特集虎ノ門ヒルズ ステーションタワー

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200年後の、街と人を健やかに。「スーパーグリーン」建築家 クリストフ・インゲンホーフェンとは?

虎ノ門ヒルズ ビジネスタワーとレジデンシャルタワーの建築デザインを手掛けたクリストフ・インゲンホーフェンをご存知だろうか。地球環境にホリスティックに取り組む建物づくりを指す「スーパーグリーン®」という造語を生み出したその発想は一体どこから? ドイツ・デュッセルドルフを拠点に活動するご本人に聞きました。

TEXT BY MIKA YOSHIDA
INTERVIEW BY DAVID G.IMBER
Photo ©Ingenhoven Associates
Photo(Top) ©ingenhoven associates / HGEsch
EDIT BY KAZUMI YAMAMOTO
illustration by Adrian Johnson

サステナブル建築の世界的権威、クリストフ・インゲンホーフェン。代表作の一つに〈クー・ボーゲン II〉という複合ビルがある。8kmものシデの生け垣、そして3万以上もの植物が建物にシームレスに組み込まれた世界最大のグリーンファサードが特徴だ。

都市を“癒やす”ための建築

上空からの〈クー・ボーゲン II〉。竣工2020年。ショップやレストランが一階に、その向かいの建物の上層階はオフィススペースやホテルなど。 © ingenhoven associates / HGEsch

在来種であるシデの生け垣が環境にもたらすメリットは、落葉樹の巨樹に換算すると80本分に相当する。また、屋根を緑で覆うことによってヒートアイランド現象の緩和をもたらすのはもちろん、二酸化炭素を吸収し、都市の騒音を和らげ、さらには生き物の多様性も促進する。ドイツ国内最大の人口を擁する連邦州ノルトライン・ヴェストファーレン。その州都である経済都市デュッセルドルフに出現した巨大な緑の谷は、美観をもたらすと同時に、市民や行政の意識変革をも体現する建築なのである。

「樹種選定から養分や水、空気の与え方や配置など、ミュンヘンやベルリンの大学教授に監修を仰ぎ、植物工学に則して綿密に練りました。おかげで今に至るまで、1本たりとも植え替えることなく植生が育ち続けています」とインゲンホーフェンは語る。人の心に訴える美しさは、こうした合理的な技術要素の集積の上に成り立っている。そしてこう続ける。「〈クー・ボーゲン II〉といえばグリーンファサード、と思われがちですが、私にとっては都市を“癒やす”ための建築なのです」。

都市を癒やすとは?

「デュッセルドルフは第二次世界大戦で徹底的に破壊され、戦後は戦後で、車社会化という新たな破壊がなされました。その過ちを修復するという思いが〈クー・ボーゲン II〉に込められているのです」

2025年の完成を目指す〈シュトゥットガルト中央駅〉。ドイツ第6の都市、シュトゥットガルトの顔だ。 © ingenhoven associates / HGEsch

建設中の〈シュトゥットガルト中央駅〉。地上にある公園には円形の「光の目」が設置され、地下階へと自然光をもたらす。 © ingenhoven associates / HGEsch

従来にはないアプローチで知られるインゲンホーフェン。既成観念に囚われない発想が実現へと結びつくのも、正しく受けとめるクライアントあってこそ。その顕著な例が〈シュトゥットガルト中央駅〉だ。コンペにあたり、他のチームはいずれもガラスで覆われたホールを提案したという。しかしインゲンホーフェン事務所が打ち出したアイデアは「地下都市」。駅の向こう側に放置されてきたエリアも、公園のランドスケープへと含める。これまで廃線の線路が街の中心部を分断していたのも、これで統一できる。この地下都市はCO2排出量がゼロな上に、列車から出る排気も内部に溜まらない仕組みになっているという。

「インゲンホーフェン」という哲学はこうして形成された

クリストフ・インゲンホーフェン|Christoph Ingenhoven 1960年ドイツ・デュッセルドルフ生まれ。アーヘン工科大学卒業後、ハンス・ホラインに師事。1985年よりインゲンホーフェン・アソシエイツを率いる。早くからエコロジカルでサステイナブルなデザインに注力しており、国際的な賞も多数受賞している。

省エネやリサイクルに留まらない、そして建物の中だけではなく外、すなわち町や人々に健康と快適な暮らしをもたらすサステナビリティが、「スーパーグリーン®︎」だ。建築を通じて「世界に何かをお返しする」と繰り返し語るインゲンホーフェンは、そもそも父親が建築家だった。

「伝統的かつ近代的な建築の世界で、私は育ちました。建築を専攻し始めた1978年頃には、現場や事務所を手伝ったりスケッチしたりといった実務経験がすでに10年近くありました。進学したアーヘン工科大学は機械エンジニアリングや化学や物理、車や飛行機の設計に強い工業的な学校でした。建築学部はどちらかというと異質な存在でしたね(笑)」

1978年の建築といえばまだミース・ファン・デル・ローエにヴァルター・グロピウス、ル・コルビュジエといったモダニズムの巨匠が天下の時代。

「ところがそこからわずか半年で、ポストモダニズムという巨大な潮流がドイツ中の大学の建築学部を呑み込みます。磯崎新やハンス・ホライン、スタンリー・タイガーマンなど多くの建築ヒーローたちを巡って、全ドイツの建築学生たちは熱い談義に燃えました。1981年のヴェネチア・ビエンナーレは初のポストモダン・ビエンナーレでした。圧巻でしたね! 私たちはこのポストモダンという大波をいかに乗りこなすか、やっきになったものです」

デュッセルドルフ美術アカデミーに進学し、ポストモダン建築の雄、ハンス・ホラインとジェイムズ・スターリングに師事する。

「ドイツ・ポストモダン建築教育のまさに“頂点”」と笑う。デュッセルドルフ美術アカデミーは1960年代以降、ヨーゼフ・ボイスはじめ世界的な美術家が教鞭を執り、その後の美術界に多大な影響を及ぼした芸術大学だ。徹底して技術志向のアーヘン工科大学とはまるで別世界、と回想する。

だがやがて、ポストモダンだけで良いのかとの疑念も湧き上がる。

「まったく別の新しいものが興っている、という予感。実体はまだ掴めないながらも、おそらくハイテクなものではないかとの直感はありました。レンゾ・ピアノ、リチャード・ロジャース、ノーマン・フォスター卿などの建築から感じ取っていたのです」

ちなみにドイツの建築教育は、他国よりも建設エンジニア重視とか。

「単にきれいなドローイングを形にするのではなく、理性的で心に訴える建築、それがドイツの建築です。アーヘン工科大学で建設エンジニアに囲まれて学んだだけに、その思いは尚更でした。ただ当時のアーヘンでは建築家がエンジニアの役割を軽視する傾向があり、私はそこに強い違和感を抱いていました」

もう一つ、インゲンホーフェンが大きな影響を受けた現象がある。1981年に初めて連邦議会で議席を獲得した、環境政党「緑の党」だ。

「緑の党は、当時ドイツの若者たちの間で盛り上がっていた反戦・平和運動に深く根ざしています。環境問題はもちろん、身体にとって正しい食べ物や暮らし方を見直す健康の意識改革でもあり、反核や反原発運動を訴えて行動する、巨大な草の根ムーブメントでした。人類の未来はこの方向にしかない! と当時の若者たちは心をわしづかみにされたものです。もちろん私もその一人でした」

「小さな青い惑星」の上で、責任ある建築に取り組むインゲンホーフェンの姿勢が、1980年代初頭ヨーロッパのオルタナティブ意識改革にルーツの1つがあったとは! ちなみにこのうねりはドイツやイギリスから世界規模で拡大し、その後の日本のユースカルチャーや意識にも大きな影響を与えた。音楽フェスのフジロックなどはその好例だ。

学生時代にコンペで優勝。そこから快進撃はスタートした

〈RWEエッセン・タワー〉。高さ127メートル。ダブルスキン・ファサードで自然換気を可能にした世界初の高層建築だ。1997年に完成。 © ingenhoven associates / HGEsch

さて、ある日のこと。インゲンホーフェンは、大学の先輩から設計コンペに突然誘われる。プロジェクトはケルンに建設予定のドイツポスト本社屋。6名に競わせる指名コンペで、彼以外の5名はベテラン建築家ぞろい。その中には建築界のノーベル賞、プリツカー賞を1986年に受賞するゴットフリード・ボームの名前までも!

「当時の私はまだ学生で、ドイツ男子の義務の一つである公共奉仕活動と学業に明け暮れていました。オフィスやスタッフどころか、建築家免許もマイカーもありません」

父の事務所に間借りし、元同級生2人の力を借りてコンペに参加。いわば“ワイルドカード”として招かれたインゲンホーフェンだが、フレッシュで現代的、そしてポストモダンの真逆を貫いていた設計案が、居並ぶベテラン陣をさしおいて、なんと優勝してしまう。

「この設計案には、いま私たちの事務所が使う要素がすでに多数入っています。たとえば巨大温室付きのアトリウム、ダブルスキン・ファサード。当時で可能な限りグリーンな建築を目指したのです」

このプロジェクトは結局アンビルトのままとなるが、1990年、30才で次のチャンスをつかむ。

「1週間で2つのコンペを勝ち取りました。1つは初の実作となる巨大エネルギー企業のRWE本社、1つはコメルツバンク本社でした」

〈RWEエッセン・タワー〉は、ダブルスキン・ファサードを大規模な建物で実現させた世界初のケースとなる。画期的な自然換気システムとして、ダブルスキン・ファサードはいまや世界中で広く用いられている。

フランクフルトのコメルツバンク設計案。1991年のコンペで2位に入賞した。 © ingenhoven associates

コメルツバンクのコンペに当たり、インゲンホーフェンはかのフライ・オットーに協力を要請したという。建築家にして構造家、張力構造の第一人者のオットーは当時すでに重鎮だ。すでに面識が?

「いえ、つてもないので電話会社に番号を問い合わせて、本人に直談判しました。これこれこういう者で、フランクフルトでこんなコンペがあるのでチームに加わってくれませんか?と。車を飛ばして会いに行ったところ非常にフレンドリーな方でしたが、師匠としては大層厳しかった。厳しいからこそ、仕事のしやすい方でした」

深い思想をもつ「師」を求めていたインゲンホーフェンは、こうしてフライ・オットーの薫陶を得る。ほかに尊敬する人物というと?

「筆頭はバックミンスター・フラーですね。お目にかかる機会はありませんでしたが……。フライ・オットーはまさしくヨーロッパにおいて、フラーに通じる精神の持ち主といえるでしょう」

続いてはカリフォルニア・パームスプリングで「砂漠のモダニズム」建築を生み出した、スイス出身のアルバート・フライ。自然環境に呼応する居住空間を創り上げるグレン・マーカットの名も挙がる。

「いずれも仕事に思慮深く向かい、緻密に取り組む人々ですね。そうした人物というのは、実はそう多くありません」

「人工物はミニマムであるほど美しい」

チューリッヒ湖の東側に位置するスワロフスキー・コーポレーションの本社屋。湖からの水を冷暖房に利用。スワロフスキーの白鳥のロゴのように、白鳥の首のようなエレガントで美しい曲線を描く建築。2010年完成。

インゲンホーフェン・アソシエイツの建築には「軽やかさ」があると自ら語る。

「他の方々の建築と比較しても、軽やかで明るい上に薄く軽量で、ディテールが細かくエレガントだと自負しています。コンクリート製の〈シュトゥットガルト中央駅〉でさえ、今にも羽ばたきそうとまでは言いませんが、独自の軽みをたたえています。建物や車、飛行機や船舶など何であれ、人工物はミニマムであるほど美しい、というのが私の信条です。デザインの簡素化という意味ではありません。

アインシュタインの名言があります。『すべてのものはできる限りシンプルであるべきだ。ただし、そぎ落とし過ぎて本質を失わない限りにおいて』。逼迫する資源やエネルギー問題を抱えたこの大量消費社会にこそ有効な、賢い警句だと思います。建築様式だけではなく、建設や素材の選択、資源再利用などにも通じる考えだからです」

シドニーのオフィスビル、〈ワン・ブライ〉。この楕円の形が太陽熱の吸収を最小限に抑えるという。屋上には、太陽熱集熱器が設置されている。2011年竣工。

2025年の竣工を目指し、建設が進んでいるのがデュッセルドルフ・ハーバーの〈ピア・ワン〉だ。180本の柱に支えられた、水に浮かぶ多目的施設である。そしてここから広がるのが、4本の橋。ハーバーはいくつもの半島に分かれており、敷地はそれぞれ商業地域やオフィススペース、住宅などのエリアを長年にわたって形成してきた。よって再開発にあたっては「たとえば住民は家の近所に産業的な施設は望まないし、逆もまたしかり。施設同士の利害関係がどうしても衝突するのです」とインゲンホーフェン。

〈ピア・ワン〉。3つの半島を橋で結ぶことで、これまで隔絶されていた島の先端同士が徒歩で往来可能に。タイプの異なるコミュニティが、ゆるやかにつながる。 © ingenhoven associates

橋は水上の公共スペースとしても機能する。 © ingenhoven associates

そこで思い至ったのが、孤立した3つの半島を4本のブリッジで結ぶという名案だ。従来のコミュニティや環境を崩すことなく、しかも半島の先から別の半島の先に行くのに、これまではわざわざ大回りをしていたアクセスの悪さも、一挙に解消される。この中央に位置するのが〈ピア・ワン〉というわけだ。橋は水上の公共空間となる。市民や旅行者はライン川からの景観を楽しみながら、憩いの時間を思い思いに過ごすことができる。1886年の開港以来、デュッセルドルフの貿易・産業を支えるハブとして重要な役割を果たしてきた同ハーバー。歴史を未来へつなぐ新・デスティネーションとして、〈ピア・ワン〉に大きな期待が寄せられている。

虎ノ門ヒルズのランドスケープでは「日本の四季のうつろい」を表現

左から、〈虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー〉〈森タワー〉〈レジデンシャルタワー〉。 © ingenhoven associates / HGEsch

技術に裏打ちされた斬新な発想で、街を「つなぐ」。そして人々の心を豊かにする。〈虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー〉〈虎ノ門ヒルズ レジデンシャルタワー〉でインゲンホーフェンが手がけた建築デザインは、その最たるものだろう。

森ビルが掲げる「ヴァーティカル・ガーデンシティ(立体緑園都市)」の理念にインゲンホーフェンは共鳴する。2014年に誕生した〈虎ノ門ヒルズ 森タワー〉、そして両側に新たに建てられた〈ビジネスタワー〉(2020年1月)と〈レジデンシャルタワー〉(2022年1月)の完成によって、エリアの低層部の緑が連続し、また隣接する愛宕山から連なる緑の軸線がつながり合うグリーン・アーバン・ネットワークが作り出された。中央のタワーが縦ラインの外装であるのに対し、両側の2棟のタワーでは水平の横ラインが強調される。テラスとひさしが特徴的で、下へ向かうほど広がっていくデザインは、複層的な緑地を形成しながらタワーと地上とをゆるやかにつなぐ。

〈虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー〉ランドスケープ © ingenhoven associates / HGEsch

欧州最大の日本人居住者数を擁するデュッセルドルフに生まれ育ち、27才から日本のプロジェクトを手がけ、たびたび訪日を重ねてきたインゲンホーフェン。日本との馴染みは深い。

「東京は実に魅力的です。道1本、坂ひとつで風景がガラリと変わります。村であり同時に巨大都市。これほど高密度で、かつ完璧に機能している都市は世界でも類を見ません」

この東京にもっと緑を、と願う氏は「日本の四季のうつろい」を建築デザインのコンセプトに据えた。花々や紅葉の色彩はもちろん、四季折々の草花の香りや滝の水音など、香りや音もインゲンホーフェンは重視する。

「葉ずれの音や小鳥のさえずり、そして滝の水音も、子供達が楽しそうに遊んでいる声と共に耳に届くのです」

東京の街なかにいながら、穏やかで心地良い時間を過ごせる。その貴重さを語る。

「愛宕神社から歩いてみましょう。小道を通り、小さな橋を渡って行くとレジデンシャルタワーが現れます。テラスを横に見ながら、森タワー、そしてビジネスタワーへ。これはすでに“小さな旅”、しかも歩いたり座って休んだり、と自分の身体によって行う旅ですね」

感覚を味わい心を動かされる体験というのは、それを妨げる要素を「無」にできてこそ、とも語る。

緑に囲まれて、飲み物でも味わいながら人と語らい、ゆったりと時を過ごす。

「たわい無い事と思う人もいるかもしれませんが、実はここに豊かさの本質があります。ただし、正しく提供される限りにおいて」と氏は微笑む。

〈虎ノ門ヒルズ レジデンシャルタワー〉ランドスケープ

インゲンホーフェンはNYのセントラル・パークを発案・実現させた人々への称賛を惜しまない。1859年の開園から160年以上経た今も、人々の心の拠り所であり、文化的デスティネーションとして栄え続けるセントラル・パーク。

「都市の真ん中に、巨大な緑の空間をぽっかり据えてしまうという、現在でもまず通らないプロジェクトです。はるか未来を見据えた英断ですね。200年後に街が美しくあるよう、私達もいま成すべき事を行わねばと思います」

※「スーパーグリーン®」はインゲンホーフェン・アソシエイツの登録商標です。