ARCH PARTNERS TALK #27

航空機で受信した大気のデータを活用し、測位サービスや気象予測の精度向上を目指す——ANAホールディングス × WiL 三吉香留菜

大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとして虎ノ門ヒルズにて始動したインキュベーションセンター「ARCH(アーチ)」。企画運営は虎ノ門ヒルズエリアにおいてグローバルビジネスセンターの形成を目指す森ビルが行い、米国シリコンバレーを本拠地とするWiLがベンチャーキャピタルの知見をもって参画している。WiLの三吉香留菜氏が、ANAホールディングスの髙﨑恵以子氏を迎え、同社の取り組みについて伺います。

TEXT BY Kazuko takahashi
PHOTO BY ayako mogi

S-Booster2024 最終選抜会(2025年1月16日開催)でのプレゼンテーション

飛行機と宇宙が好きでANAへ

三吉 ANAグループでは毎年ビジネスコンテスト「Da Vinci Camp(ダヴィンチキャンプ)」を開催しています。髙﨑さんは2023年に「航空機によるGNSSデータ活用事業」というテーマで同ビジコンに応募し、通過されました。ANAグループはWiLが運営するファンドに長くご出資くださっています。その関係の中で私はWiLの一員としてANAの新規ビジネス部門の方々へのメンタリングなどを行っており、同ビジコンでは髙﨑さんチームのメンタリングを担当しました。

髙﨑恵以子|Eiko Takasaki ANAホールディングス 未来創造室 デジタル・デザイン・ラボにてGNSSデータ活用事業を担当。九州大学理学部地球惑星科学科卒業後、2018年ANA(全日本空輸)入社。成田空港グランドスタッフ、オペレーション部門、オペレーションマネジメントセンターを経て現職。

髙﨑 三吉さんには長く伴走していただいていて本当に感謝しています。当初から「このサービスは誰のためか、誰が喜ぶのか」ということを問いかけ続けてくださり、そのマインドは今もずっと大切にしています。ことあるごとに「できるできる! いけるいける!」と言ってくださることもすごく励みになっています。

三吉 私は昔から宇宙に興味があり、学生時代には民間の宇宙ビジネスのカンファレンスをお手伝いしたこともあったので、宇宙や人工衛星に関わる事業と聞いて自分から髙﨑さんチームのメンタリングに手を挙げました。髙﨑さんは地球科学系に強いことで知られる九州大学のご出身です。小さい頃から天文系がお好きだったのですか? それとも宇宙開発にご興味が?

髙﨑 いずれにも興味があります。宇宙は未知の領域が多いので、挑戦のしがいがある気がして。

三吉 ANAを就職先に選んだのは?

髙﨑 出身は神奈川ですが、中学時代から飛行機が上空を飛んで行く姿が好きで、飛行機を見るために足繁く羽田空港に通うほどでした。ですから就職するなら航空会社、中でも宇宙開発事業に強いANAというのは私の中で自然の流れでした。

三吉 そして総合職で入社されたわけですが、新卒の皆さんは一律に空港業務から始めるそうですね。

髙﨑 現在は一律に空港配属という訳ではなくなりましたが、私は入社して最初の2年間は成田空港でグランドスタッフと呼ばれる旅客係員としてチェックイン手続きや搭乗口へのご案内などを担当しました。

三吉 その2年の業務ではどのようなことが印象に残っていますか?

髙﨑 大きく2つあり、1つは悪天候のために全便欠航となった際の対応です。空港に大勢のお客様が滞留されて、床に寝ている人をまたいで歩かなければ空港の外に出られないような状況に直面し、公共交通機関として、飛行機をきちんと飛ばすことがいかに大事なことかを痛感しましたね。もう一つはコロナ禍です。海外から日本への飛行機が何便も飛んでいるさなかに緊急事態宣言が発出され、成田空港に降り立ってから2週間の隔離状態に置かれることを知らされる大勢のお客様の対応をしたことです。

三吉 納得してくださらない方も多かったのでは?

髙﨑 できることが限られる中で、動揺するお客様にいかに寄り添うことができるかを考えさせられました。この2つの経験はその後の仕事にも生きています。

三吉 悪天候の話が出ましたが、髙﨑さんは気象予報士の資格をお持ちです。入社後に取得されたのですか?

髙﨑 3年前に取得しました。気象予報士の試験は1年に2回あるのですが、7回目の挑戦でやっと合格。足かけ3年半かかりました(苦笑)

三吉 通過率が低い試験とは聞いています。途中で嫌になりませんでしたか?

髙﨑 なりましたし、大泣きもしました。でもある時、過去問題を解きっぱなしの勉強法がまずいのでは、と気付き、正答までの流れを徹底的に理解する勉強法に変え、結果、無事合格に至りました。

三吉 そもそもなぜ気象予報士試験を受けようと?

髙﨑 将来的に宇宙事業に携わる前に、足元で航空機のオペレーションに精通したいという気持ちが強くありました。気象は安全運航に関わる大事な基礎知識でしたし、ロケットや人工衛星などの打ち上げにも関わるので、身につけたいと思ったのがきっかけでした。

三吉 航空機のオペレーションはどんなことを行うのですか?

髙﨑 航空機のオペレーションには、運航管理者という国家資格が必要です。運航管理者は、気象をチェックして飛行機を飛ばせるかどうかの判断をしたり、なるべく飛行機が揺れないルートを計画したり、追い風か向かい風かに応じて飛行スピードを決めたり、どのくらい燃料を積む必要があるのかを算出したりといった仕事を担っています。

三吉 髙﨑さんは運航管理者の資格もお持ちです。その資格取得も実務をしながら?

髙﨑 運航管理者の受験には実務経験が1年間必要で、筆記試験、社内の実技審査、航空局の実技審査に合格すると取得に至り、すべてを通過するまでに約1年半を要します。

三吉 大変な道のりなのですね! 

運航管理業務を通じて、航空機での大気観測を思いつく

三吉 髙﨑さんがDa Vinci Campに応募したのは運航管理者をされていた頃です。応募のきっかけについて改めて聞かせてください。

髙﨑 私は国際線の運航管理を担当していたのですが、ロシア・ウクライナ情勢を鑑み日本とヨーロッパ間の便は北極圏を大回りするルートに変わりました。そこで問題となったのが、航空機と航空管制間の無線通信に入る雑音や通信の途切れです。航空機で使う無線は「電離圏」と呼ばれる大気の層の反射を利用して通信を行うため、この大気が乱れると影響を受けてしまうのです。

三吉 北極圏は大気が乱れやすいので無線が通じにくいということですね。

髙﨑 その通りです。視覚的にわかりやすいのはオーロラで、オーロラの動きぐらいダイナミックに大気の層は動いています。逆に言うと電離圏を観測することによって無線が通じやすいエリアを予測し、飛行ルートを特定することができます。ただ現在は、地上に設置された観測機器からしか電離圏のデータを収集できていません。飛行機は海上も飛びますから、飛行機に観測機器を搭載すれば、海上のデータも集めることができる。そのアイデアが応募のきっかけでした。

三吉 運航管理をされていたからこそ思いついたアイデアですね。そして本業に大きく影響する提案です。ちなみに地上にしか観測機器が設置されていないというお話がありましたが、地上の観測機器の数は足りているのですか?

髙﨑 先進国であれば数は十分と言えると思います。日本ではおよそ1,300カ所あると言われていて、密に置かれている国の一つです。一方で、海上や砂漠、熱帯雨林地帯などには観測機器を置けないので、地球全体で見ると観測できていないスポットがたくさんあります。

三吉 アイデアを携えてDa Vinci Campに応募するにあたり、髙﨑さんと同じ部署の石田瑛士さんとタッグを組まれました。それはどのような経緯で?

髙﨑 石田も運航管理者で、自発的に社内向けのマガジンを作って配信するなど、私と同じく新しいことに挑戦するのが好きなタイプ。私が苦手なプログラミングもできる能力の高い人なので、一緒にやらないかと誘いました。

三吉 ANAの社員の皆さんと接していて思うのは、髙﨑さんや石田さんのようにチャレンジ精神旺盛な方が多いことと、そしてチャレンジを応援する企業風土があることです。

髙﨑 想像力の豊かな社員が多いですよね。航空業務の性質上、前の人から受けた仕事をどれだけ気持ちよく後ろの人に渡せるかという意識が徹底されているんです。また女性が多い会社でもあるので、育休や産休に入った人の業務をチームで支える文化があることも大きいと思います。お互い様という気持ちで、挑戦を後押しし合えるような雰囲気があります。

三吉 2023年のDa Vinci Campには70〜80件の応募があり、その中から10件ぐらいに絞られた段階で私がメンタリングに入ったと記憶しています。ベンチャーキャピタルのメンタリングが入ることについて、率直にどう思いましたか?

髙﨑 当時の自分は事業の立ち上げがどういうことか、資金調達も含めて全く知識がなかったので、「助っ人が来てくれた!」という感覚でした(笑)。三吉さんには提案のブラッシュアップに随分おつき合いいただきましたね。

三吉 意見を交わすたびに髙﨑さんは「こういうことをやってみたんです」と必ずおっしゃって、つまり何もしないで「どうしよう?」ではなく、実践したうえで見つかった悩みについて相談してくださる。新規事業と向き合う際のあるべき姿だと思いますし、私自身も見習わなくてはと思っています。

髙﨑 ありがとうございます。

三吉 それと、髙﨑さんと石田さんのコンビを見て、ビジコンはチームで応募した方がいいと思うようになりました。凸と凹をうまく補い合っているというか……

髙﨑 それはすごく思います。私は人前でプレゼンしたりするのは得意で、石田は技術的なところが得意。私が壁にぶつかって落ち込んでいると言葉で励ましてくれますし、いろいろな面で助けられています。

graphic recording by Karuna Miyoshi

目指すは全世界の航空機を活用したデータ収集

三吉 現在髙﨑さんは、Da Vinci Campで評価されたアイデアを基に新規事業を推進されています。

髙﨑 現在私たちは、ANAの航空機のGNSS(Global Navigation Satellite System / 全球測位衛星システム)受信機に届いたデータを活用した様々な実証実験を進めています。GNSSとは、人工衛星を利用して地球上の位置を測定する衛星測位システムの総称で、私たちがいつも「GPS」と呼び親しんでいるのはアメリカが提供する位置情報Global Positioning Systemの略ですが、日本には準天頂衛星「みちびき」が提供する「CLAS」(誤差数cmで測位を行うことが可能となる「センチメータ級測位サービス」)などがあり、その総称をさします。ANAの航空ネットワークは海上も網羅しており、これまで取得できなかった場所でのGNSSデータの取得を可能にします。また、飛行機は「対流圏」と「成層圏」の間の圏界面を飛行するので、水蒸気の影響のない高品質でクリアな大気のデータの提供が可能です。これらのメリットを生かした測位サービスの精度向上を目指しています。

左)航空機を用いたGNSSデータ取得の概念図。宇宙に浮かぶ測位衛星と、航空機に搭載されているGNSS受信機との間にある大気のようすを測ることができる。右)観測実証のようす。窓近くにGNSS受信機のアンテナを設置し、測位衛星からの電波を受信している。

三吉 私たちが普段使っているスマホやカーナビにもGNSS受信機が内蔵されていますが、測位サービスの精度向上は、船の航行や自動運転にも役立ちますね。

髙﨑 電離圏の大気の乱れの影響を受けると測位サービスの精度が鈍ります。例えば自動運転ではナビゲーションが数センチずれてしまうだけで沿道に乗り上げてしまうようなケースもあるので、そうしたことの改善も想定しています。電離圏は人工衛星の軌道領域でもあり、人工衛星の軌道の維持や修正にも寄与します。さらに、航空機の受信機に届いたデータからは積算の水蒸気量も算出できるため、台風や線状降水帯、ゲリラ豪雨などの発生の予測についても精度向上が期待できます。

三吉 みちびきは内閣府の所管ですが、内閣府主催のビジコン「S-Booster」にも2024年度に応募されて、最終選抜会に出場されました

髙﨑 その時も三吉さんは何度も壁打ちしてくださり、プレゼンの練習につき合ってくださいましたね。最終選抜会も見に来てくださり、応援してくださいました。三吉さんがANAの社員だと思っている人もいましたよね(笑)。最終選抜会では錚々たる顔ぶれの審査員の皆さんから貴重なフィードバックをいただきました。

三吉 外部のコンテストに応募しようと思った理由についても教えてください。

髙﨑 ANAの先輩がS-Boosterの第1回大会で優勝をされていることが大きかったです。じゃあ自分も挑戦してみようと。

三吉 実証実験に際しては、飛行機に観測機器を搭載する必要があります。航空の現場で働く方々はそれぞれ自分の仕事があるわけですが、協力はすぐに得られましたか?

髙﨑 安全性についてシビアなやり取りはありましたが、みなさん後押ししてくださいました。現場の仕事を増やしてしまっている後ろめたさで私が勝手に落ち込む時期もありましたが、相談した方々からの「頑張ってるね、応援しているよ」という声のおかげで前を向くことができました。ですから何か進捗があると報告して感謝を伝えるように心がけています。

三吉 髙﨑さんは社外の企業や研究機関にも積極的に足を運んで情報収集をされています。

髙﨑 アイデアを絶対に実現したいという思いがあって、ただ、人工衛星のこと、GNSSのこと、測位システムのこと、データ処理のこと、社内にいるだけではわからないことがたくさんあるので、図々しくお願いしていろいろとお話を伺うようにしています。

三吉 どんな反応をされますか? びっくりされませんか?

髙﨑 びっくりされます。特に始めた当時はまだ20代で、女性で、しかも私はめちゃくちゃよくしゃべるので(笑)

三吉 ARCHも社外と交流できる場となっているのではないでしょうか。

髙﨑 GNSSデータ活用事業が新規に立ち上がったタイミングで上司がARCHの活用を勧めてくれました。新規事業担当者が大集合するARCHのような場所は他にないと思います。職種は違えど抱える悩みは共通する部分が多いので、相談し合える仲間がいる場という認識です。

三吉 例えばどんなお悩みですか?

髙﨑 新規事業の部署を社内に新設した方がいいのか、それともスピンアウトの方がいいのか。スピンアウトの場合、どのタイミングがベストか、といったことです。

三吉 そのお悩みは私もよく伺います。人も環境もアセットも豊かな大企業ならではのお悩みだと思います。GNSSデータ活用事業のスピンアウトの可能性についてはどのようにお考えですか?

髙﨑 飛行機のフライトは全世界で1日20万便あると言われていて、ANAだけでも1日のフライトは約1,000便に及びます。全世界の航空機すべてを活用できれば膨大なデータを収集できるはずで、ぜひそこに挑戦したいと思っています。開発した技術をANAの社内だけにとどめず、世界のあらゆる場所での活用を目指すため、航空機で収集するGNSSデータを専門に扱う新会社を設立する可能性も模索しています。

三吉 先ほど、台風や線状降水帯、ゲリラ豪雨などの発生の予測のお話が出ましたが、解析したデータを気象予報会社に提供するサービスなども考えられそうですね。

髙﨑 台風の進路や集中豪雨の発生箇所をより正確に予測できるようになれば、土砂崩れや河川の氾濫といった自然災害への備えも万全にできるようになります。農業や林業、ダムの貯水など、気象は暮らしの根幹に関わることでもあるので、精緻な予測によって人々の暮らしに貢献していきたいと思っています。

三吉 航空機や船舶や自動運転モビリティの運用の最適化、気象予測、そして人工衛星の軌道維持と、ゼロメートル地点から宇宙空間まで幅広い適用が期待できる事業です。今後の発展を応援しています!

 

profile

三吉香留菜|Karuna Miyoshi
東京大学法学部卒業後、ベイン・アンド・カンパニーにて戦略コンサルティング業務に従事。中期経営計画・M&A戦略策定/DD、ポートフォリオ変革支援など全社戦略の策定・伴走を行う。2022年にWiLへ参画し、東京オフィスLP Relation担当Directorとして大企業の変革・イノベーション創出支援を行う。グラフィック化スキルを活かし、大企業向けワークショップのビジュアライズも担当。

ARCHは、世界で初めて、大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとする組織に特化して構想されたインキュベーションセンターです。豊富なリソースやネットワークを持つ大企業ならではの可能性と課題にフォーカスし、ハードとソフトの両面から、事業創出をサポート。国際新都心・グローバルビジネスセンターとして開発が進む虎ノ門ヒルズから、様々な産業分野の多様なプレーヤーが交差する架け橋として、日本ならではのイノベーション創出モデルを提案します。場所 東京都港区虎ノ門1-17-1 虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー4階