ARCH PARTNERS TALK #22

新規事業創出の鍵となる〈社内整備〉はいかに進められたのか?——キヤノンマーケティングジャパン× WiL 三吉香留菜

大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとして虎ノ門ヒルズにて始動したインキュベーションセンター「ARCH(アーチ)」。企画運営は虎ノ門ヒルズエリアにおいてグローバルビジネスセンターの形成を目指す森ビルが行い、米国シリコンバレーを本拠地とするWiLがベンチャーキャピタルの知見をもって参画している。WiLの三吉香留菜氏が、キヤノンマーケティングジャパンの木暮次郎氏を迎え、同社の取り組みについて伺います。

TEXT BY Kazuko Takahashi
PHOTO BY Koichi Tanoue

労働組合で10年にわたり人的交流を重ねる

三吉 キヤノンの製品は世界中で知られていますが、キヤノンマーケティングジャパンの社名や活動内容をご存じない方は多いと思います。最初にキヤノンマーケティングジャパンの事業内容について簡単にご紹介いただけますか?

木暮次郎|Jiro Kogure キヤノンマーケティングジャパン 企画本部 R&B推進センター オープンイノベーション推進室室長。1999年キヤノンマーケティングジャパン入社。MA事業部、キヤノン労働組合を経て現職。

木暮 キヤノンのグループ会社で、デジタルカメラや複合機を始めとするキヤノン製品の国内マーケティングやITソリューション事業に加え、ヘルスケア、産業機器などの幅広い事業を展開しています。

三吉 直近の「中期経営計画の進捗報告」を拝見しましたが、ITソリューション事業の売り上げが伸びていますね。

木暮 はい、年々拡大している領域です。

三吉 木暮さんは現在、新規事業の創出に携わっておられます。現職に至るまでにどのような業務を経験されたのでしょう。

木暮 新卒でキヤノンマーケティングジャパンに入社し、6年ほどBtoBの営業を担当しました。その後、キヤノンの労働組合の執行部に入り、10年にわたり労組関係の業務にあたりました。

三吉 10年というとかなり長い印象があります。めずらしいケースではないでしょうか。

木暮 そうですね、かなりめずらしいと思います。

三吉 執行部では具体的にどのようなことを?

木暮 キヤノン労働組合は、キヤノン株式会社とキヤノンマーケティングジャパン同一労組のため、キヤノングループの従業員の視点で労務関連の課題を見つけたり、経営陣を相手に必要な施策について議論・提案したりという業務でした。

三吉 いろいろな部署の方々とつながりができる業務ですね。10年の間におつき合いのある方が重要なポストにつくケースも少なくなさそうです。

木暮 グループ各社の若手から役員まで幅広くおつき合いがありました。おかげで今もいろいろな部署に知り合いがいるので、新規事業の相談を持ちかけた時には何かと話が早いです。

三吉 所属が違う方々と様々な話を深めていくのはなかなか緊張することだと思うのですが、気をつけていたことはありますか?

木暮 緊張はしないです(笑)。基本的に人が好きなんだと思います。

三吉 経営陣との折衝では、必ずしも歓迎されない提言をするケースもあったと思います。そのような時も?

木暮 はい。余計なバイアスをかけず、フラットに接するようにしていました。立場の上下にとらわれてやりたいことを曲げるようなことがあってはいけませんから。従業員の代表として経営陣と対等に交渉することが私の役目でしたし、フラットな姿勢で臨んだ方が、結果的に案件が前に進むことが多かったです。

2つの提案を携えて新規事業開発部門に異動

三吉 労組の執行部で10年活躍されて、その後はどのような業務に?

木暮 2015年に現在の部署の前身にあたる新規ビジネス推進課に異動しました。10年にわたり企業課題と向き合う中で、新価値を生むことの意義を痛感し、新規事業創出に携わりたいと考えるようになっていたので、異動するにあたって、2つのアクセラレーションプログラムを立ち上げたいという主旨の提案を持ち込みました。1つは、社内の起業プログラム。もう1つは、外部のスタートアップと連携して新ビジネスを共創するプログラムです。

三吉 10年の間、外部にアンテナを張っていたからこそできた提案ではないでしょうか。

木暮 そうですね。労組の活動においては社会的な観点が不可欠でしたし、キヤノングループに加え、他社の執行部の方と意見を交換する機会も多くありました。2015年の9月に異動したのですが、まずはスタートアップとの連携プログラムについて、翌年1月の経営会議で提案することができました。

三吉 すばらしいスピード感ですね。アクセラレーションプログラムやスタートアップとの連携に取り組む日本企業は今でこそ多く存在しますが、2015年当時はまだ少なかったと思います。周囲の反応はいかがでしたか?

木暮 事前にいくつかの部門の部門長に相談して、もらったアドバイスを反映できていましたし、そもそも経営としても変革を進めないといけない危機感も高まっていた時期でしたので、反対されることはなかったです。

三吉 周囲のサプライズにならない状況を事前に整えていたのですね。新規事業を進めるにあたって非常に重要なことだと思います。

木暮 その時は「とにかくやりたい!」という気持ちが先行していたので、根回しといった意識はなかったのですが、社内に味方がいるという確信をもとに“一緒にやっている感”を常に意識していたように思います。

三吉 “一緒にやっている感”というのがいいですね。具体的にはどのようなことを?

木暮 アドバイスをくれた方には、後日アドバイスをどう反映したかということを含めてお礼をしていました。その場でまた追加のアドバイスをもらうこともあって、そういうコミュニケーションを繰り返していましたね。

三吉 新規事業に多くの人を巻き込んでいくうえで欠かせない配慮だと思います。木暮さんの相談を受けて「待ってました!」という方も多かったのではないでしょうか。

木暮 初めは否定されることもあると思っていましたが、意外にも新規事業に関心がある人が多く、本当に心強かったです。というのも、社内で新規事業を公募する“手挙げ制度”は以前からあって、労組にいた時に新規事業のコミュニティを作って、そのメンバーで毎年いくつかの案を出していました。制度開始から数年経っていたこともあり、全社で出された案がほぼ全てコミュニティメンバーからのものだったという年があり、会社がせっかく扉を開けてくれているのに!と大きなショックを受けました。

三吉 そうした思いから新規事業部門への異動を希望されたのですね。

木暮 アクセラレーションをプログラム化すべきだと考えたのです。

三吉 実際に2つのアクセラレーションプログラムが始動しました。まず外部とのアクセラレーションプログラムから始めたというお話でしたね。

木暮 はい。スタートアップが活用できる当社のリソースを提示し、事業案を募集しました。第1期は、出張撮影のマッチングビジネスや、介護システム開発を手掛けるスタートアップへの出資・業務提携などにつながりました。なお、後者の取り組みはグループ会社に移管し、介護事業の拡大につながっています。

三吉 そこはぜひお伺いしたいところです。というのも、大企業で新規事業に携わる方々のお悩みとして、アクセラレーションプログラムやビジネスコンテストで評価を受けた案件を事業化して本格推進するにあたって、既存事業部に引き取ってもらえない、移管先が見つからない、といったお悩みが少なくないからです。

木暮 当社の場合、プロジェクトを立ち上げた当初は新規事業の受け皿となる専門の部署がなかったので、似た事業を展開する既存の部署に移管したり、既存の部署に新しい部門を新設したりしていました。そうすると、どうしても既存事業との比較で「上手く回っていない」となってしまうケースもあって……

三吉 既存事業よりも規模の小さいビジネスしか望めないのではないかと……

木暮 そうです。一方で、機動力を活かして既存事業ではできないチャレンジができたり、既存事業とは全く違う領域とのシナジーが見つかったりする可能性もあります。知見をためるという意味でもまずは受け皿を作り、試行錯誤してみることが大切ではないかと思っています。現在では新規事業の専門組織「R&B(Research & Business Development)」もできたため、新規事業に関する案件はここと連携して育てることが仕組みとしてできるようになっています。

三吉 R&Bの設立とあわせてCVC(コーポレートベンチャーキャピタルファンド)も設立されました。

木暮 最先端の技術やビジネスアイデアを持つスタートアップ企業とのオープンイノベーションを加速するため、100億円規模のCVC「Canon Marketing Japan MIRAI Fund」を設立しました。今後はR&Bの中でインキュベーションを行い、成長が期待できる新規事業に投資していきます。

事業案を磨き上げ、早期のスピンアウトを目指す

三吉 社内の起業プログラムについてもご紹介いただけますか?

木暮 キヤノンマーケティングジャパングループ全体の従業員約1万6000人を対象に、アクセラレーションプログラム「Canon i Program」への参加を促しています。参加者は2~3人1組のチームを組み、社内のアクセラレーターやVCのサポートを受けながら、約3カ月にわたり起業家としてのマインドやベースとなる知識を身につけ、事業案のブラッシュアップを図ります。最終審査に通過したチームはオープンイノベーション推進室に異動し、スピンアウトを目指します。なお審査は社内外の有識者で行い、社外の選考メンバーには、ARCHのCIO(チーフ・インキュベーション・オフィサー)の渡瀬ひろみさんや、VCの代表の方々などにも入っていただいています。

三吉 応募の段階で具体的なアイデアを提出するのですか?

木暮 当初はアイデアを募集していたのですが、今はアイデアよりもむしろ「ふだん感じているモヤモヤ」や「困りごと」など、身近で強く感じている課題を出してもらっています。

三吉 課題の発見というのは、実はとても難しいことだと思います。そこのサポートはどのように行っているのでしょう。

木暮 「Canon i Program」の応募期間に限らず通年でイノベーションアカデミーという学びの機会を設けています。イノベーションアカデミーでは、アート思考やデザイン思考を活用した様々なワークショップや、より実践的なアウトプットを一定期間行うプログラムを展開しており、繰り返し学習・訓練することで、スキルやマインドの向上を図っています。

三吉 応募の期間だけでなくふだんから価値創造のマインドを醸成する訓練ができるのですね。すばらしい試みです。とはいえ、課題の発見からソリューションを導き出すまでの道のりはなかなか困難だと思います。そこのサポートとして工夫していることはありますか?

木暮 実は社内のアクセラレーターは、兼業という形でVCに常駐しているんです。彼らはキャピタリストとして数多くのビジネスモデルのシャワーを日々浴びていて、課題のコアにあるものは何か、課題の先にどんなビジネスがあるのか、事業の立ち上げに向けてどの山を登るべきか、どうすればショートカットできるのか、といったことを徹底的に鍛えています。そうした人材が伴走することでブラッシュアップの精度を高めています。

三吉 社員がVCに常駐する仕組みを会社として整えているところに、イノベーション人材を育てることへの御社の気合いを感じます。VCは本業として有望なスタートアップを探索したり投資をしたりしているので、持っている情報は膨大です。そこで他流試合を重ねている方の伴走というのは確かに大きなサポートと言えると思います。

木暮 私も1度VCで同様の経験を試したことがあるのですが、知見の乏しい領域でも資金調達に必死となっているスタートアップと向き合うという緊張感の中で、多くの学びがありました。

三吉 最終審査に通過したチームはオープンイノベーション推進室に異動するというお話でしたが、どういった基準で採択しているのでしょう。

木暮 目先の事業アイデアの実現可能性だけでなく、将来的に市場のポテンシャルがどのくらいあるのか、社会的に価値のある取り組みか、といった観点から複合的に評価するようにしています。

三吉 アクセラレータープログラムを実施している大企業のお悩みとしてよく聞くのは、採用した案件をうまく育成できずに2年が経ち、3年が経ち、いつの間にかゾンビ化してしまうというお悩みです。そこの課題をどうクリアしていますか?

木暮 異動後にオープンイノベーション推進室で集中的にインキュベーションし、マイルストーンを明確にしながら常にスピンアウトをめざして進めることが重要だと考えています。また、R&B全体として進めている他の新規事業開発案件との連携を取ることで、単独案件だけでは成し得ないブレイクスルーができるように工夫しています。

三吉 なるほど。その場合、せっかく育てた人材が流出してしまうのではないかという懸念はないですか?

木暮 新たな社会的価値や経済的価値を生むことは会社としての使命です。そのためどの企業にとってもイントレプレナー人材の育成は必須であり、流出を懸念するよりもむしろ、起業して上手くいかなかった社員が会社に戻ってこられる仕組みづくりの方が大事ではないかと思っています。

三吉 とても共感するご意見です。自身が起業して様々な苦労や失敗を経験してきた、その経験がスタートアップ支援における貴重な教材になっているんですね。そうした人材の確保は狙ってできることではないので、木暮さんのおっしゃるように「戻れる仕組みづくり」は極めて重要な施策ではないかと思います。

デザイン思考テストによりソフトスキルを可視化

三吉 「Canon Marketing Japan MIRAI Fund」の投資領域についても聞かせてください。

木暮 投資領域は、既存事業にとらわれない「未来に想定される社会課題」を起点としており、主に「人の視点=ウエルビーイング」と「産業の視点=ビジネストランスフォーメーション」の2分野としています。また、今後はこの2分野に準ずる具体的な事業構想の領域も投資の対象にしていくつもりです。

graphic recording by Karuna Miyoshi

三吉 「未来に想定される社会課題」というのがポイントですね。

木暮 そうですね。未来像を思い描き、そこから逆算して現在行うべき戦略を立てるバックキャストの発想で投資していきます。

三吉 未来に想定される社会課題として、どのようなものをイメージしていますか?

木暮 「人の視点=ウエルビーイング」の分野で言うとヘルスケアや高齢化対策、「産業の視点=ビジネストランスフォーメーション」で言うと環境対策など、これから深刻化していく社会課題の解決に向けて貢献していけたらと考えています。

三吉 重点課題の中には、必ずしもキヤノンマーケティングジャパングループの得意領域ではないものもあると思います。それについてはどのように考えますか?

木暮 既存のアセットや得意領域からの起点にこだわりすぎると効率化や販促に終始してしまう恐れがあるので、あくまでも課題解決を最優先にしています。もちろん既存のアセットとの親和性が見つかった時に組み合わせていけばいいわけで、そこもバックキャストの発想が基本です。

三吉 ビジネスが上手く回っている大きな会社ほど、社員の中に「現状を維持せねば」という意識が根付いているものです。それはそれで必要なことですが、反面、思いきったチャレンジをためらう風土になりがちです。この部分についてはどうお考えでしょうか?

木暮 当社の場合、トップが新価値創出の重要性をメッセージとして発信し続けていますし、社員一人一人が「現状を維持するだけでは会社の未来は作れない」と意識していると思います。一方で、自分の専門外のことはなかなか見えにくく、挑戦しにくい部分もあります。そこで、組織に横串を通す意味もあって、デザイン思考テストをグループの全社員を対象に導入しました。デジタルスキルの資格取得などはこれまでも推進してきましたが、新価値の創出においてはソフトスキルとデジタルスキルの掛け合わせが不可欠です。デザイン思考テストを通じて課題発見力や課題設定力といったソフトスキルの可視化や強化を推進しています。

三吉 デザイン思考テストを全社員対象に実施すること自体が「社を挙げて新価値創出にチャレンジしていく」というシグナリングになるはずで、ものすごく意味のある取り組みだと思います。

木暮 おっしゃる通りで、社員の気づきや動機づけになっていると感じています。先日、3カ月にわたるワークショップへの参加者を募集したのですが、昨年までは30名程度の応募だったところ、100名を超える応募がありました。新価値の創出を“自分ごと化”する気運は確実に高まっていると思います。

三吉 御社は2020年4月のARCH開業時から会員企業でいらっしゃいます。ARCHについてどのような利用価値を感じていますか?

木暮 様々な価値があると感じていますが、新規事業という企業の中ではマイノリティなものが、ARCHでは、他の企業も同じ状況の中で切磋琢磨していることから、共通言語で情報交換や共創の相談などができることでしょうか。「Canon i Program」の選考メンバーを務めてくださっているARCHのCIO・渡瀬ひろみさんが日常的に壁打ちに応じてくださる環境というのも、事業推進につながっています。

三吉 木暮さんが今いちばん解決したいお悩みについても伺ってよろしいでしょうか。

木暮 新規事業がいい形でスピンアウトできる仕組みを設計していけたらと思っています。先ほどもお話したように起業したものの上手く軌道に乗らない場合もあるので、社外で経験を重ねた人材が再び会社に戻って活躍できるフィールドをR&B内に用意するなど、チャレンジが持続する仕組みを探っていきたいですね。

三吉 いずれはどの大企業も直面するであろう課題について、御社が先陣を切って試行錯誤されているように思います。最後に今後目指していきたい未来についてお聞かせください。

木暮 人々の生活に身近な食、医療、ヘルスケアから環境、エネルギーなど、幅広い領域において社会的にインパクトのある新しい価値の創造を目指します。スタートアップやARCHの会員企業などとも連携しながら社会課題の解決に貢献していけたらと思います。

 

profile

三吉香留菜|Karuna Miyoshi

東京大学法学部卒業後、ベイン・アンド・カンパニーにて戦略コンサルティング業務に従事。中期経営計画・M&A戦略策定/DD、ポートフォリオ変革支援など全社戦略の策定・伴走を行う。2022年にWiLへ参画し、東京オフィスLP Relation担当Directorとして大企業の変革・イノベーション創出支援を行う。グラフィック化スキルを活かし、大企業向けワークショップのビジュアライズも担当。

ARCHは、世界で初めて、大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとする組織に特化して構想されたインキュベーションセンターです。豊富なリソースやネットワークを持つ大企業ならではの可能性と課題にフォーカスし、ハードとソフトの両面から、事業創出をサポート。国際新都心・グローバルビジネスセンターとして開発が進む虎ノ門ヒルズから、様々な産業分野の多様なプレーヤーが交差する架け橋として、日本ならではのイノベーション創出モデルを提案します。場所 東京都港区虎ノ門1-17-1 虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー4階