特集麻布台ヒルズ

Keio University Center for Preventive Medicine

日常生活を医療が見守り、健康をデザインする街。街全体で取り組む未来の医療——慶應義塾大学 予防医療センター

慶應義塾大学病院は、本拠地・信濃町から予防医療センターを麻布台ヒルズに拡張移転し、街を舞台にした研究を森ビルと一緒にスタートさせました。かつてない「街と医療」のコラボレーションが始まります。どんな未来を描いて、この大きな決断をされたのか、当時、病院長と医学部長として決断を担った北川雄光氏、天谷雅行氏にうかがいます。

TEXT BY MITSUKO OHTA
Portrait by Ryo Yoshiya
Photo courtesy of Keio University
illustration by Geoff McFetridge

 
北川 これからは医療や健康の概念が大きく変わっていくだろうと思います。いわば、「健康」の定義がより広くなる。「病気を持っていないことが健康」ではなく、これからの健康とは、「自分自身の心身の特徴を知り、自分の将来をある程度予測しながら、自分でマネジメントしていくこと」というふうに思っています。そして、「ウェルネス」とは、心身ともに安定し社会的にも安心して生き生きと暮らしていける状態と捉えています。

「健康」の定義が変わる、「医療」のミッションも変わる

北川 ですから、これからの医療のミッションは病気を早期に発見したり治療することだけでなく、「1人ひとりの健康をデザインすること」が重要になります。そして、「それを社会全体として支えていく」ことも、医療の大きなミッションになっていくだろうと思います。街やコミュニティに対して医療がいろいろな形で関わっていく時代になっていくでしょう。それを支えるさまざまなテクノロジーも進化している。コロナ禍を経て、医療のあり方は確実に未来型にシフトしています。

麻布台ヒルズでは、予防医療センターと共同研究を軸に、こうした構想を街全体で展開しようと考えています。「日常生活を医療が見守り、健康をデザインする街」というモデルができれば、日本だけでなく、世界でも応用できるかもしれません。「健康をデザインする」という概念は、医療関係者の多くが興味を抱いていますが、街づくりから始めている例はまだ世界にもほとんどありません。

天谷 未来の医療について、私は「医療の定義する空間」と「一患者一疾患から、一患者多疾患へ」というキーワードでお話しします。

未来の医療では「医療の定義する空間」が広がります。病院という空間が解き放たれ、自宅とかオフィスといった日常の空間に広がり、そこでの状態を把握することがすごく重要になってきています。

例えば、血圧ひとつとっても、病院で測るときと、人前で何かを発表したり、上司にガツンと怒られたときなどでは多分数値が相当に違うし、実生活の中での血圧の変動を正しく知ることが重要なんです。今までは日常の状態をモニタリングし、データを解析する手段がありませんでしたが、センサリング技術やデータサイエンスが進んで、日常空間のモニタリングがかなり幅広くできるようになっています。これからは「医療の定義する空間」が、一人ひとりの日常空間に広がっていきます。もう一つは、現在の医療制度は「一患者一疾患」を前提にしていますが、実態は「一患者多疾患」であることです。高齢化が進み、多くの人が「複数の病気を抱えながら、病気と一緒に生きていく」という時代になっています。麻布台ヒルズでは、時代に適応したシステムを提供できるとよいと思います。

この街に住む人、働く人と私たち医療者が一緒になって未来の医療をつくり、健康に対する新しいコモンセンスをつくっていけるとよいですね。これは、医療者側が勝手につくるものではなく、街の人々や森ビルと共に目指す目標であり、共通の夢です。

個人のデータを、自分と社会の未来のために活かす

右)北川雄光 慶應義塾常任理事(前・慶應義塾大学病院病院長)/ 左)天谷雅行 慶應義塾常任理事(前・慶應義塾大学医学部長)

北川 もちろん課題もあります。個人情報、特に健康状態や遺伝的素因、病歴などは、慎重に取り扱う必要があります。我々が大学を卒業した頃は、病気になったことですら、「会社には言わないでください」ということが珍しくありませんでした。今では大分概念が変わってきましたが、個人情報の保護は非常に重要です。

「みんなが安心して正確で詳細な匿名化されたデータを提供し、それを利活用することで社会にも、本人にもベネフィットがある」というサイクルをつくり出さなくてはなりません。昔は臨床試験や臨床研究の結果はその人自身には反映できませんでしたが、今後は自分のデータが蓄積されていけば、将来、自分に起こることに対してフィードバックされます。

麻布台には先進的な考え方をとり入れる傾向が強い人が集まるでしょう。そういう人たちがロールモデルとなってこのサイクルを回すことによって、社会全体のマインドが変わっていくのではないか。麻布台をいろいろな新しい展開を起こす場にしていきたいと思っています。

天谷 「麻布台だからできるし、麻布台だからやらなければいけない」と、私は思っています。この街の空気を吸うということは、「未来型のヘルスを引っ張っていくんだ」という意識を共有したコミュニティのメンバーになることだと思うのです。医療関係者がいくら「個人のデータを提供すれば、社会や未来のためになります」と言っても響きません。この街に「一緒に〈グリーン&ウェルネス〉を世界最高のものにしていこう」という空気感が醸成されてこそ、できることだと思います。

私たちは異業種の方たちと密に協働しながら、この街をそういう特別な空間、コミュニティにしていこうとしています。麻布台ヒルズに住んでいる方、働く方、街を運営する森ビル、そして我々が一緒になって、新しいコモンセンスをつくれたら本当にすばらしいと思います。

100年の歴史を変えた決断の背景には……

北川 「予防医療センター」を信濃町から麻布台ヒルズに拡張移転するという決断は、私たちにとって大きな決断です。慶應義塾大学病院本院の組織が信濃町の敷地の外に出るのは、100年の歴史の中で初めてなのです。100年以上、慶應病院はその時その時の最先端医療を提供してきました。それを前提に、次の100年を考えて「予防医療、病気になっていない方々の健康をつくろう」と、2012年、信濃町に予防医療センターをオープンしました。10年で一定の発展を遂げ検査枠も飽和状態となり、次の展開を検討しているとき、森ビルの辻さんから「テナントとしてではなく、プロジェクトのパートナーとして新しい街を一緒につくりませんか。〈グリーン&ウェルネス〉というコンセプトを一緒に実現しましょう」という提案をいただいたのです。

※メンバーシップ専用

もちろん、さまざまな投資、準備が必要ですから、慶應義塾の医療としてもたやすい決断ではありませんでした。しかし、「我々がずっと求めてきた挑戦が、この街でできる。これは慶應の未来につながる挑戦だ」と考えて決断しました。森ビルにとっても、麻布台ヒルズは未来をひらく挑戦と伺っています。初めてお会いしたときから想いがシンクロし、響き合うことができたことも大きかったです。

文理融合の強みを活かし、「新しい健康」を社会実装させる

天谷 私も同席していましたが、「街のコンセプトに関われる。新しい街で新しい医療を展開するチャンスだ」と感じました。それならば、予防医療センターの拡張移転だけでなく、この街を舞台に共同研究をしようということになり、一緒に構想を練り上げていったのです。私は、医療が大学の医学部や病院の中で完結することに限界を感じていました。一つには「病院空間だけで健康はつくれない。日常空間も含めてトータルで関わらなくてはいけない」という想い。もう一つは「一人ひとりの健康意識を高めないと、一緒に医療の未来をつくってはいけない」という想い。その両方から、「街づくりに参画する」という提案はとてつもなく魅力的でした。

麻布台ヒルズのコンセプトの「Modern Urban Village」の意味を、私は「大都会の中で、その空間だけ全く空気感が違うものをつくる」というふうに捉えています。東京のような大都会で臨床研究は難しいのですが、こういう理念を持ってつくられた街ならチャンスがあります。共同研究が既にスタートしていますが、いろいろな仕組みをしかけることができればと思います。

慶應義塾大学の研究分野での強みは「文理融合」です。理系の人はモノをつくるのが得意ですが、社会実装させるには、モノだけでなくコトを起こさなくてはいけません。その「コトを起こすこと」をこの街でもきちんとやっていく。今回の共同研究は医学部・病院からスタートしていますが、人文社会科学系の人たちのビビッドな感性や知識も加え、学際的な研究に進化発展させていくことが大切です。目標は「文理融合の強みを活かして、この街に新しいヘルスを社会実装させるためのモノとコトを起こすこと」です。今、世界が同じ方向を向いています。ウェルネス、グリーン、サステナビリティを求めています。その中の一つのモデルをつくり上げられれば、と思います。

北川 私もこの取り組みをいろいろな分野に広げていきたいと思っています。「新しい社会をつくる、未来をつくる」というところにまで広げていきたい。だからこそ長いスパンで取り組みたいし、この街が慶應にとってタウンキャンパスのような存在になるといいなと思っています。約30年前、「湘南藤沢キャンパス」ができたときのように、「慶應義塾が新たな世界に踏み出す」というくらいの熱い想いで、今回のプロジェクトを捉えています。

profile

北川雄光|Yuko Kitagawa
慶應義塾常任理事(前・慶應義塾大学病院病院長) 1960年生まれ。1986年慶應義塾大学医学部卒業。カナダ・ブリティッシュコロンビア大学ポストドクトラルフェローなどを経て、1997年慶應義塾大学医学部助手。2005年同専任講師、2007年同教授(外科学)。2009年慶應義塾大学病院腫瘍センター長、2011年副病院長、2017年病院長。2021年慶應義塾常任理事。専門は消化器外科学。医学博士。

profile

天谷雅行|Masayuki Amagai
慶應義塾常任理事(前・慶應義塾大学医学部長) 1960年生まれ。1985年慶應義塾大学医学部卒業、1989年同大学院医学研究科博士課程単位取得退学。米国国立衛生研究所(NCI、NIH)博士研究員、愛媛大学助手などを経て、1996年慶應義塾大学医学部専任講師、2005年同教授(皮膚科学)。2007年慶應義塾大学病院副病院長。2013年医学部長補佐、2017年医学部長。2021年慶應義塾常任理事。専門は皮膚科学。医学博士。

慶應義塾大学 予防医療センター


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