BE AMATEUR FOR THE FUTURE OF ART

異色のキュレーター・丹原健翔は多彩な「アマチュア」として美術史を更新する

丹原健翔の活動は実に多彩だ。ハーバード大学を卒業したアーティストであり、気鋭のアーティストらが集まるコミュニティを率いるキュレーターであり、デジタルテクノロジーを活用した新たなアートビジネスを生み出す起業家でもある。アートのもつ価値を社会と接続しようとする丹原は美術史を支える「アマチュア」を目指しているという。これからの美術史は、そんなアマチュアによって編まれていくのかもしれない。森ビル・杉山 央の連載「GAME CHANGERS」第17回。

interview by Ou Sugiyama
Text by Shunta Ishigami
Photo by Kaori Nishida

心理学から美術史への転向

——丹原さんはいろいろな顔をもっていて、アーティストでありキュレーターであり起業家でもありますよね。5歳から高校生になるまでオーストラリアで暮らし、関西の高校に通われたのちにハーバードに入学するなど、さまざまな文化に触れられていると思うんですが、いつからアートに関心があったんですか?

丹原健翔|Kensho Tambara 1992年東京生まれ。キュレーター、作家。アマトリウム株式会社代表。孫正義育英財団の財団生1期生。ハーバード大学美術史卒業後、帰国し展覧会企画やアーティストマネジメントに携わる。アートスペース新大久保UGO立ち上げメンバー。2017年ハーバード大学美術館公式展覧会(Drawing: Invention of a Modern Medium)企画・研究。作家、キュレーター。アマトリウム株式会社代表。21年12月からソノアイダ #新有楽町のプログラムディレクター。新大久保UGO実行委員、一般社団法人オープンアートコンソーシアム理事。主な展覧会に、森山大道展(19年、kudan house)、未来と芸術展(19年、森美術館、作家として)、過剰な包装(19年、都内某所)、ENCOUNTERS(20年、ANB Tokyo)、You (We) Are Beautiful! (20年、新大久保UGO)など。※TOP画像=「豆花ちゃん」(ひょっかめ)とともに、新大久保UGOでのUGOフリマ2021にて。

丹原 きちんと向き合うようになったのは大学生の頃ですね。オーストラリアにいた頃からピアノを習っていたり『POPEYE』を取り寄せて読んでいたり、カルチャーに関心はあったんですが、ハーバードに入った当初は心理学を専攻していて。2011年に入学してしばらくは研究に取り組んでいたのですが、当時の日本は東日本大震災直後で心のケアが必要な人がたくさんいたこともあり、心理学を研究するうえでも現場を知る必要があると思って2012年に休学を決意しました。日本に戻って石巻の教育委員会の方々といろいろなプログラムに参加し、2年ほど東北で過ごしていたんです。ただ、多くの人と接するなかで、アート作品を見て感動したことで初めて寝られるようになった人もたくさんいることに気づかされました。当時は理系だったので定量化できないものへの苦手意識があったのですが、アートの重要性を考えるためにハーバードへ戻って美術史学科へと転向することにしたんです。フランスの美術史を中心に研究しながら、卒業前の1〜2年は自分でもパフォーマンスを発表していました。

——けっこうショッキングなパフォーマンスをいくつも発表していたと聞いたことがあります。

丹原 体液を使う「儀式」をつくろうと思っていて。人間って儀式的なものを使って関係性を構築していく生物ですよね。たとえば結婚のような仕組みは儀式的ですし、セックスもある種の儀式だといえます。ただ、異性間の恋愛と比べて同性のそれや、または友人や家族の間の関係に関しては少ないように思えて、儀式を増やすべきだと思ったのです。宗教や少数民族などのさまざまな儀式や儀礼を研究してみると食を媒介とするものが多いことがわかり、人の体液を使ったパフォーマンスを行えないかと考えるようになりました。

——「体液」ですか。具体的にはどんなパフォーマンスを行っていたんですか?

丹原 最初は人が入ったお風呂のお湯を茶室のような空間にもってきてお互いに飲みあうようなパフォーマンスを行いました。信用していない人のお湯って、飲めない人が多いんですよ。口に含んでも飲み込めなかったり、あるいは初対面なのに飲めると受け入れてもらえた感覚が生まれて泣き出したりする。

——お風呂のお湯を飲むことが相手を肯定することになるんだ。たしかに受け入れられた気持ちになりそうです。

丹原 人って「AさんとBさんどちらが好きですか?」と聞かれるとちょっと答えづらいけど、「AさんとBさんのお風呂どっちを飲みますか?」と聞かれたら割と簡単に答えられるんですよね。飲むという行為をはさむことで信用が見えやすくなるというか。

——面白い! そこからさらに発展していったんですか?

丹原 もっと純度の高い儀式をつくりたくて、いろいろやりましたね。他人の血液をグラスで飲むパフォーマンスを行ったときは大変でした。人間は鉄分をうまく消化できないので血を飲むとお腹を壊しやすいし、ぼくのときは熱も出てしまって。でも他人を受け入れる覚悟ってそれくらい重たいものだよな、と。ほかにはたくさんの人の尿を集めてバーという形で販売したこともありました。牛乳と一緒で尿も煮沸消毒すれば飲めるし、尿って人それぞれ味も舌触りも違うんですよ。農家の人の顔写真が添えられた野菜のように“生産者”がわかるようにして売っていたら、結局かわいい子やイケメンの尿ばかり売れていって、それも信用を考えるうえでは面白かったですね。乳牛が牛乳を生産し存在意義があるように、我々も一人ひとり生きているだけで存在意義がある世界があればいいようにって思って。

アーティストへ価値を還元する仕組み

——美術史を研究したり自分で作品をつくったりするだけではなく、キュレーターや起業家として活動するようになったのはなぜなんでしょうか?

丹原 在学中に知り合った日本のアーティストのなかには、いい作品をつくっているのに食えていない人が多かったんですよね。アメリカだとぼくのようなパフォーマンスをやっていても食える人がいるのに、日本にはアーティストのための仕組みが少ないなと感じて起業を決意しました。最初は企業へのレポートづくりなどの仕事に携わりながらキュレーションの機会を探していたところ、知人を通して18年に「kudan house」のこけら落としで建物をすべて使った展示のキュレーションを担当することになりました。そのご縁から、僕の尊敬する宮津(大輔)さんというアートコレクターの方とプロジェクトをともにすることができるようになったり。

左から、石川賀之(UGO)、三好彼流(UGO)、丹原健翔(UGO)、ヤマムライッキ(クサムラマッドラット)、オオムラチカラ(クサムラマッドラット)、ホコジーニョ皇子(クサムラマッドラット)

——そこからいろいろな活動へとつながっていったわけですね。「アマトリウム」という社名の由来は?

丹原 これは「アマチュアの集まり」を意味するぼくの造語です。美術史を振り返ると、19世紀後半からパリが黄金時代を迎え印象派をはじめとする新たな動きやアーティストが出てくるのですが、当時は「アマチュア」と呼ばれる好き人たちが活躍していたんです。彼/彼女ら自身はコレクターともアーティストとも言い得ないのですが、アーティストのプロジェクトをコレクターにつなげたりサロンをつくったりすることでアーティストの活動を支えていた。たとえばギュスターヴ・カイユボットという人は裕福な家庭に育ち印象派の画家たちの作品を多く購入していて、彼がいなければモネもルノワールも食えていなかったと言われます。ぼくもそういった人になりたいと思って、アマトリウムという名前を考えたんです。

——ヨーロッパの印象派を支えたカイユボットのように、日本のアーティストを支えていきたい、と。

丹原 1980年代は世界のアートシーンの3分の1を日本が占めていたのですが、いまはわずか数パーセントまで減っています。日本にはまだまだ評価されていないブルーオーシャンがあるので、それをきちんとグローバルなアートシーンや美術史の文脈に接続したいんです。近年投資目的のアートも増えていたりアートに関心をもつ経営者も増えていることもあって、この動きを活かしながらいい作品をつくる人が評価される世界をつくるためにどうすればいいか考えています。

——同感です。ぼくも日本のアートシーンを体系化して、歴史に残したいんですよね。森ビルがつくる新しい街のなかで、アーティストが作品を発表したり、それを購入できるような仕組みをつくれないかと考えています。著名なアーティストではなく、日本のこれから伸びていく人も紹介したくて。

丹原 ぜひぼくも参加したいです。日本ではホワイトキューブと呼ばれるような真っ白い空間や美術館で作品を見ることが一般的ですが、本来アートは日常の中にあるものだと思っていて。ぼくも作品を買うことがあるんですが、毎日見ているからこそ気づけることがある。それこそがアートの面白さだと思うんですよね。

——他方で、世界を見ればアート市場の競争は激化していますね。ロンドンやニューヨークで開催されるアートフェア「FRIEZE」がアジア初の開催地として選んだのはソウルですし、日本はチャンスを逃してしまっているようにも思います。

丹原 NFTしかりブロックチェーンしかり、デジタル技術の活用についても世界的に競争が加速していますね。ぼく自身、4年前から「スタートバーン」の施井(泰平)さんとブロックチェーンとアートを考える委員会「Open Art Consortium」を立ち上げて新たな技術のあり方について議論を重ねていて。いろいろな会社のサポートを行いつつ、アマトリウムとしてもアートストリーミングプラットフォーム「VALL」の開発を行うなど、アーティストへ価値を還元するための仕組みについて考えています。

0→1と10→100だけでなく1→10

——丹原さんの活動を考えるうえでは、新大久保「UGO」の存在も欠かせません。以前遊びに行ったら日本とは思えないくらい多様な人がいるしエネルギーに満ちあふれていて驚かされました。

丹原 2年ほど前から作家の磯村(暖)さんとよくカルチャーについて話していたんですが、いまの日本には文化盗用や差別などの話題を避ける傾向があり、そのような大事な話を語れる場所がないなと感じていたんです。きちんと議論のできるアートスペースが欲しいねという話になって、UGOのオープンへつながりました。最初から新大久保という場所を狙っていたわけではないのですが、ありとあらゆる人が集まるしいろいろなことが起きていて、すごく面白い場所ですね。

——六本木がアートの中心地のように語られることもありますが、新大久保にものすごいパワーを感じる場所が生まれたな、と。今日もフリーマーケットが開かれていて、活気がすごいですね。

丹原 UGOは展示会だけではなく、ワークショップやフリーマーケットなどさまざまな企画を行っています。アートシーンから見ると規模が小さくて取り上げられないような作品やアーティストを紹介できる場をつくっていて、今回のフリーマーケットも自身の作品や自分でつくった服、雑貨を売る人やDJ、ライブパフォーマンスを披露する人など、面白い人がたくさん集まってくれたんです。

——こういったスペースがあると街の雰囲気も変わりそうですよね。

丹原 新たなアートシーンが街に生まれることとジェントリフィケーションの問題は常に背中合わせだと思いますが、「使い方」を考えることが大事だと思うんです。特定の利権者の目的のためにアートが街で使われるとジェントリフィケーションにつながり得ますが、アートはその地域に暮らす全ての人々のためのツールになりうるもの。UGOの前の私道も以前は不法侵入している、地元の方ではない喫煙者や酔っぱらいが集まる危ない通りだったのですが、UGOができたことでだんだん安全な場所に変わって地域の方から感謝されたこともあります。UGOを始めてから、誰のためにアートを使うのか考えさせられることも多いですね。

——UGOは丹原さんと磯村さんを中心に運営されているそうですが、アーティストの方々とコミュニティをつくっていくのは大変そうでもあります。

丹原 コミュニティづくりについては試行錯誤しながらいろいろ学ばされました。当初はリーダーをもたないスペースづくりを通じて多様性を実現しようと考えていたんですが、やはり持続可能なコミュニティのためにはリーダー的な存在が必要なのだなと考えるようになりました。ぼくはアイデアを出したりビジョンをつくったりする「0→1」や一定の規模に育ったものをさらに大きく広げる「10→100」は得意なのですが、小さなプロジェクトを持続可能な状態までもっていく「1→10」が苦手なのだと気づかされましたね。でも「1→10」がなければ関わった人に迷惑をかけてしまうし、とくにコミュニティづくりについてはもっと勉強しなければいけないなと感じます。

——「0→1」「1→10」「10→100」すべてできるようになれば、活動がどんどん広がりますよね。丹原さんは今後ご自身の活動をどう広げていこうと考えているんですか?

丹原 最終的な目標は、美術史の教科書に載ることですね。カイユボットのように一般の人からあまり知られていなくてもいいので、日本のアートシーンや歴史を詳しく見ていくと丹原がいたと思われるような未来をつくりたい。図々しい話ですが、ぼくはその可能性を信じているし、日本のアートシーンを通じて新しい価値を生み出したいんです。

 

杉山 央|Ou Sugiyama
森ビル株式会社 新領域企画部。学生時代から街を舞台にしたアート活動を展開し、2000年に森ビル株式会社へ入社。タウンマネジメント事業部、都市開発本部を経て六本木ヒルズの文化事業を手掛ける。 2018年 「MORI Building DIGITAL ART MUSEUM: EPSON teamLab Borderless」企画運営室長として年間230万人の来館者を達成。世界で最も優れた文化施設等におくられるTHEA Awards、日経優秀製品サービス賞 最優秀賞等を受賞。 現在は、新領域企画部にて未来の豊かな都市生活に必要な文化施設等を企画している。一般社団法人MEDIA AMBITION TOKYO 理事。