ILC

日本がサイエンス界のリーダーになる、最初で最後のチャンス!?

人類初となる全世界共同出資の研究施設、いうなれば「世界研究所」が、岩手県の北上山地に作られようとしていることをご存じだろうか? その名も「国際リニアコライダー(International Linear Collider/ILC)」。いったい、どのようなプロジェクトなのだろうか? ILCが日本にできることで、なにが変わるのだろうか? 関係者に訊いた。

TEXT BY TOMONARI COTANI
Main Photo : Getty Images

ILCって、そもそもなに?

国際リニアコライダー(ILC)とは、世界にひとつだけ建造予定の素粒子物理実験施設で、巨大な「直線(リニア)型の加速器」がその名の由来となっている。1990年代から日本やアメリカやドイツなど、各国の研究機関が独自に温めてきた構想で、2004年、国際技術勧告委員会の助言によって計画がひとつに統合されることとなった。当初は候補地が世界各国にあったものの、2013年に、岩手県北上山地が「世界で唯一の候補地」として事実上決着している。

加速器と聞いてもピンと来ない人が多いかもしれないが、「CERN」や「ヒッグス粒子」といった単語は、目にしたことがあるのではないだろうか? 少し詳しい人なら、「加速器といったら円型でしょ、なのに直線?」といった疑問を持つかもしれない。

どうして岩手県? なんで直線? 建造費は? いつできるの? そもそもなにをするの? さまざまな疑問に答えてくれたのは、リニアコライダー・コラボレーションのディレイター、リン・エバンス。ジュネーブを拠点とするCERN(欧州原子核研究機構)に所属する、加速器の設計と建造の第一人者である。

「ヒッグス粒子の発見」という科学史に残る業績を成し遂げたCERNの大型ハドロン衝突型加速器(LHC)の設計・建設を指揮したリン・エバンス。PHOTO BY YURI MANABE

——最初に、国際リニアコライダー(ILC)がなにをする施設で、なにを目指しているのか教えてください。

エバンス ILCの目的は、端的に言うと「宇宙誕生の再現」です。宇宙はどうやって始まったのか、生命はどこから来たのか。そういう問いは長い間、宗教や芸術や哲学の問題でしたが、19世紀後半からは科学のメスが入るようになりました。

生命の起源を確かめるためには、タイムマシンに乗るのがひとつの手段です。これは冗談ではなく、実際巨大望遠鏡というのは、何十億年間の宇宙を観測できるタイムマシンのようなものだからです。ただ、望遠鏡にも限界があります。宇宙の始まりは138億年前だとされていますが、138億光年先を見てもビッグバンの表面しか見ることができず、ビッグバンそのもの、つまり宇宙の始まり自体は写らないんです。

そこで加速器の出番です。加速器を使えば、ビッグバンならぬリトルバンの生成が可能です。ILCが完成すれば、宇宙が始まってから1兆分の1秒後の宇宙の姿を捉えることができるとされています。

そのほかにも知りたいことはたくさんあるのですが、ヒッグス粒子の精査と並んでILCに大きく期待されているのが、ダークマター(暗黒物質)とダークエネルギー(暗黒エネルギー)の正体を探ることです。みなさんは学校で「万物は原子でできている」と教わったかもしれませんが、実は宇宙を占める物質のうち、原子はたったの5%で、残りの95%は得体の知れないダークマター(23%)とダークエネルギー(72%)なのです。

ILCは人工的にダークマターを創り出し、観測することを期待されています。また、宇宙の大部分を占め、宇宙の加速膨張を引き起こす要因とされているダークエネルギーの研究に、なにかしらのきっかけを与えることも期待されています。

——宇宙誕生の再現! なぜそんなスケールの大きい世界的な科学プロジェクトの候補地として、岩手県・北上山地に白羽の矢が立ったのでしょうか?

エバンス 政治的な意図を排除し、あくまでリニアコライダーの建設に向いているか、つまりは地質や電力供給、あるいは物流など、さまざまな尺度で検討を繰り返し、候補地を絞り込んでいきました。候補地を絞り込む作業には、10年以上かけていると思います。アメリカやスイス、ドイツ、ロシアにも候補地があったのですが、総合的に見ると、北上山地がベストだというのが現時点での結論です。

ILCは地下およそ100mに設置される予定ですが、北上山地の地下は、40㎞にわたってひとつの花崗岩でできているのです。これはとても特別なことで、ILCを作るためには欠かせない「安定感」につながります。地震が起きても岩全体が一緒に動きますから、装置には問題がないことがわかっています。

ちなみにILCの技術に関していうと、1/20サイズのプロトタイプがドイツで作られました。粒子の衝突実験ではなく、自由電子レーザーという放射光の施設なのですが、テクノロジー的にはまったく同じテクノロジーなので、「明日からILCの装置を作り始めろ」と言われても、まったく問題がないレベルまで成熟しています。

——実際、明日から作り始めるとしたら、どれくらいで完成するのでしょうか?

エバンス 2〜3年間かけて準備を行い、建設が始まってから9年で完成する予定です。

総工費は8000億円以上とみられます。当然、日本の税金が投じられるわけですから、日本国内でももっとILCのことが認知され、活発に議論されるべきだと思います。ちなみに、CERNが既に証明しているように、街づくりのなかで雇用は創出されるし、最新鋭のテクノロジーが導入されることによるスピンオフのメリットも、多いにあります。CERNの場合、経済効果は投入した資金の3倍といわれ、ILCでも同程度の試算が出ています。

波及効果はどの程度?

——CERNからのスピンオフというと、例えばどんなテクノロジーがあるのでしょうか?

エバンス みなさんにとっても身近なのが、HTMLやHTTPやWWWといった、インターネット用のハイパーテキストやプロトコルの技術でしょう。これらはすべて、各国に散らばる研究者同士が同じ情報を共有できるようにするために開発されましたが、今では、社会に欠かせないインフラになっていますよね。

ILCはCERNのLHC(エバンスが設計と建造を指揮した、直径約30㎞の大型ハドロン衝突型加速器。2012年にヒッグス粒子を発見したことで知られる)と比べても、開発・建設・運用において最先端の技術やノウハウを必要とするため、大きな技術波及が発生し、新しい産業創出も期待できると言われています。

日本に関していうと、医学分野で重用されているテクネチウムという原子があるのですが、これは放射線元素で、自然界には存在しません。つまり作らなければならない。日本は現在、100%輸入に頼っている状態ですが、ILCのテクノロジーが使われるようになれば、それを日本で作れるようになるでしょう。

——ところで、ILCはなぜ「直線」なのでしょうか?

エバンス やや専門的な話になりますが、LHCが陽子と陽子を加速して衝突させるのに対し、ILCは、電子と陽電子を衝突させる加速器です。電子は、カーブさせるとシンクロトロン放射光というものを大量に射出してしまい、せっかく与えたエネルギーを大幅にロスしてしまう。ですからLHCでは陽子同士を衝突させているわけですが、陽子は、電子と違って素粒子ではありません。陽子の中にはクォークという粒が3つあり、それを結びつけているグルーオンという素粒子もある複合的な粒子です。これがなにを意味するかと言うと、「衝突で作られる細かい素粒子のエネルギーを、個別に制御できない」ということなんです。つまり、効率が悪いのです。

実際LHCでヒッグス粒子を作ろうとすると、10億回に1回程度しか成功しません。その点、放射光の射出が起きない直線型の加速器なら、素粒子である電子と陽電子を衝突させることができるため、確率が100回に1回程度と、大幅に上がる。「ヒッグス粒子を見つける」にはLHCでもよかったわけですが、「ヒッグス粒子を調べる」には、直線型加速器が不可欠なのです。

国際リニアコライダー(ILC)のイメージ図(ILCプロジェクトより)。全長は約30㎞。直線型なのは、放射光によるエネルギーロスなく電子・陽電子を衝突させるため。得られるデータは、陽子・陽子の衝突と比べ1000倍程度の価値があるとされる。数ナノメートルの精度で正面衝突させる難しさをたとえるなら、北海道と沖縄から同時にライフルを撃ち、東京で正面衝突させるに等しいというが、その技術も「成熟の域にある」とエバンスは言う。

世界研究所のホスト国となる意味

——ヒッグス粒子を調べることで、なにが解明されるのでしょうか?

エバンス 「素粒子の標準模型」というものがあり、それに従ってヒッグス粒子の存在が予言されたわけですが、実は標準模型では、宇宙全部を説明できないんです。つまり、標準模型のどこかにほころびがなければいけないわけです。ヒッグス粒子の研究を進めることで、そのほころびを見つけられるのではないか、というのが一番の期待です。

——俗なことを訊いて恐縮なのですが、今後、人工知能がどんどん進化していくと、大きな加速器を作らなくても、ダークマターを解明したりしてしまうことはあり得るとお考えですか?

エバンス あはは。答えはノーです。理論によって特定の予言がなされ、それに従って実験する。場合によっては順番が逆で、実験でなにかを発見し、それを後から理論で説明する。いずれにせよ、実験による検証なくしては科学の進歩はあり得ません。

例えばダークマターに関して言うと、既にたくさんの説があります。そのなかで有力だと思われているのが、超対称性理論です。しかしLHCの実験によって、一部が否定されてしまいました。どんなにおもしろい説があったとしても、実験してみないと本当なのかわからないという好例だと思います。

——ILCが北上山地にできることで、東北、そして日本はどう変わっていくとお考えですか?

エバンス CERNは1954年、第二次世界大戦の9年後に作られました。設立当初から、「戦争で荒廃したヨーロッパをひとつにする」「平和を生み出す」ということがCERNの大きなモチベーションになっていました。60年間の時を積み重ね、現在CERNは、当初の目論み通り国際的な環境になっています。CERNのスタッフだけで2000人、それに加えて1万人以上の研究者が世界中からやってきます。当然、地元にも大きな経済効果を与えています。

ILCは日本のみならず、北米、ヨーロッパ、アジアの20カ国以上から、2000人もの研究者が参加する国際的な研究所になる予定です。基礎科学を使って、日本が世界平和をリードできる、大きなチャンスだと思います。

今、ヨルダンで新しい加速器が作られていることをご存じでしょうか。放射光施設と呼ばれるもので、物理、物質科学、生物、医学、タンパク質の構造(薬のデザイン)などに応用可能な研究が進められる予定です。実はこの施設、イスラエルとイランが協力して作っているんです。ほかにも、エジプト、トルコ、パキスタン、そしてパレスチナ自治政府らもグループに入っています。政治的な側面から考えると、ありえませんよね。「基礎的な学問をやりたい、こういうことを知りたい」という根源的な欲求は、政治的立場に優先されるというすばらしい例だと思います。

ILCは、人類初の世界研究所です。それが日本にできる意味を、よく考えていただければと思います。ホスト国になるということは、さまざまな責任を負うことでもありますが、同時に、有形無形のメリットを、長期にわたってもたらすはずです。

例えば、アメリカには世界中から優秀な人が集まり、仕事をし、その業績がアメリカのものになっていますよね。それと同じように、今後は海外から優秀な人が日本に来て、日本でやった仕事がノーベル賞に結びつく……。そういうケース、つまりは「日本人がいくつノーベル賞を取るか」ではなく、「日本で行われた研究がどれだけ人類に貢献したか」を受け入れていくようなコンセンサスが生まれた時、日本は、科学の世界で国際的なリーダーになったのだと言えると思います。

『ILC/TOHOKU』(早川書房)/小川一水、柴田勝家、野尻抱介という人気SF作家による、ILCが北上山地に建設された近未来を描いたアンソロジー。国際的な大規模科学施設が日本の地方都市にできる意味をシミュレートするには最適な一冊。PHOTO BY TOMONARI COTANI

profile

リン・エバンス | Lyn Evans
1945年ウェールズ生まれ。スウォンジー大学で物理学を学んだ後、CERN入所。94年からLHCのプロジェクトへ加わり、設計と建造の指揮を執る。2008年までLHCプロジェクトリーダー。2012年、リニアコライダーの建設を促進する国際的な取り組みであるリニアコライダー・コラボレーションのディレクターに就任。