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その地図を、信頼する前に問う:『地図とその分身たち』著者・東辻賢治郎に訊く

地図アプリを使っていても、目当ての場所の周囲をぐるぐると回ってしまう。頼んだフードデリバリーが道に迷ってなかなか到着しない。テクノロジーが進展しても、あるいは進化したからこそ、地図は私たち現代人にとって、信頼を寄せながらも常に現実との微妙なズレを感じさせる独特の存在だ。そしてここ数年、疫病と戦争の時代を生きる私たちは知らぬうちに、刻一刻と様相を変える地図を毎日のように目にしている。そこに示されるもののリアリティを、常に推し量りながら。

2024年7月に刊行された『地図とその分身たち』(講談社)は、そうした地図の不思議さにロジカルに、そして詩的に近づこうとする、刺激的なエッセイ集だ。著者の東辻賢治郎は、大学院で建築史・都市史を研究。その後は現在に至るまで、日本でも人気を博す著述家レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社)や、レスリー・カーン『フェミニスト・シティ』(晶文社)など話題書の翻訳家として活躍している人物でもある。人々が世界を把握し、仮に固定し、次のアクションを起こす礎となる、そんな地図の語られざる深淵を、気鋭の書き手はどう見るのか。未知の輪郭をなぞっていく、インタビュー連載「編集できない世界をめぐる対話」第18回。

TEXT BY Fumihisa Miyata
PHOTO BY Kaori Nishida

──『地図とその分身たち』の冒頭で東辻さんは、私たちは地図と関係するときに「小さな跳躍」を繰り返していると書いています。確かなようで不確かな地図に心身を任せることは、実は現実と地図がズレた狭間に絶えず飛び込むようなものですね。改めて、まずは地図に対する本書の態度からうかがえますか。

東辻 ひと言でいえば地図という存在を自明のものとせず、いろいろな角度から考えてみた本です。普段私たちはあまり、地図そのものを意識的に考えようとはしていないように思います。地図アプリを用いるときは目的地への到着を急いでいたり、道に迷っていたりと、基本的に必要に駆られて使っているわけですし、その便利さを当たり前のものとして享受していますよね。もちろん、周囲を見渡せば現在位置がわかるのに地図ばかり見るから迷ってしまう、というような事態もありえますが、それでもとにかく目的地に着きたい一心でほぼ無意識的な行動をしている最中ですから、地図自体を相対化する機会はあまりない。

──たしかに「この地図は何だろう」と考え込む瞬間は、日常にはほぼないですね。

東辻 地図の不思議さを私たちが実感するのは、たとえば観光先でもらって自宅まで持ち帰ってきた、現地の案内マップを目にしたときでしょうか。観光の用途としては役割を終え、思い出の残り香のみを漂わせるエフェメラ(=一時的な印刷物)となったその地図を目の前にしたとき、一体どう扱えばいいのか迷ってしまうのは私だけではないはずです(笑)。本書のモチーフである、地図の機能よりはむしろ地図とは何なのかということを考える瞬間は、こうしたときに訪れるように思います。

──地図という存在自体に目が向くようになる、と。

東辻賢治郎|Kenjiro Totsuji 1978年生まれ。翻訳家。東京大学大学院、スイス連邦工科大学大学院で建築史・都市史を学ぶ。地図製作にもかかわる。訳書にレベッカ・ソルニット『ウォ―クス 歩くことの精神史』『迷うことについて』『私のいない部屋』、レスリー・カーン『フェミニスト・シティ』など。2024年7月、初の単著となる『地図とその分身たち』を上梓。

東辻 もちろん地図は社会的なものや政治的なものを含めてさまざまな機能をもっていますが、そうした作用や道具としての用途は一度括弧に入れて、私たちが地図そのものとどうかかわっているのかということをより素朴なレベルで考えてみたのが、『地図とその分身たち』ということかもしれません。

地図は、私たちに何かを訴えかけてくるような独特の喚起力をもっています。たとえば私自身、単純に地図が好きなこともあって、自分と関係ない時代や場所の地図も眺めたり、壁に張り出したりしてしまう。しかし、こうした自分との関係のなさとか、その地図を見てしまう状態というのは一体何なのか。そもそも地図は人とどう関係しているのか、といったことを考えてみたかったのです。

──駅前や観光地に設置された大きな地図の〈現在地〉が、私たち皆がなぜか指先で触れることで摩耗しているという言及は、ハイライトのひとつです。

東辻 あれは本当に不思議ですよね。「私はここにいる」ということを、ほぼ無意識に指差すことで示そうとしている。あるいは、みんなで同じ場所を地の色が見えるまで何度も触っていくことで、時間を越えて〈現在地〉を教え合っているともいえるかもしれません。いずれにしても、地図というものを現実の世界を平面に投影したものという、いわばお約束に基づいたフィクションとしてみた場合、〈現在地〉を指し示すことはそのフィクションを信じようとする賭けの動作ともいえる。

──「私はここにいる」ということを信じる、と。

東辻 一方で、〈現在地〉を指すのは誰でもやってしまうような動作ではあるものの、フィクションとしての地図には固有の文脈も存在します。どの時代、どの地域の人であっても、同じようにそのフィクションを受け容れて地図上の〈現在地〉を私のいる場所として納得できるかというと、そうでもない。

たとえば私は、地下鉄の地上出口を出たところによくある地図──その出口に立つ人間にとっての利便性を図って、北が上部ではなく横に位置しているような地図が、実は苦手なんですね(笑)。

──たしかに、“北は地図の上部”という「お約束」を信じて眺めると、混乱する人もいるかもしれません。

東辻 地図が苦手で、見てもよくわからないという人もいるかもしれません。普遍的存在であるかのように佇んでいる地図も、実は個人とのあいだでいろいろな関係を結ぶことが面白い。そんな地図がいつもは無意識的に捉えられている。地図をめぐるその無意識のなかに折り畳まれ、潜んでいる要素について、私は考えてみたかったんです。

目の前にある地図は、私にとっては地図であるかもしれないけれど、別の人にとっては違うかもしれない。昔の人にとってはまったく地図だとは捉えられないものが、私たちにとっては地図そのものということもあるでしょう。地図をめぐる自明さはひとまず置いておいて、たとえば「鳥」などといった一見地図に関係ないようなモチーフも経由し、歴史も遡りながら、エッセイの文体で考えていくというのが『地図とその分身たち』のスタンスでした。私自身は近代西洋文化の影響を強く受けてきたアジアの人間ですので、そういう存在にとっての地図ということを考えていくにつれ、書籍の後半では徐々に自分のことを語ることになったのも、ある意味では必然的だったかもしれません。

──なるほど。すこし東辻さんのバックグラウンドについてもうかがいたいのですが、大学院では建築史と都市史を研究されていたそうですね。

東辻 実は私が大学院まで研究していたテーマと地図というのは、直接には関係しないんです。むしろ間接的な影響が大きいといったほうがいいのか、振り返ってみれば研究を進めるプロセスの端々で、地図という存在と知らず知らずのうちに幾度も交差していたんですね。都市史を学ぶ者ならば誰もが地図を見ますし、物を考える土台として地図がある。

史料としての地図のほかにも、たとえば都市の現地調査をする際は特に地図が重要になります。現地に向かう前に入念な準備を行うのですが、作業のなかにはその都市にかんするさまざまな地図づくりの行程も入ってくるんです。

──研究の工程のなかに地図が組み込まれていたのですね。

東辻 体感的な話ではありますが、私がそうした調査を行っていた2000年代の末から2010年代にかけては、日本では国土地理院が「基盤地図情報」をインターネットで公開するなど、専門家ではない人間が扱えるデジタルなオープンデータが徐々に普及していった時期だと思います。私もGIS(地図情報システム)をインストールするところから、すこしずつ地図の世界に近づいていきました。他にもGPSログをとってみたり、写真にジオタグ(位置情報)をつけたり、IGN(フランスの国土地理院)のデータを使って詳細な地形がわかる地図をつくったり……

テクノロジーの進化のみならず、都市史研究の潮流からも少なからぬ影響を受けました。たとえば10cmほどの高低差のような「微地形」と呼ばれる自然の条件と人間の営みの関係に注目する、ということもあり、これはある程度の規模でやろうとすると最近の航空レーダー測量の成果などを使うことになります。そうした背景のもと、さまざまな地図をつくったり、調査先の資料館で古地図などを見るようになったりと、いつの間にか地図について考える時間が増えていった。それがやがて、『地図とその分身たち』へとつながっていったといえます。

──だんだんと地図のほうに招かれていったのですね。

東辻 私にとってもうひとつの専門であった建築史との絡みでいっても、地図は興味深い対象です。私は近代初期の建築の図法に関心を抱いてきたんですが、たとえば平面図というものは建築物を水平に切って上から見た図ですから、ある意味で地図と同じものといえなくもない。現代の三次元CAD(コンピュータ支援設計)にしても、三次元の要素を二次元に表現する技術として捉えるならば、原理的には地図と同じです。
こうして建築史・都市史の研究を進めるなかで地図の技術や作り方にも関心をもち、自分なりにいろいろ調べたり、学んだりするうちに、やがて人から頼まれて地図をつくるようになっていきました。

──地図製作もおこなうともプロフィールにあります。

東辻 すこし前提となる話をさせてください。いま日本でも海外でもカルトグラフィー(カートグラフィー、地図製作)を行う人、すなわちカルトグラファー(地図製作者)として活動されている方はたくさんおられます。そのなかには先ほど私自身も行ってきたような地図づくりの他にも、さまざまな地図の制作やデザインを手がけている方が多くいらっしゃいます。

私の感覚では、地図製作者はカルトグラファーの訳語の性格が強く、たとえば絵師などと呼ばれた伝統的な職能とは毛色が違う言葉なのでややイメージがしにくい。「地図をつくる人」という意味では、理想的には伊能忠敬のように測量から携わって作者として名を残す人ならわかりやすいのですが、むしろそれは例外で、現在は相当広がった意味合いで用いられています。私はそうした現代的な、広義のカルトグラファーのひとりだと思ってます。

──なるほど、たとえば二次的な情報を駆使して地図をつくる立場も含まれるわけですね。

東辻 そのうえで話を進めると、大学院を後にしてからも、論文や書籍に掲載する地図をつくってほしいというような依頼を受けることがありました。歴史研究の論文で19世紀の交易路を図示したいと頼まれたり、ある国の天然ガスのパイプラインの地図をつくりたいとお願いされたり。

詩人の野村喜和夫さんによる、金子光晴の『マレー蘭印紀行』を下敷きにした紀行詩集『芭(塔(把(波)』(左右社)の装幀を担当したり、濱口竜介監督の映画『ハッピーアワー』に出てくる劇中イベントのチラシを手がけたりと、地図をモチーフにしたり、その技術を応用してみた仕事もいくつかありました。

──気づけば地図をきっかけにした仕事が増えていったのですね。

東辻 とはいえお話ししたように、当初から、地図を専門的に扱おうとしていたわけではありません。2010年代以降は翻訳家としての活動をメインとするようになってきましたが、地図の技術や歴史への興味は持ち続けていたので、地図には半ば趣味のようなかたちでかかわっていました。『地図とその分身たち』に取り組むようになったのは、こうしたタイミングでのことなんです。

──翻訳家としては、フェミニズムから政治、環境問題まで幅広く、そして思慮深い筆致で描いていく著述家レベッカ・ソルニットなどを翻訳されてきていますね。翻訳という営みと、地図という問題系は、どこかで交わるものなのでしょうか。

東辻 翻訳と地図は、いろいろなレベルで共通点をもっていると思います。まず私個人の話をすれば、「わからないものに興味がある」がゆえに、翻訳にも地図にも取り組んでいる、という面があります。地図であれば、既成の地図も参考にしながらも、それだけではわからないことがあるから、さまざまなデータやツールを用いながら自分の手で新しい地図をつくる。その作業を経ていくなかで、対象に対する理解を深めていく。

翻訳も、似たようなところがあるんです。実はソルニットを訳すようになったのはかなり偶然といいますか、編集者とやりとりするなかでソルニットに出会うという経緯をたどったもの。最初に『ウォークス 歩くことの精神史』を訳したときは、ソルニットの英文の、一見平易ではあるけれど妥協がなく、喚起力のある文章を理解するのに骨が折れました。ただその書き方を理解するには、単に読むより翻訳するほうが実は早い場合もある。きっかけが予期しなかったものであるにせよ、翻訳という作業を通じて感得したソルニットの文章や姿勢は、今回の『地図とその分身たち』を含めて、私の書くものへの影響があると思っています。

──なるほど。他にも、翻訳と地図をめぐる共通点があるのでしょうか。

東辻 翻訳家と地図製作者の肩書といいますか、主体としての位置の曖昧さというところも相通じている気がします。翻訳にかんしては、先ほども申し上げたように私は翻訳を任せてもらえたからこそソルニットと出会った人間なのですが、それでも何冊も訳してくると、いわば「ソルニットに詳しい人」として話を聞かれるようなことがある。専門的な研究者の方が研究対象であるテキストを翻訳するということもありますし、翻訳家が訳しているものにかんする知見を語るということ自体は何もおかしくはないのですが、しかし私は原著者ではないのもまた事実です。にもかかわらず、何か不思議な権威性のようなものが発生することがある。

地図製作者も同様です。自分の知見や既存のデータを組み合わせて出力すれば、地図をつくることは比較的簡単にできる。しかしそうしてできあがったものは、思わぬ力をもつことがある。二次的なものであるはずなのに、何かしらの権威性をまとう瞬間があるんです。その奇妙さという点でも、翻訳と地図は似ているところがありますね。

──たしかに、どんな知見に基づいてつくられたのかもわからないような、たとえば店や施設にかんするアクセスマップであっても、地図として掲げられるとひとまず信じてしまうようなところが私たちにはあります。

東辻 もう一点、私にとっての翻訳と地図の共通項を挙げるとすれば、非常に身体的なものである、ということです。ソルニットの著作のうち、私的な内容を含む『迷うことについて』や、自伝的な『私のいない部屋』(共に左右社)を訳したときに痛感したのが、私のものではない言葉をいったん体のなかに入れ言葉として紡ぎ出す作業は、とてもフィジカルであるということです。しかも1961年に生まれ、アメリカ社会を生きてきたフェミニストであるソルニットの文章を、1978年に日本で生まれた男性の身体を通す、ということですから。誰を訳すにしても、私にとって翻訳は本質的に違和感を伴う作業で、当然ながらときに負荷を感じることもある。

地図もやはり、その平板であるはずの地図をきっかけにして、世界が新たに現れたり、妙な距離を感じてしまったりというように、身体的な喚起力を持ち合わせています。自分の身体が動員されてしまうものへの志向が、私にあるのかもしれません。

──動員という意味で思い起こされるのは、国家が地図上で自身の領地を赤く塗ることは愛国意識(ナショナリズム)のささやかなあらわれとして興味深い、というような20世紀の作家ジョージ・オーウェルの言葉が『地図とその分身たち』では紹介されるくだりです。

東辻 政治的な意味においても、地図は権威性をもち、また私たちの身体にいつの間にか干渉してくるものです。地図も翻訳も、人を身体的なレベルで巻き込んでいくものであるということは、やはり似通っているのだと思いますね。

──ソルニットの仕事も、同じく東辻さんが訳されたフェミニズム地理学者レスリー・カーンの『フェミニスト・シティ』も、都市のつくりがそこで生き、歩く主体としての女性を想定せず爪弾きにしてきたという論旨は一貫しています。地図とジェンダーという観点でも、問うべきことはあるでしょうか。

東辻 当然あると思います。たとえば、20世紀後半を中心に活躍したアメリカの地質学者マリー・サープは、大西洋の海底地図をつくった功績で歴史に名を刻んだ人です。しかし、サープのような女性は、これまでの地図の歴史においてはやはり少ない。世界を地図化するという意味でのカルトグラフィーの歴史は地理的な探検の歴史とも重なり合いますが、大航海時代以降、特に19世紀を中心に、世界を探検して情報を持ち帰ってくる人間は男性ばかり、という歴史が長らくつづいたことは、皆さんもご存じだろうと思います。

そうした地図をめぐる歴史をジェンダーの観点から振り返るとき、参考になるソルニットの仕事があります。彼女には「アトラス」シリーズ(2010~2016年、未訳)という著作があって、これはさまざまな分野の専門家やアーティストとの協働のもと、サンフランシスコ、ニューオーリンズ、ニューヨークといった都市に潜むレイヤーを、地図によって露にしていくという試みです。蝶の生息地から犯罪の発生地まで多種多様な観点を組み合わせ、いわば地図によって都市が別の様相を見せるのですが、これはカウンター・マッピング、いわば対抗地図とでも訳せるようなムーブメントの一環と考えることができます。

──カウンター・マッピングですか。

東辻 女性をめぐる主題やクィアの文化なども含めて、既成の、とりわけ公的な地図においては隠されていたもの、ピックアップされてこなかったものを見せる地図、ということですね。地図というシステムを逆に利用して社会に働きかけるということです。先住民たちが用いていたにもかかわらずその後失われた地名や、イスラエルによって上書きされたパレスチナの地名を復活させる、といったカウンター・マッピングも存在します。

ソルニットは「アトラス」シリーズを踏まえて、「City of Women」(2019年)という一枚ものの地図も手がけています。ニューヨークの地下鉄路線図を、ジョシュア・ジェリー・シャピロという地理学者と共作したものなのですが、駅名がすべて女性の名前になっているんです。現実の駅名や地名は、男性の名前を冠されていることが多い。それをすべて女性に塗り替えてみれば何が変わるのか、たとえばそんな街で育つ幼い女の子たちはどのように社会のことを見ることができるのか、といったことを問いかけているのですね。

──ブロンクスに、R&Bシンガーのレジェンドであるメアリー・J・ブライジの名前が見えますね。マンハッタンには、20世紀アメリカを代表する批評家スーザン・ソンタグや、ノーベル文学賞受賞作家トニ・モリスン。一時期ヘレン・ケラーが居を構えていたからでしょうか、彼女の名前はクイーンズにあります。

東辻 20世紀にはほぼ全世界を覆うカルトグラフィーが可能になり、世界は平板に地図化できるという理念が普遍的なものとして完成していく。その理念は暗黙に、19世紀的な、いわば男性主義的な伝統を内包しているものではあるけれど、そうした地図を用いるからこそ、異議の申し立てや局在的なテーマが際立つ場面がある。そんな地図という媒体を用いてしかできないような仕方で問題を提起するのがカウンター・マッピングというムーブメントであり、「アトラス」などのソルニットの取り組みもその試行のひとつとして捉えることができます。

──そんなソルニットにかんしても、東辻さんが『ユリイカ』2024年6月号「わたしたちの散歩」特集に寄稿された文章では、自然への視線とは裏腹に、たとえば歩行する人間にとって身近な存在である犬などの動物はあまり登場しないという指摘をしていましたね。『地図とその分身たち』では、大航海時代の南米の地図に真っ赤なオウムやインコが描かれるという話が出てきます。もちろん当時のエキゾチシズムゆえの描写ではありますが、いずれにしても動植物をはじめとした人間以外の存在や、気候などの事象を地図と共にどう捉えるか、さまざまな余地がありそうです。

東辻 たとえば国土地理院が定める地図記号では、広葉樹林や針葉樹林といった植生を示すことができます。動物にかんしても、家畜や放牧地の分布を説明する地図など、人間に有用なものは表現されてきました。近年は、野生動物にGPSトラッカーをつけるなどして、人間以外の存在をより簡単かつ広範囲に地図を描くことが可能になっています。気候については、風のようなものは地図に直接示すことが難しいと思われがちですが、通り抜ける風が地名として残っているなど、知識をもって地図を見れば、実はどんな風が吹いているかわかるということさえある。
『地図とその分身たち』では、人類学者・映画作家のヒュー・ブロディが作成した地図に触れました。カナダの先住民ダネザー族と過ごした記録『地図と夢』(1982年、未訳)に出てくる、狩猟にかんする地図です。これは先住民たちが土地をどう巡り、どのように動物たちに出会っているのかを示す地図なんですね。

──地図による可視化には、いろんな例があるのですね。

東辻 とはいえ、一瞬しか私たちの世界に現れなかったり、捉え難かったりするものは、地図の世界においてもオルタナティブでありつづけている。先ほどのカウンター・マッピングにも一部関連しますが、1990年代以降はディープ・マップ、つまり深い地図という概念を一種のメタファーとして使い、歴史的・生態的なものも含めて表層には出てこないレイヤーを扱おうとする人も出てきています。逆にいえば、そうしたオルタナティブな位相に手を伸ばすことができるメディアとして、いまなお地図は可能性を秘めています。

──そうした可能性は、テクノロジーとどう関係を結びうるでしょう。ラスベガスにオープンした巨大な球体型のアリーナ「スフィア」は『地図とその分身たち』でも登場しますし、現実を引き写してデジタル空間上でモニタリングやシミュレーションを行う技術「デジタル・ツイン」も、近年注目を集めていますが。

 

 

2023年9月、ラスベガズにオープンした球体型の巨大アリーナ「スフィア」(動画はNBCニュースの報道より)

東辻 これは書籍のなかですこし言及した名前なのですが、ヴァルター・ピヒラーやハンス・ホラインといった、主に1960年代以降に活躍したオーストリアのアヴァンギャルドな建築家たちがいます。彼らは現代建築はあらゆる側面に拡大するという話をしていたのですが、これは最近の言葉を用いて逆説的に表現するならば、建築はVRの世界へ解消されうるということにもなります。

──「建築の全体化と抹消」と、東辻さんは記しておられますね。

東辻 私もいつかいってみたいのですが、実際にスフィアに足を運んでみたならば、きっとものすごい没入感があると思うのです。それはまるで、3D化し、全体化した地図を体感するようなものだと思います。ただ、実はその経験は、地図のメリットとは関係がないようにも思うのです。考えてみれば、原寸大の地図に一体何の意味があるのか、ということなんですね。

──地図を全体化すると、地図のメリットが消える、と。

東辻 原寸大の模型、原寸大の図面が意味をなさないように、精緻であるあまり原寸大となった地図には、根本的なパラドックスが潜んでいると思います。もちろん、スフィア的なVR、あるいはデジタル・ツインのようなテクノロジーや世界観にはある種の有用性があるでしょう。ただ、このインタビューでもずっと語ってきたように、実は私たちが必要とする地図の核心には、有用性ではないものが存在しているのではないでしょうか。

地図は基本的に対象である現実から一定の距離をとるメディアであり、あるルールのもとに描かれているものも、逆に描かれていないものもあるという、お約束による取捨選択を経た媒体です。そのフィクションに含まれた、一見無駄な余白のなかにこそ、地図の本質はあるはず。私たちは飛行機から街を見下ろして「まるで地図のようだ」と感じるわけですが、あれも不思議なことなんです。世界をそのままで理解できないときに、人は地図を見る。現実そのままでない地図というところに、おそらく編集的な価値もあるのだと思います。

profile

宮田文久|Fumihisa Miyata

1985年、神奈川県生まれ。フリーランス編集者。博士(総合社会文化)。2016年に株式会社文藝春秋から独立。2022年3月刊、津野海太郎著『編集の提案』(黒鳥社)の編者を務める。各媒体でポン・ジュノ、タル・ベーラらにインタビューするほか、対談の構成や書籍の編集協力などを担う。