特集麻布台ヒルズ

A Master's Hand has a New Home

常に進化を続ける〈フロリレージュ〉川手シェフの次なる挑戦とは?

ミシュランガイド5年連続二つ星、2023年の『世界のベストレストラン50』では27位にランクインした(同年『アジアのベストレストラン50』では7位)「フロリレージュ」。日本を代表するレストランが、麻布台ヒルズに移転するというニュースは大きな話題となっている。11月24日オープン(現在プレオープン中)の新しい店への想いを川手寛康シェフに聞いた。

TEXT BY Kei Sasaki
PHOTO BY Ryo Yoshiya
Edit by Kazumi Yamamoto
illustration by Geoff McFetridge

——麻布台ヒルズに移転されるという話題は食の業界で大ニュースとなっています。なぜ今、そのような決断をされたのでしょうか。

川手 過去にも、いろんなところから出店のお誘いを頂きましたが、すべてお断りしてきました。ずっと町場でやってきたので、商業施設の中に入るということに少し抵抗があって。商業施設が良い・悪いではなく、飲食店がずらりと何軒も並ぶビルの中に自分の店がある状況を、僕自身が想像できなかったんですね。

より親密で、くつろげる“ターブルドット”の店

麻布台ヒルズの新店は、16メートルの大テーブルを囲むターブルドットスタイルになる。

川手 ところが、今回の森ビルさんの提案は、僕がこれまで抱いていた「商業施設」のイメージとは少し違っていた。全体の構想から、規模感まで。加えて、僕自身が〈フロリレージュ〉を次のフェイズに進めたいと、ちょうど移転先を探していたところだったのです。〈フロリレージュ〉は、2009年に開業して、2015年に一度移転しています(2023年7月移転準備のため閉店)。過去2回は、すべてを自分で決めて店を作ってきましたが、次の挑戦は、いろんな方に関わって頂いたほうがよりよい店を作れるんじゃないかと考えていた、ちょうどそのタイミングに、お声かけ頂いたんです。

「きのこ」

「茄子」

「冬瓜と蓮根」

——そもそもリニューアルの構想があったのですね。麻布台ヒルズの店は、どんな形になるのでしょうか。

川手 ひとつのテーブルを囲む「ターブルドット」というスタイルになります。お客様だけじゃない、料理人も、サービスマンも含めて、そこにいる全員が加わるテーブルを作ってみたい。8年前、“分かち合う”というコンセプトの元、カウンター20席がフルオープンの厨房を囲む今の店を作りました。“劇場型”といわれるレストランの中でも大規模でしたし、この形ならではのダイナミックな緊張感があり、得るものも大きかった。でも、次の店は自分が50代を過ごす店です。より親密に、落ち着き、くつろいだ時間をお客様と共有したい。だからターブルドット。旧店より席数を増やした、16メートルの大テーブルになります。建築基準や建材調達、消防法のクリアなど、あらゆる面でハードルは高いですが、完成形はこれまでになかったレストランになる。不可能を可能にすべく、森ビルさんも様々な形でご協力頂いています。2軒の〈フロリレージュ〉〈デンクシフロリ〉や台北〈ロジー〉同様、デザインは甲斐晋介さんにお願いし、よい形で進んでいます。

東京の中心で、プラントベースに取り組む意味

プラントベースを指標としたメニュー構成で料理を提供する予定。

——これまでフードロスの解消やプラントベースなど、さまざまな取り組みを率先し、料理人仲間や、レストランシーン全体にも影響を与えて来られました。新しい店でもその指針は継続されるのでしょうか。

川手 むしろ、それらをより深化させるための、次のステップだと考えています。麻布台ヒルズのコンセプトが「Green & Wellness」と聞き、自分の進む方向性ともフィットすると思いました。料理人も人間ですから、年齢やキャリアとともに、作る料理も理想とする店の形も変わってくる。独立して最初に出した店は、ものすごくクラシックなフランス料理店で、シャラン鴨やフォアグラといった輸入食材がコースの主役を張っていた。ところが日本の素晴らしい生産者の方々に出会ううちに、少しずつ“違和感”を覚えるようになり始めたんです。僕は「サステナビリティ」というコンセプトを掲げて料理を変えたんじゃない。“違和感”という、自分の中の声に耳を傾けるうちに、少しずつ自然に、今の方向に進んで来ました。プラントベースへの取り組みは、まだ始めたばかりです。定義、解釈はさまざまですが、僕にとってプラントベースは“指標”。肉や魚、乳製品もあっていいけれど、なるべく野菜を多く摂りましょう。フードマイレージやCO2の問題など、それによって変わることもありますよね、と。

——プラントベースの話とも関連するのですが、今は「ローカルガストロノミーの時代」といわれ、社会に対してのメッセージを打ち出すシェフほど、ローカルを目指す傾向にあります。でも川手シェフは東京を離れない。

店内のインテリアは食事が楽しめるように落ち着いた雰囲気に。

川手 東京を離れないどころか、これまで以上に都心の、最新スポットに移転するわけですからね(笑)。おっしゃる通り、地方に貴重な体験を求めて食事に出かける人は増えていて、その体験をSNS等で拡散することは一つのトレンドになっています。魚が揚がる海が目の前で、野菜が育つ畑に囲まれていて、食材や農の豊かさを発信する意味では、僕らはローカルのシェフに太刀打ちできない。でも、もしサステナブルに本気で取り組むならば、決してそれだけでは十分とはいえないと思うんです。イギリスのある調査では、ロンドンに住む人でサステナビリティに非常に興味がある、つまり、毎日何かしら行動を起こしているという人が8%、まったく興味がない人が20%だそうです。残り70%強は? 無自覚、つまり「考えたことがない」。この分野に関しては、欧米諸国に遅れを取っていると言わざるを得ない日本では、「無自覚」の割合は、もっと多いでしょう。そこにアプローチできる機会が一番多いのが、東京の、あるいは都市部のレストランです。こんなチャンス、言い換えれば意義とやりがいを感じられることはない。結果、都市とローカル、両方が必要なのですが、僕は東京で生まれ育った人間ですから、ここから発信する責任があると思うんです。

——川手シェフの野菜の表現は独特です。「素材重視」を標榜する多くのシェフたちが「手間をかけない」方向に進んでいるのに、正反対に思えます。

川手 僕は「素材に寄り添う」なんて、口が裂けても言えないタイプの料理人なので。だって、みんなで寄り添っていたら、全部同じ料理になっちゃうんじゃないですか。僕には、料理人としてのエゴがある。というか、そもそも食材を調理、加工して食べるという行為が、人間のエゴなわけで、料理人はそれを担う仕事なわけです。そこに自覚的でありたい。ここ最近、江戸料理の店に通っていて、すごくたくさんの刺激を受けているんですが、それこそ味噌は大豆に寄り添っていますか、という話になるわけです。食文化とはそういうもの。話が戻りますが、例えばプラントベースという考えを広く伝えていくうえでも、特別な産地や品種の野菜よりも、誰もが知っている普通の野菜であるほうが、より効果があると思うんです。日常で、接点が多いわけですから。普通の野菜で、自分にしか作れない料理を作る。フランス料理の技術で。プロの料理人として、覚悟をもってエゴを貫きたいです。

レストランの役割、新たなコミュニティでの協業

川手シェフの次なる挑戦に世界中から期待が寄せられている。

——「フランス料理」という言葉が出ました。近年、海外からゲストを集める多くのレストランが、ボーダレス(ジャンルレス)の方向へと進んでいる中で、川手シェフは今も「cuisine française」を掲げている。席数を増やすことしかり、やはりここでも世の中のトレンドとは違う、独自路線を進まれているなと感じます。

川手 ビジネス的に考えれば、「フランス料理」を外してしまったほうがイージーだなと感じることはあります。僕は日本人というアジア人で、東京で料理をしているから、世界の市場から見れば、フランス料理である必然はないわけで。でも一つには、やはりプロの料理人とレストランに憧れた原体験、原風景はフランスにある。宮殿のようなレストランに、ドレスアップして食事をする人たちが集まる様子だとか。加えて、自分に技術を授けてくれたのもフランス料理です。フランス修業時代、ビザが下りずに困っていたとき、認可のために手を尽くしてくれた師もフランスにいます。だから自分も、他国からのスタッフもできる限り受け入れたいと考えていて、今もアジア各国のスタッフと一緒に働いています。そういった、すべてのことを含めて「レストラン文化」だと思っている。「フランス料理」を外して、席数を絞り、単価を上げても、今ならお客様が来て下さると思う。そういう店を否定するわけでは決してないけれど、全部がそれじゃ、つまらなくないですか。移転しても〈フロリレージュ〉は、誰もが予約を取れる店でありたい。ランチもやめないですし、価格も極端には変えないつもりです。それが、健全なレストランだから。レストランは、健全であるべきだというのが僕の考えです。

——初めての商業施設への出店です。期待していることはありますか。

川手 正直、全然土地勘がない場所です。東京生まれ東京育ちと言いながら、調布の片田舎の出身で、都心といっても渋谷、新宿が精いっぱいでやってきたので(笑)。冗談はさておき、いい場所になる予感はしています。麻布台ヒルズができることによって、自分が抱いているようなドライで都会的な雰囲気から、少し“柔らかい”町に、界隈一帯が変化していくんじゃないかな、と。「Green & Wellness」というコンセプトや、それを基本とした建物・空間設計の構想は、僕自身が移転を決断した大きな要因にもなっています。商業施設というより、一つの村や町をイメージしながら作られていくコミュニティだと思っていて、だからこそ賛同できた。学校や病院ができることや、レストラン以外のさまざまな商業施設も興味深い。これまで外苑前という小さな町の中で、レストラン仲間としか付き合ってこなかったので(笑)。それはそれで楽しかったのですが。麻布台ヒルズでは、新たに“ご近所”になる飲食店さんに加え、異業種の方々を含めたお付き合いが、何かを発展させていくような気がしています。

profile

川手寛康|Hiroyasu Kawate
1978年生まれ。東京都出身。2000年に料理の世界に入り、2002年より西麻布「ル・ブルギニオン」で修業。同店スーシェフを経て2006年に渡仏し、モンペリエ「ジャルダン・デ・サンス」で働く。2007年に帰国し、「カンテサンス」スーシェフを経て、2009年「フロリレージュ」を開業(2015年に移転)。『ミシュランガイド東京』では2018年より二つ星。『The World’s 50 Best Restaurants』でも常時上位にランクイン。