FORESTS AS POSSIBILITIES

「森」は多様な可能性に開かれている——東京大学 memu earth lab「再読」フィールドワーク ❷

目の前の多様な事象の関係性の理解と、そこから発想される関係性の構築(建築)について研究を進める東京大学 memu earth labが、主たる研究拠点とする北海道十勝平野の「森」を1年にわたり撮影。「rereading forest」のタイトルにまとめ、6月6日(火)から10日(金)まで、東京大学生産技術研究所の「オープンキャンパス」で上映展示する。一見すると自然豊かで美しい森の様子を捉えているだけのようにも見えるこの映像は、果たしてどんな価値と気づきを含んでいるのか——。本連載第2回では、この「森」の映像を通じてmemu earth labの実践とその可能性を考える。

video work by Ayako Mogi
text by Shunta Ishigami

 

森の時間を体験しなおす

——東京大学生産技術研究所が開催する「オープンキャンパス」(6/6〜10、目黒区駒場)の期間中、memu earth labが制作した映像「rereading forest」(86分)が上映展示されます。約2.5×6メートルの大きな壁面に映し出される映像と現地で収録された環境音は、十勝平野のさまざまな森の春夏秋冬の姿を捉えたもので、1年かけて制作されたと伺いました。

森下 制作のきっかけは、別のプロジェクトで冬の森に入ったことでした。いまでは十勝の人たちも特別な目的がない限り冬の森に入ることはありません。でも昔の話を聞いてみると、農家の人たちは11月に収穫作業が終わると翌春まで林業をして冬の糧を得ていたそうです。実際、冬になると落葉樹は水を吸い上げなくなるので伐採期としても理にかなっている。木や森の生態と人の生活習慣がしっかりとつながっていたんです。しかし、林業が産業化するにつれて、森が人の生活から離れてしまった。北海道の高校などでレクチャーを行っても、どこに森があるのか知らない子どもたちも少なくありません。

——たしかに冬の森には人を遠ざけるイメージがありますね。

 

森下 でも、実は冬の方が森に入りやすいんです。熊も虫もいないから安全で、棘のある茨がないから歩きやすく、葉っぱが落ちて見通しがよいので観察にも適している。四季を通じて冬がいちばん森を理解しやすい季節なんですよね。そんな時期の森の体験をどう記録し、資源再読フィールドワーク(rereading fieldworks)のアーカイブにするかを考えるなかで、試みのひとつとして映像作家の茂木綾子さんに撮影をお願いしてみたんです。

——撮影や録音を目的に入ると、森での体験もまた変わってきそうですね。

森下 そもそも誰と入るかによって森での体験は大きく異なります。きのこの専門家と入ればきのこを探して動きまわるし、植物の専門家となら地面に視線を落としたまま草を観察しつづけることになる。茂木さんと音声チームであれば、森の中を歩きながらカメラやマイクをつけた三脚を立て、10分ぐらい物音を立てないようじっとしながらあちこちで撮影をつづけていました。その「一定の時間、じっと風景を見る、耳をそばだてる」という身の置き方は、人が森と関わるためのすごくおもしろい入り口になるんじゃないか——そうやって集めてきた映像の断片(fragments)をつなぎ合わせて見てみたら、このアプローチがもつ意味や価値が見えてきたんです。人によってまったく違うものになりがちな森の体験がいく層にも重なり合って立体的に、まさに「森の時間」とでも呼ぶべき塊として感じられたからです。

——編集された映像には、水の流れや木々の様子、風の動きや光の加減など森の日常がさまざまに捉えられています。

森下 GoProのようなカメラでアクティビティを撮るわけではないし、ドローンによって人の視点を離れることもしない。『ナショナルジオグラフィック』のような「これが自然だ」という表現でもないし、もちろん課題解決や結果報告でもありません。目の前にあるにもかかわらずみんなが見過ごしているようなポイントを、注意深く選んで撮影することに徹しています。

 

——その後、冬だけでなく季節ごとに映像を撮っていくなかで気づいたことはありますか?

森下 季節の移り変わりがいかに速いか、あらためて気づかされました。冬が長く、植生が一瞬にして緑になる夏らしい時期はごく短くて、すぐまた森の色が変わって秋になる。農業を追えば、種まきと収穫のサイクルによって季節の変わり目はわかりますが、森の場合はここはもう草が生い茂って入れないんだといった具合に独特のダイナミズムがある。農業や林業のような産業の時間ではかる季節とつねにぶれている自然の時間を重ね合わせたうえで、無理のない季節の理解を実現するにはどうしたらいいか。ラボでは映像のプロジェクトとは別の枠組みで、季節をどう理解するか考えるプロジェクトにも取り組んでいて、たとえば草木の蒸留を通して香りを記録することで一年の移り変わりを理解しようとしています。さまざなやり方で記録したり情報化したりしないと見過ごしてしまうもの、消えていってしまうものがとても多いですからね。

説明しないからこそ見えてくるもの

——四季を通して何カ所くらいで撮影したんですか?

森下 春夏秋冬合わせて31カ所くらいでしょうか。季節ごとに何回も訪れた場所もあれば、特定の季節にしか入れない場所もある。ラボとしてこれまで行なってきたフィールドワークやフィールドレコーディングを通じて見つけた場所を、森というテーマでつないでいった感じです。

 

——どの季節の映像も20分前後にまとめられていて、季節ごとにさまざまなシーンが収められていますが、たとえば「キモントウ、沼につながる森」など、単なる地名ではないタイトルがつけられているのも印象的です。

森下 湿地の森は産業的価値がないと言われていて、例えばキモントウの森も農業や林業に適さないので70〜80年間手つかずの状態でした。ただ、もちろんそこにも生態系はあるし、生態系サービスと呼ばれるような機能も持っています。

——でもこの映像では、そういった森の機能の紹介や説明に決して踏み込まないようにしていますね。

森下 説明や紹介をするためではなく、森そのものを材料や資源、リソースとして提示するための映像だからです。その枠組みにとどまることで、逆にいろいろな使い方ができるようになっている。映像を見ながら森の歴史について語り合ってもいいし、食の視点からシェフならではの気づきを教わることも、森に関わっていた人たちのエスノグラフィック(民族誌的)な話も聞けるでしょう。森にはさまざまな人が関わっていて、誰もが入ってこられる場所ですからね。とにかく目の前にある映像を無数の可能性の束として見てもらえたらと思います。

 

——映像に触れてくれれば、細かいことはあとからいくらでも説明できると。

森下 memu earth labの役割は、まずはその土台となる「森」という場所の可能性を顕在化させることにある。そしてこうしたアプローチは十勝だけに有効なわけではなく、東京などほかの場所でも活かせるはずです。

——たしかに、同じようなアプローチで制作された映像を見ながら、東京という都市を見てみるとたくさんの発見が生まれそうな気がします。

 

森下 かつて養老(孟司)さんは『唯脳論』(ちくま文学芸庫)で、東京はすべて設計図で描かれた、ヒトの脳が作り出して配置した場所で、そこでは自然の中で感じるような違和感が少ないと書いています。でも、実は分かっているつもりになっているだけで、そこにべつの可能性を見出すこともできるはずです。たとえばスーパーに並んでいる食べものから、どうしてここにこの魚がいて、どうやってここに来たのか、本当にここにあるべきものなのかと、問いをつなげていくこともできるでしょう。他方で十勝はわからないことだらけなので、つねに問いが生まれていくんです。植物学の先生が訪れても、ある植物の葉っぱがなぜこの形になっているのかぜんぜんわからない。目の前のものに疑問をもちつづけ、当たり前を再読する感覚を東京にもってこられるとよいのかもしれません。

都市に「マルチレイヤー」を取り戻す

——こうした自然の映像を提示しつつ、何も説明せず、説明しなくてもわかってもらえる構成にもしない、というアプローチは珍しいかもしれませんね。

森下 むしろ意図的に説明しないことで、ようやく話を始められるというか、スタート地点に立てると思うんです。ラボの活動を通じて多くの分野の先生方と話すなかで、同じ風景を見ていてもいろいろな解や未来があることに気づかされたんです。ひとつの分野のなかで論理的な筋書きをつくっていくより、複数の回答や投げかけをすることで可能になる場所がある方がいいと思うようになりました。たとえば森林を研究されている方からすれば草むらは刈ったほうがいいかもしれないけれど、植物園の先生は草の成長を阻害する木を切ったほうがいいと考えるかもしれない。ひとつの分野や立場にこだわるだけでは見えてこないものがあるはずです。

 

ぼく自身、かつては平気で「雑草」や「雑木林」という言葉を使っていましたが、果たして何が「雑」なのか。一つひとつの植物や木をアイデンティファイしないまま雑草や雑木林として扱ってしまうからこそ、すぐに除草や伐採という発想につながってしまうことがあまりにも多い。雑草だと思って除草するといつの間にか虫がいなくなったり食べられる植物もなくなったりしてしまって、もともとどんなことが起きていた土地なのかわからなくなってしまう。いまは人と自然の関係がすごく貧しくなってしまっている。ただ、ぼくがかつてそうだったように、専門外の人からすれば雑草や雑木林に思えても仕方ない部分もあります。だからそれぞれにどう感じ、そこに何を見たか、今回の展示で映像を見た方々から可能性に開かれた会話(relation)が生まれたらいいですね。

——個人個人の知識や価値観の違いによって見えてくる景色が大きく変わっていく、と。

森下 多くのことを知っていくと、最初は雑草だと思っていた景色も畑に見えてきますから。現にラボのプロジェクトとしても、これまで価値がないと思われていた湿地をどう生産的な場に変えていけるのか、現地の人たちと一緒に関係性をつくりながら考えています。それはまちづくりのような取り組みともつながっているはずです。

——memu earth labが数年間かけてつくってきたつながりやネットワーク、知が形になりつつあるのかもしれません。

 

森下 農学、植物学、ランドスケープ研究、建築学、プログラマー、大工……たくさんの人が参加してくださり、いろいろなプロジェクトが動き出しています。さらには地域の方々とも会話していくとやらなきゃいけないことや個々人が抱えている課題が見えてきたり。この森や土壌、地域を深く理解していくからこそ、ディープな知識や技術を立体的に組み合わせていけるのだと思います。

——そういった活動は、必ずしも十勝や北海道にとどまるものではないと感じます。このアプローチや考え方を東京にも広げていけると面白そうです。

森下 東京で行われているようなまちづくりや開発、場所づくりにも通じる部分はたくさんあると思います。東京の空間は用途で区切られてしまっていてマルチレイヤーな場所が少ないと感じる一方で、空き地や草むらのように一見何の機能もなさそうだけど高齢者や子どもたちにとっては大切な場所になっているところもある。ダイバーシティやインクルージョンを言うのであれば、そういった場所の可能性をもっと開いていく必要もあるでしょう。今回展示する映像は、十勝の森について考えるだけでなく、さまざまな場所がもつ可能性を考えるためのヒントにもなるはずです。

オープンキャンパス|東京大学生産技術研究所


映像「rereading forest」(68分)
期間=6月6日(火)〜10日(金)
時間=10:00〜17:00
場所=東京大学生産技術研究所 S棟
   東京都目黒区駒場4-6-1
   東京大学駒場リサーチキャンパス内
入場=無料
詳細=memu earth lab

profile

森下有|Yu Morishita
東京大学生産技術研究所特任講師。ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン(RISD)にて建築と芸術の学士を、ハーバード大学デザイン大学院(GSD)にて建築理論・歴史の修士を、東京大学大学院 学際情報学府にて博士を取得。多様な場所が奏でる固有の情報に聴き入ることに関して模索中。「UTokyo Ushioda Memu Earth Lab」の研究インフラを試作している