今までなかった新しい挑戦を込めたカルティエの展覧会「カルティエ、時の結晶」が東京・六本木の国立新美術館で始まっている。
Above Photo: 《ネックレス》カルティエ、 2017年 ミシェル蔵 Photo: Yuji Ono © N.M.R.L./ Hiroshi Sugimoto + Tomoyuki Sakakida
TEXT BY Yoshio Suzuki
PHOTO BY Yuji Ono
——もしきみが幸運にも青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過そうともパリはきみについてまわる。なぜならパリは移動祝祭日だからだ。(アーネスト・ヘミングウェイ『移動祝祭日——回想のパリ』)
「移動祝祭日」。もともとの意味は、クリスマスのように日付が決まっているものではなく、年により日時の違う祝日のことをいう。たとえば復活祭のように。ヘミングウェイの『移動祝祭日』の原題はそのまま「A Moveable Feast」。動く祭り、可動する饗宴。
心にパリを持っているなら、どこにいようといつだろうと人生は祝宴となる。晩年のヘミングウェイは祝祭の日という時間を、若き日を過ごしたパリという空間に置き換えて、人生を言祝いでいるのだ。
1847年にルイ=フランソワ・カルティエが創業した宝石商カルティエだったが、20世紀になるとルイ=フランソワの3人の孫ルイ、ピエール、ジャックによって現代宝飾のメゾンとしての基礎が築かれ、彼らは宝飾品を芸術の域に高めたのだった。
1970年代、カルティエはメゾンの歴史と創作の記録のため、過去に制作されたピースの収集を開始し、1983年、「カルティエ コレクション」が創設された。そのための美術館を持つことはせず、1989年、パリのプティ・パレ以降、ニューヨークのメトロポリタン美術館、ロンドンの大英博物館、モスクワのクレムリン美術館、北京の故宮博物院など世界主要都市のトップクラスの文化機関で展示を行ってきた。
日本国内でも1995年東京都庭園美術館、2004年京都・醍醐寺、2009年東京国立博物館・表慶館と3度にわたって展覧会が開催された。
国内では4回目の展覧会、世界では35回目の展覧会となった「カルティエ、時の結晶」が現在、六本木の国立新美術館で開催中だが、この展覧会は特別なものとなった。というのもこれまでの展覧会ではカルティエ コレクションの作品をそれぞれの切り口に沿って展示してきたのに対し、個人が所蔵するカルティエの作品を借用し、展示しているからである。展示総点数約330点、そのおよそ半数近くが個人蔵作品だ。
1点しか制作されないハイジュエリーはブティックに並ぶことも稀で、ブティックに並ぶこともなく、個人蔵ゆえ、これまで展覧会に出品されることはなかった。しかし、このたびの展覧会の意図によって貴重な機会が与えられたのだ。
そういった新たな試みをもとに作り上げられた展覧会を見ていくことにしよう。展示室に入ると、まず大きなタワークロック(杉本博司がモディファイした作品)が迎えてくれる。100年ほど前にイタリア、ミラノで作られた屋外用公共時計の針が逆回転するように改造されている。観覧者はここで時間を遡る旅に誘われているのである。
さらに進むと、この空間の天井の高さを誇示するかのような光の柱が林立している。近づけばその柱はファブリックでできていて、ミステリークロックやプリズムクロックを抱いている。ミステリークロックとは時間を示す長針短針がまるで宙に浮いているかのように見えるなんとも不思議で蠱惑的な時計だ。その時計のある場所では時間は現実と少し違う進み方をするのではないかとさえ思えてくる。
作家で博物学者の荒俣宏氏によれば、元時計師、のちに近代マジックの開発者となるジャン=ウジェーヌ・ロベール・ウーダンという人がいて、彼が時計技術の本を買ったにもかかわらず、間違えてマジックの本を持ち帰ったことでマジシャンの道にのめり込み、そのことがミステリークロックの発明につながっていったというのだ。不思議な時計の誕生そのものが数奇な運命に彩られている。
さて、本展の展示会場構成を手掛けたのは、杉本博司と榊田倫之が主宰する建築設計事務所「新素材研究所」である。彼らは古来の素材や技法を研究、リスペクトし、現代の施設や住宅に活かすことをテーマとして、活動してきた。今回の会場でも、伝統的な材料である木材や石材を効果的に使った独自の空間を実現している。
ミステリークロックが並ぶのは展示室の中央に位置する序章「時の間」で、その周囲のスペースがそれぞれのテーマに分配されている。第1章は「色と素材のトランスフォーメーション」。素材使いや色彩の観点からカルティエのデザインをとらえている。それぞれの作品は春日杉のケースに収まっているが、ネックレスを掛けるトルソーは、日頃、寺社や個人に納品する木彫仏の制作を手掛けている仏師が彫り出したものだそうだ。
第2章は「フォルムとデザイン」。ラインや形状、構造といった本質的なフォルムがもつ視覚的な先駆性をいくつかのキーワードを立てながら考える。デザインの発想源の中には意外なもの、大胆なもの、あるいは偶然性にきっかけを見出したものまである。視覚の効果も考えつくされ、それはそのジュエリーと身につける人を一層魅力的に見せているのだ。
第3章は「ユニヴァーサルな好奇心」。創業者の孫ルイ・カルティエは世界各地の文化と文明に興味をもち、美術品や資料を収集した。それらはカルティエのデザインのインスピレーション源となった。それがもとになり、さまざまな文化、動植物が時代背景に融合しながら、独自の革新的なデザインを生み出している。
ここでは展示室いっぱいに広がる楕円形のケースが用意され、各作品はそこに収まる。これは彗星の軌道を模したもので、一回り眺めていくと、エジプト、アフリカ大陸、中東、インド、中国、日本、中米……と地球を一周できるような意図で作られている。そしてこのケース、新素材研究所の設計らしく伝統的な左官の仕上げになっている。
メゾンのアイコニックなモティーフである「パンテール」(豹)の作品だけを集めたケースもある。1914年にブレスレットウォッチのデザインとして、パンテールパターンが登場するのだが、それ以来このモティーフは女性と自由を象徴し、100年を超えて時代を映し、現在に至っている。パンテールの肢体は抽象や具象、あるいは二次元、三次元とさまざまに表現されてきた。
また、各セクションには「トレジャーピース」といって、日本の古美術とカルティエの作品を会場構成を担当した杉本博司氏のキュレーションで組み合わせたコーナーもあり、展覧会を一層魅力的なものにしている。
「カルティエ アーカイヴ」というセクションもある。カルティエの作品はすべて個別に刻印され、番号が与えられている。さらに手書きの受注簿、在庫帳、スケッチ、デッサン、デザイン画などが、分類・保管されている。そのほんの一部を垣間見る展示だがこれもまた見ものである。
さて、カルティエをめぐる時間旅行。美術館に足を運び、すでに体験していただけただろうか? 宝石が生成される途方もない時間、カルティエというメゾンが歩んだ1世紀半以上の歴史、そしてわれわれが生きる時間。幾層もの時間のレイヤーが出合いや感動を生み出してくれる。展覧会ではそんな「時間」を展示という「空間」に置き換えてわれわれを迎えてくれるのである。
——私たちは顔をあげた。すると、愛するすべてがそこにあった。私たちのセーヌと、私たちの街と、私たちの街の中の島とが。(アーネスト・ヘミングウェイ『移動祝祭日――回想のパリ』)
鈴木芳雄|Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌「ブルータス」元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。
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