう一つの眼、謎めいた眼、真実の眼だ」ロラン・バルト『美術論集―アルチンボルドからポップ・アートまで』
五木田智央の絵は多くが肖像画で、そして描かれた人物はたいていこちらを見ている。いや、確かに彼らが見ているのは我々ではなく、カメラのレンズなのだろう。写された者たちというヒントとして、その絵はモノクロームで描かれている。彼らはモノクロームの世界に生きていたわけではない。モノクロームにしてしまったのは、写真という化学装置か、印刷という複製術か、はたまた画家の恣意的な仕事、あるいは暗喩である。
驚いたことに今回は、五木田のあのシックで美しいグラデーションをもつモノクロームペインティングではなく、見た瞬間からわかるのだが、彼独特のカラーパレットから生み出される、味わいのある色合いのカラーのペインティングのお披露目だった。
五木田の熱心なファンなら、彼が今年の3月にイタリア、ミラノのギャラリー、マッシモ・デ・カルロでの個展「GAME OVER」がカラー作品のみで構成されていたことを聞き及んでいたかもしれない。しかし、このコロナ禍のご時世、イタリアに見に行ったという人はまずいないだろう。ともかく、今、東京で彼の新作のカラーのペインティングを見ることができる。
もともと、人気イラストレーターとして、雑誌やCDジャケットの仕事などで活躍していた五木田。あるとき、ニューヨークの知らないアーティストからグループ展の出品オファーがきた。「予算がないから、絵だけ送ってくれ。その送料も払えないんだけど」。それに対して、じゃあ、自腹で絵を持ってニューヨークに行くよと返して、旅立った。そこで絵がどんどん売れた。
ニューヨークの超一流ギャラリスト、メアリー・ブーン。バスキア、シュナーベルをスターとして押し上げたやり手の彼女はあるとき、人気アーティスト、KAWSの部屋を訪ねた。そこで五木田の絵を発見する。「これって誰の絵なの?」「知らないのかい? 日本人だよ」。そして、メアリー・ブーンは五木田に連絡をとり、彼女のギャラリーで個展が開催されたのだ。2度めの個展では、五木田がニューヨークに到着していたときはすべての作品がソールドアウトという大成功をおさめた。
ちょっと不穏だったり、意味深だったり、あるいは見る側の腰が引けてしまうようなシーンをモノクロームの階調だけで捉えたペインティング。アクリルグアッシュで描かれるグラデーション。肖像画が中心で、肖像画といっても、顔の部分が捨象されていたり、そこだけ抽象化されていたりするものもある。それらすべての要素が重なり合い、部屋に飾りたい絵になっている。色は主張しすぎないけれど特徴的で、描かれたモティーフは心にひっかかり見過ごすわけにはいかず、しかも技術的にレベルが高い。
なぜ、モノクロームだったのか。そしてなぜ、今回、カラーなのか。ちょうど、五木田くらいの年代から、子どもの頃の写真もすべてカラーで残っていることが多い。テレビもカラーなのだろう。ただし、新聞の写真はしばらくモノクロだったりする。彼の世代にとって、モノクロームであることの意味を考えていくと、それは過去、あるいは素早く取り出された現在(報道写真など)、リアル(カラー)でないことから、非日常、非現実の(たとえば昔の映画の中の)世界ということになる。言い方を変えれば、モノクロームが描くのはノスタルジックな世界だったり、ミステリアスな場面。そこに既視感があり、ある意味の倒錯感がある。
さて、今回のカラーのペインティング。カンヴァスにアクリル絵具とパステルで描いたものだ。選ぶ色、組み合わせる色もシックというか、品の良さがあり、それはやはり五木田独特のものだ。モティーフはこれまでと同じく、人物が中心である。ただ、今までは海外の古い雑誌や印刷物、写真などを参照元にして、それを絵画として一つのシーンに構築してきたが、今回はそこから離れ、自分の記憶に残っている情景、これまで描いてきた経験から導き出せるもの、あるいはたまたま生み出された形態など、それらが交錯し、組み合わせることで、形になっていったものを描いていったのだという。
眼で拾ったシーンではなく、脳から取り出した情景ということか。記憶からくるものの特性として、情報のディテールが曖昧であったり、厳密さには立ち入ることはないこと、主張しないことこそが魅力的になる。不思議なことではあるけれども。詳細に描きすぎず、たとえば、見る側の想像に委ねてしまう。「耐えがたい真実」が、もしかしたらそこにあるのかもしれない、と信じながら見る側にとっての、この絵のもつ特別な気持ちよさはとどのつまり、そこなのだと気づくことがある。記憶にもグラデーションがある。
● 五木田智央「MOO」 会期 〜2020年9月26日(土) 会場 タカ・イシイギャラリー(complex665)五木田智央 1969年東京生まれ。90年代後半に鉛筆、木炭やインクで紙に描いたドローイング作品で注目を集め、2000年に作品集『ランジェリー・レスリング』を出版。国内では2012年にDIC川村記念美術館にて開催された 「抽象と形態:何処までも顕れないもの」展に参加し、2014年には同美術館にて個展「THE GREAT CIRCUS」、2018年4月には東京オペラシティ アートギャラリーにて個展「PEEKABOO」を開催。海外でも展覧会多数。『PEEKABOO』 (2018年)など作品集、展覧会カタログを出版している。
鈴木芳雄|Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌「ブルータス」元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。
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