特集虎ノ門ヒルズ ステーションタワー

Welcome back, Chef Kitamura!

15年のフランスでの成果をひっさげ、凱旋帰国した北村啓太シェフの“純粋”な料理

2023年10月に開業した虎ノ門ヒルズ ステーションタワー。最上階である49階に注目すべきレストラン「アポテオーズ」がオープンし、話題を集めている。総料理長として店を率いるのは、パリ「ERH(エール)」で2019年から5年連続、ミシュランガイドの1つ星を獲得し続けてきた北村啓太シェフ。フランス滞在歴15年に及ぶ北村シェフが、今、日本に帰国し、東京の最新スポットから発信するクリエイションとは。

TEXT BY KEI SASAKI
PHOTO BY SATOSHI NAGARE
EDIT BY KAZUMI YAMAMOTO
illustration by Adrian Johnson



——日本人としてフランス料理の世界を志し、本国フランスで権威あるミシュランガイドの評価を受ける。キャリアの絶頂といえる時期に日本への帰国、そして「アポテオーズ」の開業という選択をされた理由をお聞かせ下さい。

北村 一言で言えば、現状維持に甘んじるつもりはなかったからです。フランスでの評価は一つの通過点で、ミシュランでいえば2つ星、3つ星とさらに上を狙い、世界トップクオリティの店をつくりたいと考えていました。そんな折に、このビッグプロジェクトの打診を受けたのです。個人で店を切り盛りしているオーナーシェフは心からリスペクトするけれど、フランスで長く仕事をして感じたのは、ビジネスパートナーの重要性でした。資本力のある店は経営に安定感があり、次々に新しいことに挑戦できる自由度が違う。

フランスから帰国、日本を拠点に挑む、新しいレストランづくり

北村啓太|Keita Kitamura 1980年生まれ。滋賀県出身。料理好きの母の影響で料理に関心を抱き、3歳で「シェフになりたい」という夢を抱く。辻調理師専門学校を卒業後、成澤由浩シェフに師事。小田原「ラ・ナプール」、「レ・クレアシヨン・ナリサワ」で計8年研鑽を積み2008年に渡仏する。フランスではパリ「ピエール・ガニェール」「シェ・レザンジュ」などの名店で修業し、2011年「オウ・ボン・アクーユ」シェフに就任。2017年より約6年間、パリ「エール」でシェフを務め、ミシュランガイドの2019年版より5年連続で1つ星を獲得。2023年に帰国し、11月「アポテオーズ」を開業する。

北村 自分自身は、決してビジネス面に長けた料理人ではなく、どちらかといえば料理に集中して、レストランのクオリティを磨きたいと考えるタイプですので、森ビル+プラン・ドゥ・シー(運営会社)とのパートナーシップは魅力的でした。43歳という年齢は、料理人として経験も十分、かつまだ体力もある“脂ののった”時期。フランスでの実績を手土産に“凱旋帰国”をうたって、皆さんに関心を抱いて頂くうえでも、これ以上のステージ、タイミングはないと決意に至ったのです。

——しかしながら四半世紀に渡る料理人のキャリアのうち、15年をフランスで過ごされたわけです。フランスへの心残りがなかったわけではないですよね。

北村 いや、「断る理由がない」と思う気持ちの方が大きかったですね。これ以上ない舞台が用意されていたので。オファーを受けたのが2020年。ちょうどコロナ禍で、いろんなことが停滞していた時期に「3年後の開業を目指そう」というのが森ビルの提案でした。もし「1年後」と言われたら、気持ちの整理ができずお断りしていたと思います。ちょうど、それまでのやり方で、フランスで上を目指し続けることに限界を感じつつあったことも事実です。レストランとして成功するなら、チームの結束は不可欠で、そのためには日本人スタッフと働く必要があると確信していた。フランス人と仕事をするのは楽しかったけれど、いざ上に立つと自分が日本人だからというのもあるのかもしれませんが、フランス人スタッフを束ねて同じ方向を向かせるのはなかなかに大変なものです。

渡仏した2008年頃は、フランス料理がすごく元気で、多くの日本人が渡仏して星つきレストランの職を奪い合っていたような時代です。でも近年、フランスに渡ってくる日本人の料理人は減る一方でした。国内のフランス人でさえ料理人志望者の数は減少の一途で、一流の厨房を目指し志を同じくするスタッフを確保するのが困難になっていた。そういったことも決断の背景にあったと思います。

食材との距離、労働環境、ゲストとの関係。すべて異なる日仏の事情

厨房、サービスで計3名のスタッフを連れて凱旋帰国した北村シェフ。新店らしからぬチームワークも魅力だ。

——フランスと日本ではレストランで、料理人として働くうえで違うと感じる点はどんなところでしょうか。

北村 新鮮で上質な食材が常に身近に、生活の中にあるのは最高でしたね。毎日パリのどこかしらで必ずマルシェが開かれていて、新鮮な野菜や塊肉、丸鶏などが手に入る。店で使う食材はもちろん、休日でも自宅で料理するのが好きなので、本当に天国でした。ただし、魚は除く。日本人がフランスに行くとまず魚の担当をやらされることが多いのですが、最初に働いたのがカジュアルなビストロだったのもあり、自分の中ではもう完全にアウトな魚しか入ってこない。「どこまで店で出していいんですか」と訊いたほど(笑)。ここ10年くらいはパリでも和食がブームになったり、寿司店が増えたりで、活け〆めなど魚の処理法が普及して、ずいぶんと改善されましたが。

食材以外のことで言えば、日本人はやはり仕事場でも規律に縛られ過ぎなところがあるけれど、フランス人は仕事を楽しんでいる。下から上に意見ができる空気もあって風通しがいい。「ピエール・ガニェール」という3つ星の店で働いていたときも、「シェフ」と呼ばれるのはガニェールさんだけ。その下は、例えばMOF(国家最優秀職人章)を受賞している、現場の最高責任者であったミッシェル・ナヴェに対しても、20代かそこそこの若い子でさえ「ミッシェル」とファーストネームで呼んでいました。

——個人主義、実力主義のフランスらしいエピソードです。日本の厨房は、年功序列の縦社会ですから。

北村 先にお話しした通り、フランス国内でも料理人志望者は減少傾向にあるし、レストランの厨房の事情は変わってきているけれど、日本は今、若い料理人にとって本当に厳しい状況にあると思いますね。もちろん労働環境は大切で、業界全体で改善に取り組むのはよいことだけれど、そうは言っても我々料理人は“職人”なわけで、技術職である以上「やったもん勝ち」なのです。自分が19歳の頃と比べると、今の19歳の料理人は働ける時間、仕事量が圧倒的に少ない。

若い子たちによく話すのですが、個人差はあるにせよ、19歳から始めて、それはもう猛烈に働いてきた自分が今、43歳でこの立場を得ている。それより少ない仕事量なら、いくつになったときに自分で思うような仕事ができるようになるのか、と。自分自身も、労働時間などこんなにも制約が多い環境下で、どうすれば一人前の料理人を育てられるのか、いつも頭を悩ませているんですよね。一流を目指すなら、よほどやり方を考えないとならない。

——15年ぶりの日本で、何か厨房以外の部分で受けたカルチャーショックはありますか?

北村 シェフの呼び方しかりですが、人と人との距離感、関係性については、フランスはシンプルでよかったなと思いますね。肩書きや立場の前に人間対人間。もちろんゲストとシェフも対等で、お客様は神様じゃない。フランスのレストランのお客様は、批判も含め気付いたことをばんばん口にする。ダメ出しはするけれど、ちゃんと「この料理のここは良かった」と良かった部分も言ってくる。きちんとレストランという場で直接コミュニケーションを取るんですね。それは店の成長の糧になる。

日本では、シェフとお客様の間に遠慮があるように感じます。たとえば、皆「おいしかったです」ってにこにこして帰るので喜んでいただけたと思っていたら、後日寄せられたネットのレビューを見てご不満な部分もあったと知る。もちろんポジティブな書き込みを見て新しいお客様にいらしていただけるのはうれしいのですが、お店の成長のため、日本のお客様にも遠慮せずその場でコミュニケーションいただきたいですね。

東京から世界へ。「アポテオーズ」という、新しいレストランの形

新しい東京の中心地、地上49階からの眺めとナチュラルなインテリアの好対照。デンマークのデザインチーム、スペース・コペンハーゲンが空間デザインを担当。照明はマイケル・アナスタシアデス。

——なるほど、そうかもしれません。ただ「アポテオーズ」のような都市を代表するファインダイニングのゲストは、日本人に限らない時代ですよね。それを踏まえ、店づくりはどのように進められたのでしょうか。

北村 とにかく「これまでになかった店にしなくてはいけない」という気持ちがありました。森ビルの担当者は終始「シェフの思う通りに」と、自分の意見を最大限に尊重してくれる姿勢でしたので、ダメ元のつもりで希望はすべてぶつけましたね。全体のトーンは、シンプルな北欧デザインが基調にあること。フランスのグランメゾンのような華美な空間は日本になじまないと思うし、自然の建材を生かしたナチュラルな空間が都心のランドスケープと合わさることでどこにもない景色が生まれると思ったからです。

言葉で説明するよりわかりやすいだろうと、これまでインスピレーションを受けてきた数々のビジュアルを担当者に投げたら、インテリアの素人の自分でも知っているビッグネームたちがデザイナーの候補に挙がってきて驚きました。結局、その中で一番好きなデザインスタイルだったのがデンマークを拠点に活動する「スペース・コペンハーゲン」で、自分が思い描いていた空間を形にしてくれました。一事が万事その調子で、厨房機材もトップレベルのものを揃えてもらっています。

——室内のレイアウトも国内ではあまり例をみない、大胆なスタイルであるように思います。器などのディテールまで、ストーリーが張り巡らされている。

北村 レイアウトに関してはさまざまなアイデアがあったのですが、ゲストの非日常感と同じくらい、厨房環境も大事にしたかった。十分なスペースがあることは大前提で、スタッフ一人一人がスポットライトを浴び、ここで仕事をしていることを誇りに思えるような。結果、エントランスから厨房の間を抜けてダイニングに至る、今の導線が出来上がりました。日本を拠点にする以上、日本というアイデンティティを前面に出さないと世界へアピールできないので、テーブルウェアなどは日本中からよいものを集めました。

故郷・滋賀県の信楽焼や、今や世界的なブランドといえる有田焼や伊万里焼、インディペンデントな現代作家のものも多くあります。一から店をつくるのは、実は初めての経験でしたので、とてもエキサイティングでした。パリでは星付きの店といえども、厨房にガタがきていたり、何らかの制約があったりすることは珍しくなかったので。エントランスでゲストを迎える香りの演出から、サウンドデザインまで、あらゆるところに仕掛けがあるので、ゲストの皆さんにはそれを楽しんで頂きたいですね。

料理人としてのルーツはフランスにあり。パリと「時差のない」味を

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1/2「白子のポワレ」。紅芯大根の赤いピュレの上に白子を重ね、シェリーヴィネガーの酸味が効いたエシャロットのソースで。季節野菜の香ばしい焼き目とネパール産のポワブル・ティムの香りがアクセント。
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2/2「根セロリ ホタテ キャビア」。ホタテは貝柱をカルパッチョに、ヒモをソースに。根セロリはエクラゼとムースで。パリから取り寄せたヴェルガモットとハニーライムのゼストを添えて。

——空間が決まり、機材や器が揃って、あとは料理です。日本を拠点にしたとき、北村啓太シェフの料理はどう変わっていくのでしょう。

北村 まず食材からして違うわけで、それを知るところから始めました。北から南まで、日本全国を回り、生産者の声を聞き、味を確かめる。野菜なら、フランスの野菜が持つ、野性味のような力強さではなく、農業に携わる方々の細やかな手仕事が生む繊細な味を知ることになる。一方で、日本国内でも決して大勢とはいえないけれど、力強い味の野菜を育てている人もいる。農業の原点に返り、極力「自然に任せる」農法を選んだ人たちです。生産・流通量としてはごく少量で、「日本の野菜」を語る上ではマイノリティなのかもしれないですけれど、そういう生産者さんの存在を頭に入れ、伝えていくのは、料理人の大事な仕事だと思います。そして偏りなく、ハイブリッドなスタンスで、いろんなものを自分の引き出しにしていくべきだと考えています。

——パリの「ERH」では、日本というルーツを背景に、和の調味料や表現を取り入れた料理で評価を得て来られた。日本では、何が北村シェフの料理のアイデンティティになると思いますか。

北村 「パリに15年いた料理人」に何が求められるか。ゲストの皆さんが何を求めて「アポテオーズ」に足を運んで下さるか。一番はやはり「パリのガストロノミーシーンの今が知りたい」という期待感があると思うんですね。だから、食材に違いがあることを前提として踏まえながらも、パリにいたときと同じ仕事で「パリと時差のない料理」をお出しするのがベストだと考えています。日本の食材や調味料を使うことは、本国のフランス人料理人たちもしていることで、その中にそれぞれの「ここまで」という線引きがある。自分も同じで、それは日本に拠点を移しても変わりません。

フランス料理である以上、きちんとソースをつくることも譲れません。近頃、ソースなしの料理が主流になっている感がありますが、自分は日本では“現代のクラシック”を打ち出していた頃の成澤由浩シェフの下で料理を学び、フランス時代もソースを大事に料理をつくってきた。ソースこそがワインとともにあるフランス料理の神髄だからです。スパイスは、フランスと日本とでは手に入るものの品質が違うので、フランスから送ってもらったものを使っています。香りは鮮烈、豊かで、例えば同じ胡椒でも品種や産地で驚くほどのバリエーションがある。結局、どこにいてもやることは変わらず、食材を選び、ソースをつくり、スパイスを加えて、食材やその産地の風土が浮かび上がる味をつくる。愚直に、今までやってきたことを続けいけば、自然に「日本でつくる、北村啓太の味」ができてくると考えます。

——ここ「アポテオーズ」を拠点に、今後日本で挑戦して行きたいこと、夢があれば教えて下さい。

北村 まずは結果を出すこと。これだけの舞台を用意してもらったのだから、あとはやるだけです。毎日、お客様一人一人に喜んで帰って頂くのは大前提ですが、多くの人々が関わるプロジェクトですから、それだけで終わるわけにはいかない。「アポテオーズに行くために、東京へ行く」、そんなレストランになって行かなくてはなりません。ひとつ結果を出せば、また次のステップに進めるはずです。自分が考える次のステップとは、「アポテオーズ」ブランドでカジュアルな、日常使いの店を増やしていくことです。まずは肉や魚に特化したビストロ、次にワインバーや食材店。フランスのガストロノミーレストランが成功すると、そんな感じで通りに次々と店を増やし、一帯が華やぎ、豊かになる。実は森ビルのご担当者がフランスに食事に来て下さったとき、その話をしているんです。「ちょっと外に行きません?」と実際にある通りをお見せして「同じことを、東京の都心のビルでやりたい」と。これが今、自分が抱いている野望です。

まだ始まったばかり、試練もあると思いますが、そんなときは「純粋であれ」と、自分に言い聞かせたい。これは、成澤由浩シェフとの仕事から学んだことです。若い頃、なぜシェフはこんなに厳しいのか、といつも思ったけれど、それは純粋に、本気で料理が好きで、もっと旨いものをつくりたいと情熱を燃やし続けているからなんですよね。妥協は一切なし、スタッフにも、それ以上に自分にも厳しく、新しいものが生まれたら子供ような笑顔を見せる。あの純粋さが、代わりのないレストランを20年続けてこられた原動力なのだと改めて感じています。「純粋であれ」と、何度でも。自分自身、料理が好きで好きで、食べた方に喜んで頂くのが嬉しくて、この仕事を続けてきたわけですから。

profile

佐々木ケイ|Kei Sasakiフードライター・エディター 出版社勤務を経て、2004年よりフリーランスとして活動。主な分野は食で、飲食店(東京、ローカル、ファインダイニングから大衆食堂まで)、生産者(農業、漁業、加工品)、酒類(ワイン、スピリッツ、ビール等)について幅広く取材、執筆する。