LUIGI GHIRRI

ルイジ・ギッリ、撮ることは自分の地図を作ること——タカ・イシイギャラリー 東京|〜6/24

ルイジ・ギッリの写真を見ていて思うのは彼の写真は地図であるということ。 または彼にとって撮影は地図を完成させることに似ているのではないか、である。 それはなにも作品のタイトルがことごとく地名であるから言ってるわけではないし、彼の前職の一つが測量士だったからではなく、もっと抽象的な意味においてである(彼は測量士の仕事が写真を撮る上で役立ったとは言っている)。

PHOTO BY Kenji Takahashi / Courtesy of Taka Ishii Gallery
Text by Yoshio Suzuki

「子どもの頃から地図を眺めてはいつも旅をしていました」と彼は語っている。
未だ見ぬものがあるだろうと出かけた先で何ものにもとらわれない眼でものを見ること(写真に収めること)を自らに課していたとしか思えない。

「念頭にあったのは、どのように風景が画一化し、統一化していくのかを見せること、そして顕微鏡のような精細さ、ほとんど痙攣を引き起こさんばかりの細やかさをもって注視すると、どのように今までとは違って見えるようになるのかを伝えることでした。」(ルイジ・ギッリ著/萱野有美訳『写真講義』みすず書房)

たどりついた土地は想像したとおりだったか確認することなど求められていない。重要なのは何を見ても新鮮な気持ちでいられる眼を持ち続けることだ。

Luigi Ghirri, Amsterdam (Serie: Diaframma II, 1/125 luce naturale), 1973 C-print, image and paper size: 12.5 x 17.2 cm ©Eredi di Luigi Ghirri

アムステルダム国立美術館でレンブラントの《布地組合の見本調査官たち》(1662年)を鑑賞している男がいる。絵の中の男たちは布地見本を調査しているのだろうが、なぜかこちらを見ている。というかこの絵を見ている男を見つめているようにも見える。

この写真を見たとき、撮影したルイジ・ギッリと同じイタリア人で奇しくも講義を書籍化した著作もある文学者イタロ・カルヴィーノ(1923-1985)が書いていたことを思い出した。

「……エッシャーの画のなかで生じているとおりのことが起こっているということはあり得ないのでしょうか? ある画廊で一人の男が都市の風景画を眺めていますが、その風景画は広々と開けていて、その風景画を収めている画廊とその画を眺めている男をもそのなかに取りこんでいるのです。」(『カルヴィーノの文学講義 新たな千年紀のための六つのメモ』朝日新聞社)

絵の中の人を見ているつもりが絵の中の人に見られている、いや取り込まれている。
その関係性をそれほど用意周到に待ち構えて撮影されたとは思えない1枚の写真がとらえ、晒してしまっている。

1970年代、イタリアの写真界に彗星のように現れ、独自の世界を構築し、そして彗星らしく足早に去っていってしまった写真家ルイジ・ギッリ(1943-1992)の1970年代の作品を展示する個展が六本木のタカ・イシイギャラリー 東京で開催されている。

近年のルイジ・ギッリの話題といえば、約300点からなる大規模な彼の回顧展「イメージを通して考える Pensare per immagini」が2013年、国立21世紀美術館(通称MAXXI、2010年ローマに開館)で開催されたこと(その後サン・パウロ、リオ・デ・ジャネイロと巡回)。

彼の講義をふまえ、作品を見ていこう。

近年、日本でも人気急上昇の作家の個展が見られるまたとない機会だ。

Luigi Ghirri, “Sassuolo” (Serie: Diaframma 11, 1/125 luce naturale), 1975, C-print, image size: 15.5 x 19.2 cm ©Eredi di Luigi Ghirri

ルイジ・ギッリは『写真講義』の中で、写真のフレーミングを助けるものに「枠取りされた窓」があると言っている。
それを彼は「自然のファインダー」と呼んでいて、たとえば「テレビ、映画スクリーン、平原に建つ凱旋門、絵画のなかの開いた柵、現実のなかの開いた柵、踊り場に向かって開いたドア、私たちの部屋の窓、など」でカメラによるフレーミングというのはそれら内と外を横断する場所を強調しているのだという。
こんな一例。立てられたままの、このときはスクリーンとして機能していない、木の影を映しているこの長方形の物体もひとつのファインダーであると。

ギッリは額縁のある絵画や写真を多く撮影し、そのイメージをあらためて差し出してくることがなんと多いことか。

たとえばちょっとチープな絵が割りと立派な木の額に入っている。その額はぶつけたりもしたのだろうか、傷んでいる箇所もある。それよりもそれがわざわざイーゼルに乗せられて場違いな屋外に置かれているけれども。

Luigi Ghirri, “Modena” (Serie: Still Life), 1979, C-print, image size: 38.1 x 26 cm ©Eredi di Luigi Ghirri

ギッリの言う「ファインダー」とは地図から地上に降り立って、ものを見るときのポイントとなりうるものなのだろうか。
地図で言えば、三角点(測量の基準となる点)のような。

Luigi Ghirri, “Modena” (Serie: Kodachrome), 1971, C-print, image size: 17.9 x 12 cm ©Eredi di Luigi Ghirri

こちらは洋品店のウィンドウだろうか、やや派手な蝶ネクタイが一つだけある。
そのガラスにはこれを見過ごすことができず、立ち止まってしまった写真家の足が写し込まれている。

『写真講義』の日本語翻訳者・萱野有美は同書「訳者あとがき」の中で、なぜギッリの写真に惹かれるのかといえば、それは「誤解を怖れずに言うなら、その特徴の無さ、その無音さからだった」と書いている。
「どこにでもある写真、私が撮りましたと名乗ろうとしない写真、そんな無記名性に私はその前を通り過ぎることができず立ち止まってしまった」。
蝶ネクタイを撮影するために立ち止まってしまった写真家は、今度は自分の撮った写真を見る者を立ち止まらせる。

そしてここがまさに逆説的なのだが、「だれがこの写真を撮ったのだろう、どうしてこんな写真を撮るのだろう」という率直な疑問がこの翻訳者に『LEZIONI DI FOTOGRAFIA(=写真講義)』を手に取らせたきっかけだったというのである。

Luigi Ghirri, “Modena” (Serie: Kodachrome), 1972, C-print, image size: 17.4 x 12.6 cm ©Eredi di Luigi Ghirri

ルイジ・ギッリは古典的名画を撮影していたり、広告ポスターやトロンプルイユ(だまし絵風装飾)にカメラを向けていることが多い。
すでに一度投じられたイメージを写真にして、それを再びわれわれの前に投げ出してくる。
それは美術の用語で言えば「レディメイド」であるが、それに限らず、シュルレアリスム、ダダイスムの影響とも見ていいかもしれない。

貼り皺がついてしまったポスター、下の部分がなぜか切り取られてしまったこのポスター。
もともとはそのポスターは少女のいる世界へとわれわれ見る者を誘っていたはずなのだが、むしろこうなると見せてくれるのは少女の世界とはほど遠いこの現実にあるのだということを、そこまで言わなくてもいいのに、思い知らせてくる。

Luigi Ghirri, “Parigi” (Serie: Diaframma II, 1/125 luce naturale), 1973, C-print, image and paper size: 29.5 x 40.3 cm ©Eredi di Luigi Ghirri

ギッリは広告畑から来て作家になったのでもなければ、アマチュア写真家からプロに転身したというわけでもない。ウジェーヌ・アジェ、ウォーカー・エヴァンスがやったことを35ミリカメラと中判カメラでやろうとした。アンリ・カルティエ=ブレッソンがやったことをカラーでやりなおしているともいえる。

「歴史上の偉大な写真家たちがカメラ一台とレンズ一本とストラップ一本だけで歩き回り、どれほどすばらしい作品を残したことでしょう。」(『写真講義』)

敬愛する写真家の中でも、とりわけ、カルティエ=ブレッソンがなぜ一連の名作を生み出したのかを強調している。どうして速写性に優れていたか、「決定的瞬間」をとらえることに恵まれていたのはなぜかということを。
それは強運だけでない、装備など周到な下準備があってのことだと教えている。

Luigi Ghirri, “Modena” (Serie: Colazione sull’erba), 1973, C-print, image and paper size: 12.8 x 20.1 cm ©Eredi di Luigi Ghirri

写真とはつねに世界のほんの一部分を見せるために残りを排除することなのだとも語っていたギッリ。
地図を広げれば広範囲を見渡せ、地上の人間が自分の眼の高さから見えるところはごくごく限られた領域にすぎないことを思い知らされる。
地図が、航空測量とGPSだけで作られるようになったとしても写真家は地表を歩き回り、「世界のほんの一部分」を収集する。
見ることをおろそかにしている者や知っていると早合点している者に注意を喚起したり、あるいは思い込みから解放したりするのが写真家の仕事なのだ。

ところで。
ルイジ・ギッリについて書く機会があったので蛇足とは思いつつ、これも記しておきたい。
この写真家は日本ではあまり知られていなかった。
彼の写真を初めてみたのは『須賀敦子全集』の装幀だという人は多いかもしれない。
ギッリは1989年11月から1990年の夏にかけてボローニャ市内フォンダッツァ通りのアトリエと、晩年のモランディが毎夏を過ごしたグリッツァーナの家を撮影し、「アトリエ モランディ」というシリーズにまとめた。
そのシリーズが『須賀敦子全集』に使われている。前述『写真講義』の表紙も同様である。
ギッリが撮影した写真によって、この、20世紀の重要な画家の一人モランディがどんな場所でどんな工夫をしながら、あの名作を生みだしていったのか垣間見ることができる。

今回のタカ・イシイギャラリーでの展覧会では「アトリエ モランディ」からの作品が入っていないのは残念だが。

実はルイジ・ギッリが日本で有名になるチャンスがあった。2011年4月から豊田市美術館、鳥取県立博物館、神奈川県立近代美術館葉山で予定されていた展覧会「ジョルジョ・モランディ モランディとの対話―デ・キリコからフォンターナへ」が東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故で中止になってしまったのだが、その幻の展覧会で「アトリエ モランディ」シリーズが展示される予定だったのだ。
展覧会カタログは出版され(FOIL刊)、その帯文にはこう書かれている。
「ようこそ幻の展覧会へ。」

その後、日本でのモランディ展は2015年〜2016年、兵庫、東京、岩手で開催されたのだがそのときにルイジ・ギッリが撮影した写真は展示されていない。

冒頭の画像のクレジット Luigi Ghirri, “Works from the 1970s”, installation view at Taka Ishii Gallery Tokyo, May 27 – Jun 24, 2017 Courtesy of Taka Ishii Gallery / Photo: Kenji Takahashi

冒頭の画像のクレジット Luigi Ghirri, “Works from the 1970s”, installation view at Taka Ishii Gallery Tokyo, May 27 – Jun 24, 2017 Courtesy of Taka Ishii Gallery / Photo: Kenji Takahashi

ルイジ・ギッリ 「Works from the 1970s」

profile

ルイジ・ギッリ|LUIGI GHIRRI
1943年イタリア、スカンディーノ生まれ(1992年没)。コンセプチュアル・アーティストたちとの共同制作をきっかけに写真を始める。ウジェーヌ・アジェ、ウォーカー・エヴァンスらの写真に影響を受け、1973年より本格的に写真制作に取り組む。初個展で批評家マッシモ・ムッシーニに見出され、以降国内外で作品を発表。著書に『写真講義』(邦訳:みすず書房)。

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鈴木芳雄|YOSHIO SUZUKI
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌ブルータス元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。