WHAT ARCHITECTS WILL MAKE

建築家・豊田啓介が語る「未来都市」の可能性

リアルとバーチャルが重なりあう高次元の都市を構想することで、建築家のあり方を一新した豊田啓介。正統的な建築事務所からキャリアをスタートした彼は、なぜいまのビジョンにたどり着いたのか。かねてより豊田と親交のある森ビル・杉山央との対話からは、未来都市の可能性とその難しさが見えてきた。

Interview by Ou Sugiyama
Text by Shunta Ishigami
Photo by Kaori Nishida

超アナログから超デジタルへ

──今年だけで豊田さんとトークイベントを4〜5回ご一緒していますが、いつもお話が面白くて。豊田さんがリアルな建物としての建築だけでなくバーチャルな空間のことも考えるようになったきっかけは何だったのでしょうか?

豊田 ぼくは安藤事務所[編注:安藤忠雄建築研究所]出身なので、もともとは究極的にアナログな環境で設計に携わっていたんです。安藤事務所は、自然と人間の意志というオーガニックなものとミニマルなものを対峙させてコントラストを生む姿勢が強度になっていますよね。ただ、安藤事務所にいたことで、かえって多様性を許容しながらデザインを面白くできる可能性に興味が湧いてきたのかもしれません。多様性を扱うなら今ならコンピュータを使わない手はないだろうとそちらの方向にも興味が広がって、コロンビア大学への留学を決意しました。

豊田啓介|Keisuke Toyoda 建築家。東京大学工学部建築学科卒業。1996-2000年安藤忠雄建築研究所。2002年コロンビア大学建築学部修士課程修了(AAD)。2002-2006年SHoP Architects(New York)。2007年より東京と台北をベースに、蔡佳萱と共同で noizを主宰(2016年より酒井康介もパートナー)。建築を軸にデジタル技術を応用したデザイン、インスタレーション、コンサルティングなどを国内外で行う。2017年より建築・都市文脈でのテクノロジーベースのコンサルティングプラットフォーム gluonを金田充弘、黒田哲二と共同主宰。東京藝術大学芸術情報センター非常勤講師、慶応大学SFC環境情報学部非常勤講師、情報科学芸術大学院大学 IAMAS非常勤講師。EXPO OSAKA/KANSAI 2025 招致会場計画アドバイザーほか。

──アナログからデジタルな環境へ移られた、と。東京とニューヨークの違いはかなり大きそうですね。

豊田 安藤事務所ではPhotoshopすら使っていなかったのに、いきなりピクサーがアニメをつくるようなソフトで建築を設計させられるわけですからね。当時は20世紀的な建築に“洗脳”されていたので、ふにゃふにゃした梁を教授が平気で取り入れようとするのを見て、最初は「ありえないじゃん」と思っていたんですが、そう仮定しないとたどり着けない領域があるのだなと徐々に気づかされました。

──そこからどうやってリアルとデジタルが重なった世界観にたどり着いたんですか?

豊田 何かきっかけがあったわけではなく、気づいたらそうなってたんですよね(笑)。最初は建築のデジタルデータを外に持ちだせるのがすごいと考えていただけでしたが、データのもつ意味を高次元に拡張できるとか、徐々に考えが広がって気づけば包括的になっていた。

──豊田さんの活躍によって、建築家のイメージも変わったと思うんですよね。建築家の仕事はただ現実空間の建物をつくるだけではなくなったというか。

豊田 でも、そのことをはっきり自覚したのは大阪・関西万博にかかわりはじめてからなんです。なので日々考えていることは進化しているのかもしれません。

大阪関西万博2025誘致会場計画案」(「未来と芸術展」の展示より) 製作 PARTY+noiz データ提供 経済産業省 協力 DNP+EPSON

これからの建築家に求められるもの

──テクノロジーが発展して建築方法が自由になると、よりコンセプチュアルな空間が増えていく気がしています。そのとき、人間にできるクリエイションの幅って広がっていくと思いますか? それとも狭まってしまうんでしょうか。

豊田 今後5〜10年で高次元の情報をコンピュータが汎用的に扱えるようになるとは思わないので、急に狭まるとは思わないですね。コンピュータが高次元を扱えても人間は3次元までしか認識できないので、アウトプットは3次元にならざるをえませんし。ただ、道具立てとしては10次元、100次元に可能性は広がっている。その中で道具立てがいつまでも空間の3次元だけに閉じてしまっているのは、圧倒的にもったいないと思うんです。建築家のアウトプットが建築に限られる必要はないので、もっと多様になればいいなとは思います。

──建築家のクリエイティビティが活かせる領域って本当はもっと広そうですよね。

豊田 でも、なかなか建築側からは変われなくて。たとえば杉山さんのチームラボとのお仕事は非常に建築的だと思うのですが、エンタメは建築と相容れないという社会的なイメージがあるからか、建築の領域と捉えてもらえない。チームラボボーダレスは、建築学生にこそ見てもらいたいですよ。

──豊田さんは大学でも教えられてますもんね。

豊田 最近は戦略的で打算的な学生が多いので、いつも「上の世代に媚びないでくれ」と言ってます(笑)。本当は先生からよくわからないと評価されるものをつくるべきなのに、コンペに勝つために先生から認められるものをつくろうとしてしまう。すると昔の感性が再生産されてしまうんですよね。もちろん、ぼくらがそういう教育をしてしまっている側面もあるんですけど。

──アカデミックな場で評価されるものが建築の本質ではないというか。

豊田 時代ごとに新しくなった感性やニーズを感じとって変化しなければいけないですよ。いまの学生が勝負するのは20歳上の人ではなくて、20歳下の人ですから。建築界は前の世代の評価を気にしがちなので、そういうムードをひっくり返したいなと思っています。

新たな街づくりとしての万博

──豊田さんが招致会場計画のアドバイザーを務められている大阪・関西万博は、2025年に迫っていますよね。いま万博についてどんなことを考えられてるんでしょうか。

豊田 万博まであと5年あるといっても、都市計画のスパンから見たらぜんぜん余裕がない(笑)。仮に新しい社会システムを実験的に実装しようとしても、どんなシステムをつくって社会的にどんなメリットがあるか誰もビジョンを描けていないからソフトもハードもデザインを進められない状況なんです。ビジョンが圧倒的に不足していて。ぼくひとりで考えられるものではないので、いろいろな産業界が知恵を出しあわなければいけないでしょう。

──大阪・関西万博って、ある種万博というひとつの「街」をつくる機会でもあるわけですもんね。

豊田 世代型のサービスをリアルなスケールで検証できる実証実験都市を半年だけつくれるなんて機会は、そうそうないですから。本気で実証したいなら投資をするかリスクをとらなければいけないけれど、なかなか率先して研究開発して提言していける機関がないのも事実です。森ビルさんはどうですか?

──森ビルだけでは難しそうですね。

豊田 これからの時代、こうした新しいプラットフォームを構築するには、一業種や単独の企業ではどうやっても多様性と検証機会が確保できなくなるので、業界を超えて協業することは必須になっていきます。二人三脚で走っていかなければいけないのに、二人三脚を嫌がる企業も多いのはもったいない。

──従来の都市ではハードとしての建築がつくられてそこにソフトが納品されていましたが、たとえば万博のような機会があればソフトを中心に都市を考えられそうなのは楽しみです。

豊田 ソフトから演繹的にどんなハード=建築物がありえるか考えるのは面白そうですね。ただ、誰かがどこかでビジョン化しなければ社会と共有できません。

──誰がビジョンを示すのかが課題だと。ぼくはぜひ豊田さんにビジョンを描いてもらいたいです(笑)。

豊田 いきなり天才が現れてビジョンを示してくれるといいんですが、それは無理で。群としての知というか、集合の価値を形にするための、新しい投資や開発の意識が必要なんだと思うんです。アメリカに行ったときに面白かったのは、社会的な余剰の利益をドネーションによって社会投資に回すよう促す仕組みがあることでした。日本もそういう仕組みがあればいいなと。いまは2020年に備えて各企業が動いていますが、社会投資に利益を回そうとしてはいないでしょう。自社のなかで数十億と使ってひっそり研究を進める企業はいるかもしれませんが、いまはひとつの企業のなかだけで考えても仕方ないんですよね。もっとオープンにしないと、社会に広がっていかない。日本企業は投資の感覚が少し遅れている気がします。

ハードの役割を再定義する

──丹下健三さんのような建築家が活躍されていたころは建築家こそが新たなビジョンを掲げるような存在でしたが、良かれ悪しかれいまは企業やゼネコン、デベロッパーがその役割を担ってしまっているのかもしれません。

豊田 ぼく自身、「未来の都市像を描いてくれ」と依頼されることがよくあるんですが、無理なんですよね(笑)。20世紀の未来都市はビジュアライズできましたが、これからの未来都市は本質的に高次元なので、一つの形で視覚化できないんです。いわば「環世界」のようなものを表現しなければいけないので、一面的に世界を描いても意味がないというか。かつては丹下研究室のように大学機関だからつくれるものもありましたが、もはや建築家だけでビジョンは描けなくなってしまっているのかもしれません。

──万博はみんなに夢を与えるイベントでもあるので、どんな未来が示されるか気になるところです。

豊田 でも、時期が近づけば近づくほどビジョンは提示しづらくなるでしょう。実装段階に入ってしまうと大きなビジョンは描けなくなってしまいますから。だから早く動かなければいけないでしょう。

──豊田さんご自身としては、今後どういう社会をつくっていきたいと思われていますか? 万博もそうですが、今後はデジタルテクノロジーを活用したミラーワールドやデジタルツインの実現も期待されていますよね。

豊田 もちろんそうした新しいプラットフォーム開発に貢献するための技術開発や事業化の準備もしています。ただ、ぼく自身は建築家として建築物以外のものもつくってみたい気持ちがやはり強いですね。社会が変わっていくなかで建築がどうなっていくのか考えたい。

──豊田さんが提唱されている、フィジカルとデジタルの情報が重なりあう共通基盤「コモングラウンド」のようなプラットフォームもアウトプットとして近そうです。

豊田 そうですね。コモングラウンド自体、場所やサービサーに応じて多様な形を持ち得る概念なので、 たとえば森ビルプラットフォームみたいなものができる可能性もありますよね。六本木や虎ノ門だけでなく地方の土地もすべてつながっていて、どこにいてもシームレスに仕事ができるようになるとか。そうなれば週の半分は都心から離れて仕事したいと考える人はたくさん出てくるでしょう。いまはシステムが都心か地方かの二択を迫るので多くの人が都心を選んでしまうのであって、都市やビジネスのプラットフォームが多様化すれば“二択”は“グラデーション”になるはずです。デベロッパーや鉄道会社はこうしたプラットフォームをいち早く実現できる可能性があるので、建築家としてはそういうものに貢献したいと思っています。ただ、じつは建築家としてはやはり建築物をつくりたい気持ちもあるんですよね(笑)。いろいろな価値観が更新され社会が変わっていったうえで、ハードとしての建築がどんな価値を生み出せるか考えるのも、建築家としての仕事だと思っています。

杉山 央|Ou Sugiyama
森ビル株式会社 新領域企画部。学生時代から街を舞台にしたアート活動を展開し、2000年に森ビル株式会社へ入社。タウンマネジメント事業部、都市開発本部を経て六本木ヒルズの文化事業を手掛ける。 2018年 「MORI Building DIGITAL ART MUSEUM: EPSON teamLab Borderless」企画運営室長として年間230万人の来館者を達成。世界で最も優れた文化施設等におくられるTHEA Awards、日経優秀製品サービス賞 最優秀賞等を受賞。 現在は、新領域企画部にて未来の豊かな都市生活に必要な文化施設等を企画している。一般社団法人 MEDIA AMBITION TOKYO 理事。