ただの木片、ありふれた石ころ。それらを拾い上げ、並べたり、組み合わせると関係性が生まれ、解釈がなされ、主張が見えてくる。単なる「もの」以上の何かを語るようになる。1970年前後から精力的に活動し、現在では世界から熱い視線を注がれる美術家・菅 木志雄。折しも、ヴェネチア・ビエンナーレで注目の展示も始まったところだ。東京・六本木の小山登美夫ギャラリーで開催中の、作品と濃密に対峙できる展覧会を見ながら、あらためてこの重要なアーティストの仕事について考えてみよう。——連載|フクヘン 鈴木芳雄のアートの見方 ②
Text & Photo_Yoshio Suzuki
菅 木志雄をご存じだろうか?
1960年代終わりから70年代にかけて日本で起こった芸術運動「もの派」のメンバーである。「もの派」って? その作家たちは芸術表現=作品の表舞台に未加工の自然的な物質をマテリアルとしてではなく、まさに主役として登場させ、その在りようやそれぞれのものの働きから直に、荒削りのまま、生成りのまま、何らかの芸術言語を引き出そうと試みたのである。
菅は戦後日本美術を代表するアーティストの一人であり、その活動は今般、ますます精力的である。「もの派」への評価が国際的にあらためてクローズアップされている昨今、菅は思考を一層深化させ、追求し、表現はさらなる高みを目指しているかのように見える。
初個展は1968年、以後現在まで国内外の数え切れない展覧会で作品を発表している菅だが、昨年から今年にかけて国際的な活躍がますます際立っており、長い活動歴の中でも特筆に値するだろう。
昨年2016年にはイタリア、ミラノのファンデーションPirelli HangerBicoccaでの個展(展覧会カタログも素晴らしい)、アメリカ、ニューヨークのDia: Chelseaでの個展(〜7月29日)が立て続けに開催された。
そしてまさに最新のニュースなのだが、今月から始まったヴェネツィアビエンナーレ国際美術展「VIVA ARTE VIVA」の出展作家として選出され、メイン会場の一つであるアルセナーレの奥というか背後に位置するガッジャンドレ造船所のドックに初期の代表作の一つである「状況律」(1971年) の再制作をしている。
ここはウナギの寝床のような展示室を抜け出し、風景が気持ちよく開ける場所だ。そこの水の上に浮かぶ作品を展示しているのだ。
東京・六本木の小山登美夫ギャラリーでも個展「分けられた指空性」が開催され、大小約30点の新作が発表されている。
その個展から作品をいくつか見ながら、菅についての話をしていこう。
菅はこの展覧会に際して「有と無のあいだで」という文章を発表している。
「<もの>のもの足り得るあり方に意識を向けると、そこには、どうしても『相依』している状況があらわれてくる。ひとつの<もの>や、<ある状態>を考えようとすると、自分が目指しているものだけでなく、もろもろの<もの>がつながってくる。やっかいなことに、それぞれの<もの>が、わたしが直接関与するかどうかにかかわらず、それぞれにリアルにあるべき存在性と現実感をかもしだしている。それらはそれなりの性向をもち、そこにあるべき姿が、当然そこにあるべきことを主張している。」(「有と無のあいだで」 2017年)
人間が社会を形成し、その営みを始めたときからの宿命であり、希望であり、もしかしたら宿痾(しゅくあ)かもしれない避けて通れない懊悩(おうのう)について、<もの>に仮託して語っているという解釈はしやすい。
あるいは、もともとは持っていなかったのに、現在我々はそれ無しでは生きられない高度なデジタルネットワーキング社会におけるつながりやその変貌について語っているともとれるだろう。
そもそも「相依」という言葉を与えられてしまえば、いやがおうにも相互依存をイメージしてしまうそのことの単純さ、誘惑から逃れられはしない。
菅の思考の中での<もの>とは、木、石、金属、ガラスなどの物質、素材のみを言うのではなく、それを遥かに超えて、空間や人間の思考、意識、概念などの目に見えないもの、抽象的なものも含んでいるのだという。
こんな文章もある。
「わたしは、個々のものがリアリティーを保ちながら、ものが連綿と重なり、かつ広がる 〈場〉について、〈依存状況〉ということばを用いていた。それは、トータリティにかかわると同時に、ものの自立とパーソナリティを根底にした認識であった。トータリティとものの自立性は、一見矛盾した在り方のように思われるけれど、そうではなく、それぞれがどんなに脈絡あろうとも、存在性という基盤において、依存し合い、支え合った状況にあるということだった。それは〈世界〉の成り立ちに関連するもので、決してさけて通れない道筋であった。」(「ものはあるように、あった」『もの派—再考』国立国際美術館 2005)
木、石、金属、ガラス…床に転がる無機質なもの、そういう、息をしないものが菅の手で配置され結びつけられ、視点を与えられるとたちまち人間の、社会の、世界のメタファーにしか見えなくなってくる。
美術評論家の松井みどりは菅のこの考え方をジル・ドゥルーズが1981年『スピノザ:実践的哲学』において定義した「スピノザ的場(計画=世界観)」の概念と大きく共鳴していると指摘する。
ひとつ例を挙げると、ある物体とある物体の間には、相互の影響関係が成立するが「他に影響を与え、影響を与えられる」能力が、固体の独自性を規定しているのだという考え方。
菅は哲学者ではなく、美術家である。独自の実践と思考の道筋を辿った結果、その思考や世界観は奇しくもそういったポスト近代の哲学と、強く共鳴し合う目的や構造を持っていると松井は説く。
前述の「有と無のあいだで」には続きがある。そこでは、<もの>は人間に置き換えられ、作品化された情景は社会の見立てだろうという憶測をあっさり裏切られるのではないかという気もして、息が抜けない。
「単純に見える状態もあれば、複雑な様相を呈したものまであるが、それらは、『相依性』が基盤にある。ものによっては、わたしが使用しようとする<もの>に、直接かかわっているものもあれば、間接的にあって、見えかくれしているものまで種々である。ただ<ある>というのであれば、わたしはなんの苦労もなく、モノ(作品)を表わすことができるだろうが、なかなかそうはいかない。なにしろ『相依性』という前提があるので、自らの位置をそのつどさがさなくてはならない。だからわたしは、いつも有の無の間でウロウロしているのである。」(「有と無のあいだで」 2017年)
「有の無の間」これはタイトルから類推して「有と無の間」の誤記ではないかとも思うのだが、簡単に思いつくのは有機的なもの、無機的なものという記号として見えてくる。無機的なもので、有機的なものを見立てるということ。
さて、アーティストによって巧まれた<もの>の集積、組み合わせ、配置を人間社会のメタファーととらえて眺めてきた。
単純なのか複雑なのか一見では計れない制作物が引き起こす思考やメタファーはそれ以外にもいろいろあるのだろう。ここは作品を見ながら各人が思いを巡らすのがいいだろうと思う。
話は変わるが、ちょっと書いておきたいことがあるので書く。
1990年代以降に登場し、その後、日本の現代美術シーンを大きく牽引した作家といえば、筆頭に挙げられるのは奈良美智と村上隆であろう。
世界各地の有名美術館での展示や海外の一流画廊への所属、有力なオークションでしばしば作品が高値で落札されることが珍しくない。
現在、現代美術を熱心に見ているファンの多くは彼ら以降の作家を主に見ているのではないかと思う。
この2人のビッグアーティストを輩出した小山登美夫ギャラリーで日本人現代美術作家としては奈良や村上の先輩でもある、もの派の巨匠、菅 木志雄の展覧会を見ることの意味を考える。
小山登美夫が自分と同世代ゆえに奈良と村上の活動を早々に理解し、プロデュースしやすく、見事に世に送り出せたのではと思う向きもあるかもしれないがそんな単純な話ではない。
背景には小山の戦後日本美術へのリスペクトとそれを踏まえた模索があったのであろう。
それを裏付けるもうひとつの証左として、具体美術協会の人気作家、田中敦子の最晩年の個展を小山登美夫ギャラリーで開催しているのである。
同様にアーティストの村上隆自身、自分の先達へのリスペクトとそこからの学習には貪欲である。
それは横浜美術館で開催された「村上隆のスーパーフラット・コレクション」において、菅と同様、もの派を率いるアーティストである李 禹煥のインスタレーション作品を展示するにあたって特別のスペースを建込みで用意したことは村上のそんな敬意を示しているし、自分の寄って立つところを把握しているということでもあろう。
鈴木芳雄|YOSHIO SUZUKI
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌ブルータス元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。
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