Where Commerce Once Ruled, New Yorkers Walk and Wonder

ダイナミックな都市を体感させるNYの空中庭園、ハイラインはなぜこれほど成功したのだろう?

マンハッタンの高架跡地を再開発した空中庭園、ハイライン。2009年の開業から人気はうなぎ登り、昨年は年間800万人ものビジターが世界中から訪れた。今や屈指の名所となったこの緑地帯だが、なぜこれほど成功したのだろう?

TEXT BY Mika Yoshida & David G. Imber
EDIT BY Kazumi Yamamoto

右手の緑地帯がハイライン。19世紀半ばに線路を敷設し、1933年に高架化された。鉄道輸送の衰退で1980年代には廃線。その後は長年、荒れ放題に。往時の姿や歴史を継承しながら再生されたハイラインは、全米の自治体にとって再開発の手本となる。

南はミートパッキング地区から北は34丁目まで、マンハッタンの西端を2.33kmに渡って続く遊歩道がハイラインだ。卓越したアーバンデザインとランドスケープ・アーキテクチャー、そしてエコロジーが融合した斬新な都市空間は、オープン後またたくまに再開発の手本となった。自治体の中には、NYのハイラインにあやかろうと、地元で長年放置していた高架や跡地を緑化させて「ハイライン効果」と呼ばれる経済波及効果を狙うところも少なくない。シカゴのブルーミングデール・トレイルを始め、フィラデルフィアやアトランタなど、各地で次々と「わが町のハイライン」が計画された。

さて本家本元のハイラインだが、そもそもは19世紀半ばに建設された高架鉄道で1980年代には廃線、高架のまま放置されていたという事実は一般にも知られている。しかし長年に渡って取り壊しの危機に瀕していたのをご存じだろうか? 解体を免れたのは、ひとえに地元支援者たちの熱意と地道な努力のたまものだ。支援者団体はNPO「フレンズ・オブ・ハイライン(FOH)」として、ハイラインを運営するNY市公園局と戦略的パートナーシップを組んでいる。廃線は長い道のりの果て、緑の公園へと変身し、複合カルチャーの一大震源地へと発展したのである。

ハイラインは一部で厄介者扱いだった?

ハイラインの完成より一足先に、ハイラインを「またぐ」形でホテル・スタンダードを建てたのが、1990年代以降のNYデザインホテル界を牛耳っていたホテリエ、アンドレ・バラージュだ。2009年のスタンダード開業時、バラージュにインタビューした際、FOHのメンバーでもある彼はこう語った。

「開発業者にとって、ハイラインは邪魔者以外の何物でもなかった。地価を下げるマイナス要因とみなし、こんなものはとっとと壊してしまえ、と騒いでいたんだよ」。バラージュは以前から、放置されたハイラインにこっそり侵入しては近くの廃屋を探検するなどしたという。これは彼に限った話ではない。人影のない、ゴミやグラフィティだらけで危険な高架に忍び込んでは、写真家はシャッターを切り、詩人はインスピレーションを求めた。開発以前のハイラインは宙に浮かぶ「忘れ去られた異界」だった。静まりかえった異界と、周囲のエネルギー溢れる摩天楼との強烈なコントラストは、多くの芸術家の創造力に火を付けたものである。バラージュはこうも続ける。「公園になると決まったとたん、開発業者は手のひらを返して、ハイラインを最大のセールスポイントに持ってきた。結果として地価はハネ上がり、彼らも万々歳だったね(笑)」

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1/31950年代、ハイラインが現役で貨物列車を走らせていた時代。30丁目から東を臨む。photo by Jim Shaughnessy
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2/3先ほどの写真から約50年後。荒れ果てたハイラインを同じ場所から撮影。2001年というから今から20年近く前だ。放置された線路に雑草がはびこる。photo by Joel Sternfeld
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3/3以前はゴミやグラフィティだらけで、犯罪の温床でもあった。16丁目のこの部分は現在〈Northern Spur Preserve〉という名のガーデンに。

大都会にありながら、安らぐ

現在のハイラインには危険や退廃は見当たらない。代わりに線路をデザインに組み込みながら残したり、昔の姿を維持した外観などを通じて、歴史を継承する。市営の公園なので商業活動は禁止されており、代わりに盛んなのがパブリックアートの展示やパフォーマンスアート、子供やファミリー向けプログラムである。設計を手がけた建築事務所ディラー&スコフィディオ+レンフロ(D&S+R)による建築的な特徴を、アーチストやパフォーマーがどう生かすかも見どころだ。

線路を生かしたインスタレーション。アーティストやキュレーターにとっても腕の奮いどころだ。Lubaina Himid, Five Conversations, 2019. Part of En Plein Air. A High Line Commission. On view April 2019 – March 2020. Photo by Timothy Schenck

子どものための野外学習。ここも地上9メートルの高さに浮かんでいる。Photo by Anita Ng

夜間のパフォーマンス。ハイラインでは、誰もが自分に合う楽しみを見つける事ができる。Photo by Liz Ligon

2019年春から一年間展示された〈En Plein Air〉の一部。ハイラインがアーティスト達にコミッションしたシリーズだ。Vivian Suter, Xocomil, 2019. Part of En Plein Air. A High Line Commission. On view April 2019 – March 2020. photo by Timothy Schenck

パフォーマーもよく利用するスポットに、17丁目の階段がある。ウッドの階段に腰かけると目の前のガラス越しに、斜め下の10アベニューを忙しく駆け抜ける車の流れが見える。そこだけフレームで切り取られたように流れ続ける車やトラック、タクシーを眺めていると、まるで河面を見つめているような心境になるのが面白い。ちなみにボストンのウォーターフロントでD&S+Rが設計したボストン現代美術館には階段部屋があり、イスに座るとちょうど斜め下のやはりガラス越しに海面が眺められるようになっている。ボストンでは海という大自然。かたやハイラインではNYのどこでも見られる人工物、「車道」によって人は心を鎮め、思索にふけるのである。

車の流れがまるで川のよう。photo by Iwan Baan

17丁目の階段〈10TH AVENUE SQUARE & OVERLOOK〉はライブ会場としても使われる。車椅子でも問題なく入場可能。photo by Liz Ligon

ピエト・オウドルフが創る、原初の庭

ハイラインの魅力はガーデンだ。植物をセレクトし、全体のパターンやレイアウトを決めたのはNYのランドスケープアーキテクト、ジェイムズ・コーナー・フィールド・オペレーション。その条件の中でガーデンをデザインしたのが、オランダのランドスケープ・デザイナー、ピエト・オウドルフだ。NY原産の草花を中心に、360種類の植物が植えられている。2013年にインタビューした時、こう話してくれた。「ハイラインからの注文は、かつての姿のようにしてほしい、というものでした」。

〈CHELSEA GRASSLANDS〉と名付けられた一角。

NYに自生する植物を主軸に据えたガーデン。

小鳥も暮らすハイライン。どこからやって来るのか、アライグマが目撃されることも。

NY人がこれまで目もくれなかった、歩道の脇や空き地に生える草花。ピエト・オウドルフが意識を変えた。

周りの建築と、ピエトの植生デザインとが対話する。

廃線から25年、手つかずで放置されていた間、ハイラインには街のホコリやチリが積もりに積もっていた。風や鳥によって運ばれた植物のタネがチリの堆積から芽吹き、公園化ですべて伐採されるまでは一面雑草が生い茂るジャングルと化していたのである。オウドルフは新生ハイラインに、かつてNYに自生していた野草を配置した。高価でエキゾチックな花が咲くのが美しい庭、という当時の常識を覆し「地元の雑草」の美しさにNY人を開眼させる。公共アート展示脇に咲くエキネシアの花や、線路の隙間からたくましく伸びる雑草を見ながら、ネイティブアメリカンの人々がマナハタと呼んでいた、原初のマンハッタンに私たちは思いを馳せるのだ。

オウドルフはこうも言う。「野生をただ再現するのではありません。地元の原産種だけに限定せず、別の土地の植物を一部混ぜることで、かえってこの土地らしい風景ができあがるのですよ」。

最南端のガンズブールト・ストリートから階段を登ると、まずは林が現れる。北に向かって歩いて行くと、北アメリカの原野や、ヨーロッパの草原など様々な自然景観が現れてくる。オウドルフの言葉を借りると「植物によってストーリーを語らせる」のである。
 オープン時には小さかった樹木の苗も、11年経った今では大きく成長した。ハイラインは「育つ」公園でもある。最近のオウドルフは空間構成をある程度、植物自身に委ねるという。移ろいの美こそ彼の信条だからだ。植物は生き物。庭は刻々と姿を変える。草花の種類や配置の仕方を工夫し、常にその目で確かめることで可能な限り同じ姿を保たせたいと語った。

ピエト・オウドルフ 世界的なランドスケープ・デザイナー。オランダのハールレム出身。NYバッテリーパークのガーデンも彼が手がけた。Ⓒ Piet Oudolf

ハイラインがマンハッタンを歩かせる

ハイラインには批判もある。巨額な建設費は、困窮する市民や貧困世帯に使われるべきåという意見のほか、分断を推し進めたという声も強い。というのも、ハイ&ローの混在こそが昔も今もNYの良さだ。超高級なモノと、ストリートの荒削りなモノがぶつかり合い、生まれるカオスや相互刺激がこの街の原動力である。ハイラインからの眺めはかつて「アーバンランドスケープの博物館」と呼ばれていた。はるか先にはエンパイアステートビルや自由の女神、すぐそばには食肉工場や朽ち果てた廃屋が並び、有名建築の数々も「背中側」から見ることができる。振り幅の広い、種々雑多な建物や景色を一度に味わえるのがハイラインの良さなのに、エリアの人気高騰で最近は当たり一面、高級コンドの建設ラッシュ。メガリッチの城塞は扉を閉ざし、クリエイティブなカオスにもはや結びつかないというのである。

人気のガイドツアー。新型コロナの影響で現在は休止中。再開が待ち遠しい。photo by Liz Ligon

とはいえ、ハイライン散策はやはり唯一無二の体験だ。車や建物に妨げられることなく、マンハッタンをただゆったり歩くなどハイライン以前は夢のまた夢。もちろんセントラルパークも散歩ができる。が、「都市の中にいるのを忘れさせてくれる」緑豊かなセントラルパークと「躍動する都市の真ん中にいるのを体感しながら」アートや景色を味わうハイラインは別物だ。どちらも違う良さがある。

ハイラインを歩きながら、朽ちた建物や建設中の高級コンドを眺め、野外学習の児童たちや天体観測グループとすれ違い、音楽やシアターのパフォーマンスに足を止める。散策というよりも、もはや動的メディテーションと呼ぶ方がふさわしい。誰も知らなかったマンハッタンを最新の乗り物などではなく、自分の足で体験させる。NYで最古と最新を見たければハイラインへ行け、と言われる理由のひとつがここにある。

夏の夜は無料コンサートをゆったり楽しんだりも。photo by Liz Ligon

西側なので日没は特に美しい。年に2度、マンハッタンの東西に沿って太陽が沈む「マンハッタン・ヘンジ」現象もここで味わってみたい。photo by Iwan Baan

ハイライン|HIGH LINE

入り口は Gansevoort St., 23rd St., 30th St.の3カ所。7時~19時、10〜18時(土・日)。現在は土日のみ時間制チケット(無料)の予約が必要。入場無料。最新情報をウェブサイトで確認のこと