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オーストラリア、シドニーで開催中のシドニー・ビエンナーレ。45年続く同ビエンナーレの歴史の中で、アジア人として初めて芸術監督を務めるのが森美術館チーフ・キュレーターの片岡真実だ。「スーパーポジション:均衡とエンゲージメント」をタイトルに掲げ、現在の世界が抱える問題を映し出すような作品を選んだ片岡に、ビエンナーレのみどころ、そして現代アート界の課題について聞いた。
TEXT BY Fumiko Suzuki
Portrait by Manami Takahashi
6月11日まで開催されているシドニー・ビエンナーレはアジア・太平洋地区で最も長い歴史を持つ現代アートの国際展だ。21回目となる今回、芸術監督を務めたのは森美術館のチーフ・キュレーターの片岡真実。アジア出身者が芸術監督に就くのは今回が初めてとなる。
片岡が掲げたテーマは「スーパーポジション」。これは量子力学の概念で、電子などが複数の異なった状態で同時に存在し、一つの状態に特定できないことを指す。この不確定性が、現代の世界を象徴するものとして捉えられている。
多様化する価値観に対応した
国際展のあり方を考える
「アジア人で最初の芸術監督になったので、アジア的な視点をテーマに盛り込みたいと考えました。そこでサブタイトルに『均衡』という言葉を加えました。この言葉はアジアに古くからある陰陽五行思想から来ています。これは、ポジティヴなエネルギーとネガティヴなエネルギーが同時に存在することで、世界が変化しながら均衡を保っているという考え方です。実際にアジアを旅すると、そうした考え方が人々の暮らしの中に強く息づいていることに気づきます。これまで支配的だった欧米的な考え方では、社会は基本的にヒエラルヒーで構成されています。しかしこれからの時代では、誰がいちばん強いかを決めるのではなく、性格の異なるもの同士の存在を認め、全体のバランスを考える俯瞰的な視点がとても大切だと感じています」
片岡は今回のテーマに込めた展覧会のコンセプトをこのように語った。参加アーティストは69名。約300点の作品は、幅広い世代や地域から選ばれている。
「年齢的なことを言えば、最年長はすでに亡くなっている方で、オーストラリアの抽象絵画のパイオニアと呼ばれるロイ・デ・マイストレの1894年生まれ。最年少は日本人の井上亜美で1991年生まれですから、100歳近い開きがあります。今日の現代アートの世界では支配的なイズムがなくなり、あらゆる美術史的な様式が同時に存在する状況になっています。異なる世代のアーティストを一緒に展示することで、地域や世代を超えた対話の場にしたいと思いました」
現代アートの多彩な表現を通じて
今という時代を読み解く
世界全体や各時代を俯瞰するような視点がある一方で、ひとりひとりの作家の仕事に向けられた細やかな眼差しも魅力的だ。例えば、多様な表現スタイルが共存するなかで目を惹くのが、刺繍やカゴ編み、陶芸といった工芸的な手法を用いた主に女性アーティストたちの作品だ。工芸的な作品の持つ豊かな表現力が改めて見直される時代が来ていると片岡は指摘する。
「若い人たちはあまりにコンピュータのスクリーンと密着した生活を送っているせいか、逆にモノとしての触感が豊かな、手作業的な作品への興味が高まっているように思えます。コンピュータ上では体験できないものを補完したいという本能的な欲求の現れなのかもしれません。 またそうした作品は女性の労働とも深く結びついています。作品を作ることが彼女たちの人生を支えているような、そうした強さを持った作品に強く惹かれました」
今回のビエンナーレで最も注目を集めたのが、アイ・ウェイウェイの作品だ。社会活動家でもある彼は、難民問題をテーマにした作品を出品している。
「中国を離れ、よりグローバルな問題を扱うようになった彼の存在は、他のアーティストでは置き換えられないものがあると感じました」と片岡は語る。
社会的なテーマに根ざした作品では
アーティストの考える力が問われる
アイ・ウェイウェイの作品が端的に示すように、現代アートの世界では、作家が社会的な問題を扱うことは決して珍しくない。ビエンナーレのような国際展は、そうした傾向の作品を数多く目にする機会でもある。
「現代アートは社会を映し出す鏡でもあるので、困難な状況下にある人たちの中から切実な作品が生まれているという部分があります。そこで問われるのは、歴史や社会的な問題に向き合ったときの、個々のアーティストの考える力です。例えば私と同世代の韓国のアーティストたちは、軍事政権の時代とその後の民主化の時代を生きてきて、それぞれに自分なりの歴史観と思考力を養っています。様々な問題について自分で考え、時には他者と話し合うことが普通に行われ、その延長線上に作品があるという感じです。振り返って日本の状況はどうかと言えば、確かにこの部分がとても弱い。今回のビエンナーレに参加した柳幸典や高山明は、そうした問題意識の上でスケールの大きな作品を手がけることのできる数少ない日本人作家といえるでしょう」
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第21回シドニー・ビエンナーレ芸術監督を務める森美術館チーフ・キュレーターの片岡真実。
アートの世界でも進む
女性の進出とその課題
アートの世界では女性の進出が目覚ましい。女性アーティストが特殊な存在として扱われる時代ははるか昔のこととなり、優れた展覧会を企画する女性キュレーターも多い。しかしそれでもなお、女性の進出を阻む壁はアートの世界にもあるという。
「ちょうどシドニー・ビエンナーレの開幕と同時期に世界各地の美術館業界でリーダー的な立場にある女性が次々と解任され(クイーンズミュージアムのエグゼクティブ・ディレクター、ボルドー現代美術館の館長、ロサンゼルス現代美術館チーフ・キュレーター等)、「#MeToo」の反動ではないかと注目を集めました。アメリカの主な美術館は個人や民間の支援によって成立する非営利団体で、高額寄付者たちで構成される理事会が大きな権限を持っていますが、そのメンバーはどうしても白人の男性に偏りがちだともいわれています。日本に関して言えば、アートの世界以前に社会全体のあり方を考えなければならない。ジェンダーに限らず、民族や宗教、言語、セクシュアリティなどをめぐる多様性の問題にどう対応していくかは、緊急の課題だと思います」
作家とのコミュケーションを通じて
質の高い展覧会をつくりたい
最後に今回のビエンナーレの経験を振り返って、これからの彼女はどのような展覧会を目指しているかを聞いてみた。
「シドニーは貴重で有意義な経験でしたが、同時にこのような規模の大きい国際展は自分には向いていない気もしました。ヴェネチア・ビエンナーレのような巨大な国際展では、芸術監督の下に数名のアシスタント・キュレーターがいて、彼らが世界各地で実際のリサーチを行うやり方が一般化しています。けれども私としてはそうした方法はとりたくありません。どんなに遠くても自分の足でアーティストのもとを訪ね、彼らと直接話し合って展覧会を作っていく過程を重視しています。そうなると規模としては今回の人数がほぼ限界です。これからはもっとアーティストを絞って、より深いコミュケーションを土台にしたい。レストランで言えば、カウンター7席だけのお寿司屋さん(笑)。そんなキュレーターになりたいと思っています」
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片岡真実|Mami Kataoka
森美術館チーフ・キュレーター。1965年愛知県生まれ。2003年より森美術館勤務。2007〜09年はヘイワード・ギャラリー(ロンドン)国際キュレーターを兼務。森美術館では「アイ・ウェイウェイ展:何に因って?」(2009年) 、「会田誠展:天才でごめんなさい」(2012年)、「サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」(2017年)など、多数の展覧会を企画。
メイン画像: Ai Weiwei Law of the Journey, 2017 reinforced PVC with aluminium frame 60 x 6 x 3 m / Presentation at the 21st Biennale of Sydney was made possible with generous support from the Sherman Foundation / Installation view of the 21st Biennale of Sydney (2018) at Cockatoo Island. Photograph: silversalt photography / Courtesy the artist and neugerriemschneider, Berlin
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