2003年のオープン以来、日本におけるメディアアートとメディアカルチャーの拠点として機能するとともに、地域発のクリエイティビティを世界に広げ続けてきた「山口情報芸術センター」。特に地域の子供たちとともに築いてきた教育面での独創的な取り組みには目をみはるばかりだ。その根底を支える考え方について3人のスタッフに聞いた。
photo by Shintaro Yamanaka(Qsyum!)
all photo: courtesy of YCAM
text by Yumiko Sakuma
山口情報芸術センター[YCAM](山口県)
2003年に山口市に開館したアートセンター。展示空間の他に映画館、図書館、ワークショップ・スペース、レストランなどを併設。20名ほどの常駐スタッフで構成された研究開発チーム「YCAMインターラボ」が、様々な分野のアーティストや表現者たち、市民とのコラボレーションを通して、展示、ワークショップ、調査研究などを主導している。
前提条件を崩してみる
Let’s make new questions
子供と1日過ごして疲弊したことがある。ことあるごとに「どうして?」と聞かれて、そのたびに間違いのない説明をしなければならないプレッシャーに震えた。つい「だってそうだから」などと一番ダメな答えを返してしまいそうになる自分を発見し、そもそも自分が信じていることは正しいのだろうかと自問自答する、の繰り返しだった。自分が教えられてきた「ルール」と違うことを子供がすると、止めそうになる。そしてそのたびに間違っているのは自分なのかもしれない、と教えられる。
思えば、自分にとっての成長過程は「できないこと」「やってはいけないこと」を教えられることの積み重ねだった。とすると自分のポテンシャルのピークは幼少時代にあったことになる。恐れはなかったし、何にでも挑戦した。そして今、自分に必要なのは、教え込まれたことを疑い、そこから解放されるプロセスだと感じている。子供と過ごす時間はそのチャンスを与えてくれる。
「コロガル公園シリーズ」の最新版「コモンズ」。特徴的な形状の床面にはスピーカーや映像などのメディアテクノロジーが随所に埋め込まれている。
社会にはたくさんのルールがある。公園にいけば「ボール遊びは禁止です」「大声で遊ばないように」などとルールが書き連ねてある。最大公約数の「民」全員への配慮をするうちにどんどんルールが増える。そしてそのルールが、本来その場所が持っているポテンシャルを制限する結果になる。
山口県山口市にある山口情報芸術センター[YCAM]の「コロガル公園シリーズ」は2012年から始まった仮設公園を作るプロジェクトで、すでに当たり前とされるルールや社会観念に思考停止せず、自分で考えることの出来る人を育てることを目指して始まった。
利用する子供たちとYCAMスタッフがアイディアを出し合う「子どもあそびばミーティング」。優れたアイディアは「コロガル公園コモンズ」に実装される。
ともに創造し、学び合うことからはじめよう
Creating Together, Learning Together
公園で行われることやその進化の形は、場の管理者であるYCAMと利用者が一緒に決めていく。利用者の大半である子供とともに「子どもあそびばミーティング」を開き、利用者の要望を聞いた上で実際に公園をアップデートするうちに、一種の自治体のようなものが生まれ、この場所のあり方が決められるようになって行った。公園自体が巨大なすごろくになったこともあったし、ヤギがいたら楽しい、という発案で、ヤギのぬいぐるみが登場したこともある。子供たちが園内放送をしたり、小学生2人によって始まった署名運動によって、一度終わった展示が復活したこともあったという。大人がルールを決めて課すのではなく、大人のルールや常識を共有しない「小さな人たち」が、自分たちの世界を作ったのだ。
左)伊藤隆之|Takayuki Ito(R&Dディレクター) 中)山岡大地|Daichi Yamaoka(エデュケーター) 右)今野恵菜|Keina Konno(映像エンジニア/デバイス・エンジニア)
そしてそこには小さな人たちを対等なパートナーとみなし、彼らの判断能力を信頼して、過剰なヘルプを供給したり、意思を阻害したりせずに可能な限りの自由や自治をサポートする「大きな人たち」の存在があった。彼らがなるべく禁止事項を増やさない場所を作ることを目指した結果、有機的に自治体のようなものが生まれた。つまり何かが自然に派生する余地を残し、「教える」ではなくともに作り、見守る姿勢を続けると、利用者の中で自発的に「学び」が生まれたということになる。既存の枠組みへの問題意識から生まれたインフォーマルな学びの試みの最前線を追いかけてみたら、「学ぶ」と「教える」の境界がなくなったり、並列したり、反転したりしていた。そのかけ合わせ方で未来の学びのカタチは、無限に多様になれる気がした。
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