60年以上にわたって、モダンな暮らしのあり方を提案してきたコンラン卿。86歳となった現在も、デザインを通して社会をより良くして行きたい、という熱い想いはまったく衰えを見せていない。第二次世界大戦前に生まれ、激動の時代を歩んできた人生は輝かしく見えるが、実際は試行錯誤と挫折の連続だった。高価なアートよりシンプルで機能的なモノを好み、野菜を作り、鶏や蜂を飼い、家具工房を経営する暮らしぶりは、むしろ自給自足的な印象だ。そんな彼の人柄を感じ、人生を楽しむための道標となる言葉をここに紹介したい。
text by Megumi Yamashita
photo by Haruko Tomioka
(2018.1.1)
01| デザインの力で社会は改善できるデザイナーには社会を変革し、経済を発展させ、人々の生活を向上させる力がある。
02| まずは、やってみる
私も幾多の失敗を経験してきた。失敗を恐れず、しつこくやっていれば道は開ける。そのことを特に若い人たちに伝えたい。
03| 「ライフスタイル」という言葉は嫌いだ
私はうわべだけの「スタイル」を提案しているのではない。生活を向上させるためのデザインを提案してきたんだ。
陽の光がたっぷりと注ぎ込むオフィスの壁にはデザインを手がけた家具の模型や著作が所狭しと並ぶ。廊下の壁色はもちろん、コンランブルー。
04| 大切なものには、愛情と時間とお金を注ぐ
ボロボロだった旧ミシュラン本社を増改築したザ・コンランショップのように、古い建物にも、それで新しい命を吹き込むことができる。
05| デザインミュージアムは我が人生の集大成
1980年代に始めたデザインミュージアムのプロジェクトだが、2016年には大きな新館がオープンできた。相当のお金とエネルギーを注ぎ込んだが、成就できたことを誇りに思う。
自動車好きでその名を轟かすコンラン卿。一階の廊下にずらりとイタリアの往年のレースカー「ブガッティ」のミニチュアがずらりと架けられていた。
06| ミュージアムは教育のためにある
美術館や博物館の展示品は主に過去のものだが、過去から学ぶに終わらず、未来のための教育の提供がミュージアムの役割だ。
07| ル・コルビュジエが縁をつないだ
私がデザインを始めた当時、ル・コルビュジエは存命で大きな影響を受けた。森稔 元森ビル会長も彼の信奉者ということで、出会ってすぐに意気投合した。
08| デザイナーは商業アーティストと呼ばれていた
アートカレッジではテキスタイルデザインを学んだが、男の学生は私だけだった。当時のデザインへの認識は低いもので、デザイナーという言葉もあまり聞かれなかった。
自分の目に叶うものをセレクトして、集めて、分類する。邸内のインテリアのベースにはそんなコンラン卿の学究的な眼差しが見え隠れする。
邸宅の正面玄関へは中央の大きな木をくぐって入っていく。その右に建つオブジェが、現在デザインディレクターとして世界的に活躍するトーマス・ヘザウィックのRCA(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)の卒業制作作品。
09| 若い才能を、積極的に支援する
いま活躍中のトーマス・ヘザウィック。RCA(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)の卒業制作ではスポンサーになった。その作品は今この庭にある。
10| フラストレーションからビジネスを始めた
私は気が短い。すばらしい物件があったら誰かに任せず、自分でやる! それが私のモチベーションになってきた。
11|ひとつの眼に支えられてきた
13歳の時、ドールハウス(人形の家)の家具を製作中、金属片が飛んできて片目を失明した。しかし、家具づくりは止められなかった。
12| 立ったままデザインするべきだった
長年、座ってデザイン作業をしてきたため腰を痛めた。ドローイングなども立ってした方が実は腰に良いらしい。そういう家具もデザインするべきだった。
広大な敷地のそこかしこに果樹が植えられ、たわわに実る果物のおいしそうな姿が目につく。
13| シンプルで機能的なモノは美しい
時代を超えて使われてきた生活用品には機能美がある。それは役に立つだけでなく、オブジェとしても美しい。
14| 孫は12人、ひ孫も1人いる
結婚は4度した。だから孫も多い。クリスマスのプレゼント選びは大変だが、幸い妻のヴィッキーはショッピング好きでね。
15| ソーシャルメディアは時間を食い物にする
インスタグラムは見るが、自分ではポストしない。ソーシャルメディアはいい点もあるが、くれぐれも注意が必要だ。
バートンコートはコンラン卿そのものだ。ここでの暮らしと時間によってアイデアとデザインが育まれ、イギリスのみならず世界中に羽ばたいていく。
16| どんなことにもまずは踏み出してみることだ
これまでたくさんの本を出版してきたが、2017年に出した『マイ・ライフ・イン・デザイン』(エクスナレッジ)は私の人生を振り返る集大成。みんなにもできる、と伝えたかった。
17| 欲しいものがないなら、作ってしまえ
家具もショップもレストランやホテルも、いいものがないから自分で始めた。レストランは22歳で始め、50軒ほどオープンしてしまった。
18| インスピレーションは、至る所にある
自然の造形、工場の機械、古い写真など、身の回りにもデザインのインスピレーションはたくさんある。
19| デザインの力を政治家にも分からせたい
知的なデザインは生活の質の向上だけでなく、経済効果もあることを政治家に気づかせたい。その熱意は今も私の中で燃えている。
広大な庭の南側を流れる小川が敷地の境界線となっており、ときおり釣り人があらわれてはしばし釣り糸を垂れていく光景がなんとものどか。
20| 食事中のスマホはご法度
食事のときにスマートホンを見るのはいただけない。会話のための大切な時間をつぶしてしまう。孫たちは、そのことをよく心得てくれているようだ。
21| クルマはやっぱりポルシェがいい
デザインミュージアムでは現在フェラーリ展(「Ferrari: Under the Skin」〜4/15)を開催中だが、私は断然ポルシェ派。若い頃は飛ばしたものだが、80代になって運転は断念した。
22| 持続可能な暮らしを心掛ける
地球の温暖化が進んでいるのに、「パリ協定」を軽視すべきではない。小さなことでも、各自ができるエコライフを心掛けたい。
23| ショッピングのあり方を変えたかった
単なる家具を買うところではなく、それ以上の体験ができる画期的なショップとして、1964年に「habitat(ハビタ)」をオープンした。
24| 葉巻を50年吸ってきたが、タバコは嫌いだ
キューバの特級品の葉巻しか口にしない。妻には嫌がられるが、葉巻だけはやめる気はない。ミシュランマンだっていつも吸っているだろ?
25| ガーデニングとデザインの作業はよく似ている
小さな種から育てて、手を掛けるほど立派に育つのは植物もモノも同じ。両方ともに私の大好きな作業だ。
26| リンゴの木を生垣に。花も団子も得る
わが家には果樹園があるが、家の前の生垣もリンゴの木にした。どうせなら食べられるものの方がいいとつい思ってしまうのは、戦時中に育ったせいかな。
工房でものづくりを手がけ、邸宅の裏側に広がる菜園で植物を育む。バートンコートでのライフスタイルは文字通りクリエイティブそのものだ。
リンゴもウリやカボチャも、絶滅しかけている珍しい品種を積極的に育てている。スーパーなどには決して並ばない「ヘンな形」の野菜は、造形的にもおもしろく、風味も豊かなことが多いという。
27| レストランに食材を供給する農場を始めたい
自宅の庭で野菜やフルーツを育ててきたが、まわりの農場も最近買い取った。ここで野菜や家畜を育て、レストランに供給したいと考えている。
28| 一番好きな匂いは、エスカルゴ&ガーリック
好きな食べ物はいろいろあるが、エスカルゴをガーリックとバターで蒸し焼きにするときの匂い。何をおいてもあれはたまらない。
29| 工房で過ごすのが楽しみのひとつだ
「作る」ことはデザインの基本。だから家の横に家具工房「ベンチマーク」を開設した。週末にデザインをして、翌金曜にはもう見本が出来上がってくる。
リンゴの木の下では鶏が放し飼いにされている。落ちたリンゴなどを餌にしているので、卵の味も格別だという。
30| 雇用の機会を増やし、地域を活性化したい
家具工房では地元の人たちを起用して育ててきた。今後は農園にもそれを拡大して、自分の暮らす地域をもっと活性化したい。
31| 日本の建築やモノはクオリティが格別に高い
日本は大好きで何度も足を運んでいる。日本人に生まれたらよかったのに、と思ったこともあるさ。
32| 私のデザインはトレンディでないらしい
それこそは最高の賛辞。つまり時代に左右されないモノを作って、売ってきたということだから。
33| 何事にも楽観的で、冒険心を忘れるなかれ
この歳になっても毎日新しいことを始めたくてウズウズしている。若い人たちへの指導を通して学ぶことだってたくさんある。
34|究極の「コンラン・チェア」を残したい
ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエ、イームズなど、それぞれ有名な椅子を残している。私も長く歴史に残る椅子を世に送り出したいと、今もあれこれ考えている。
35|どれだけ急な階段があろうとも、行きたいところはまだまだある
南仏のカップ・マルタンにあるアイリーン・グレイの家が修復されたので、ついこの間行ってきた。ル・コルビュジエが惚れ込んで、嫉妬のあまりか勝手に壁画を描いてしまった家だ。素晴らしい家だが、階段の上り下りには参った。
製品のほか、ショップやレストランの内装の注文も多い。より安定した生産ができるよう、現在工房の拡大を検討中という。
家具職人のショーン・サトクリフと共同で1986年に創立した工房〈ベンチマーク〉。持続可能な丸太材の調達から製材、家具の制作までを一貫して行う。木屑はボイラーの燃料にまわしている。
工房に隣接して建てられたショールーム。その他のヤードハウスも地元のアーティストやクラフトマンが入居するクリエイティブなコミュニティーに。多目的スペースでは随時イベントも開催される。
36|イギリス人のDNAにデザインを組み込んだ
私が社会に出たのは戦後の復興期。保守的なイギリスに北欧のようなモダンなデザインを持ち込み、住と食の両面から新しい時代へと導きたかった。
37|不穏な時勢だが、デザインを続けよう!
先進国での格差が拡大しているが、第二次大戦後に比べれば貧困は確実に減った。政治も経済も不安定な時代だ。だからこそ、デザインの力で世の中をよりよくしていこうではないか。
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