BMWのフラッグシップと言うべき「 8シリーズ グラン クーペ」と、日本屈指の漆芸家・岡田紫峰。この異色の2ショットが意味することとはなにか? 「BMWと日本の名匠プロジェクト」の核心に迫る。
TEXT BY TOMONARI COTANI
もはや小手先のコンセプトは通じない
数年前から、ビジネスシーンで「VUCA」という単語を目にする機会が増えてきた。
Volatility(変動性)
Uncertainty(不確実性)
Complexity(複雑性)
Ambiguity(曖昧性)
この4つの英単語の頭文字を取ったVUCAは、もともと、1990年代に生まれた冷戦以後のパワーバランスを示す軍事用語だが、未来が不透明であることを端的に言い表し(煽り?)、それに対峙していくための組織改編や新規事業等々を促すためのマジックワードとして、重宝がられていたのかもしれない。
しかし、突然やって来たポストコロナ禍のいまほど、このVUCAという言葉が当てはまる時代はないと言えるだろう。これまで培ってきた小手先のコンセプトやスキームやアクションを根底から見直さざるをえない、不確実で、複雑で、曖昧な世界が、紛れもなく到来したからだ。
そんな見通しの効かない時代を攪拌し、新たな価値観を生み出してきたのは、いつだってイノベーターやクリエイターと呼ばれる人たちであった。近年におけるその代表格は、おそらくスティーブ・ジョブズではないだろうか。そしてそのジョブズが、Appleに「復帰」した1997年に打たれた伝説のキャンペーン「Think different」に登場する、アインシュタインやモハメド・アリやマリア・カラスや黒澤明といった面々もみな、20世紀を代表するイノベーター/クリエイターたちだ。
彼・彼女たちがイノベーションやクリエイションを起こすとき、そこでは大抵、既成概念の破壊と、異なる2つの価値軸や時間軸の「結合」が起きている。
件のジョブズで言えば、「コンピューターといえばメインフレーム(超大型の業務用コンピューター)にほかならない」という既成概念を壊し、コンピューターをパーソナルなツールへと変革させた一方、従来のテクノロジー機器の常識とはかけ離れた「極限まで無駄を削ぎ落とし、シンプルなフォルムを表出させる」という概念の新結合を、一貫してデザイン哲学に据えていた(その源が、ジョブズの日本文化への傾倒、とりわけ禅に対する興味に由来していることは有名な話だ)。
とはいえ、実際、既成概念の破壊や、異なる価値軸や時間軸との新結合を発想し、実装するのは並大抵なことではない。ましてや、デジタルで均質なものを大量生産することが求められる巨大産業においてはなおさらだ。しかし、そうした「巨大産業」の筆頭とも言える自動車業界において、「革新的かつラグジュアリーな工業製品」と「膨大な時間と丁寧な手仕事によって生み出された伝統工芸」を結合したプロジェクトが存在することをご存じだろうか。
BMWのフラッグシップである「8シリーズ」のグランクーペ(M850i xDrive)と、京都の漆芸家・岡田紫峰が共創し、特別エディション(KYOTO EDITION)を生み出す「BMWと日本の名匠プロジェクト」である。
理屈ではない美しさにたどり着くために
スポーツカーを凌駕する俊敏かつダイレクトな走りと、優雅で上質な乗り心地を高次元で融合した「BMW 8シリーズ グラン クーペ」。そのフォルムについて、BMWデザイン部門 エクステリア・クリエイティブ・ディレクターの永島譲二は、「理想型に近い形ではないか」と語る。
「非常にアクティブで、スポーティで性能も優れていて、しかも高級。相反するところが高いレベルでミックスされた車だと思います」
今回BMWジャパンが企画した「BMWと日本の名匠プロジェクト」の最大の特徴は、そのBMW 8シリーズ グラン クーペのセンターコンソール・トリムに、金粉、銀粉、貝片等を蒔き付けた漆塗り蒔絵「螺鈿(らでん)細工」をあしらった点にある。
日本における漆芸の歴史は、縄文時代までさかのぼるという。水をはじき、腐食を防ぐという特性を持つ漆独特の皮膜は、実際、古代から生活用品に用いられてきた。一方、その艶やかな光沢の美しさから、徐々に日本を代表する伝統美術として発展し、欧米では「Japan」の名称で知られるようにもなった。
今回、そんな背景を持つ漆細工を「KYOTO EDITION」として8シリーズ グラン クーペにほどこしたのは、漆芸家の岡田紫峰。半世紀以上にわたって美と技を探求し続けた日本屈指の名匠であり、近年はシャネルのハイジュエリーラインとのコラボレーションでも知られる、伝統と革新を往還し続ける人物である。岡田は、上に紹介した動画の中でこう語っている。
「新しい世界というものを手がけていかないと、理屈ではない美しさにたどり着けない。漆の歴史は、日本の中だけでも1万2千年あるわけです。いかにしていまの時代の中で融合し、ひとつのものとして創り上げることができるか。手で創り上げたものは人間が見たときにほっとした温かみを感じるんです。それは、言葉では表現できない。最後のどこかには、人の手が加わるような世界であってほしい」
今回のKYOTO EDITIONは、知る人ぞ知るBMWの特別なオーダーメイド・プログラムである「BMW Individual」によって実現した。BMW Individualとは、ボディカラーやレザーシートの縫製を始めとする微細に至るまで、ドイツの職人が丹精につくり込んでいくマニファクチュールのプログラムだ。
KYOTO EDITIONでは、「群青色」の原料でもあるアズライト(藍銅鉱)にちなんだ「アズライト・ブラック」が採用された。高い技術を持つ職人たちによる多層仕上げによって生み出された「ほのかにブルーの煌めきを秘めた」このダーク・ブラックは、実際、漆が放つ漆黒と深い共鳴をみせている。
「もともと、日本の漆芸品がヨーロッパに輸出されるようになったのは16世紀。ヨーロッパに渡った漆は、貴族など当時の特権階級の手に渡りました。漆の艶やかな光沢は瞬く間に彼らの心を魅了しました。それというのも、ヨーロッパには黒い塗料がなかったからです。
この黒い塗料は科学者たちの心をも虜にし、漆に似た塗料を作り出そうと血眼になって研究を行いました。最終的にドイツで黒い塗料を開発することに成功、それが“ラッカー”という塗料で、まずはピアノに塗られたのです。なぜピアノかというと、ここからは私の推論ですが、当時からピアノはステイタス、そしてラグジュアリーを象徴する楽器だったからだと思うのです。
高級、上質、威厳、そして美。それを究極に突き詰めた色が黒なのではないか。だからラグジュアリー・カーに黒という色がふさわしいのではないかと思います」
そんな岡田の話を受け、BMWの永島はこう語る。
「自動車の内装に高級感を出す素材といえば、クローム、ウッド、革。ほぼ100年変化がなく、代わりになるマテリアルを探し続けながら、それがなかなか見つからないという時代が続いています。
それに代わるものとして、例えば新しい考えですとアンビエントライトなど、“照らす”ための照明ではなく、間接照明のような柔らかい光で室内空間を演出するものも出てきています。
今回の漆芸は、本当にまだ誰も手がけたことがないまったく新しい提案。それでいて、美意識とこだわりの部分で自動車と通じ合い、響き合うものをもっています。ラグジュアリネスという観点からも申し分のない、最高級のもの。自動車の歴史で、新たな可能性がひとつ広がるということに、自分自身としても強い期待を寄せています」
いままでにない素材や表現法でアイデンティティをさらに深め、本物の良さというものを残していく努力。最先端の技術と、非常にアナログな世界が出会う面白さ——。
不確実で、複雑で、曖昧な世界において、「伝統と革新」、あるいは「先端技術とクラフツマンシップ」が高次に融合したケースは、いまだ、価値を提供し続けられるようだ。われわれに必要なのは、その結合を阻害する、あるいは機会が目の前にあっても目を曇らせてしまう「既成概念」を壊す勇気を、種火のように常に持ち続けることではないだろうか。
その意味において、BMW 8シリーズ グランクーペ「KYOTO EDITION」の誕生にかかわったすべての方々はみな、イノベーター/クリエイターと称されてしかるべきだろう。
● BMW 8シリーズ グランクーペ「KYOTO EDITION」は、11月末まで全国の正規ディーラーにて受付可能。詳細はホームページにてご確認ください。
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