ARCH PARTNERS TALK #25
自動運転時代を視野に入れ、スズキとエステーが初タッグ。車内の空気を“森の香り”で快適に——スズキ × エステー × WiL 三吉香留菜
大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとして虎ノ門ヒルズにて始動したインキュベーションセンター「ARCH(アーチ)」。企画運営は虎ノ門ヒルズエリアにおいてグローバルビジネスセンターの形成を目指す森ビルが行い、米国シリコンバレーを本拠地とするWiLがベンチャーキャピタルの知見をもって参画している。連載25回では、WiLの三吉香留菜氏が、スズキの瀬尾洋幸氏、エステーの奥平壮臨氏を迎え、両社のコラボレーション事業について伺います。
TEXT BY Kazuko Takahashi
PHOTO BY Ayako Mogi
開発のきっかけは走行実験での乗り物酔い
三吉 今回は、車移動が苦手な方に向けて、快適な車内空間を実現する消臭芳香剤「Air Forest YOWAN(エアフォレスト ヨワン)車用エアケアキューブ」を共同で開発されたスズキとエステーの両社にお話を伺いたいと思います。まず、開発のきっかけについて、スズキの瀬尾さんからご紹介いただけますか?
瀬尾 開発のスタートは2018年にさかのぼります。当時私はエンジニアとして車の振動や騒音性能の分析を担当していました。車両の走行実験ではエンジニアがテスト車両を運転したり、助手席や後部座席に座ってデータの入力や分析を行ったりするのですが、人によっては乗り物酔いすることがあり、業務に支障をきたす課題だと思いました。それと同時に、車を利用する多くの方々にあてはまるお悩みではないか、スズキとして取り組むべき課題ではないかと考えたのです。
三吉 とても大きな課題だと思いますが、改善策をどのように探っていったのでしょう?
瀬尾 まず、シリコンバレーに駐在していたメンバーから「乗り物酔いを改善すると言われているメガネがある」という話を聞き、実際に使用してみました。
三吉 最初は視覚からアプローチしたのですね。
瀬尾 乗り物酔いは、三半規管などの内耳で感じる情報と、視覚で受ける情報、体で感じる情報がずれることにより起こると言われています。例えば、体は前方に移動しているのに、目線は下を向いている、といったシチュエーションです。
三吉 乗り物に乗りながら文字を読むと酔いやすいと言われるのも、そういったことが関係しているのでしょうか。
瀬尾 その通りです。ただ、乗り物酔いしやすい人にそのメガネをかけてもらって走行実験をしたところ、実際に効果があるのかよく分からないという感想でした。そこで、本格的に研究を進めるべく、社の承認を得て2019年9月に11名から成るプロジェクトチームを立ち上げました。
三吉 メンバー構成は?
瀬尾 四輪技術、船外機技術、人間工学系、商品企画など、部署を横断してさまざまなメンバーを集めました。そして、それぞれ専門分野の見地から乗り物酔いに関する論文を読んだり、専門家に話を伺ったりしました。ただ、調べれば調べるほど、酔う原因は一つではないことが分かってきまして。
三吉 酔うシチュエーションはさまざまでしょうし。
瀬尾 そうなんです。しかも私自身は乗り物酔いしないので、ますます分からないんですよ(苦笑)
三吉 なるほど(笑)
瀬尾 ちょうどその時、WiL主宰の「デザイン思考ワークショップ」に参加させていただく機会に恵まれたんです。そこで改めて「お客様視点」に立ち返ることの大切さに気づかされ、乗り物酔いに困っている方約100名にアンケート調査を実施することにしました。そして、その結果を検証する中で、乗り物酔いしやすい人の多くが車内のニオイで酔ったと感じていることが分かりました。具体的には、新車のニオイ、革のニオイ、たばこや食べ物のニオイなどです。
三吉 ファストフードのニオイなどは車内に充満しますものね。
瀬尾 そうですよね。学術的にはニオイが乗り物酔いを直接誘発するとは定義されてはいませんが、お客様が「車酔いしている」と感じている、と言っているなら、それを少しでも改善するお手伝いがしたい。もちろんスズキでは、VOC(揮発性有機化合物)排出規制を遵守し、悪臭成分などの抑制に取り組んでいます。ただ、車内に存在するニオイの「快適化」となると、自社単独での解決は難しい。そこで、香りや消臭分野のリーディングカンパニーであるエステーさんにご相談しました。
ARCH会員に募り、乗り物酔いとニオイの関係を調査
三吉 エステーの奥平さんは、瀬尾さんからのアプローチをどのように受け止めたのでしょう。
奥平 スズキさんとエステーは2020年のARCH開設当初からのメンバーです。瀬尾さんからご相談を受けたのは、ARCHに入居して間もなくでした。スズキさんの社員の3割近くが車酔いに困っているというアンケート結果などをお聞きして、私自身、子どもの頃に車酔いに苦しんだこともあり、車移動の不快感とニオイの関係に大変興味を持ちました。
三吉 共同開発のプロセスについて教えてください。
奥平 まずARCHの会員の皆さんにお声がけし、車移動の不快感とニオイの関係についての実験にご参加いただきました。最初は人気の高い有名ブランドの香水をいくつか用い、それぞれ車内での官能評価(商品に対するし好や悪臭の感じ方を確認するための手法)を繰り返しました。その結果、「車外で嗅いだ時はいい香りだと感じたけれど、車内で嗅いでいるとだんだん気持ちが悪くなってくる」という感想が多く集まりました。
三吉 車自体がもともと持つニオイと混ざるからでしょうか。
奥平 それもありますし、密閉された空間ということもあると思います。
三吉 自分の好きな香りを車に搭載すればいいという単純な話ではないわけですね。
奥平 そうなんです。そこで次に、複雑な香りの変化を楽しむ香水ではなく、アロマ系の精油などシングルノートの香り(シンプルで長時間続く香り)を用いて、それぞれ車内での官能評価を繰り返しました。具体的には、フローラル系、シトラス系、ウッディ系といった香りです。その結果、「ふだんはゆずやレモンなどシトラス系の香りが大好きなのに、車内ではむしろ嗅ぎたくない香り」という感想が多く集まりました。
三吉 酸っぱい香りを車内で嗅ぎたくないという気持ちはよく分かる気がします。
奥平 一方で、北海道のトドマツの天然精油を配合した香りについて、「不快感を軽減できた」という感想が多く集まりました。このトドマツの天然精油は、エステーの100%子会社である日本かおり研究所で開発したものです。
三吉 奥平さんはエステーでR&D業務を担当されているほか、日本かおり研究所の代表取締役社長も務めておられます。
奥平 はい。日本かおり研究所は、まだ知られていない自然の能力を、「空気」や「香り」という角度から研究し、引き出すことで、製品開発や新たなビジネスを生み出している会社です。その一環として、森の空気や香りによるリラックス効果やストレス低減効果などをエビデンスとして解き明かす取り組みを続けています。中でも北海道に自生するトドマツから抽出した精油には環境汚染物質を浄化する作用があることが分かっています。このトドマツの天然製油を配合した香りが大変好評だったんです。
三吉 実験の結果が出たのはいつ頃ですか?
奥平 2021年4月から11月頃です。コロナ禍のさなかでしたが、商品化を目指すべく、瀬尾さんがARCHのオンラインのピッチ大会でプレゼンテーションを行ったんです。
瀬尾 そうでした。WiLやARCH Toranomon Hillsのチーフインキュベーションオフィサーなどから多くの有意義なご指摘を受けました。
三吉 ピッチを経て実際に商品化に至ったわけですが、どのようなご苦労がありましたか?
奥平 車移動が苦手な方に、トドマツの天然製油を配合した香りで「車内の不快感を軽減できた」と本当に感じていただけるのか、エビデンスの取り方が悩みどころでした。ただ、お客様の立場に立って開発した製品なので、そこさえぶれなければ良い製品になると確信していました。
三吉 香りによって不快感のない乗車体験を売るわけで、まさに人間中心という感じがします。また、商品発表のプレスリリースを拝見してなるほどと思ったのは、将来的に車の自動運転が普及すると、搭乗者全員が乗り物酔いの対象になるという考察です。
瀬尾 運転者は乗り物酔いしにくいということは学術的にもよく言われていて、実際にクルマユーザーにアンケートを取ると、「乗り物酔いしやすいので、自分が運転して酔うのを回避している」と回答する方がとても多いんです。自動運転の車は運転する必要がないので、乗り物酔いの課題はさらに拡大すると思われます。
三吉 WiLのシリコンバレーオフィスのあるベイエリアにはたくさんの自動運転タクシーが走っていて、私も乗ったことがあります。運転者がいなくても不安なく乗車しましたが、複数で同乗したら、そのうち1人は酔う気もします。
瀬尾 自動運転車は、進行方向に対して後ろ向きに座る可能性もありますし。
三吉 後ろ向きに乗ると、視覚で受ける情報と体が感じる情報がずれやすくなりますね。つまり酔いやすいシチュエーションが増えていく。
瀬尾 その通りです。
間伐材を活用したサステナブルな香りを開発
三吉 「Air Forest YOWAN」は2025年春に発売を予定しているそうですが、発売に先駆けて2024年度グッドデザイン賞を受賞しました。
瀬尾 グッドデザイン賞は商品企画の段階から目標にしていました。この賞は見た目のデザイン性だけでなく、商品の背景にあるストーリー性も含めて審査されます。そこで奥平さんと一緒にストーリーを整理しました。
三吉 ストーリーの内容をご紹介いただけますか?
奥平 「Air Forest YOWAN」は、車移動が苦手な方の不快感を軽減するため車内の臭いを改善し、少しでも快適な移動空間を提供することに加え、これまで自然廃棄されていたトドマツの間伐材の枝葉から抽出した成分を有効活用しています。ですから商品が売れるほど森がきれいになり、北海道の林業の収入や雇用促進にもつながります。そうしたサステナブルな仕組みを明示しました。
三吉 しかも精油の抽出装置は独自技術だそうですね。
奥平 一般的なアロマオイルなどは、抽出温度100度の「水蒸気蒸留」で抽出しますが、森の香りをそのまま再現するために、抽出温度を限りなく低くし、自然に近い状態で蒸散した成分を取り出せる装置を活用しています。
三吉 両社の共同開発は、ARCHでの交流から始まりました。改めてARCHの利用価値について聞かせてください。
瀬尾 スズキはクルマ作りに関してはどこにも負けない技術を持つ会社ですが、変化の激しい時代の中で、複雑化する社会課題を解決していくとなると、単独の技術では追いつかないことも出てきます。私は現在シリコンバレーに駐在し、スタートアップ協業のリードを行っていますが、ARCHはオープンイノベーションのもう一つの可能性を広げてくれる場だと思っています。
奥平 私がARCHの利用価値を意識したきっかけは、スズキさんでした。エステーは不快なニオイ対策の製品を多く開発し、車用の消臭剤や芳香剤も扱っています。ただ、車移動が苦手な方の課題解決というテーマはこれまで全くなかった発想で、走行する車の中でお客様の声を拾うというアプローチも非常に新鮮でした。スズキさんだけでなく、ARCHでの交流を通じて長谷工コーポレーションさんやNTT東日本さんなどとも異業種交流を育み、協業を始めています。
三吉 最後に今後の取り組みについて聞かせてください。
瀬尾 スズキの使命として、移動の「不」の解決に取り組み、車を楽しんでいただけるような提案を続けていきたいと思います。また、乗り物酔いの課題に対して100%解決できたわけではないので、今後も研究を続けていきます。
奥平 移動の「不」は、船やバスなどでも起こりうることなので、より幅広い分野で貢献していきたいです。また、乗り物以外でも、森の空気を再現することで豊かになるシーンはたくさんあると思っています。異業種との連携をさらに広げていきながら、可能性を探っていきたいです。
三吉香留菜|Karuna Miyoshi
東京大学法学部卒業後、ベイン・アンド・カンパニーにて戦略コンサルティング業務に従事。中期経営計画・M&A戦略策定/DD、ポートフォリオ変革支援など全社戦略の策定・伴走を行う。2022年にWiLへ参画し、東京オフィスLP Relation担当Directorとして大企業の変革・イノベーション創出支援を行う。グラフィック化スキルを活かし、大企業向けワークショップのビジュアライズも担当。
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