21 CENTURY IS THE AGE OF “HEART”

クリエイティブディレクター・小橋賢児は、“ゼロ”を生み出すことで人間の創造性を回復する

日本最大級のダンスミュージック・フェスティバル「ULTRA JAPAN」のクリエイティブディレクター、未来型花火エンターテイメント「STAR ISLAND」のプロデューサーを歴任、昨年東京モーターショーで開催した500機のドローンを使用した夜空のスペクタルショー『CONTACT』が第6回JACEイベントアワードにて最優秀賞の経済産業大臣賞(日本イベント大賞)を受賞。と、これまでにないエンタメを数多く生み出してきた小橋賢児。森ビル・杉山 央の連載「GAME CHANGERS」第6回では、人々に「ゼロ」をもたらすことで現代社会に忙殺された人間から創造性を取り戻そうとする小橋が、新型コロナウイルス感染拡大の先にあるエンタメの未来に何を見ているのかを尋ねた。

Interview by Ou Sugiyama
Text by Shunta Ishigami
Photo by Kaori Nishida

失われた直感を取り戻すためには

——小橋さんの会社が手がけられたノンアルコールバー「0%」を先日訪れたのですが、とても面白くて。つねに時代を捉えた体験を生み出しているなと。今日は小橋さんのこれまでについて伺いつつ、これからのエンタメがどうなるのかお話できたらと思っています。

小橋 ありがとうございます、よろしくおねがいします。

小橋賢児 The Human Miracle株式会社 代表取締役/クリエイティブディレクター。1979年東京都生まれ。88年に俳優としてデビュー、数多くの人気ドラマに出演。2007年に芸能活動を休止後、『ULTRA JAPAN』のクリエイティブディレクターや『STAR ISLAND』の総合プロデューサーを歴任。500機のドローンを使用した夜空のスペクタクルショー『CONTACT』はJACEイベントアワードにて最優秀賞の経済産業大臣賞を受賞。東京2020 NIPPONフェスティバルのクリエイティブディレクター、キッズパークPuChuのプロデュースなどの企画運営に携わる。

——小橋さんは数多くのイベントを手掛けていらっしゃいますが、新型コロナウイルスによって一気に世界が変わってしまいましたよね。率直に、いま何を考えられていらっしゃるんですか?

小橋 じつは、昨年ごろからライフスタイルを変えたいなと思っていたんです。毎日オフィスに行って毎晩会食やイベントに出かけるような生活から離れようとしていて、今年の2月には思い切ってケータイもパソコンももたずに10日間の瞑想にも行きました。そして、それをきっかけにお酒もやめちゃいました。その後、東京2020オリンピックをはじめ、自分が携わっていたプロジェクトがすべて延期や中止になったんですが、その流れを受け入れられるくらい自分の考え方も変わっていて。

——コロナウイルスとは関係なく意識が変わっていた、と。

小橋 いまは人から決められたスケジュールと情報に囲まれて、正しさを求める同調圧力のなかでみんなが生きている。忙しいし盲目的ですねよね。ぼくも本来は直感と偶然の出会いによって人生をつくってきたはずなのに、いつしかスケジュールに追われて直感から離れてしまっていて。これまでの世界から離れる必要性を感じていました。

——これまでの人生のなかでも働き方や考え方はいろいろ変わってきたと思うんですが、なにかきっかけはあったんでしょうか。

小橋 いまの自分につながっているのは、30歳になるときに自分でプロデュースして友だちと開催したパーティですね。30歳直前に病気にかかって動けなくなってしまって、誕生日を目指して自分の体を治そうと思っていたんです。そこでゼロになったことで、子どものころのときのようにワクワクする気持ちを取り戻せた。小さなときは思い立ったらすぐ行動に移していたのに、いつのまにか“want to”ではなく“have to”で行動している自分に気付かされました。

——それまで小橋さんは俳優として活動されていたんですよね?

小橋 小学生のときにテレビの観覧と間違えてオーディションに申し込んだら受かってしまって、それからテレビに出るようになりました。俳優として活動してからはたくさんファンレターをいただけたり月9などに出させていただいたりしたのですが、徐々に自分は俳優なんだからこうすべきと考えるようになって、まるでロボットのような生活が続いていて。まわりから「すごいね」と言われる機会は増えていくのに、自分では何がすごいのかぜんぜんわからなくて。本当の自分じゃないものを褒められていくことで、自分自身が失われていくような感覚に陥ってしまいました。それで27歳のときに休業して、べつの道に進むことに決意しました。

身の回りの小さな奇跡に気づくこと

——でも、それまでの生き方を捨てて新たな道に進むのは大変ですし、なにより怖いですよね。

小橋 日本の人だととくに生き方を変えづらいですよね。情報社会のなかではより同調圧力が強くなるし、自分の直感だけを信じて動くことが難しい。もちろんそれは安定した状況ではあるのだけれど、いつも同じコミュニティのなかにいると自分の感覚が失われていってしまう。だから、バランスが崩れそうになったらいまいる場所で正反対のところに行くようにしています。都会にいたら、大自然に行ってみる、とか。正反対の環境に身を置くことで、自分が信じていた「正しさ」が相対化される。過去、手掛けた「ULTRA JAPAN」というフェスが社会現象と呼べるほど大きくなったときも、俳優の時に感じた自分とは違う違和感を感じ、徐々に自分は何がしたかったのかわからなくなってきて突然インドに行ってみたんですよね。

——かなり突然ですね(笑)。

小橋 スティーブ・ジョブズが創業したてのマーク・ザッカーバーグに「インドへ行け」とアドバイスしたというエピソードに感化されて(笑)。ぼくは「中道」という言葉が好きで、両極端を知ることで真ん中の道がわかると思うんです。インドはまさに日本の対極みたいなところで、日本の常識は全く通用しなくて、これまで自分が正しいと信じていたことは単にひとつの極でしかないことがわかった。

——両極端を知ることで、いろいろな感覚をリセットできそうです。

小橋 そうですね。最初はインドのルーズな習慣に苛立っていたんですが、自分の固定観念に当てはめようとするから苛立つのだと気づいて。人間は嫌なものに反発し嫌悪し、心地よいものに執着したり渇望したりする、その心の癖みたいなものが結局苦しみを生むんですよね。病気や失恋も一見嫌なことではあるけれど、捉え方を変えればそれは想定外の出会いを生む可能性に満ちている。事実、ぼくがインドに行ったときも、乗ろうとしていた電車が10時間も来なくて仕方なく街に戻ったことで、4年に一度しか行なわれないお祭りにたまたま参加することができた(笑)。変に反発して変化のきっかけを逃してしまうのはもったいないですよね。自分の会社を「The Human Miracle」という名前にしているのも、自分自身が起こす日々の小さな奇跡に気づいて、明日人類が起こせる奇跡を信じてもらいたいからです。いいことや大きいことだけが奇跡ではなくて、小さな奇跡は身の回りにたくさんある。小さな奇跡から生じた自分の変化を追いかけていくことで、どんどん新たな出会いが引き寄せられてくるのだと思っています。

未来のエンタメは「心」にある?

——いろいろな出会いをつなげていくことで、小橋さんはこれまで多くのイベントやプロジェクトを手掛けてこられましたよね。いまエンタメ産業の状況は大きく変わっていますが、これからのエンタメにはどんな可能性を見いだされていますか?

小橋 ぼくはずっと「未来のエンタメ」をつくりたいと思っていたんですが、未来のあり方が変わってきましたよね。コロナが生まれる前は、テクノロジーこそが未来だと思われていた。「未来」といえば誰もが高層ビルの立ち並んだような風景を思い浮かべていて。でもこれからはテクノロジーを使ってみんなのイメージに合致するものをつくるのではなくて、もっと人の心に触れるものをつくりたいんです。21世紀は「心」の時代だと思っていて。20世紀は経済や物質的な豊かさが優先されて、人の心が失われていきました。情報化社会になると、ますます人は自分のことがわからなくなり疲れていった。だからこそ、これからは思考ではなくて心で感じるものをつくりたい。心と向き合う時間や、人間の本質を考えることこそが重要なわけですから。

——先日オープンされた「0%」も、そういったスタンスと関係しているんでしょうか。

小橋 「0%」はお店の名前ではなくてプロジェクト名だと思っていて。ゼロに戻ることで元気になって、人間の創造性を取り戻すプロジェクトなんですよ。「元気」と聞くとものすごくアッパーな状態を思い浮かべる人が多いと思うんですが、「元の気」なのでゼロに戻しているわけで。ゼロに戻れば誰もが本来もっていた豊かな創造性も戻ってくるのだと思っています。ぼく自身だけではなくて、たくさんの人に自分の本質に気づいてほしいんですよね。「ULTRA JAPAN」もただダンスミュージックのファンだけを集めたかったわけではなくて、人を非日常的な世界のなかに呼び込むことで、その人の内側にある“want to”の灯火を光らせるきっかけをつくりたかった。日常の中で無意識にその非日常体験をするためにも圧倒的なものが都市の真ん中に生まれる必要があったんです。そんな意識変容のきっかけがあの時代においてはULTRA JAPANという音楽フェスだったのかなと思っています。

自分と向き合うためのテクノロジー

——面白いですね。「0%」も「ULTRA JAPAN」もそれそのものの開催が目的なわけではなくて、小橋さんのなかでは人の創造性を引き出すこととつながっている。「ULTRA JAPAN」の場合は感受性豊かなものを体験させることで、人が本当にやりたいことを発見できる状況をつくろうとしていたわけですね。

小橋 圧倒的なものを見ると人はある意味、頭で考えるという思考が止まりますよね。ぼく自身、27歳でアメリカへ留学したときにマイアミで「ULTRA」を体験して、音楽によって人々がつながってることに感動しました。いまは情報だけが多くて思考がぐるぐる回ってしまうので、「なにこれ!?」と開いた口が塞がらないような、思考を止めるためのエンターテインメントが必要なのだと思っています。圧倒的なものを体験することで、通常の思考から離れられますからね。前人未到の壁を登るようなエクストリームスポーツの選手って、途中で今日の晩ごはんについて考えたりしないじゃないですか(笑)。思考が止まっているからこそ、直感が磨かれるわけで。人は死を意識するような極限状態に身を置くとフローやゾーンと呼ばれる状態に入って思考から解放されますが、もっとカジュアルな入口をつくるために「0%」を始めたんです。

——ゼロになることで、人々の直感ややりたいことが引き出される世界をつくろうとしているんだ。

小橋 心をゼロにするプロジェクトがノンアルコールバーから始まったって面白いですよね。ストーリーを共有していくことが大事だと思っているので、これから時間をかけて究極的にゼロになれる状態の大切さをたくさんの人に伝えたいんです。ぼくは、全人類が自分自身の人生をつくるクリエイターになってほしくて。いまは多くの人が思考に囚われて心が何を感じているか忘れてしまって、創造性も失われてしまっている。だから、人類全員が自分の人生をきちんと謳歌できるような環境をつくらなければと思っています。ぼく自身が世界でのフェス体験に自分を変えるきっかけをもらったように、きっかけの場をつくりたくて。ぼくらの仕事は人に答えを押し付けることではなくて、あくまでも気づきを与えることですから。

——そのためにテクノロジーができることやリアルの限界についてはどうお考えですか?

小橋 とくにコロナの感染が広がって以降、たくさんの人がテクノロジーを使って何かをしようと考えていますよね。少し急ぎすぎじゃないかと思います。もちろんぼく自身もドローンや3Dサウンドを使ったエンタメなどをやっていますし、テクノロジーの活用についても興味がありますが、その前になぜやりたいのか、なんのためにやるのか突き詰めないといけない。プラットフォーマーは急がないといけませんが、エンタメをつくるなら自分の心と向き合い、何をすべきか考えないと本当にやりたいことは出てこない。その実現に向かっていくなかで、最後に必要とされるテクノロジーを使うことが、正しいテクノロジーとの向き合い方なんじゃないでしょうか。

杉山 央|Ou Sugiyama
森ビル株式会社 新領域企画部。学生時代から街を舞台にしたアート活動を展開し、2000年に森ビル株式会社へ入社。タウンマネジメント事業部、都市開発本部を経て六本木ヒルズの文化事業を手掛ける。 2018年 「MORI Building DIGITAL ART MUSEUM: EPSON teamLab Borderless」企画運営室長として年間230万人の来館者を達成。世界で最も優れた文化施設等におくられるTHEA Awards、日経優秀製品サービス賞 最優秀賞等を受賞。 現在は、新領域企画部にて未来の豊かな都市生活に必要な文化施設等を企画している。一般社団法人MEDIA AMBITION TOKYO 理事。