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自分の物を見出すこと、自分の物にするという事は、いくら相手が着物でも、そう簡単にはゆきかねる。——白洲正子「自分の色」より
TEXT BY Suzumi Suzuki
PHOTO BY Ittetsu Matsuoka
hair & make by Rie Tomomori
design by Akira Sasaki
最初に見た娘は当然、今まさにお腹から出てきましたよ、という若干湿った裸体だったが、それから私が腹を縫っているあいだに髪や身体を洗って体重や頭囲などを計測し、再度私の前に現れたときに纏っていたのは白いタオル地の、前が合わせになっていてウエスト部分をやはり白いタオル地の紐で結ぶようになっている服だった。何に似ているかというと、AVの撮影現場で男優がシャワーの後に羽織っている、ドラマなどでもお馴染みのあのバスローブに似ていた。その病院では新生児は決まって全員その装いをさせられるらしく、ときおりナースステーションを横から覗くとたしかに全員が揃いも揃って小さなAV男優の装いで泣いていてとても可愛かった。娘もそれから一週間、一緒に退院するまでその服を着ているのだが、産んで二日目に初めておむつ替えなどしてみたところ、その男優風のローブは中の肌着と一体型になっており、可愛いだけではなく機能性も備わっていたのだった。
自宅に連れて帰った十月の初めはまだ気温が高かったので、しばらく室内では新生児用の肌着だけで過ごした。せっかく買ってあった可愛いロンパースやツーウェイオールなど、赤ちゃんならではの服を着せてみたくて時折袖を通してみるのだが、50サイズと書かれた服は退院したての娘にはまだどれも大きすぎて、しかもまだ個体というより液体に近いような、ふにゃふにゃした子にはどうも洋服というのがあまり似合わなくて肌着一枚に戻ることが多かった。
肌寒くなり、本格的に寒くなるとさすがに部屋の中でも肌着の上にベビー服を重ねるようになったのだけど、若干体重が増えすぎだった娘はむっちりとしてしまって、大切にとっておいた服は一回や二回ですぐ小さくなったものが少なくない。それでも白や生成りの肌着ばかり着ていた頃に比べると娘の装いはカラフルで華やかになり、その色は似合うとかこのフリルは似合わないとかいうこともようやくわかるようになってきた。それが楽しくて暇を見つけてはネットで大量のベビー服を買い、ひと月ですべて入らなくなる、というようなことを繰り返してしまう。
彼女が初めて自分で選んだ服を手に入れて、日を選んで気に入ったそれに袖を通して出かけるのはいつになるのか、今はまだ想像がつかないが、そう遠くもない未来、すぐにそうなって、そうなってしまえば彼女にとって自分の装いは自分だけのものになってしまうのだろう。買い物に失敗したり、どうしても欲しい服のサイズが合わなかったり、好きな服と似合う服の違いに悩んだりするのかもしれない。その頃にはそういう服装としての装いのほかに、嘘をついたり見栄を張ったり言葉をたくみに使ったりして自分を装うということもできるようになっているのかもしれない。
それを想像するのは楽しい。娘が未だ自分を装うということを知らないであろう今のうちはせいぜい、私の自分勝手な楽しみとして色々な服を着て、飾らない生理現象丸出しの姿を見せていて欲しいと思う。
白洲正子の「自分の色」というエッセイは、このほど出版された『作家とおしゃれ』というアンソロジーの中に収められていた。そういえば書くことは装うことにも似ているし、装いを脱ぐことにも似ている。
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鈴木涼美|Suzumi Suzuki
1983年生まれ、東京都出身 / 作家。慶應義塾大学環境情報学部卒。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。日本経済新聞社を退社後、執筆業を中心に活動。小説に『ギフテッド』『グレイスレス』(文藝春秋/ともに芥川賞候補作)『浮き身』(新潮社)『トラディション』(講談社)、「源氏物語」を題材とした書簡形式の小説『YUKARI』(徳間書店)。主な著書に、修士論文を書籍化した『「AV女優」の社会学 増補新版』(青土社)『娼婦の本棚』(中公新書ラクレ)など。最新刊に、『不倫論: この生きづらい世界で愛について考えるために』(平凡社)。
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