大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとして虎ノ門ヒルズにて始動したインキュベーションセンター「ARCH(アーチ)」。企画運営は虎ノ門ヒルズエリアにおいてグローバルビジネスセンターの形成を目指す森ビルが行い、米国シリコンバレーを本拠地とするWiLがベンチャーキャピタルの知見をもって参画している。連載第23回では、WiLの三吉香留菜氏が、長谷工コーポレーションの小島智枝子氏を迎え、同社の取り組みについて伺います。
TEXT BY Kazuko Takahashi
PHOTO BY Ayako Mogi
あらゆる分野の企業とつながれるのが住宅事業の強み
三吉 長谷工グループは、長期ビジョン「2030年3月期に目指す姿」として、ハードとソフトの両面から「住まいと暮らしの創造企業グループ」への飛躍を目指すことを標榜しています。昨年のトピックとしては、賃貸マンションの一部住居を「居住型実験住宅」とした「サステナブランシェ本行徳」が竣工。小島さんはその開発に携わったと伺っています。お話を詳しく伺う前に、小島さんのキャリアの変遷をご紹介いただけますでしょうか。
小島 私は新卒で新築マンションの販売受託を主に行っている長谷工アーベストに入社し、新築分譲マンションの販売を10年ほど担当しました。モデルルームに来場されるお客様に物件をご紹介し、ローンのご案内なども含めてご購入をお手伝いする仕事です。最後の4年は、マンション1棟を担当するプロジェクトリーダーも務めました。その後、大学で建築を学んだ経験などを活かし、商品企画やマーケティングに9年ほど携わりました。
三吉 大学では建築を学んでいらしたのですね。
小島 はい。入社して13年目に一級建築士の免許を取りました。
三吉 そうなんですか。実は私の祖父が一級建築士なんです。私自身は門外漢ですが、大学時代に建築学部の友人がいて、建築模型のパーツづくりを手伝った覚えがあります。着想力とともに精密な計算力が問われる分野で、小島さんはそのプロフェッショナルでもいらっしゃるのですね。
小島 就職時に設計部門の求人枠がなかったこともあり、販売部門への配属となりましたが、いろいろと経験の幅を広げることができたと思います。
三吉 長谷工アーベストで20年近くキャリアを積まれて、そのあとは?
小島 長谷工コーポレーションの経営企画部に異動しました。それまでとは全く畑の違う仕事で、ここでは会計に関する知識などを学びながら、スタートアップへの出資にも携わりました。
三吉 スタートアップへの出資ということは、他企業との交流も多かったのでは?
小島 そうですね。スタートアップ企業の方々はとてもエネルギッシュでアイデアをいっぱいお持ちなので、ディスカッションのたびに刺激をいただきました。
三吉 基幹事業が盤石な企業ほど、いわゆる「自前主義」に走りがちですが、長谷工グループはスタートアップへの投資を始め、むしろ外部との連携に力を入れているのでしょうか。
小島 グループの規模からするとそれほど目立った活動ではありませんが、マンションの管理事業、シニア事業など、住宅に関連するサービス事業を様々展開していますので、協業によって効率化が図れる分野については、外部との連携やスタートアップへの投資も選択肢の一つになっています。
三吉 住宅に関連する事業というと、とても幅広いですよね。
小島 そうなんです。ARCHの会員になってからは、大企業の方々と交流する機会も増えて、ありとあらゆる分野の企業とつながれるのが住宅事業の強みだと改めて実感しています。
三吉 経営企画部には何年ほどいらしたのですか?
小島 3年です。その後、現在の都市開発部門に移り、事業開発部で賃貸マンションの企画や開発を担当しています。
三吉 不動産投資事業部の中に事業開発部があるのが、少し不思議な感じがします。いわゆる不動産売買と商品企画では、職務内容がかなり違いませんか?
小島 不動産投資事業部は、事業開発部、事業企画部、アセットマネジメント部から成ります。まず事業企画部が事業性の検討の上で土地を買い、我々事業開発部がその土地にどのようなお客様層に向けてどういうコンセプトのマンションを建てるかを企画し、設計会社やゼネコンに発注します。そして建物完成後、アセットマネジメント部が入居者の募集を行ったうえで、リート(不動産投資信託)やファンドを含め外部に売却します。マンション以外にも物流やオフィス関連の不動産投資事業も行っております。
三吉 なるほど。入口から出口までの流れを一気通貫で行っているのが不動産投資事業部なのですね。小島さんは長谷工アーベストでも商品企画を担当されていましたが、その仕事内容との違いはありますか?
小島 長谷工アーベストでは、提案した企画に対してデベロッパーが決定権を持っていましたが、今はデベロッパーを兼ねている立場なので、そこが大きな違いです。
三吉 企画に際しては、販売部門でお客様の反応を間近に見てこられたご経験が生きてくるのではないでしょうか。
小島 おっしゃる通りです。「商品は良いけれど、本当にお客様に求められているものなのか?」「メリットがわかりにくく、お客様に伝わっていないのでは?」というケースを見てきたので、商品が受け入れられるのか否か、良さが伝わるのか否かの見極めは、販売部門にいた10年の間にかなり鍛えられたと思います。
三吉 私もふだんの業務において、大企業の中で新しい取組みをしたいという方々に「いくら熱意のこもった提案でも、伝わらなければ意味がない」といったアドバイスをさせていただくことが多いので、よくわかります。
社員が暮らす「サステナブランシェ本行徳」の実験住宅
三吉 商品開発においては、住宅に関する課題の抽出が必須だと思います。どのようなことを心がけていますか?
小島 テレビのない世帯の増加など、人々の生活スタイルは日々変わっていますので、お客様の声を丁寧に拾っていくことが何より重要だと思っています。ARCHでも、他企業の皆さんに家の中の「不」についていろいろと伺っています。
三吉 家の中の「不」について、どのような意見が多いのでしょう。
小島 圧倒的に多いのは、収納スペースが少ない、もっと欲しいというご意見です。
三吉 なるほど。
小島 一般的には昔から住宅の隣家や上の階の「音」の問題を指摘する方も多いです。ただ、長谷工コーポレーションが設計施工する物件は、収納スペースの確保にしても、防音にしても、昔からの課題については対策し尽くしていますので、もはや新たな課題とは言えません。それ以外のことで一つ見えてきたのが、睡眠に関する「不」です。ホテル業界は一足先に取り組んでいて、ベッドの快適性や枕が選べることを訴求するホテルが増えています。住宅であれば、もっといろいろな可能性を探れるのではないかと考えています。
三吉 サステナブランシェ本行徳の実験住宅には「快眠」を追求した家があると伺っています。改めて、サステナブランシェ本行徳についてご紹介いただけますか?
小島 サステナブランシェ本行徳は、旧企業住宅をフルリノベーションした賃貸マンションで、住まいの省エネ性向上と再生可能エネルギーの導入で建物運用時のCO2排出量実質ゼロをリノベーションとして国内で初めて実現しました。また、全36戸のうち13戸を居住型の実験住宅として設定し、建物の長寿命化、省エネ、ウェルネスなどに寄与する技術を採用。IoT機器やAI技術を最大限活用し、各種センサーから取得するデータを検証することで、より快適な住環境の創造と提案を目指しています。
三吉 長谷工グループの社員の方々も居住しているそうですね。
小島 はい。13戸の実験住宅には主に長谷工グループの社員が居住し、ほかの住戸は一般の方にご入居いただいています。
三吉 社員の皆さんが身をもって実験住宅を体験し、そのフィードバックを今後の商品開発に生かしていくということでしょうか。
小島 その通りです。当社は集合住宅に関する性能実験や研究開発を行う「長谷工技術研究所」を多摩市に有していますが、実際に住んでみないとわからないことも多いため、住まいながらの実験住宅の導入に至りました。13戸はそれぞれ特徴があり、その一つが「快眠のための家」です。
三吉 具体的にどのような家なのでしょう。
小島 例えば、天井や床、壁など内装材の45%を木質化し、木の香りや手触りによってリラックス効果を高めたり、光量や光の色を制御し体内時計を整えるサーカディアンリズム照明などを採用しています。これらについては、ARCH会員のNTT東日本グループとブレインスリープの共同研究による医学的なエビデンスがあり、その知見に基づいて住空間の開発を進めました。
三吉 木の香りをかぐと確かに気分が落ち着く気がします。
小島 そうですよね。ブルー系の色合いにもリラックス効果があるという調査結果があるので、木質壁ではない壁面やカーテンをブルー系にしています。さらに、快適な温度・湿度・空気環境を実現する全館空調システムを採用しています。
三吉 CO2濃度なども調整してくれるのですか?
小島 そうです。CO2濃度が高くなると睡眠に影響が出ることがわかっていますので、CO2濃度が高くならないように自動で調整します。また、当社とNTT東日本グループとブレインスリープとの共同研究により、「快眠のための家」を創り上げましたが、睡眠アルゴリズムに合わせて照明やカーテンを動かすなど住空間を最適化するアプリを開発。例えば、アプリで朝7時起床とセットすると、寝間着につけたセンサーが睡眠の深さや寝姿勢などから起きやすいタイミングを検知し、本人は寝ていますがセンサーと連動したカーテンと照明が7時より前に自動的に作動し、太陽光や白色系の明るい照明による自然な目覚めを促します。夜は、気持ちが安らぐ暖色系の照明が灯り、就寝後は、照明や眠りに良い音楽などが入眠を感知して、自動で調整したりオフになったりします。
三吉 なんて気が利くシステム!
小島 ありがとうございます(笑)。IoT連携による睡眠環境の最適化によって、スムーズな目覚めと入眠を実現する試みです。
三吉 睡眠の時間だけでなく、帰宅後から朝起きるまでの行動をすべて考慮して快眠を追求しているところがすばらしいですね。
小島 現在「快眠のための家」と一般の住戸の部屋の睡眠データを比較検証しているところですが、前者の方が眠りの質が良いという確かな結果が出ています。こうしたデータを蓄積しながら今後の展開につなげていきたいと思っています。
三吉 私の睡眠時間の理想は9時間なんです。でもなかなか確保できないので、今ご紹介いただいたようなスリープテックが自宅の標準装備になったらいいのにと思います。
小島 ありがとうございます。
三吉 ちなみにNTT東日本グループとブレインスリープとは、商品開発の初期の段階からタッグを組まれたのですか?
小島 両社は以前から快眠について研究を進めていて、医学的知見に基づく多くのエビデンスをお持ちです。長谷工としては実験で終わらせず、商品として「快眠のための家」を展開していきたいと思っておりますので、実証実験での結果が重要だと思っており、両社と連携させていただきました。
三吉 同じくARCHのつながりでエステーと協業した「バーチャル森林浴」についても伺いたいです。どのような経緯で協業することになったのでしょう。
小島 ARCHでエステーのご担当の方からバーチャル森林浴の写真を見せていただいたことがきっかけでした。見た瞬間に「面白い!」と思ったんです。詳しくお話を伺うと、実際に山や海に行かなくても、映像、音、香り、風によって自然に包まれる疑似体験をすることでリラックス効果が得られ、ストレスの解消や自律神経の乱れの改善などの効果が得られるとのこと。ウェルネスへの貢献は当社の住まいが目指す重要な1要素ですので、バーチャル森林浴をサステナブランシェ本行徳の共用空間に設置し、効果測定を行うことになりました。
現業が多忙でも、時間をつくってARCHへ
三吉 小島さんは他企業の方々とオープンにコミュニケーションを取り、企画の種をキャッチし、事業に速度をつけていらっしゃる印象があります。ARCHでの交流も積極的に行っておられますが、意図的に心がけていらっしゃるのでしょうか。
小島 他企業の方々とディスカッションすると、アドレナリンが出まくるんです(笑)。「住宅のこの部分にこの技術をつなげるとおもしろいかも」などの発想がどんどん浮かんで、眠れなくなることも多いです。
三吉 小島さんこそ「快眠のための家」で暮らすべきですね(笑)
小島 ええ、本当に(笑)。現業が多忙でも、時間をつくってARCHに来ると、ネタの宝庫なんですよね。住宅という商品特性上、あらゆる企業と接点を見つけられるはずなので、できるだけ風呂敷を広げてアイデアを交換するようにしています。ARCHの運営室に「この分野に強い企業の方はいますか?」などとご相談すると、いろいろな形でつながる機会をつくってくださるので、そこは本当にありがたいです。
三吉 多忙ゆえになかなかARCHに足を運べないという方々に向けてアドバイスするとしたら、どんなことでしょうか。
小島 私の場合、自分は外から情報を集めてきて、フィードバックすることが役割だと思っており、任せられる仕事はなるべく担当者に任せています。
三吉 チームのメンバーとの信頼関係があるからそれができるのでしょうね。
小島 そうですね。自分が仕切る必要がある会議などはもちろん参加しますが、そうでない場合は担当者に任せて、重要なことだけあとで報告してもらうようにしています。もっとも、今の自分の立場だからできることではありますが。それが難しい立場であれば、オンラインでほんの15分でもいいので外部とつながる時間を持つといいのではないでしょうか。
現在は「頭が良くなる家」を検討中
三吉 事業開発部の今後の取り組みについても聞かせてください。
小島 オールターゲットの商品開発やハード面での住宅の検討はグループとして長年行ってきていますので、今後は、よりコアなターゲットに絞った商品企画を検討していきたいと考えています。「快眠のための家」もその一つで、新たな付加価値として一般のお客様にも展開していけたらと思っています。
三吉 実験住宅における実証実験のデータも一つの価値といえるのではないでしょうか。
小島 はい。長谷工グループでは、建物に設置されたセンサーなどから収集される“暮らし情報”を活用する概念を「LIM(Living Information Modeling)」と名付け、独自のマンション開発を進めています。暮らし情報は、気象や地震データ、自動ドアやエレベータなどマンション内設備の稼働状況など様々です。現時点では共用部分のデータの蓄積が進んでいますが、専有部分の温湿度やCO2濃度などについてもデータを蓄積し、入居者の生活の質向上を目指していきたいと考えています。どこまで個人に紐づかせるのかという課題もありますが、睡眠データとLIMとの連携も可能性として考えられると思っています。
三吉 なるほど。
小島 あとは、個人的に興味を持っているのが、知育に貢献するような「頭が良くなる家」などがあったら良いなと構想しております。
三吉 そんな家ができたら、大人でも住みたくなりますね!
小島 実は子どもに小学校受験をさせた私自身の経験でもあるのですが、子どもの教育のための出費を惜しまない方も多くいらっしゃいました。住みながら頭が良くなるかもしれない要素を散りばめた住まいは、大きな付加価値になるのではと期待しています。ARCH会員の皆さんにも「子どもの頃に家のどこで勉強していましたか?」「頭が良くなるためには住宅に何が必要だと思いますか?」などと質問をぶつけて意見を集めているところです。
三吉 どんな意見が集まっていますか?
小島 面白いところでは「問題に正解しないとトイレのカギが開かない」とか。
三吉 せめて「お菓子が入った棚のカギが開かない」にしてほしいかも(笑)
小島 それもいいですね(笑)。あとは、運動も脳の働きを活発にするので、部屋の各所に雲梯などアスレチックの要素を取り入れるとか。あるいは、エレベータ前に本を置くとか。まだ漠然とした構想段階ではありますが、可能性を探っています。
三吉 そうした付加価値の創出が、事業開発部の大事な取り組みになっていきそうですね。
小島 「エアコン付き」のような万人受けするような付加価値ではなく、マーケットには希少だけれど特定の層に確実に響く付加価値を見つけられた方が、事業性という意味でもメリットは大きいと思っています。
三吉 家探しをする人は、たいてい複数の物件を比較検討します。その際に、「賃料が多少高くなっても、絶対にこの物件がいい」という気持ちを喚起できるかどうか、ですね。
小島 そうです。比較の段階では、やはり商品や物件特性のわかりやすさ、インパクト、エビデンスといったことが非常に重要になってくると思っています。賃貸物件だからこそできるチャレンジもありますし、新商品を開発しチャレンジを繰り返していくことこそがミッションと思って取り組んでいます。「快眠のための家」については大手デベロッパーや寝具メーカーなどから多数の問い合わせが来ており、今後の展開に向けて手応えを感じています。
三吉 どんな付加価値のついた住宅が登場するのか、楽しみにしています。
小島 ありがとうございます。
三吉香留菜|Karuna Miyoshi
東京大学法学部卒業後、ベイン・アンド・カンパニーにて戦略コンサルティング業務に従事。中期経営計画・M&A戦略策定/DD、ポートフォリオ変革支援など全社戦略の策定・伴走を行う。2022年にWiLへ参画し、東京オフィスLP Relation担当Directorとして大企業の変革・イノベーション創出支援を行う。グラフィック化スキルを活かし、大企業向けワークショップのビジュアライズも担当。
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