東京・四谷の名店。2016 年からハワイにも店を構える「すし匠」の系譜を受け継いだ「寺子屋すし匠」が、麻布台ヒルズに出店しました。アメリカでの経験を活かし、日本の寿司と職人の地位向上を目指す中澤圭二氏が、人と人がつながる麻布台ヒルズで「人を育てる」意義や日本文化の未来を語ります。
TEXT BY Mari Matsubara
PHOTO BY Kuni Nakai
illustration by Geoff McFetridge
——東京・四谷で人気寿司店となった後ハワイへ上陸し、そちらでも大成功を収めた「すし匠」が麻布台ヒルズにやって来るということで大変話題になっています。どんなお店になるのですか?
中澤 今回、森ビルからお話を伺ったとき、麻布台ヒルズでは「店舗兼寺子屋」をやらせてほしいとお願いしたんです。
「人」を育てる寺子屋的役割を果たす店
中澤 どういうことかと言うと、カウンター6席で営業する傍らにもうひとつスペースを作り、そこで職人の育成をしたいと考えています。ビジネスよりもクオリティが優先で、クオリティを支えるのは「人」なんですよ。人材育成こそ今、一番大事なことだと私は思うのです。これまでは調理師学校を卒業した子が店に入ってきて、すぐに三枚おろしやかつら剥きや卵焼きの焼き方などをただひたすら覚えていくわけですが、それだけではダメで、それ以前に根本からの人間修養が必要だと思い至ったのです。華道や茶道や書道などの先生に来ていただき、職人の子たちに学んでもらう。日本文化の知識があればこそ、世界に誇る食文化である寿司を、誇りを持って握れると思うのです。
——そのような思いに至ったのには、ハワイでのご経験が影響していますか?
中澤 そうですね。ハワイの「すし匠」にいらっしゃるアメリカ人のお客様は、寿司はもちろん、そのほかの日本の文化について驚くほどよく勉強されてご存じですし、食べ方も綺麗です。我々の仕事にリスペクトを持って接してくださいます。反対に日本人は、自国の文化のことを案外よく知らないのではないでしょうか? 日本酒よりもワインに詳しいお客様も少なくありません。寿司だけではなく、様々な伝統文化や工芸の素晴らしさが見過ごされているように感じます。だからこそ、今度は寿司文化の素晴らしさをもう一度日本人に分かってもらう番だ、という気持ちがあります。
また、将来的には寿司職人の地位向上を目指したいという思いもあります。私たちの世代はとにかく気合と根性だけで修業をし、利幅の少ない中で耐え忍んで、できるだけ価格を抑えた寿司をお客様に提供し、自分たちは儲けてはいけないというのが寿司業界の不文律でした。低価格競争に自らを追い込んで、結局は寿司の文化的価値を落としてしまったのです。それでは寿司職人の待遇も地位も悪くなるばかりです。これからは最高級のネタを扱う分、職人も誇りを持って最高の仕事をし、それだけの対価を堂々といただく業態にしていかなくては。そして技術よりもまず心が肝心。そのために人材の育成からスタートする。麻布台ヒルズの店はそれを実践していく場所にしたいと考えています。
寿司の文化的価値と地位を高めたい
——麻布台ヒルズへの出店を決断されたのは何故ですか?
中澤 日本の国際的な地位低下が叫ばれる昨今において、森ビルは日本が堂々と胸を張って誇れる会社のひとつだと思うからです。日本はブランディングがとても下手な国だと思うのですが、それは謙虚さこそが美徳であり、長所を声高に喧伝するのは恥だという日本の古い体質がそうさせているのかもしれません。しかし森ビルにはブランディング力があると感じます。麻布台ヒルズがどんな街になるのか、東京がどんなに吸引力のある街かということを明確に打ち出せる森ビルと一緒なら、私も日本の寿司の文化的価値を発信していけると思ったからです。
また、麻布台ヒルズは飲食だけでなく、いろんな業種のテナントが集まった「街」ですよね。これだけ力のあるお店やブランドを一堂に集められる企業が、森ビル以外にあるでしょうか? ここに集まったレベルの高いプレイヤーたちが協力し合ったときに、何か大きなものが生まれることにも期待しています。具体的には、ヒルズの中のお蕎麦屋さんとか和食屋さんとのコラボレーションができたらいいですね。「麻布台ファミリー」の店どうしが集まってディスカッションし、街そのものをより良いものにしていくこともできそうです。「もう麻布台ヒルズ行った?」が挨拶がわりになるような場所。「あそこに行けば間違いない、絶対に外れはない」と噂される場所の一員になることにワクワクしています。
「お好み」への原点回帰と、コミュニケーション力
——麻布台ヒルズでほかにチャレンジされることはありますか?
中澤 ここ30年ぐらい「おまかせ」が主流だった高級寿司店の常識をくつがえし、「お好み」でお出しする形態にするつもりです。昭和の時代まではお客様が好きなものを注文して召し上がる「お好み」スタイルだったのが、平成の初めぐらいから接待利用のお客様が増えて、「1万円でおまかせ」というように、最初から値段が分かっているシステムが増えました。お客様はネタの知識がなくても済みますし、安心してリーズナブルに召し上がれるようになりましたが、店のほうは薄利になってしまった。
最近では時間も一律で、お客様が全員揃ってからスタートし、同じものを一斉に出すというスタイルの店も増えています。このやり方を一回壊して、もう一度原点に戻る、つまりお客様の自由度を取り戻したいと思い、麻布台ヒルズの店では「お好み」を復活させることにしました。
そこにはカウンター越しのお客様との会話のキャッチボールが生まれますから、職人にはコミュニケーション能力や、その場の空気を作る力が必要になってきます。そこで冒頭に申し上げた「人を育てること」が重要なわけです。
——中澤さんが「寺子屋」とおっしゃる意味が分かってきました。
中澤 これは寿司だけの問題ではありません。ハワイから戻って日本各地を回っていますと、革細工や陶磁器や、のれんを作っている工房など、伝統的なものづくりの現場で技の継承者がいないことに危機感を覚えます。作っているものには素晴らしい価値があるのに、利幅の少なさ、賃金の低さがあり、将来が見込めないから誰も跡を継がないのです。技術も国力もトップクラスなのに、なぜこんなに「安い国」になってしまったのか。寡黙さや痩せ我慢が美徳という時代をもう終わりにして、素晴らしい食や工芸や技術を堂々と世界に発信していかなければなりません。そのためにまずは人材の育成です。器のことや花のこと、作法やしつらえなど和の文化にも精通し、人間力のある寿司職人を育てなければ、寿司の未来はありません。
「人と人がつながる街」も、麻布台ヒルズのコンセプトのひとつだと伺っています。その中で人を育てる場を持てること、そしてクオリティの高い「お好み寿司」を通じてお客様と密な交流が生まれ、それが信頼につながり、お客様に幸せな気分になっていただけることは本当に素晴らしいことですし、我々もありがたいことだと思っています。
※ 本記事の写真はハワイの「すし匠」で撮影したのものです。
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